第4話 泡に語りて
「うーん、ここまで素直に進んでいて良いのかなぁ?」
「姉さんは心配性ですね。進んだといっても、物語の見当が付いた程度でしかありませんよ。まだまだ、余裕なんてありませんからね」
調査に関する方針だけを立て、私と姉さんは宿泊先へと足を運んだ。そのまま調査に入るといった流れも考えたけれど、長距離移動をしたばかりだし、いつのタイミングで事件が急展開を迎えるか分からない。早期解決が望まれるのは事実だし、出来ることなら私としても早めの解決を望みたいところなんだけど、焦りは禁物。
こうして、事件の起きている現場にいる以上、私達が被害者にならない、事件に巻き込まれないという保証はどこにもない。むしろ、今回の事件が予想通りであった場合、子供役の配役が不足していると私は巻き込まれる可能性が高くなってしまう。そうなれば、必然的に姉さんが事件の真ん中へと、何も準備をしていない状態で飛び込むことになってしまうから。それだけは避けなければいけない。
生計を立てていく為にも、情報の収集と信頼の獲得の為にも、私達はこの仕事を止めることは出来ない。命の危険があるのは分かっているし、常に安全圏にいられないことも把握しいる。それでも、自ら好き好んで危険の中へ飛び込んでいこうとは思わない。
「可奈ちゃん、その耳栓だけで大丈夫なの? お姉ちゃん、ちょっと心配なんだけど?」
ハーメルンの笛吹き男。十三世紀にドイツ、ハーメルンで怒ったとされる実際の出来事を元にした物語である。
ざっくりとした話の流れとしては、有名どころなので知っている人が多いけれど、細かいところになってくると、どうしても知らない部分が出てきてしまう。
「元々のハーメルンでの事件でも、耳が聞こえなかったことにより助かっている子供がいます。今回の事件でも、同じことが確認出ています。多少の不安が残るのは分かりますが、私は姉さんを置いていなくなったりはしませんよ。安全策として耳栓も買っていますから、アンティークの解体が終わるまでは、暫くつけて寝ることにします」
朝寝坊のリスクと引き換えに、安全性を取る。姉さんが傍にいてくれるから、寝過ごす心配を減らすことは出来るし、別に寝過ごしてしまったところで大きな問題があるわけではないから。今日を含めて、学校に関しては既に田中さんから連絡を入れてもらっているし、今回が初めてでもないから。日本の学校というものも、意外と融通がきいたりする。
「もちろん、これで絶対的に安全だなんて油断はしません。いつか巻き込まれる可能性がある、その可能性を排除出来ないのであれば、常に警戒を怠るべきではない。姉さんは、そう言いたいのでしょ?」
「私はそんな難しいことを言いたいわけじゃないよ? 可奈ちゃんが心配なだけ、事件の解決よりも可奈ちゃんが大切なの。それだけ分かってくれるなら、良いよ」
「相変わらず、姉さんは甘いですね。そんなところは大好きですけど、私も姉さんを心配しているのも忘れないで下さい。私の役割は交渉やフィールドワークにしかなりません。解体はお願いすることになっちゃいますから、一番大きなの負担がかかっていますよ」
アンティークは解体しなければ意味がない。ただの部品として、ただの骨董品に戻す必要がある。物語を飲み込んだままでは、ただの危険物でしかなく、持ち運んでしまえば移動先で物語が動き出してしまう可能性がある。持ち込んでしまったことで、街が滅びてしまう可能性も否定出来ない。
だから、アンティークはその場で解体することが望まれる。被害を拡大させない為に、物語を飲み込んでいるパーツを破壊する必要がある。組み立てられているものを分解し、物語の心臓部になってしまっているパーツを見つけ出し、破壊する。その行為は事件の収縮を意味し、物語に飲み込まれてしまっている被害者達からの直接的な危険に晒される可能性が、最も高いタイミングだ。
確かに、そのタイミングで姉さんを守る為に田中さんはいるし、彼等がそういった道のプロであることと、頼りになることは知っているけれど、危険であることに変わりはない。田中さんも人間でしかないから、人外の力でねじ伏せられてしまう可能性もあるのだから。そうなってしまえば、直接的な暴力が姉さんへと降り注ぐことになる。
その可能性を軽く見られるほどに、私は事件の解決が全てだと、情熱を傾けているわけではない。
「さて、ハーメルンの笛吹き男。姉さんはどのくらいご存知ですか? いつも通り、セッションといきましょう」
「えー? それは可奈ちゃんのお仕事でしょ?」
「担当は私ですよ。でも、姉さんに危険が及ぶのはイヤなので、少しだけ覚えて下さい。安全なところにいて下さいと言っても無駄なので、覚えてもらうしかないんですから」
だから、どれだけの文句を言われようと、姉さんがすねてしまったとしても、こうして情報を共有することは止めない。どういった危険があるのか、どんな結末を持ち合わせているのか。それを理解してもらえていないのであれば、危険に近付くことを容認出来ない。私がどれだけ頑張ったとしても、全ての危険から姉さんを守ることは出来ないから。私だけの力では、危険を排除することは出来ないから。危険すぎる場所に近付かないよう、多少の自衛はしてもらわないといけないの。
「これでも、お姉ちゃんですから。可愛い妹だけを、危険な場所に行かせるなんて出来ませんよ?」
だから、覚えて欲しいんですよ。姉さんは見た目通りにふわふわと、興味を引かれたら危険の真ん中にでも歩いて行ってしまうでしょ? アンティークを見つけたら、自分の安全なんて省みることなく、解体作業に入ってしまうでしょ?
