第10話 飛沫の幸せ
「姉さんはどう思いますか? 私の推測はある程度、的を得ているでしょうか?」
諏訪さんと二人で町を巡り、予定通り収穫のなかった私達は解散。姉さんに相談のあった私は早めに、宿泊先へと足を運びました。ここで睡眠を取るのは二度目ですが、居心地は悪くありませんね。この町にしても不便さを感じるところはありますが、魅力がないわけではありません。そういった理由でみなさんも住まわれているのでしょう。
だからこそ、アンティークによる被害が町全体に影を落としているのが残念です。
「お姉ちゃんに聞いても駄目だよ? 可奈ちゃんとは違って、そういったところ全然駄目なんだから。参考にならないよ」
もっとも、今の私達にとって必要なのは、町についての評価を下すことではない。グルメ旅行のレポーターでもなく、この宿泊場所を紹介する仕事でもないのだから、自分の役割をきっちりと果たさなければ意味がありません。
町役場から分厚い資料をもらい、必要そうな情報を地図へと書き写したのが、夕方前。そこから暗くなり始めた町を調査して、目ぼしいものが見つからなかったことに満足した。感染者が訪れたような形跡はなく、大人数が隠れられそうなスペースもない。ごく普通の民家に代わっていたり、何もない空き地になっていたり、変化は様々だったけれど、求めるようなものが何もなかったのは幸い。
「姉さんと一緒に、結構な数の現場に行っていますから。意識していなくとも、姉さんの助言には助けてもらっています」
「それでも、可奈ちゃんほどじゃないよ。お姉ちゃんは可奈ちゃんが調べてくれたところに行って、田中さんに守られながら時計を解体するだけ。からくり人形だったこともあるけれど、元に戻すことを考えなくていいのなら、そこまで難しくはないし。何かを考えたり、推測したりしたことはないよ」
「それでも、私は姉さんにも考えて欲しいんですよ。私が考えているのはあくまで、物語としての観点です。アンティークが基本的に稼働状態にあると考えれば、それが不可能な環境ってありませんか? 海中は難しいというのはわかりますが」
アンティークはアナログ機械である。懐中時計であったり、からくり人形であったり、複雑なものが多いせいでホコリを嫌ってみたり、水気を嫌うものも少なくはない。だから、意外なほどに綺麗な場所を所在地として選ばれていることが多く、踏み込んだ時に周りとの格差が異様に感じられることも少なくはない。
「んー、別に全部が不可能なわけじゃないよ? メンテナンス性を捨ててしまえば、時計類は水深の浅い水の中なら可能だよ? プールくらいならいけるから、全くダメという考え方は危険かな。人形の場合はもう少し環境を選ぶけれど、自分で動けるものがあるから。一度探した場所だったとしても油断出来ないのが嫌だよね」
「そういえばありましたね。あれには驚かされましたよ」
死体の中に埋もれるようにして、血の海に沈むようにして、隠されていた懐中時計がありました。あの時はたまたま見つけることが出来ましたが、反射させることすら難しい状況では見つけられなくても不思議はありません。
からくり人形についてはそうった心配がない分、動き回る厄介さがありましたね。アンティークは自分で動くことが出来ないから、一度探した場所は捜査範囲から外してしまうという、盲点を突かれました。足場の悪いところを移動するには時間がかかりますが、疲れを知らない分だけ質が悪い。夜中の内にこっそりと動かれると、小ささも相まって見つけることが困難です。
今回の事件、私達が呼ばれているから懐中時計である可能性が高いとしていましたが、人形である可能性も考慮した方が良さそうですね。田中さんたちがどうやって判断しているのかは未だに謎ですし、外れることもありますからね。
「そういったことならお姉ちゃんにも分かるけど、物語を考えたりするのは難しいよ? 可奈ちゃんの半分も分かっていないんじゃないかな?」
「そうだとしても、一人で考えるというのは結構辛いものがあります。お願いです、助けて下さい。こんなこと、田中さんや諏訪さんには相談出来ませんから」
昼間、諏訪さんには強く出ている手前、相談は出来ません。彼の場合は、不安定なところもありますし、まだスタンスが固まっていない感じもしますから、こちらが頼ってしまうと良くないことになるかもしれません。
また、田中さんについては元々相談をして良い相手ではありませんので、報告や調査の依頼以外で話をするのが難しいといった面があります。
田中さんがいることで姉さんの安全度はぐっと引き上げられており、組織の情報網に頼る形で解決出来た事件もあります。だから、信用していないわけではありませんが、どうしても弱いところを見せるわけにはいかないので、こういった話題については避けたいです。
その点、姉さんであればもう隠しようがない、恥ずかしいことをいっぱい知られていますから。これ以上情けない相談をしたところで、私の評価が変わることはないでしょう。今もけして高くないでしょうからね。
「可奈ちゃんは少し肩の力を抜いて、みんなに頼っても良いんだよ? 少しくらい失敗しても誰も怒らないし、みんな可奈ちゃんが頑張っているのを知っているから、力になってくれるよ」
困ったように笑う姉さんはいつも家にいる時と同じ雰囲気で、私まで和んでしまいそうになる。納得して誰かに相談しても良いと、少しくらい失敗しても気にする人はいないと、その言葉にうなずいてしまいそうになります。この場にいるのは私だけではなくて、この事件に関わっているのは私だけではないのだから、頼っても良いのだと思いそうになる。
「そうでしょうか? どうにも信じるのが怖いんですよね」
けれど、それは不可能に近いこと。普段の生活ではなく、ここにいる間は、事件の現場にいる間だけは、無条件に誰かを信じたり頼ったりするのは出来ないことは私が一番知っています。
