第11話 終演に吹く笛
山の中というのは異界に通じている。森は異界の入り口で、深いところへと踏み込めば帰ってこれなくなる。海の底には異界があり、死後はそこへと降りていくことになる。
どれも都市伝説のレベルでしかなく、科学の発達していなかった昔の想像の産物。人間の妄想が闇を生み、見えもしないものを生み出し続けた時代。そこにいるかもしれないという、恐怖により作られた言葉と幻。
今の日本はそこらじゅうが明るくて、そういった闇が溜まり続けられる場所は少なくなった。光はどこまでも広がりを見せるようで、闇はどんどんと小さくなっていく。けれど、けして消えることはない。都会の片隅には必ず暗がりを好むものが住み付き、どれだけ光で照らし出したとしても、すぐに闇へと染まる場所が存在する。その中にはどんなものがあり、どんな望みの元に成り立っているのか、たまには考えても良いのかもしれません。
「良い景色ですね」
頭の中で考えていることとは全く違う景色。季節を感じさせる風と、それに運ばれてくる草木の匂い。足を踏み出すたびに絡み付いてくるのは、緑豊かな証拠なのでしょう。その上で、考え事をしながらでも登ることが出来る、私が自分の足で登っても苦労しないような、なだらかな道。なるほど、聞いていた通りにハイキングでも出来そうな、優しい道ですね。ビニールシートを広げて、その上でお弁当を食べましょう。晴れた空の下、自然を感じながら食事が出来るだなんて、贅沢ですね。
なんて、そんな気分になるのは難しいですね。アンティークが起因しているかもしれない行方不明事件が、この山には存在します。人命を危険にさらし、最終的には奪ってしまう。そんな凶悪な事件です。
まぁ、姉さんくらいに切り替えが出来る人であれば、この素晴らしい景色に素直に感動して、つかの間の休息を楽しむことも出来るのでしょう。他の方々にとっては足に絡みついてくる、うっとうしさしか感じない草花も、姉さんにとっては楽しみをくれるもののようです。
「本番はこの後です、緊張し過ぎないように行きましょう」
一緒に楽しむことも出来ない私に出来るのは、こうして声をかけ続けることだけ。登山による疲労を抱えている人はいなさそうですが、心理的な疲労が積もっている人は沢山いますからね。そんな陰鬱とした気持ちのまま、感染者に対峙したら恐怖に飲み込まれて生きるのを諦めてしまうかもしれません。それでは、困るんですよ。私を含めて囮は多い方が成功率が上がるんですから。
「諏訪さん、この山で今までに行方不明になっている、総人数って分かったりしますか? 遭難されている方も含めてもらえると、うれしいんですけど」
「ある程度なら役所に記録があるとは思いますが、この場では分かりませんよ。登山届けが必要な険しい山でもないので。正直なところ、外からきている方の人数は不明です。長い間放置されている車両が見つかって、持ち主の遭難が疑われる形ですが、普通に遊びに来ている方々との区別も難しいですね。ここには管理施設もないですし、車両の不法投棄の可能性もありますから」
私の横でため息混じるの答えてくれているのは、相変わらず諏訪さんだけ。他のみんなは口を開くような元気もない様子です。元気いっぱいに返事をされても困りますが、反応がないというのも寂しいもの。特にこれから荒事になる可能性もあるのですから、動けるだけの元気は出してもらわないと、感染者に捕まる可能性がありますよ。
適度な緊張は大切ですが、凝り固まった体では走り出すことさえ困難でしょう。
「不法投棄との区別なんて、時間がかかりそうですね。んー、やはり盗難車でしょうか?」
「それが一番多いですね。登録されている場所は随分と遠いところで、当人にはここへ来た覚えはない。どちらにしても、こんなところに車を乗り捨てると、帰り道が困難になりますからね。大体、盗難車でもないのなら中古ショップへ売ってしまう方が賢いですよ」
諏訪さんの意見はもっともです。ただ、個人的に気になるのはその盗難車の中に、アンティークを運んできたものがないかということだけです。そういった骨董品の盗難事件に使われていた場合、複数のアンティークを運んでいた可能性があります。一カ所に集中して複数のアンティークが物語の展開をしていた例はありませんが、それは幸運にも今まで起きていなかっただけ。今日この場所が前例となってしまう可能性がありますから。そうなってしまった場合には、諦めて出直すしかないですね。
物語同士が干渉しあった場合、どのような形になるか分かったものではありませんから。一つ展開されているだけでこれだけの被害が出るのに、二つ以上の物語が展開しているとなると遠くへ逃げる以外の方法がありません。
「可奈さん、そろそろ神社が確認出来るあたりまで来ましたが、このまま進みますか?」
「今のところ、予定変更が必要な状態ではありませんね。ただ、逃げ道を確保しておく必要と、準備は始めましょう。予定通りの配置へ、グループごとに移動するよう連絡して下さい」
「分かりました」
ピクニック気分でいられるのはここまででしょうか?
