3.食べるために、生きるために
栄華の都の一角に構える巨大な白い要塞。その頂きには水色の旗が掲げられている。中央に輝く白い隼。誰もが憧れ敬うマスィーフの城。
そこに、初めて足を踏み入れる、年の頃、十五から十八を迎える青年達が緊張の面持ちで並んでいた。百名の枠に対して、応募者数は四万人。その難関を突破し、最終面談にまで残った強者である。
マスィーフには、妖魔狩りを行う戦闘班、町を監視し妖魔出現時に住民の避難誘導を行う防衛班、マスィーフに関する情報やシステムを管理統制する情報班、武器などの開発・生産を行う技術班と四つの組織が存在する。それに加え、妖魔の生態を研究する機関と隊の医療機関を兼ねるマスィーフ研究所があった。
特に、花形とされる戦闘班は人気が高く、危険度の高い職種であるにも関わらず、応募者のほとんどが戦闘班を希望していた。子どもであれば誰もが夢見る憧れの職業、それがマスィーフの戦闘員なのである。
「では、早速だが、ジル=ハッシュ君。君の志望理由は?」
今年度の面接官を務めるロイド副隊長が言うと、チリチリに縮れた黒髪に浅黒い肌の青年が立ち上がった。
履歴書の年齢欄には十八歳と書かれているが、背の低さやくりっとした瞳から、十四、五歳のようにも見える。
「私は、幼少期、マスィーフに命を助けていただいたことがあります。今、私がこうして生きていられるのは、あの時、自分の身の危険を顧みず、妖魔の手から救ってくれたマスィーフのおかげです。私を救ってくれたあの方のようになるんだと、その時に決意しました。私は、この命をマスィーフに捧げ、ゆるぎない忠誠を誓います!」
熱く語って、ジルは敬礼した。
そのあまりに熱意ある回答に、ロイド副隊長がちょっと驚いた顔をして、だけど優しい目で笑った。
彼は、その瞳と同じ印象のままに、皆から慕われる優しく誠実な男であったが、ひとたび戦地に出れば、容赦なく妖魔をなぎ倒す精鋭隊員でもあった。それ故、エリート集団である第一部隊の副隊長を任されている。
「それは頼もしいね」
ロイドがジルのピンと背筋が伸びた敬礼を見ながら、そう言うと、ジルは「光栄です!」と感無量の顔で答えた。
「じゃぁ、次はミルティオ=アンフェノール君。君はオルディーヌ出身だね。珍しいな、貴族の君がなぜマスィーフの戦闘員を?」
次いで、ロイド副隊長はジルの隣に座っている青年に目を向けた。
やわらなか栗毛に茶色い瞳。その顔は貴族と呼ぶのがふさわしく、高貴さと気品をたたえていた。男性としては、背はさほど高くないが均整のとれた体格をしている。
「王宮議会や王兵という選択肢を選ばず、あえてマスィーフの戦闘員という危険な職種を選んだのには何か理由があるのかい?」
「はい。実際のところ、家族からは戦闘員になることを、猛反対されました。けれどわたくしは……」
そこでいったん言葉を区切ると、ミルティオはその瞳に強い光をたたえ、
「戦闘員になることが、わたくしの宿命だと考えています」
そう言い切った。
柔らかな顔とは対照的な凛とした響きのある声に、ロイド副隊長の隣で聞いていた、ジャージ隊長がニヤリと笑った。
「宿命ねぇ……お告げでもあったか?」
冗談交じりに言って、頬の無精ひげをジャリジャリとなでる。
スキンヘッドに鋭い瞳。その外見に相応しく、乱暴者・無法者が多い第九部隊をまとめる猛者である。清潔感あふれるロイド副隊長とは全く正反対の印象を与え、言葉も乱暴で、がさつな男だったが、不思議と人望は厚かった。
そんなジャージ隊長のちゃかした言葉に、ミルティオは困ったように小さく笑うと、
「お告げ……でしょうか」
そう否定するわけでも、肯定するわけでもなく、うまい具合に受け流した。全体にまとう物腰柔らかな空気に加え、笑うとさらに優しげな印象を与える。
「ま、お告げでもなんでも、危険を承知で、戦闘員を選ぶとはいい度胸だ」
ジャージ隊長はそう言ってミルティオを見ると、ふと何かを思い出したように片眉をあげて、疑わしげに目を細めた。
「変な宗教にはまっているんじゃねーだろうな?」
「えっと、そういったことは……」
「ならいいんだ。前にいたんだよ、訳のわからんこの世の終わりから救ってくれるとかいう太陽の棒だかなんちゃらっつう宗教をマスィーフ内で布教しようとした奴が、壺売りまくってよ」
気味悪げに言って、隣の青年に目を向ける。
「じゃぁ、次、レオン=レイモンド。お前の志望動機は?」
その言葉に、金色の短い髪をした精悍な顔立ちの青年が立ち上がった。背は百八十センチメートルを超えるだろうか、一見スラリとしたシャープな体格であるが、その胸板の厚さから鍛えられた強靭な肉体であることがうかがえる。
「ジャージ隊長、その質問は愚問だよ。彼はレイモンド元総司令官のご子息だ」