失敗できない環境であり、人の命がかかっているものでもある。そこに加えて、大きな失敗をしてしまうと自分が立ち直れないことを、誰よりも理解しているから。信じている相手に何かが起きてしまった時、その衝撃を受け止めきれないと分かっているから。
私は、姉さんみたいに強くない。悲しみを飲み込んで、笑っていられるほどの強さを持ち合わせていません。
「お姉ちゃんが相手だと素直になれるのに、どうしてなのかな? 可奈ちゃんはみんなが怖いの? それとも、流行のツンデレ?」
「なんですか、それは? 私をゲームのキャラクターみたいにしないで下さい」
そんな私の心配を、姉さんは笑おうとしてくれる。気にしなくていいと、誰でもそうなのだから気負わなくていいと、何度慰めてくれたことでしょう。大体の場合は、こんなふうに遊ばれてしまいますが、真正面から避けようもないほどにぶつかってくれることもありますよね。姉さんが出来ること、その後を追うようにして出来ないのは、妹として不甲斐ない話ですが、弱い人間には難しいこともあるんですよ。
目の前で起きていることを処理するだけで精いっぱいで、それを以上をどうにかしようとすれば、オーバーフローしてしまいます。私が慌てているように見えたのであれば、この程度の理由ですよ。情けない話です。
「最初はツンツンしていて、慣れてくるとデレデレするみたいだよ?」
「別にツンデレの説明は求めていません。ついでに、そんなの私のキャラではありませんよ? 出来れば早めに話を戻してしまいたいんですけど、良いですか?」
「あら、ごめんなさい。何の話だったかしら?」
姉さんに場を引っ掻き回されると、何を話していたのか忘れてしまいます。話題を向けている先はどこか、自分がその時どんな気持ちだったのかを、全て忘れたことにしてしまいそうです。悩んでいたことも、暗い気持ちも、抱えきれない無力感も、全て姉さんに吸い取られてしまいそうです。甘やかさないで下さい。
「今回の事件、その捜査方針について、出来ることなら姉さんの意見を貰いたいのですが」
全てを忘れて楽になりたいと願ったことはありません。姉さんに全てを押し付けて、殻に閉じこもりたいとは思いません。
けれど、あまりにも優しくされると忘れてしまいそうになります。私が何を望まれてここにいて、何を望んで足を運んだのかを。
「んー、お姉ちゃんの意見と言われても、難しいよ? 時計の構造についてなら説明出来るけど、何も分からない状態でお話を組み立てていくのは、やったことないし。可奈ちゃんみたいに、上手におしゃべり出来ないかなぁ」
話以外のところに意識を払い過ぎて、流れを疎かにしてしまいましたね。姉さんが場当たり的な会話を得意としていないのは、知っていたのに。 質問の内容を明確にして、何を教えて欲しいのかを絞りますしょう。
そして、返事は肯定や否定で終わってしまうような、寂しいものを避ければどうですか? 姉さんの意見、少しはいただけるでしょうか?
「それでは、質問を変えますね。現状の手持ちの情報で、私は神社にアンティークがある可能性が高いと思っていますが、これについてはどうでしょう?」
「可奈ちゃんが神社が怪しいって思うのは、遭難者が出ていることと霊的な守りがなくなったからだよね? 守りの要である、神社を押さえてしまえば、アンティークにとって邪魔をする物がなくなると」
「はい、その二つを根拠として予想していますが、状況による判断のみに頼ってしまっています。出来ることなら、もう少し堅い理由が欲しいんですけど。最低でも、補強出来るようなものを見つけたいです」
「物理的な証拠を求めるのは、難しいでしょ? 添える為には神社に行ってみるしかなくて、それは今日の段階では難しかった。準備もなしに突撃しているようであれば、可奈ちゃんが危なかったもの」
「物理的な証拠が手に入ると凄く嬉しいのですが、そこまでは望めないと分かっています。今私が欲しいのは、神社に対する懐疑的な意見か、賛同いただける意見のどちらかが欲しいんです。まとまってしまっている推測を、壊してくれるものが欲しいんです」
私のそれは推測と呼ぶには固まり過ぎていて、少々扱いづらいところまできています。これはよくない兆候です。考え直せるから、崩して組みな直せるからこそ、推測なのに。
「可奈ちゃんは、自分の意見を信じていないの? それなのに、みんなを動かそうとしているの?」
私の姉は可愛い。それを実感できるポーズをとるのは反則ではないでしょうか? 普段頼りにしている相手だからこそ、ちょっとした動作に可愛さを見つけては、私の心が悲鳴をあげます。こんな可愛いものを、凄惨な現場へ連れ出してはいけないと。あんなひどいものを見せてはいけないと。
けれど、それを実行した場合は捨て身で、解決策を持たずにアンティークに挑むことになりますから、姉さんが許してくれることはないでしょうね。嬉しいんですけど、時には困りものです。
「自分の意見を信じたことなんてありませんが、今回についてはちょっと事情が違います。推測でしかない意見なのに、組み上げてしまいました。私自身では揺らすのさえ難しいので、どうにかしてもらえないでしょうか?」
自ら組み上げてしまった推測だからこそ、出てくる質問は一通り潰してきました。自分の中だけで生まれる疑問は、既に返答が出てしまっているんです。そんな状態では、この推測を揺らすことさえ難しくなっています。
組み上げたのは自分で、疑問をぶつけているのも自分です。どうしても、手加減してしまうのでしょう。壊したくないから、修正を入れる形で留めたいのでしょう。こんなことではいけないと分かっているのに、困ったものです。
「それならお姉ちゃんは穴を探せば良いの? 可奈ちゃんの意見をちょんちょんと、突けば良いのね?」
「はい、つついて下さい。推測でしかないのですから、穴まみれのはずです。しかし、つついてもらえなければ自分だけで修正するのは難しくて」