町の中にいるよりも少しだけ強く感じる臭い。それは、この山が物語の中にあることを教えてくれるもの。昔は異界への入り口だった場所が、今は危険な物語の展開場所となっている。笑えない冗談ですね。
「連絡をする際、何かを見つけても触れないこと、子供を見かけても名前を呼ばないこと。なにより、怪しい人物を見かけたら、訴求に引き返すことも伝えて下さいね」
「分かりました。再度注意するよう、伝えます」
感染者の潜伏場所候補にして、アンティークの所在地候補でもある神社。神主がいないから廃棄されたと聞いていましたが、その影響力はどの程度のものなのでしょう? この土地を守ってきたものだからこそ、隠れる場所として、物語を浸透させるための場所として、選ばれたことに違和感は感じません。霊的に何かを守っている、要石などは防御に使える反面、効果をひっくり返して攻撃的なもの、侵食などにも使えるようですから。地脈や霊脈、風水など。土地や町に関わる物だけでも、オカルト的なものが沢山存在します。好んで理解したいとは思いませんが、アンティークと関わっていく以上避けて通れる道でないのも事実です。嫌いだからと知識を仕入れることを拒み、危機的状況に陥ったとしたら笑うことも出来ません。
「諏訪さん、逃げることは大切です。けして、恥ではありません。再挑戦出来ることなら、積極的に逃げてしまえば良いんですよ。そうすることで得られる、結果もあります」
「今回は再挑戦出来そうですか?」
「感染者を見てみなければ判断は難しいですが、無駄に焦るくらいなら退きましょう。まだ人間的なものを保っているのなら、明日への繰り越しは可能です。状況は悪化するかもしれませんが、最悪の可能性は避けられます」
アンティークを逃がしてしまうこと。物語が終演を迎えることにより、見つけられなくなってしまうこと。それが私達にとっての最悪。
行方不明者を見つけられないこと、死亡者が出てしまっていること。それは、諏訪さん達にとっての最悪でしかありません。申し訳ないのですが、その程度は許容範囲内です。例え死者が出ていたとしても、ここにいるメンバーが死ぬことのなったとしても、そこで終わってしまえるような甘い話ではないのですから。そこで心を折ってしまうような結末には出来ません。
「逆に言えば、その余裕がなさそうなら、今日のこの場で決める必要があります。どちらもあり得ると思って下さい」
「なるほど、そうなると難しいですね。今は止まってくれるみなさんも、いざ相手を前にした時に自分を抑えられるとは限りませんから」
我慢できなくなる、か。それはどうでしょうね。
「大多数の方は恐怖を感じて動けなくなるはずですよ。感染者に向かって、攻撃の意思を持てる人間なんて少数です。異質な存在を人間は受け入れることが出来ないので」
目の前に存在していても、それを受け入れることが出来ない。分かってはいても理解出来ないから、見えているのにそれが何であるか理解出来ないから。結果的に動きを止めてしまう。どうしていいか分からなくなって、止まってしまうことが多いです。
「ただ、出来ることなら町の方々には感染者と対峙するの自体を、避けていただきたいのが本音ですね。稀に恐怖にかられると対象に向かって飛びかかってしまうアクティブな方がいますから。そうなると、こちらの計画が崩れてしまいます」
近寄った結果として、取り込まれてしまうかもしれない。新たな感染者として選ばれ、こちらを襲ってくるかもしれない。感染者が全力で逃げだし、アンティークの前に陣取ってしまうかもしれない。どの答えを返されたとしても、私達にとって状況が悪化していることに変わりがなく、アンティークの解体に対する難易度がぐっと引き上げられてしまうのも事実です。そうなってしまったら、何も解決出来ません。
アンティークの所在を確認しながら、解体のチャンスを失ってしまう可能性があります。
「そういえば、別動隊はどうなっていますか? 何か手がかりを得られたでしょうか?」
今回の事件において、捜査すべき場所が広すぎたこともあり、いくつものグループに分けて皆さんに協力してもらっています。本来であれば避けたい方法ではありましたが、短い捜査期間中に気になるところを全て回るのは難しく、そこから推測を立てていたのではとても間に合いませんでしたので。背に腹は代えられないという言葉の通りですね。