事件を解決するパートナーとしては心強いです。けれど、妹としては心配しかありません。
「姉さんが傍にいてくれて、心強いです。ただ、怪我をされると困りますよ?」
このやり取りは、既に何度目だろうか? 私が歩き回る時、妹だけを出歩かせるのは危険だからと、姉さんは後ろに付いてきたがる。最初の頃は学校にすら付いてこようとして、説得するのが大変だった。私としては嬉しいけれど、ちょっと心配し過ぎだよね。
「むぅ、可奈ちゃんは時々わがままです。あまり、お姉さんを困らせないで下さい」
「はいはい。でも、ちゃんとしないと田中さんにも怒られて、ご飯食べられなくなりますよ?」
日本と呼ばれる国で生活していくには、生きていくには絶対的にお金が必要。食事も出来ず、住む所も追い出され、着る服すらなくなってしまう。そんな未来はいやです。両親がいなくなって、姉さんが頑張ってくれているのに、今までの努力を無駄には出来ませんよ。ちゃんと今まで通り暮らしていけるように、今回も報酬がいただけるように、頑張りましょう。
「拗ねてないで、話を聞いて下さい。今回の物語だと思われるハーメルンの笛吹き男ですが、結構危ない解釈も可能なので危険性が低いわけではありません」
「あれ? 諏訪巡査には危険性は低いって伝えなかった? 嘘ついちゃったの?」
「嘘ではありませんよ。失踪と言うことで警戒していた他の物語よりは危険性が低く、この町が消滅してしまうような結末にはならないと思っただけですよ」
童話の中で失踪や行方不明がピックアップされている作品は、危険性が高い。広い範囲に危害を加えるようなものがあり、行方不明者が全員死亡してしまうような、そういった話も混ざっている。その中で考えるのならば、生存の可能性を模索できるだけ、ハーメルンの笛吹き男は危険性が低いと言えた。
「どちらにしても、あの場で諏訪さんに危険性を細かく説明したところで、理解してもらうのは難しかったでしょう。集団失踪している上に、助からない可能性の方が高いだなんて、聞きたくはないでしょう。込み入った話は明日、少し考察を重ねた後でしますよ」
「えへへ、可奈ちゃんは優しいね。別にそんなこと気にしなくても良いのに。結果は変わらないんだよ?」
結果は変わらない。確かにそれは事実でしょう。伝えたところで諏訪さんに出来ることは殆どなく、無駄な焦りと無気力感を与えてしまうだけ。そうなってしまうと、捜査が難航するからと身勝手な理由で伝えなかったのですが、姉さんに嫌われたくないから嘘をついてしまいました。笑って許してくれそうな、小さなものですが心は痛みますね。
「ねぇ、可奈ちゃん。物語の考察は強固の場で全て終わってしまうつもりなの?」
「全てというつもりはありませんが、話し合いの場で方向性が迷子にならないように、ある程度はまとめておくつもりです。別に、疲れているのなら眠っても良いですよ。これは私の役割で、明日諏訪さん達と一緒に聞いてもらえるのなら、それでも問題はないですから」
事件の早期解決を考えるのなら、今夜からでも聞き込みを始めて、少しでも情報を集めたほうが賢いでしょう。そうすることで見えてくるものがあり、不足している情報も具体的になってくるでしょう。
しかしながら事件としての全容が分からない、調査を始めることによってこちらの身に降りかかる損害が、全くわからない状態で動くのは得策ではありません。意味のないリスクを背負い、解決までに余計な時間がかかることになる可能性もあります。そうなってしまってから後悔しても、失われたものは戻ってきません。
それに、諏訪さんにはちゃんとお願いをしてありますから。明日の朝、再びお会いするまでにある程度の成果を出してくれるでしょう。
「んー、お話だけ聞くよ。難しいことは分からないし、今の段階で可奈ちゃんの手助けは出来そうにないから」
「そうですか? でも、聞いてもらえるだけでも助かりますよ。頭の中で考えているだけより、ずっと整理が進みますから。もしかしたら、話の終着点を見つけられるかもしれません」
今回の事件については、物語としての情報は十分だ。諸説ある物もまとめて、ある程度は頭に入っている。
「ハーメルンの笛吹き男。童話として広く知られている物語でもありますが、一説としては洪水や竜巻、十字軍などの時代や地形を反映した事件が元になっているのではないかと研究されています。また、実際の出来事として記録が残っているものでもあります。その為、物語としての側面以外を持ち合わせ、非常に面倒な形になっているといえるでしょう」
童話として広がっているものは、大体次の通り。
ネズミが大量発生したことで困っている町に、色とりどりの服を着た青年がやってくる。彼は不思議な特技を持っており、その手に持つ笛でネズミを操ることが出来るという。そこで、ネズミの被害に頭を悩ませていた町の人達は、お金を払うからとネズミ退治をいらいしました。青年は約束通り、ネズミをヴェーザー川で溺れさせることによって全滅させますが、町の人達は報酬を払うことを嫌がり、青年はお金を貰えないままに町を去ることになります。