多角的な視覚を潰してしまいました。自らの中にあったはずの、思考の分散化を止めてしまった。あの場ではそれが必要だと思ったし、諏訪さんへの説明を優先させたから、仕方がないと良いわけが出来る。けれど、失ってしまったものも多い。自分の意見を補強する為とはいえ、推測の中に潜んでいる穴さえも問題のない物として処理してしまう。見つめておくべき、改善すべきところすら見逃してしまう。説明の中で押し流してしまう。
今のまま私が指揮を執っていては、どこかで致命的なミスを犯してしまうでしょう。取り返しの付かない、決定的なミスへと進んでしまう。勘違いを正当化して、修正が難しくなっている指揮官は必要ないんです。そんなことは許されない、どんなことでもいいから姉さんに指摘して欲しいの。
「それなら、ちょっと厳しくなるよ? 大丈夫? 泣いたりしない?」
「私ももう高校生ですし、それなりに現場にも慣れたつもりです。自らアドバイスを求めたのに、泣いたりしませんよ。なにより、私は現場で泣いたことなんてないはずです」
「そうだったかな? ごめんね、お姉ちゃん細かいこと覚えてないから」
細かくありませんよ。大人の女性にとって、涙というのは大切な武器だと教わっています。不用意に流していては、効果が薄まってしまいます。
「別に問題はありませんが、そういったことを言うのは私だけにしておいて下さいね。人によっては怒らせてしまいますから」
「はーい。気をつけます」
アドバイスを求めているのは私のはずなのに、こういった流れになってしまうのはなぜでしょうか。答えは既に出ているような気がしますが、そこからも私は目をそらしていたようですね。都合の悪いことからは目をそらし、自分の中ではなかったことにしてしまう。見ないことで、自分を守っていく。そういった方法で守られるものもあるのでしょう。目をそらしていることで、笑っていられる人もいるのでしょう。逃げ道だと言い切ってしまうには、辛いものですね。
どちらのにしても、今の私が求めているものからは遠く離れていますので、考えるにしても日を改めましょうか。今は、アドバイスをもらおうとすることをに集中しなければ失礼です。
「それで、穴を開けて欲しいんだったかな?」
何かを準備しているのには気付いていましたが、どうしてそんなものを持っているんですか?
「見つけて欲しいだけで、開けて欲しいわけではないですよ? ドリルを突き立てるようなイメージをされても困りますし、工具は必要ありません。危険なので、すぐに片づけて下さい」
危ない危ない、姉さんはこんなふうに話が飛んでしまうところもあるから、気をつけなければいけなかった。家にいる間はそこまででもないけれど、ここまで遠くに離れてしまうと大人である部分の方が少ないかもしれない。私にはそういった被虐趣味はないし、その工具の用途としては間違っていますよね? 少なくとも、精密作業用のラジオペンチで穴を開けているところ、私は見たことがありませんよ?
「軽い冗談のつもりだったんだけどなぁ? これで穴が開くわけないじゃない? 可奈ちゃんに分かってもらえなくて、お姉ちゃん悲しいよ」
「笑顔で工具を構えられたら、誰でも引きますよ。それに普段から持ち歩き過ぎていると、警察に職務質問されますよ?」
「んー、手帳を持っていると大丈夫だよ? 近所のお巡りさんはにはお店の位置も教えてあるし」
ズレていく話、それが良くないことだとは分かっています。真面目に話を進めて、少しでも情報を整理するのが、今の私に求められていると心得ているつもりです。
それでも無視出来ない話もありますよね。今の関係を大切にしておきたいからこそ、姉さんには注意するように促さなければいけないことがあります。あまり困らせるようなことはしない方が良いと、現地で仕返しをされた場合には洒落にならないから控えて下さいと。田中さんとは仲良くしておいた方が、お得ですから。関係性を清算しなければいけないような状態には、なりたくありません。
「……私的な利用は止めて下さいって言われたの、姉さんが原因だったんですね。あの番号は特捜課にしかつながらないので、中々時間がかかりませんでしたか?」
私達の手帳は警察官のものとは違い、特捜課へとつなげる為の番号が記入されているだけです。殆どの警察官はその部署のことを知ることもなく、過ごしていますから全力で疑われます。最初に手帳を見た時に、諏訪さんが疑問を抱いたのは当然の反応ですよ。
「んー、手帳を見せて説明したら、終わったよ?」
「なんとも不真面目な警察官ですね。っと、そういったことを話しているんじゃありませんよ。私の推測を、つついてもらうのが目的でした。姉さんのペースに巻き込まれると、中々話を進められなくて困ります」
強引にでも話を戻さなければ、何も進まない。そう感じさせる何かが、今の姉さんにはありました。おしゃべりも楽しいですが、今はそのタイミングではありません。また後程、寝る前に楽しみましょう。
「お姉ちゃんが悪いの? お話を振ってきたのは、可奈ちゃんでしょ?」
「……そういうことにしておきましょう。とりあえず、今はアドバイスを下さい」
プルプルと震えながら、信じられないものを見たかのようにこちらを見つめている姉さん。その姿は可愛いのですが、ここまでくると少しイラッとするものがありますね。話を振ったのが私であるのは事実ですし、ある程度は姉さんから出される話題にも乗りました。そこは認めましょう。
しかしながら、話を戻そうとして頑張っていたのも事実ですから、そちらも認めていただきたいものです。
「何度も言うけど、大したものはないよ? ただ、可奈ちゃんのお話を聞いていて、一つ疑問に思ったことがあるの。失踪した子供達はどこにいるのかな? 助けるのが難しいのは知っているし、五日も経って無事だとは思わないけどね。どこにいるのかな? 本当に消えちゃったと思っているの?」