まぁ、そこについて正直なところを言ってしまえば、町の人の命を軽視しているだけなんですけどね。私にとって大切なものを守る為には、効率の良い方法を選びます。全てのものを守れるとか、救えるとか考えていません。無理なものは無理であり、最後の一線以外は全て譲ってしまっても良いんですよ。今回の事件におけるスタンスもいつも通り、命を懸けてまでアンティークの解体に挑むつもりはありません。ある程度のリスクは飲み込みますが、危険が大き過ぎるようであれば撤収しますよ。私達にとって、事件の解決はビジネスであり、求めているものへ至る為の手段に過ぎないのですから。
ついでに言うのなら、このアンティークが直接的に、私の求めている結果を引き出してくれたりはしません。道案内をしてくれることはなく、進展をもたらすこともないでしょう。
しかし、この事件を解決することによって得られる信頼は、私達を求めている物へ少しだけ近付けてくれます。田中さんの信頼を得ることで、組織の情報に頼ることが出来ます。まだ類似する事件すら見つけられていませんが、個人で探し続けるよりはずっと効率が良いですからね。この事件も、そういった情報の為の礎となってもらいましょう。
「……噂をすればなんとやら。ちょっと失礼しますね」
別動隊。そう呼んでいいのかは分かりませんが、協力してもらっている方の中から、この山を詳しく知っている方のみで構成されたグループ。人数としては十人程度でしかありませんが、洞窟や洞穴、人数の隠れられそうなところを捜索してもらっています。こういったことについて、本来であれば私も同行したいところですが、ついていくのだけで精いっぱいになるであろうことが、安易に想像出来ます。
そんな姿をさらしてしまっては、私の言葉の影響力は低下します。危険だから止まって欲しいと伝えても、無視する方が出てくるはずです。そうなってしまっては、全体の動きに影響が出てしまい、リスクコントロールが難しくなります。最悪の場合、姉さんのところにまで危険が近づいてしまう結果へと繋がる可能性を増やします。それでは、なんの意味もありません。
それにしても、こういった山の中でも普通に繋がるものなんですね。昔の携帯電話は随分と電波が弱く、今ほどの利便性がなかったと読んだことがあります。街中でも限られる場所があり、山の中なんてなったらただの荷物にしかならない。そんな物がここまで進化しているんですね。
どんどんと便利になる世の中。情報伝達手段の確率と精度の上昇というのは、私達の活動にもプラスの影響をもたらします。
「はい、了解いたしました。そちらについては様子を見るだけにして下さい。大丈夫です。こちらの件を片づければ、すぐに向かいますので少し待っていて下さい」
通話が出来るだけでも、作業効率は大きく変わってくる。危険がなさそうな範囲に限ってしまえば、こういった動きをしてもらうことも可能なのですから。
そして、見つけた不審なものに手を出さないように、釘を刺すことも可能です。本当なら、今すぐにでもそれを破壊してしまいたい親御さん達も警察官の話であれば聞いてくれます。大丈夫だからと一言付け加えてもらうだけで、簡単に行動を制限することが出来ます。子供との再会を先送りにしても、警察官に注意されるのは嫌なのでしょう。
実際のところ、どの程度の間我慢してもらえるかは不明ですが、今すぐに手を出すということはないはずです。アンティークが神社にあると確証が得られれば、少しくらい行動してもらっても良いのですが――どこまで我慢してもらえるか、どれだけの時間が稼げるかは、町民からどれだけ信頼を得ているかということに直結するでしょう。みんなが善人だとは言いませんが、諏訪さんがどれだけ信頼されているか次第で、時間が増減します。つまりはある種の評価にもつながるわけでですが。
「可奈さんの読みが当たったようですね」
通話を終わりをこちらを振り替える顔には、そんな心配を感じているようには見えませんね。胸中がどうであれ、それを表に出さないのは、さすが警察官というところでしょうか? それとも、何も分かっていないのでしょうか?