第五部隊隊長カタピラが鼻の下に長く伸ばした自慢の髭をつまんで笑った。
「レイモンド元総司令官の?」
ロイド副隊長が驚きの声をあげる。
「あぁ、そうだ。あの伝説の剣士のご子息だ」
二人の会話を受けたレオンの瞳に苛立ちの光が一瞬浮かびあがりすぐに身を潜めた。手元にあった資料を見ていたカタピラ隊長は気付かない。
「ここまで筆記試験も技能試験もトップじゃないか。やはり偉大な父を持つと違うなぁ」
「そうか。父を目指してマスィーフに来たか」
カタピラとロイドの言葉に、先程身を潜めた苛立ちの光が抑えようもなく溢れ出し、我慢ならないと言いたげな表情で、レオンは唇を噛んだ。
「違います。私は父を恥じています。ここに来たのは、私は父とは違うということを証明するためです」
苦々しさを含んだ強い口調。
三人の面接官が、一様に驚いた顔で、レオンを見つめる。
そして、ロイド副隊長が、
「レオン君、もしかしてあの事件のことを言っているのかい?」
と誠実な彼を表す真剣な面持ちで聞いた。
「だとしたら、それは気にしなくて大丈夫だ。ここではレイモンド元総司令官を反逆者なんて誰も思ってはいない。今も昔も変わらずあの方は伝説の剣士であり、我々の英雄だ」
「そうそう、君は偉大な父を卑下する必要なんてないんだ。あの方を反逆者などと言っているのは王族の一部だけだからな。安心してくれ」
続けて、カタピラ隊長が、まるで君の気持ちは分かっているよと言うかのように、うなずいた。
何が、安心してくれだ。俺は思っていることを言ったまでだ。
レオンはそう言いたかったが、レイモンドを神様のように崇拝するマスィーフの面接官を前にして、それを口にするのは得策ではないという考えの元、それ以上は何も言わず、黙ってうなずいた。
「じゃぁ、次は、翼=オクテット君に聞こうか。君の志望動機は?」
仕切り直すかのように、ロイドがレオンの隣にいる少年に目を向ける。
「はい!」
翼はダンっと勢いよく立ち上がり、その際、書類を落としてあたふたと拾い上げた。
苦笑いするロイドの前で翼は姿勢を正すと、息を吸い込み、
「俺はマスィーフになって空を見る!」
と、部屋中に響き渡る声で言い放った。
シンと静まり返る面談室。その数秒後、カタピラの大爆笑が響き渡った。
「空だと? 何を言っている。固く閉ざされた静寂の門を開くつもりか? バカも休み休み言え」
「だって、人類を空に導くのが、マスィーフの使命なんだろ?」
突っ込まれたカタピラは気まずげに眉を寄せ、一度、コホンと咳ばらいをした後、「お前は現実をまだ分かっていない」と鼻で笑った。
「なんでだよっ。マスィーフは救世主だって聞いたぞ?! マスィーフが空を奪還するんだろ?!」
「うっ、うるさい。貴様、さっきから黙って聞いていれば、大口ばかり叩きやがって。大体お前はマナーがなってない! 目上の者に向かってなんていう口の利き方だ!」
「まぁ、まぁ、まぁ。カタピラ隊長」
二人の間に苦笑いしたロイド副隊長が割って入る。
「いいじゃないですか。古くから、少年よ大志を抱けと言いますし」
「志がでかすぎるんだよ。身の丈に合った夢を語れ」
「あ。じゃぁ、もう一つ、ここに来た理由があるぜ! 俺は、美味いもんがたくさん食べられるから、ここに来た!」
満面の笑みで言い切った翼に、その場にいる誰もが耳を疑い、唖然とした顔で少年を見つめた。
バカかこいつは……。
レオンは隣に立つ翼の姿を見下した表情で一瞥した。
「きっ貴様! ここをどこだと思ってる! 命を懸けて人々のために、妖魔と戦うマスィーフだぞ! 美味いものが食べたいなどと、そのようなふざけた理由で来るところではない!!」
今にも殴りかかるかの勢いで、カタピラ隊長が怒鳴りつけた。
けれど、それを意にも介さぬ様子で翼はカタピラ隊長を強い視線で見つめ返すと、それまでの落ち着きのない態度が嘘のように、驚くほど静かな声で、
「だけど、人間は食べなくては生きてけない。俺たちは食べるために、生きるために戦うんだろ」
そう言った。
「貴様、俺に意見する気かっ」
たまらずカタピラが机をバンと叩いて立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
その時、
「美味いものを食べたいから、結構じゃないか!」
そう言って、ジャージ隊長がゲラゲラと笑い出した。
「ジャージ隊長!」
カタピラ隊長が非難するような声を上げ、それをジャージ隊長は鋭い目で制すると、
「美味い物を食べたいから、結構結構。素直でよろしい。人類を守るためだ、平和を取り戻すためだなんて言っている奴らより、よっぽど信頼できる。そうだ、俺達は食うために、生きるために戦っているのだ」
と言って、まぁまぁと手のひらでカタピラに座るよう促した。
「お前たちの思いはよくわかった。もういいぞ」