「流石に消えたとは思っていませんでしたが。そうですね、山中の捜索はまだ本格的に行われていないようなので、行方不明になっているハイカー達と同じ場所に集められているのではないでしょうか? 町中でスペースを確保するよりも、やりやすいと思うのですが」
「それならもう少し突っ込んで、その子供達はまだ生きていると思う?」
生きているかどうか。五日も経過している今、子供たちが生きていられるかどうか。まぁ、正直なところ難しいとは思ています。時間がたてば、どのようなことになっているか分かりませんし、仮に物語に囚われたのなら、文字通り消えてしまていたとしても、どこか遠くの土地に飛ばされていたとしても不思議はありません。ハーメルンの笛吹き男において、子供が返ってこないパターンは多く、死んでしまうパターンもないわけではありません。つまりのところ、アンティークの栄養源として消費されていたとしても、騒ぎ立てることの程ではありませんね。
「どうでしょうか? 難しいところですが、ハーメルンの笛吹き男において、子供達が殺害されたとされる場面は存在しません」
ただ、それをそのまま姉さんに伝えるのはちょっと気が引けました。自分の頭の中にある汚いものを見せつけるようで、なんだか嫌になります。そして、嘘も言っていません。結末として死を迎えるものは多いですが、殺害されたとされるものは少ないです。
「童話でないものなら、どうなの? 子供達の殆どが犠牲になってしまうような、そういった結末はない?」
ただ、ここで手を緩めてくれる気はないようで、宣言の通り厳しめに踏み込まれました。私が求めた内容だとはいえ、姉さんにこんな言葉を言わせるだなんて少し良心が痛みます。必要なことだとは理解していますが、こういった黒い考えに沈んで欲しくないからこそ、今日は姉さんを置いて出かけたのに。
まったく、諏訪さんには明日も高めのクッキーを用意していただくしかないでしょう。テンションをあげないと、やっていられませんよ。
今回は本当に巻き込まれている感じが、物語の進行している感じがしません。死体が転がっているわけでもなく、悲惨な状態になっている部屋を見つけたわけでもなく、壊れてしまった人間にも出会っていません。本当に家出だったりしたら、大笑いですよ?
「ありますよ。ヴェーザー川の氾濫であったり、疫病の蔓延、他にもシリアルキラーの犠牲者になったもの。それに、直接的に亡くなる様な話でなかったとしても、子供達の無事を記している物語の方が少ないと思います」
「その可能性は、諏訪さん達に伝えてあるの?」
少し悩んだ後で、これは提案するような口調でしょうか? 姉さんにしては、珍しい質問のされかたをしますね。
「午前中に駐在所で話した内容は、説明した通りです。何度も繰り返して、無駄な不安をあおる必要はないと思いましたので」
「つまり、町長さん達は知らないってことよね? それは最後まで貫くの? それとも、明日辺りに話してしまうつもりなの?」
子供たちの状態について、どこまで話すのか。それは皆さんの意欲に関わってくる話ですから、投げ出されないように、無気力にならないように、気を使ったとも言えます。
でも、姉さんはそこが気になるんですよね。意図的に隠している、私の態度が良くないと言いたいのでしょう?
「最後まで話すつもりはありませんよ。子供達が既に亡くなっている、もしくは変質してしまっている未来なんて、受け入れられそうにありませんでしたから。そこで気落ちされてしまっては、捜査に影響が出てしまいます」
「あらあら、可奈ちゃんもひどいことするわね。心の覚悟もさせてあげない状態で、対面させるの?」
ひどいこと。確かにその通りです。指摘されている通り、私は何も話していませんので反論は出来ません。一応、親切心であったのは事実ですが、話すことによってスムーズに進んでいた流れを止めてしまうことを嫌ったのも大きな理由ですから。姉さんに責められるのも無理はないでしょう。けして、フェアなやり方ではないですからね。
ただ、受け入れがたい未来の可能性を話したところで、無駄にしかならないと判断した行動が間違っていたなんて思ってもいませんよ。あの場にいた疲れた方々に、残酷な可能性を示すくらいなら、僅かな光にすがってもらう方がマシだと感じただけです。
「対面出来れば良いんですけどね。諏訪さんにはお話しましたが、仮に感染者が笛吹き男以外の配役を受けていた場合、子供達の死因につながる可能性もあります。人間としての理性を保てている可能性こそ低いでしょうから、どんなことになっているか想像したくもありません」
「どちらにしても、駄目。いつも通りだけど、可奈ちゃんは背負い過ぎよ?」
その言葉を最後に黙り込んでしまう姉さん。その表情は私を見ているようで、見ていない。何かを考えるかのように、あごに指を当てており、その予想が外れないであろうことを私の経験は知っている。こういう時の姉さんは頼りになります。私よりもずっと深いところで考えていて、事件における目をそらしたいところを真っ直ぐに見つめていることが多いから。
だから、私は邪魔をしない。目障りにならないように動きを止め、呼吸まで止めて姉さんの言葉を待つ。情報収集と分析を担当する身としては情けない限りだけど、材料を基にして話を組み上げていくのは姉さんの方が遥かに上手だから。
「ねぇ、可奈ちゃん。お姉ちゃんかなりひどい話を思いついちゃったんだけど、それでも聞いてくれる?」
再び口を開いた姉さんの言葉は堅く、強い意志を感じられるもの。だから、この先姉さんが伝えようとしている言葉は、その堅さと強さを持ったものになるのでしょう。言葉の通りひどいことになるであろうことも、予想出来ます。
「お願いしたのは私ですよ。それにどのような話をされたとしても、私は姉さんの味方ですから。安心して下さい」
私は姉さんに指摘して欲しいとお願いした立場です。どのような形でも良いから、つついてくれるように依頼した立場です。