「居場所が分かっただけですよ。対応はこれからですから、気は抜けませんよ」
山中にいるかもしれないと、アタリをつけたのは、私ではありません。私の意見だけで探していたのであれば、まだまだたどり着けていないでしょう。
そして何より、その蓋の向こうに、子供達がいる保証なんてないんですから、期待させるのは残酷ですよ。仮に子供達がいたとしても、無事とは思えない。
配役を受けて無傷でいられた人を、私は知りません。日数も経っているので、どういった形になっているかが不明です。もしかしたら見つけられなかった方が、幸せだったのかもせれませんよ?
最終的な判断は、大人であるみなさんにお任せしますが、あまりにも状況が酷いようであれば、田中さんが動く結果になりますので。被害状況については、深くかかわらない方が自分の為なんですよね。
「アンティークと感染者へ対応は、私達の動きにかかっています。こちらが失敗すれば、蓋の向こうにいる子供達を放置するよう、伝えてもらわなければなりませんので、覚悟して下さい」
「それは、ぞっとしますね。自分、そんな役回りは嫌です」
「私も遠慮したいですよ。だから、悩まなくていいように、解決してしまいましょう」
そうなればいい。その程度でしかなくても、私は早い解決を望んでいる。町の人たちが耐えられなくなる前に。人間らしく行動していられる内に、解決したい。そうでなければ、面倒ごとがいくつも増えてしまうから。 物語に長く関わり過ぎると、それがどのような形であれ、人間性が歪んでいく。人間らしくあろうとするほどに歪みは大きく、取り返しがつかないことになります。
被害者、その親族、事件解決の協力者。どの立場であったとしても、安全なところなんてない。異常なものに関わってしまったというだけで、普通ではいられなくなる。普通ではいられないというのが、普通になってしまう。どれだけ否定しようとも、今までの経験を上書きしてしまう、強烈な体験をしてしまったのだから、それは仕方のないこと。トラウマとして抱えてしまうのが、当たり前として扱われます。
そんな当たり前の世界に、こんな大人数を案内したくはありませんよ?