ジャージ隊長が部屋のドアを指し示す。
えっもう終わり? と志望理由しか聞かれないまま、帰るよう指示された四人は驚いた顔でお互い顔を見合わせる。
「ジャージ隊長……」
ロイド副隊長が、困った表情を浮かべたが、きっと何を言っても無駄だと思ったのだろう、
「結果は後日通達するから」
と帰るよう促した。
「しっかし、お前、美味いもん食いたいからなんて、よく言えるよなぁ」
部屋を出た途端、ジルが半分感心、半分呆れた顔をして言った。
「だって、本当のことだし……」
翼は何がおかしいんだと言わんばかりの様子で答える。
「普通、本音と建前っていうのがあんだろう」
レオンは心底呆れた顔して言った。
そんな彼に、ジルは何かを思い出したように向き直ると「君、レイモンド元総司令官の息子なんだ。すごいね」とミーハーな顔をのぞかせた。その言葉を受けたレオンの顔が不機嫌な色を帯びる。
「すごくなんてない。あんな奴。ただの飲んだくれだ」
吐き捨てるような言いぐさに、若干、気まずい空気が流れ、ジルが戸惑った様子で頭をかいたとき、それまで静かにみんなを見ていたミルティオがクスリと笑った。
「なんだよ、人の顔見てニヤニヤしやがって」
「ごめん。なんだか、君たちに会えたのが嬉しくて」
不機嫌顔のレオンに対し、ミルティオが答える。
「これから一緒にここで戦えるかと思うと、わくわくするよ」
「ずいぶんな、楽天家だな。まだ分からないじゃねーか。全員受かるとは限らねーし。今日限りってこともあるからな」
「特にお前、絶対やばいと思うぜ」
ジルが翼に言って、「や、やっぱり? 俺もそんな気がしてた」と翼ががっくり肩を落とす。
すると「大丈夫だよ。僕たち四人はきっと受かるよ」そう言って、ミルティオは人懐っこい笑顔をみんなに向けた。
その頃——
四人が出て行った後の部屋では、「今年の新兵は粒ぞろいで楽しみだ」と言い出したジャージ隊長に対して、「まさか、今の全員入隊させる気じゃないだろうな?!」と、カタピラ隊長が驚きの声を上げた。
その後、二人の平行線の戦いが繰り広げられる。
「レイモンド元総司令官のご子息は申し分ないとして、あのジルという青年も、命をマスィーフに捧げるとはなかなか見どころがある。それから、貴族なのに危険な職種をあえて選んだあいつも根性がありそうだ。けれど、あのガキはないだろう」
「なんだお前、見る目がないなぁ。あいつは、きっと素晴らしい兵士になるぞ。あんな度胸の据わった奴は、未だかつて見たことがない」
「度胸が据わっているんじゃなくて、バカなだけだ」
二人の言い争いに、「まぁまぁまぁ。次の面接もありますから、もうこの辺で……」とロイドが割って入ると、「じゃぁ、お前はどう思う?」と二人から睨まれた。
嫌な役回りだと小さなため息をついて、しかしこうなっては何か言わなきゃことが収まらないことも承知しているロイドは、先程の翼というちょっと変わった少年を思い返した。
確かに不安要素は多々あるが、彼がマスィーフに入ったら面白いと正直思った。 何かをやってくれそうなそんな期待を持たせてくれる。逆に、何かをしでかす可能性も大いにありそうだが。
しかし……。
「彼はウォーターマーク出身です。食べることへの執着が強いのも頷けます。少々、常識を逸した言動ではありますが、我々の思いも及ばぬ過酷な体験をしてきたのではないでしょうか。それはマスィーフとして戦闘に立つ際の強い後ろ盾となる」
ロイドはそう結論を出した。
勝ったと言わんばかりの顔でニヤリと笑うジャージ隊長に、カタピラ隊長は納得がいかない。青筋を立てながら、「少々だと?」と物申した。
「ロイド! お前は、常識と言うものを知らないのか? 美味いものが食べられるからなどと甘えたことほざきやがって、ここはレストランかっ!」
ロイドはどっちについたって、こうなるだろうと開き直って静観を決め込み、嵐が立ち去るのを待つこととした。
それから揉めること三十分、最終的には、
「なんだ、俺の采配に文句でもあると?」
と言い出したジャージ隊長。
「カタピラも偉くなったもんだなぁ。バディだった先輩に対して、意見を申し立てるんだからな。新兵の時はあんなに素直だったのに」
年功序列が基本の軍隊。まして、自身が新兵だったころの話を持ち出され、カタピラ隊長はぐっと言葉を呑んだ。それを言われて、盾突けるわけがない。
「卑怯だぞ」
最後に少しだけ恨めしそうな顔をしたものの、それ以上の抵抗は諦めた。ようやく嵐が去って、ロイドがふぅと胸をなでおろす。
「じゃぁ、四人とも入隊ということでいいですね」
こうして、ジル・ミルティ・レオン・翼のマスィーフ入隊が確定した。
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