それなのに、内容がひどいとか、悲観的な未来を聞きたくないだなんて、言いませんよ。もちろん、逃げるようなこともしません。私にはお願いした責任があり、例えそうでなかったとしても、姉さんの話から逃げるようなことはしたくありませんから。姉妹なんです、この間柄で遠慮なんて似合いませんよ。
「もう一つ確認するよ。今失踪しているのは、子供としての配役がされているからだよね? そこに追加で、別の配役がかぶることがあるかな? 二つの配役を受ける可能性は?」
「私達の経験した事件ではありませんでしたが、感染者以外にも二つの配役が行われてる事件は前例があります。姉さんのお話は、子供役に二つ目の役を追加する形ですか?」
「うん、そうだよ。山の中がどうなっているか分からないし、そんな都合の良い場所があるかは分からないから、お話としてだけならどうにかなりそうなもの。そのくらいで聞いてもらえると良いかも?」
山の中。そういば、ハーメルンの笛吹き男の物語においても、山の中へ消えていくという終わり方や、山を越えていくという終わり方もありましたね。神社に固執してしまった私の意見に比べると物語に沿っており、流石は姉さんとしか言い様がありません。もっと広い視点で見るべきでした。
「分かりました、続きをお願いします」
山や海、そして森は昔から異界の入り口とされ、モチーフとされることも多かった。神社を霊的な要と捉えたのであれば、そういったものにも目を向けるべきだったし、考えるべきでした。そうすれば今から姉さんが喋ろうとしている内容も、私が思いつけたはずなのに。姉さんに酷い話をさせることなんてなくて、私の中だけで完結出来たのに。情けない妹でごめんなさい。姉さんみたいに、強く優しく出来なくてごめんなさい。
「えーとね、連れ去られてしまう子供役に、ネズミ役を加えようと思うの。人間としてはまだまだ小柄だし、それなりに迷惑をかけてしまうこともあるから。子供役としての結末と、ネズミ役としての結末も重ねてしまいましょうか」
子供役とネズミ役の兼任。それとも、ネズミ役と子供役の兼任と言ったほうが正しいのでしょうか?
誰にも迷惑をかけることなく成長するなんて、不可能な話ですから。親に育ててもらい、近所の人に助けてもらい、兄弟とはケンカして、友達とは競い合うことになる。その途中で必ず誰かに迷惑をかけてしまう。それに大小はあるかもしれませんが迷惑であることには、変わりません。それをネズミの被害による迷惑と見るのは強引だとは思いますが、解釈的にはなんとかなりそうです。見方をちょっとずつ変えていけば、強引でなくとも形にはめられそうな気がします。
「それならネズミ役に該当するものが見当たらなくても、被害がなくても不思議ありませんね。物語としては十分に成り立ちますから。ネズミはヴェーザー川で溺れ死ぬことになっており、子供達についても洪水により溺れ死んでしまう説があります。状況と理由に違いはありますが、死因と関わっているものは同じですね。どちらも生き物としての結末であり、そこを結果と見てしまえば追加配役することも可能でしょう。これにより、少ない人数で配役を揃えることが可能になる利点もあります」
配役が埋まっているか、飲み込んでいる物語にどれだけ近づけるか。そこがアンティークとしては大切な要素のようで、物語に近い状態になるほど配役としての強制力が働きます。本人の意思とは関係なく、役を演じるだけの、例え死ぬことになったとしても躊躇すらしない存在になります。アンティークを中心として広がっている世界は、恐ろしいもので日常と呼んでいるこちらの世界とは全くの別物。
配役を揃え、舞台を整え、開幕させる。そうして始まってしまった物語は、見ることさえおぞましいもの。触れてはいけない、聞いてはいけない、考えるのさえ危険を呼び込む。まさに、悪夢が顕現した世界ともいえるでしょう。そこにあるのは形を持った悪意と、降りかかってくる敵意しかありません。誰も幸せになれない。
「もう一つ加えて、笛の音に該当するものが聞こえないのは、行方不明になる子供役は既に必要なくて、溺れる死ぬネズミ役が必要なのだとしたらどう? 今この町にいる唯一とも言える未成年、三森可奈が何も聞いていないのは、それが理由だったとしたら?」
私が行方不明になっていないのは、子供役の出番が終わってしまったから。子供役でしかなかった失踪者達は、今やネズミ役として殺されるのを、自身が溺れ死ぬ瞬間を待っている。じっと、騒ぐこともなく、逃げ出すこともなく、恐らく考えることすら奪われている状態で、溺れる瞬間を待っている。その様子は正当だとは言えないものでしょう。でも異常に気付けるような精神状態ではありません。
「笛の音にまで届くんですね。ただ、妙な点はありますね。まるで物語が後ろから再生されているような、そんな感じがします」
「そこについては、歪んでいるから順番が狂ってしまったとはならないの? 逆からではなく、チグハグな状態で進んでいる可能性は?」
順番が入れ替わるなんてこと、この段階まで来てしまったら物語にとっては、十分飲み込めてしまうものでしょう。物語を展開していくのには不都合にならず、場面で分けてしまえば良いだけの話。そうなれば、後は物語を進めていくだけで良い。誘い人の思惑通りに、物語を広げていけばそれで目標が達成されてしまいます。
「当然、ありえます。アンティークに閉じ込められている時間が長いほど、物語は歪みます。仮に、今回の事件を引き起こしているアンティークが、かなり前に製造されていたとするのなら。この程度の歪みは許容範囲でしょうね」
「そう。こちらにとっての都合は良くなないのに、物語にとっての都合は良くなっていくのね」
物語が熟成されるとでも言いましょうか。構造が古めかしい、実際に製造されてからの年月が長いものほど、物語がしっかりとした形を持つ。どんな形にでも変貌して、歪んだままでも気にせずに物語を進めていく。実際に巻き込まれた場合は、死を覚悟する他には何も出来ないのではないでしょうか?