「こちらのメンバーにも攻撃的な対応はしないよう、再度の通達をお願いします。感染者は挑発しておびき寄せる、それぞれが囮として動き、誰か一人に注意が集中しないように、心がけるようにと」
アンティークが直接的な危害をもたらした、そういった物騒な例がないわけではありません。自立行動するアンティークも存在はします。ただし数が少なく、人形に限られる以上、野外に近い場所では驚異にはなりにくく、また破損を嫌う傾向にある為、感染者が所持している可能性も低い。
だから、ポツンとどこかに存在するアンティークを姉さんが解体し終わるまで、逃げ回ることになります。
「分かりました。猟銃に関しても奪われてしまった時のことを考えて、音だけの威嚇用になっています。自分の拳銃に関しては、駐在所に置いてきましたので、ご安心下さい」
「ありがとうございます。原始的な方法になり厳しいですが、感染者については触れないことが一番の対策になりますから。投石類で注意を向けさせるのが一番安全で、こちらの被害が少ないものになります」
武力で制圧しようとした場合、武器を奪われてしまい反撃された時のことを考えなければいけません。感染者には致命傷になり得ない武器も、ただの人間である私達にとっては危険なものですから、こちらの被害だけが大きくなるような手段は取れません。失敗する可能性を引き上げるだけの方法は、採用出来ません。
ついでに行ってしまうのなら、遠方からの攻撃手段を与えてしまえば、姉さんが危険にさらされる可能性が跳ね上がり、田中さんは文字通りの肉の壁になるしかありません。本当であれば、猟銃自体置いてきて欲しかったのですが、銃弾を作り出すほどの理性は残っていないでしょう。感染者はアンティークを守るために動くのであって、物語を展開させるために行動を起こします。私たちは邪魔をするから排除されるのであり、配役を受けていない今の状態のままであれば、直接的に命が危険にさらされることはありません。かかわらなければ、耳と目を閉じていられるのなら危険性は低いとも言えます。
もっとも、この場に参加している方にそれを説明したところで、大人しく帰ってもらえるとは思いませんがね。
何らかの感情を持って行動している人間は、それ以上の感情、熱量にぶつからない限り止まれないんですよ。危険だと分かっていても、飛び込んでしまいます。これもまた、仕方のないことですから。自らの感情に振り回されて亡くなった方は多く、相手が大人である以上、子供の私は強くは言えません。
危険だということはわざわざ伝えなくても、みんな知っています。
「では、始めましょう。何もいなければただの無駄足、何がいればビンゴです」
無駄話と作戦会議の中間。そんな会話を続けている内に、私達は神社の傍へと辿り着いてしまいました。
私達の班は正面に陣取り、メンバーが散っていくのを待つことになります。一カ所に固まってしまった場合のリスクは全滅。散開した場合は、少しずつ削られてしまう可能性がありますが、それは同時にここにいることを教えてくれるもの。死ぬことまで含んだ囮とは考えていませんが、可能性があるからと言って逃げ出したりは出来ません。
もちろん、この山の中には神社以外にも身を潜めることの出来る場所はあるでしょう。失踪者の中に混じっているという可能性だって、虫は出来ません。けれど、その可能性に付き合っていられるだけの時間はないんですよ。既に、そのラインは超えてしまいました。この先は痛みを伴う痛みしか存在しません。
それに、議論の余地を残すことと、リスクとしての可能性を抱え込むことは、別ですから。ここに何もなければ、別のところを探せば良いんです。多少の犠牲が出たところで止まれないのが事実であり、要領は伝えてありますので次に向かうところでの準備は手早くなります。
「お願いします」
こくりと頷くだけ。そんな渋い返事をしてくれたのは諏訪さんではなく、猟友会に所属しているおじさん。名前は忘れてしまいましたが、確か娘さんが行方不明だったはずです。よく、こちら側に参加してもらえましたね。
銃口が空を指し、引き金が絞られる。鳴り響く銃声は危険性を感じるには十分で、耳をおおっている手を突き抜けて芯まで届きます。
捜索開始の合図は派手に鳴りました。もしもアンティークがあるのなら感染者が呼び戻され、その身を守る為に利用するでしょう。今の銃声にはそれだけの力があるはずです。
正面から眺める神社はまだまだ形を保っており、放棄されたわりには綺麗なものです。しかし、なにかを押し込めておくには、外に漏れないようにするには、これほど都合の良い場所もないでしょう。周りには邪魔になりそうな人間が住んでおらず、騒がれる心配もない。虫や鳥が寄ってきたところで、機能の破損につながるものでもない。
アンティークが隠れる場所としては、便利でしょうね。少し近づけば、思わずうなずけるほど合理的な場所です。
ただ、感覚機関をもたないアンティークは、隠れることについてはずさんです。いっそ、幼稚と称しても良いほどに分かりやすい場所に隠れてくれます。ここにはまとわりつくような、いつもの雰囲気が漂っている。重たい、滞留した空気が辿り着く場所。それらは腐り、臭いを強くしていく。ここから外に漏れるとはなく、外からここに入ってくる者を拒絶する。小さな生き物や、生命力の弱いものは耐えられないから、避けるようにいなくなる。
虫の鳴き声はここにはなく、葉の擦れる音すら聞こえない。これを正常だと捉えるから、慣れてしまえば見つけられようになります。この神社には何かがあり普通ではない状態になっていると、私の頭は理解しました。それが何かは分からなくても、無駄足にはならないと確信出来る。
まったく、外れてくれても良かったというのに律儀なものです。なんとなくで予想して、所在地を当てられるから田中さんに重宝されてしまうんですよね。
敷地に近付くほどに強くなる臭い。いい加減に諏訪さん達も気付いたらしく、眉を潜めています。草木の臭いに混じる、悪臭に。
これからアンティーク傍まで行くのかと思うと、自然と力が入り握りこぶしを作ってしまいます。慣れているのは事実ですが、怖くないわけではありません。このタイミングだけは、危険がすぐそばに迫っている状態なのに、それが見えないのには慣れることはないでしょう。物語の中心へと、核へと踏み込んでいく感覚。何かを踏み越えてしまった、ここからは危険だと教えてくれるもの。もちろん、引き返すつもりはありませんが、緊張を消したり出来るほどの器用さは持ち合わせていないので、私のやり方で対処するしかないですね。
短い階段を登ったところで、諏訪さん達には一度止まってもらいます。
「おびき寄せます。警笛と走る準備をして下さい」
私達の目的は感染者を、アンティークの傍から引き離すこと。遠くへとおびき寄せることで、時間を稼ぐことです。その為には、全員が敷地内へと入り込む必要はありません。私が先行して、感染者を呼び出します。
「分かりました」
その意図を汲み取ってくれたらしく、諏訪さんを含めたメンバーは足を止めてくれます。外に向かって走り出せるように、逃げ回れるように準備しましょう。
敷地へと足を踏み入れ――あはは、だから下手だって言われるんですよ。ただ一歩踏み込んだだけだというのに、臭いがきつくなりました。体が進むことを拒むかのように、強烈な臭いが届いてきますよ。状況だけで言えばそちらの方が有利なんですから、意気込まなければ分からないのに。今立っている場所、ここがアンティークにとっての危険を判断する分岐点といったところでしょうか? つまり、ここから私が動くことがなく、諏訪さん達が近寄ってこないのであれば、しばらくの間は安全だということになります。当然、長くはもたないでしょうから、早めに検討を付ける必要はありますが。こういった場所ほど、諦めた人間は強いですよ?
私達を観察出来る位置であり、こちらかは確認がし辛い、もしくは姿を隠せるとこと。出来ることなら、奇襲により人数を削れる場所がベストでしょう。古ぼけた雰囲気があっても、ここは神社です。参拝の為の道が用意され、それを挟むかのように水くみ場などは建てられています。その中で、安定して隠れられる場所となると、絞れますね。
敷地を横切り、参道へと足を進めます。年期の入った鳥居をくぐり、神社の全容が視界に収まらないところまで来ました。ここまでは変わった様子はなく、襲われることもありませんでした。重たい空気がなくなることはなく、急激に何かが膨れがるような圧力も感じることもなく、ただこちらを観察している様子の視線も消えない。
これで確定ですね、感染者が隠れているのは視界の端に映る、納屋です。社の方から何も感じないとなれば、そこしかありません。何も考えず、前だけを見て通過した場合、襲われるのは確実でしょう。もちろん、直接的に対峙するつもりはないので、私が近付る位置は、ここら辺が限界です。この先へ進むには、感染者に離れていってもらうしかありません。