外部にいる、協力者でしかない私には全ての情報が入ってくるわけではありませんから。どうしても、想像の部分はありますけどね。
「厳しい話です。けれど、物語にとっての都合を考えていけば、別の意見を持てそうですね。流石は姉さん、ありがとうございます。かなり参考になりました」
「ここまでの情報を集めてくれたのは可奈ちゃんでしょ? 私はちょっと組み立ててみただけ。悪い方向に考えてみて、組み立てただけ。この推測だって、あっているかは不明だもの」
ちょっと組み立てただけですか。いえ、姉さんの感覚で言えばまさしくその通りなのでしょう。どうこうと考えてしまう、私が浅ましいだけ。自らに足りないものが欲しいと、努力もせずに羨ましがろうとしているだけなんです。姉さんは協力してくれただけなのに、嫉妬してしまいそうになる。自らの力不足を、他人に嫉妬することで忘れようとしてしまう。
「それでも、ですよ。失踪者側に二つめの配役をするというのは思いつきませんでした。駄目ですね、私も。昼間田中さんが言っていたというのに、守ることが出来なくてお恥ずかしい限りです」
「田中さん、何か言っていたかな?」
あれ? 私としては綺麗に閉めたはずだったのに、どうしてそういうことを口にしてしまうのでしょうか? 自らの反省とちゃんと盛り込み、綺麗に閉じたはずのふたを、姉さんはどうして開けてしまうのでしょうか?
そういったお茶目なところ、嫌いではありませんよ? ただ、タイミングを考えてもらえないと困ります。
「全てを自分がどうにかしなければいけないと、そういった傲慢さを捨てなさいと言っていましたよ。姉さん、覚えてないですか?」
「えへへ、忘れちゃった。昨日貰ったクッキーの味を思い出していたから」
人の話はちゃんと聞かないと、駄目ですよ? 田中さん、結構良いこと言っていたんですから。クッキーの味になんて、負けないで下さい。
「仕方のない人ですね、姉さんは」
けれど、ここで怒ったところで意味がないし、今の私にとって必要なのは田中さんの格言ではなく、事件について考察すること。このままでは、また姉さんが脱線してしまい帰ってこれなくなるかもしれませんので早めに戻りましょう。
時間的な余裕のない今、姉さんの出してくれた意見を取り入れつつ、私の推測を組み直していかないと、助かるものも助からなくなってしまう。私がここにいる意味を、ちゃんと果たさないとね。
まずは現段階で分かっていることの整理です。情報は収集と分析のプロセスに分けて、ランク付けをしていく。不要と思われる情報だって、捨てるようなことはしません。ランクを下げて、保管しておきます。
物語の方向性としては子供達の失踪、死亡もありえるバッドエンド。そこでは、町の人お願いされた笛吹き男が子供を返す代わりに、報酬を貰うというシーンは描かれません。何も救うことなく、全ての命を奪います。
検討出来ている配役としては、笛吹き男は感染者。アンティークと共に放棄された神社に隠れているものと思われます。これは、この土地を霊的に守っていた場所だからこそ、押さえてしまいたいという排他的な効率を優先させるもの。町中には潜めず、他の町に逃げ出す理由はなく。そしてアンティークを保管する場所と考えた場合、屋根があるほうが都合が良いからです。
次に行方不明となる子供達。これは年齢幅を広げることで人数的な不足をカバー。対象年齢に含まれているはずの私が呼ばれないのは、既に笛の音が聞こえる場面が通り過ぎているからと考えましょう。実際のところ、笛の音として何が使われたのかは不明ですが、再び吹かれる可能性が低いのであれば、そこまで問題視する必要もないです。どちらかと言えば、そこへ追加配役としてネズミが加わっている可能性を考慮した方が、解決につながりますね。
物語の起点として存在するネズミによる被害。倉庫を荒らされてみたり、疫病が蔓延してみたり、そういったものが見られなかった以上、若者の行動が与えている迷惑がこの町にとっての被害とも見れます。そこに並んで、本来であれば必要であるはずの、お願いをする町民に関しては子供をしかることや、お説教で代役としましょう。拡大解釈にはなりますが、見方としてはありだと思います。
被害を受ける側は、結局のところ迷惑をこうむることになり、何らかの対策を打たなければいけない。ネズミは退治する形で、若者は公正させることで、どちらも対応を迫られるという点では変わりがありません。
そして、子供達の辿る結末の一つにはヴェーザー川の氾濫、つまりは洪水によって溺れ死ぬというものがあり、これはネズミの退治方法と全く同じ。どちらも原因が水死である以上、配役が追加されているのであれば、川や湖、沼といったところが現在地の候補に挙がります。ただし、どれだけ隠蔽工作をしたとしても、百三十もの遺体が川に浮かんでいた場合、騒ぎになっているはず。それはどこの地域だとしても同じことでしょう。
多数の行方不明者を出し、既に大騒ぎをしている三輪町を除いて、通報されない場所はないはずです。その上、移動に関する目撃情報も見られない今、失踪者は町の近くにいると考えて問題はないでしょう。少なくとも人目に付くような場所にはおらず、近隣の町にも移動していない。
何より、町に広がっている表現が難しい雰囲気。これが消えてしまわない限り、アンティークによる物語は続いています。場を支配しているとでも例えるべきでしょうか? アンティークにより物語が展開されている間は、その効果範囲内において独特の感覚に包まれるのが、分かります。
それを言葉で伝えて理解してもらうのは難しいのですが、あえて言うのであれば海の臭い。爽やかさなどなく、どこまでもよどんでいる、止まってしまった波の臭い。どれだけ願っても私の脳内に残り続ける、忘れることが出来ない臭いです。吐き気をもよおし、私の思考を遮るそれは、町の中に充満しており、どこにいたとしても逃れられない。
ただ、この臭いは他の人には分からないものであるらしく、吐き気に悩まされているのも、連れ立って起こる頭痛に悩まされるのも、私だけ。同じ物語に巻き込まれた姉さんですら、同じ症状は持っていません。まぁ、正直なところ、気持ちの良いものではありませんから、知らずにいられるのであれば、その方が幸せだと思います。
しかしながら、この困った症状にもちゃんと利点があり、それのお陰で生き延びていられるのも事実。
この臭いがするのは物語の展開されている地域か、感染者やアンティークの傍に限られます。臭いの強いところほど危険であり、アンティークや感染者が近くにいる証拠。今日の夕方歩き回ったところには、そういった怪しい場所はありませんでした。同じ程度の匂いしかせず、気にしていなければ分からなくなるようなレベル。息を止めてみたり、入浴の直後であればある程度分かるけれど、時間と共に麻痺した鼻が感知しなくなる。生物としては当然の働きであり、それ自体について文句をつけたところでどうしようもないけれど、こういった命のかかる現場においては致命傷になりかねない。
視覚や聴覚に頼ることも勿論大切だけれど、私にとっては何よりもこの匂い、記憶の中にあり絶対に忘れることの出来ないものが生還の鍵を握る。悪夢の中において、他の感覚は消え去っているのに嗅覚だけは消えない。吐きそうになる濃密な血の香りの中でも消されることのなく、私の意識へと手を伸ばしてくる。まとわり付くかのように、私を包み込むかのように、すぐ近くに存在していることを教えてくれる。
だから、臭いの強いところにいない限りはある程度安心が出来て、臭いのきついところは危険度が高い。閑静な住宅地に建つごく一般的な家屋だったとしても、臭いが強いのならそこは地獄の中と変わりがないことを教えてくれます。それは、私達の常識の通用しない悪夢の中であり、死の溢れる場所。
そんな物騒なところへ姉さんを連れて行き、田中さんに護衛を任せる形でアンティークを解体してもらう。他に方法がないとはいえ手を離す瞬間、姉さんの温もりを手放す瞬間がどれだけ心配か。誰にも相談出来ない心配事として、いつも私の心の中に残り続けます。一人ぼっちにした姉さんに全ての責任を押し付ける形になり、私の心は悲鳴を上げます。傍にいた方が良い、離れるべきではないと。
けれど、一緒にいても出来ることがない以上、一緒にいない方が安全だから。感染者は人の多いところへ近寄る習性があり、アンティークの解体場所に人数を集めるのは、狙って下さいと言っているようなものです。最終的な生存を目指す為にも、私は姉さんをアンティークの傍に置き去りにし、感染者の足止めへと向かわなければなりません。
危険性だけで言えば私の方が高く、人の心配をしている場合じゃないと言われてしまいそうですが、心配なものは仕方ないでしょ? いつもどこかぼーっとしている姉さんは、買い物でも良く失敗をするし、料理をお願いしたら怪我をする。技術者としての腕は信用しているし、心配なんてしていないけれど、その身を心配するのは話が別です。
現場での捜査でも、作業でも、私が最初に考えるのは、姉さんの安全なですよ? どうやって、姉さんの安全を確保しようかと頑張っているんだから、少しくらいは思いが通じてもバチは当たらないはずです。それだけのことを、私はやってきているのですから。
どれだけ非道な手段でも採用しましょう。今回の失踪者を全員切り捨てるような方針であっても、立てます。どれだけ非難されたとしても、気に留めることもありません。
その代わり、姉さんの安全を最大限に確保出来るものでなければ私は認めません。その提案を却下します。
「可奈ちゃん、難しい顔になっているけれど、そろそろまとまったかな? このまま放置されると、お姉ちゃん寂しいよ?」
姉さんの声により意識が引き戻され、私の視界には光が戻ってくる。一緒にいるのに、放置するような形になってしまったのは、反省しなければいけませんね。
それにしても、ここはどこでしょうか? 見覚えのない部屋に姉さんと二人、これで臭いさえなければ旅行だと勘違い出来るんですけどね。
あまりに集中して考んがえていたらしく、頭が熱っぽく少し痛い。今回の事件について少しだけ考えていたはずなのに、時計を確認すれば熟考と呼んでも良いだけの時間が経過している。整理は出来たし、整頓もした。自分のやるべきことも見つめなおせたので、この時間には意味があったのだけれど姉さんと話をしている途中だったのはまずい。たまたま呼ばれた声に気付けたけれど、下手をすれば何時間も悩み続けていた可能性があります。
「可奈ちゃん、考え込む時に目を閉じる癖は直したほうが良いよ? 居眠りをしているように見えちゃう」
「あら……それは困りましたね、気をつけます」
余計なものを思考に取り込まないよう、目を閉じる癖があるのを忘れていました。真面目な話をしている時ほど、急いで考えをまとめなければいけない時ほど、私は目を閉じてしまう傾向にあるようです。
慣れてくれている姉さんは良いですが、他の人では居眠りをしているように見えてしまうでしょうし、発言内容への信頼を失ってしまうことになります。こういった場においては、それを仕方のないこととして流してしまうと人命にかかわりますからね。そろそろどうにかしたいのですが、改善は難しいです。
「それで、思いついたのかな? どうするのか、考えはまとまった?」
「ええ、姉さんのおかげで見えた気がします。ありがとうございます」
「聞かせてもらっても大丈夫かな? 私達はどうすれば良いの?」
私の考えていることが正しいのなら、外れがないのであれば明日だけでこの事件には決着がつきます。この事件が拡大しない内に、早急に決着をつける形になるでしょう。
「まず、明日の編成ですが、一部予定を変更します。姉さんと田中さんにも、神社へと付いてきて下さい」
アンティークのところに姉さんを連れて行くこと、作業が出来るように環境を整え渡すことが、私の役割。そこから先は手を出せないし、傍にいたところで邪魔にしかなりません。感情では理解出来ていませんが、理性は現実を知っています。
だから、私は私に出来ることを全力で行うように、生きて帰る為の行動を求める。自らを囮とすることで時間を稼ぎ、現地での指揮を執ることで撹乱します。どれだけ心配したところで何も出来ないのですから、少しだけ離れたところで姉さんの安全を確保する為に、努力しましょう。
「不明確な点があるのも事実ですが、それはいつものことです。ネズミと子供が同時に配役されているのであれば、危険性はずっと減ります。見つかっていない以上、子供達も神社の周りにいるはずですが、物語の流れの都合上水の中に沈められているか、生きているとしても水に浸かっている状態だと考えられるので、身体能力が低下しているはずです。居場所さえ確認してしまえば、アンティークの解体後に救出する形でも良いでしょう。加えて、見張り番を立てておけば、神社の方へと奇襲をかけられる心配も減ります」
「配役されていたら、テレポートとか出来ないの? そうなったら、どうしようもないよね?」
「風のように速く走る靴、天を駆ける靴。そういったものが出てくる物語であれば警戒すべきですが、ハーメルンの笛吹き男には登場しませんから。そこまで怯えなくても大丈夫なはずです」
もちろん、物語を勘違いしている可能性は消えないので、絶対に大丈夫といえるような状況は存在しないから。気をつけることは大切ですが、それよりも現実的に気をつけるべきことが沢山あるのではないでしょうか?