重たい空気を掻き回すようにして、待機している諏訪さん達に合図を送ります。社に踏み込む安全を確保する為に、先へ進む為に。感染者が隠れているのだとしたら、その目的が達成されるように促してやればいいんです。こちらを排除しようとしているのなら、動けるように挑発してあげましょう。アンティークが危険にさらされる可能性があり、大人数に囲まれているのは察知しているでしょうから、これを見逃すことは出来ないはずです。
感染者は元人間でしかなく、操り人形でしかありません。その為、何かを考えるような理性は残っていないし、複雑な行動を起こしたという報告は知りません。大方、アンティークによる支配深度を確実なものとする為に、排除されているのでしょう。
そんなものを挑発すればどうなるか? それは、火を見るよりも明らかです。
「ひぃ」
この反応は諏訪さんでしょうか? 派手に物音を立ててくれた方がありがたいので、気にする必要はないのですが。悪い予感というのは、外れませんね。
全力投球した石が納屋にぶつかった途端、その扉が弾けるように内側から壊されました。
派手な音を立て、崩れる扉。舞い上がる砂埃は、喉に悪そうです。そんなものを突き破り、姿を人型の物。あっさりと言ってしまうのなら、モンスターです。
しかし今回もまた、ずいぶんとひどい有様ですね。形こそ人間を保っているものの、見た目は完全に異形なる化け物です。人間に近い形をしているから、一層の不気味さを漂わせています。そのカラフルな肌は、笛吹き男を再現したものでしょうか? 確かにいくつもの物語で、派手な衣装が特筆されています。それでも、そのような毒々しい彩にはならないはずですよ。まるで粘土をこね合わせたかのように、崩れかけている顔面と合わせて、気持ち悪さしか表現出来ていませんよ。
それにしても、その体は何で出来ているのでしょうか? 色のついた水ですか? 色彩を散らした汚泥ですか?
どの道、物理的な方法でどうにか出来る相手には見えませんね。
「諏訪さん、後は任せましたよ」
さきほども、これに近いセリフを口にした覚えがあります。ついでに大声を出してしまえば、感染者が私をターゲットに選ぶことも織り込み済みです。正直なところ、早い段階で危険にさらされてしまうようなことは、避けたかったのが本音。
しかし、このタイミングで私が動かなければ意味がありません。こちらへと、神社の外へと注意を引っ張る為には、この一声が必要なんです。
少し遅れるようにして、そして自分を鼓舞するかのようにして、吹き鳴らされる音。それは空気を割き広がる、始まりの音となる。人間と元人間だったものの、追いかけっこが始まります。
「三輪町駐在、諏訪洋治。お相手させていただきます」
感染者に名乗ったところで意味はありません。ただ、大声を出してもらえるのなら、大きな音を立ててもらえるのなら、その手段は問いませんよ。私から注意をひきはがし、自分の方が危険だと教える行為、それにこそ意味があるんです。
こちら側、時間を稼ぐために囮役を志願してくれた方々には、困った時に立ち止まることなく、とにかく走り回るようにアドバイスしてあります。恐怖に囚われて足を止めないこと、それだけを約束してもらっています。
一人であれば危険な方法ですが、人数がいれば話が別です。派手に物音を立てながら走り回れば、それだけで感染者は混乱します。相手の危険度を図ることが出来ず、アンティークへ指示を仰ぐのでしょう。そうなれば、アンティーク側の負荷が増え、接近するのが容易になります。
時々分裂するタイプや、複数である場合もありますが、そんなこと議論してても意味がありません。私がここで足を止めたところで、既に遅い。それよりも、この場は諏訪さん達へ託し、社へと踏み込むことが重要です。
ざくざくと足元を鳴らし、感染者が諏訪さん達のいる方向へと駆け出します。その姿は綺麗なものではなく、速度も出ていない。変形したりする可能性もありますが、ひとまずは大丈夫だということにしましょう。
意味をなしていないであると感覚器官から私を外し、より危険性が高い個体、騒いでいる個体を排除しようとする。それでこそ、アンティークと物語を守る人形。
極彩色に彩られてしまった歪んだ体では、男女の見分けすらつきませんが、悲しいものですね。人間と言う存在を冒涜し、感染者は存在しています。許してはいけないものの顕現です。解体することに、その動きを止めてしまうことに、躊躇なんてしませんよ?
ゆっくりと焦ることなく、物音を立てないように。何よりも目立たないようにこっそりと、社の中へと私は足を進めます。ぎぃと、なる床板に冷や汗をかきながら、ゆっくりと足を進めますから遠ざかります。社の中へ入ってしまえば、諏訪さん達からの援護は期待出来なくなりますが、それは感染者の知覚範囲からも大きく離れることを意味します。アンティークを目の前にでもしない限り、教われる心配は減るでしょう。
罰当たりな気分を味わいながら、中への侵入を成功させた瞬間、ポケットの中でスマートフォンが震えます。中身を確認すれば、うれしい内容。姉さん達も社の中へと侵入を成功させ、残りのメンバは囮役を務める為にこちらへ向かったとのメール。これで、私と姉さん、田中さんの三人が侵入に成功したことになります。多くはない人数ですが、アンティークの捜索に慣れているメンバーです。早めに見つけて、作業にかかりましょう。
私自身が侵入に成功した旨を載せ、メールを返します。私達を繋ぐ、目に見えることのない電波。それがもたらす安心感は絶大で、危険の渦中にあっても、私の心は弱ったりはしません。自分を見失うことなく、トラウマに負けるようなこともなく。
だから、先程から気になっていたものも、鼻を突く臭いも、ちゃんと理解出来ます。社の中に充満しているのは、強制的に吐き気をもよおす臭い。それは、共食いを避けるための手段であり、種としての繁栄に必要とされる機能。人間の血だけが放つ、油にまみれた臭いを嫌う本能。質量をもってこちらを押し潰そうとする臭いを、吐き気として処理しようとする理性。
ただ、そんなものに構っている暇はありません。これは犠牲になった人達の血液であり、アンティークによる食事の残骸でしかないのだから。
人間の生命エネルギーとでも呼ぶべきものだけを吸い上げる、アンティークは血肉を必要としない。それはただの残骸として、まともな人間を避けるための隠れ蓑として、利用されるものです。だから、臭いがきついところだからといって避けるようなことは出来ない。
ついでに言うのなら、私のような人間相手には逆効果。ここで起きていることは、かつて自分が遭遇した、人生を滅茶苦茶にしたものに近いと知っているから。それに寄り添う同類だと理解しているから、逃げたりはしません。トラウマが刺激され、引きずり出される感覚。それはどんどんと鋭くなり、過去の私が感じていた臭いを探し始めます。
あの時の後悔をここで晴らす為に、自らの過去を清算しようとする。強烈な血の臭いに混じる、私の大嫌いな臭いを教えてくれます。それはアンティークが展開している物語の繋ぐもの。異界の空気とでも呼ぶべき、腐った水と潮の臭い。これがある限り、これを感じ取れる限り、私から逃れることは不可能です。
感染者から離れることにより、多少の自由を得た今、優先させるべきは速度です。派手な音と大きな振動にさえ気を付ければ、普通に歩く回れます。日本家屋独特ともいえる、風通しの良い構造。それは探し物をする時にとても便利で、臭いを頼りに動く私にしてみれば、案内看板が立っているようなものです。
破れた障子をどけ、畳の上に土足でお邪魔します。褒められない行為を繰り返し、辿り着いた部屋。5分も歩いていれば、ここへと辿り着いてしまう簡単な道のり。頭を悩ませた結果がコレというのは、毎度のことながらため息が出ますね。
ふすまを開き押し入れの中に発見するのは、鈍い輝きを放っている懐中時計。ここまで来てしまえば、私の役割はお終いです。
「お疲れ様、可奈ちゃん。後はお姉ちゃんに任せて」
私の立てる物音を頼りにしたのでしょう。すぐ後ろまで迫っていた姉さんに、バトンタッチします。
ここまで案内してしまえば、周囲の警戒くらいしかすることがありません。そちらについても、田中さんというベテランがいるから、お飾りみたいなものですね。
「このタイプならすぐに分解出来るから、もう終わりだよ」
ショルダーバッグの中から出てくるのは、時計を解体するために必要な最低限の工具達。復元することを考えない解体は、プロである姉さんにとってみれば簡単なものでしょう。パチリという音と共に開いた背面カバー。それが鈍く輝くのを眺めながら、私は短い休憩をとりましょう。
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