「失踪者のみなさんに配役されているのは、子供とネズミでしかありません。どちらも攻撃的な物ではなく、退治される側、供物として取り扱われる弱い立場ですよ。直接的な危険性で言えば、感染者がどこかに隠れていて襲われるとか、アンティークの解体を始めた途端に凶暴化するとか、そっちを心配して欲しいです」
何より、姉さんの心配が現実になる時は、どんなに足掻いたところで逃げられないというのを示すことになりますから、諦めるしかありません。空を飛ばれてみたり、瞬間移動されるようなことがあれば、臭いによる危険の感知も役に立たなくなりますから。これだけを頼りにしているつもりはありませんが、それでも防御策を一つ失うというのは、大きいです。
「そういった不意の奇襲に気をつけるのも大切ですが、やはり基本的なところも押さえておかなければ足元をすくわれますよ。今回の神社は既に廃棄されてしまっているので、床下等に潜むことも可能でしょう。ある程度は調べてから侵入したいのですが、そんな時間はないでしょうね。感染者を建物の外へとおびき出し、広い場所でいつも通りの追いかけっこが安全性の高い方法でしょう」
「そこは可奈ちゃんに頼るしかないけど、気を付けてね。アンティークまで辿り着いたら、お姉ちゃんに頼っていいから」
いつものことと言われてしまえばそれまでで、今までを上手く乗り切ってくれているから姉さんはここにいる。私と一緒に事件を処理して、そして家に帰ってくれる。お互いが唯一といえる家族であり、掛け替えのないものだから、本当なら家で大人しくしているのが正解なのかもしれないのに。アンティークなんかに関わることなく、姉さんの症状は経過観察をしていれば、そこまで焦るものでもなく――なんて、そんなふうに思えたのなら、私はここにいないんでしょうね。思えないから、諦められないから、ここにいる。悪化しないなら良いなんて言えなくて、私のせいでと心のどこかに罪悪感がある。それは必要な物であり、私自身が忘れることを許されるものではないけれど、姉さんは嫌がりますね。妹が姉の心配をしているのはおかしいと、口にするでしょう。それは仕方のないことですが、こちらも諦めるわけにはいかないんですよ。
今の姉さんが背負っている問題の殆どは、あの日の私が逃げ送れたことに起因しています。あの時の私が逃げ出せていたのなら、もしくは姉さんの帰宅前に死んでいたのなら、姉さんが苦しむ必要はなかった。供えられる花が一本増えるだけで、終われていた。
それが出来なかったのは私のせいであり、今の私があるのは姉さんのおかげだから。人魚姫を飲み込んでいるアンティークを見つけて、解体するまで私は止まれない。
「姉さんのこと、信じていますよ」
「ふふふ、お姉ちゃんに任せなさーい」
陽気に笑ってくれる。ここが安全な場所で、この先何も起きる心配がないのであれば、のんびりとしていたいものですが。現実はそれを拒み、私達を急かします。走り出す必要はないけれど、足を止めようとすれば過去に忘れてきたものに追いつかれてしまう。
そうならないようにちゃんと行き先を決めて、歩き続けるしかありません。
「さぁ、明日はそれなりに早いですよ。遅くならない内に、寝てしまいましょう」
一人であれば困難な道も、二人であれば歩けてしまいます。姉さんが私と一緒にいてくれるのなら、この先も事件に関わり続ける道を選ぶのでしょう。いつか致命的なミスを採択し、この身が滅びを迎える日まで。足が止まることはあり得ない。
まったく、面倒事ばかりの人生になってしまったものです。十代の身にして人命を預かることになるとは、あの日の私は想像もしていなかったでしょう。
暗闇に恐怖する可愛い心を忘れ、私はここにいます。他人の好意を利用して、自らの目的を叶えようとしています。この行動はいつか私自身を滅ぼすことへと繋がる。自業自得と、暗い穴の中へと突き落とされる結果へと通じているのでしょう。
別にそれでも構わないんですよ。奪ってしまった幸せを、少しでも姉さんに返せるのなら。私はこの道を笑顔で転がり落ちましょう。
狂気寄ってしまった愛情。それで願いを叶えられるというのなら、迷うこともありません。
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