また別の日、青年は大人達がミサに出席しているタイミングで町にやってきました。そして、その不思議な笛の音により子供達を誘導し、待ちの外へと誘導してしまいます。大人達が町の異変に気付いた時には既に遅く、百三十人の子供達は姿を消していました。耳が聞こえなかった為取り残されていた子供が言うには、みんなふらふらと、青年の後を追いかけて行ったようです。大人達はお金を払わなかったことを後悔しましたが、子供達の行方も青年の行方も分からなかった為、どうしようもありませんでした、と。
いくつかのバリエーションがあり、足の怪我をした子供も助かったり、子供達の連れ去られた洞窟が見つかってみたりすることもある。けれど、どちらにしても子供は一度いなくなってしまうのがどの話でも共通しており、直接的な死亡が描かれていないというのも共通している。だから、危険性は低いと諏訪さんには話しているけれど、物語の結末だけが重要ではないことを私は知っている。
「ハーメルンの笛吹き男において、子供達が死を迎える場面を描いているような説に当たることは非常に稀です。少なくとも、広く知られている童話においてはありません。だから、失踪している子供達については、死亡する可能性は低いと見ることも可能です」
それが全てではない。生きているか、死んでいるかが全てではない。けれど、死んでしまってはどうしようもないのが現実であり、生きていればどうにか出来るかもしれないと考えるのは、今と昔の医療技術に差があるせいでしょう。お医者さんだって万能ではないし、傷は直せたとしても後遺症が残ってしまうこともある。傷が大き過ぎて直せないもの、精神的に病んでしまって時間のかかるものもある。基本的に物語りに巻き込まれた人間は、無事では済まないから。失踪している子供達についても、今後の人生に何らかの悪影響を及ぼす可能性は非常に高い。
そんなのは姉さんだって分かっていることで、今更確認する必要もないでしょう。口に出したところで気持ちが重くなるだけで、考察も進まない。判っていることは言わなくて良いというスタイルでいることも、一人で行う考察においては大切なことだから。
「正直なところ、今回の事件については元になっている童話が早く予測出来て、ラッキーです。知名度もあり、改変が加わっているといえども、内容が分かりやすく広まっているのも説明する上では助かります」
有名な童話だからといって、油断をするのは危険だ。過去の事件の中には、ミスリードや勘違いによって真相にたどり着けなかったもの、被害が深刻化してしまったものが少なからずある。私達姉妹はそういった事件にまだ遭遇したことはないけれど、今回がそれにならないという保証はなく慎重に進めていかなければいけないことに変わりはない。
また、今分かっている情報ではハーメルンの笛吹き男である可能性が高いけれど、それがあくまで可能性でしかないことを忘れないように、信じ込まないようにしなければ危険であることも事実。アンティークに飲み込まれている童話が別のものであった場合、それは悲惨な結果をもたらしかねない。私達も、この町も消えてしまうような、大惨事へとつながることを意味する。
だから、可能性を見失わない。姉さんを危険に巻き込まない為にも、日常に戻る為にも、私がしっかりしないとね。
「ただ、広まっている童話だからこその危険性も見逃せません。分かっているつもりになってしまう、それが今回の事件における私達全員が、調べようとしている側が共通して理解しなければいけないことでしょう」
「若手いるつもりになってしまうって、何? それは、危険なの?」
「危険ですよ。全滅しかねないほどに、危険なものです」
さすがは姉さん、良いタイミングでの合いの手です。明日、説明する上でどこに気をつけなければいけないのか、詳しく説明しておくべき点はどこか、何気なく教えてくれるのはとても助かります。
事件における、童話の考察や事件との刷り合わせ、状況の確認は私の役割です。けれど、一人だけでやっているつもりでいると、思わぬところでミスをします。自分だけが分かっているなんて傲慢な考え方は、自らと周りの人に破滅をもたらすものになるでしょう。そうならないように気を使っているつもりですが、私は所詮高校生程度の考えしか持ち合わせていません。何もかもを分かっているような、人生の先輩達を先導出来るような、そんな能力は持ち合わせていませんから。こうやって、教えてくれるのが嬉しいです。
「例えば、広く知られている物語になってくると、これくらいはみんな知っているだろうと説明を省いてしまうことがあります。その場にいる全員に、知っているかどうかを確認したのなら最初は問題はないのかもしれません。けれど、省くことで手に入れた僅かな時間と引き換えに、無視出来ないレベルのリスクを抱え込むことになるでしょう」
今回の童話について、ハーメルンの笛吹き男だと私は説明しました。その時に、どれだけ鮮明に童話の内容を思い出せたでしょうか? そこからいくつの説に辿り着きましたか? また、童話ではない史実としてのものは、どれだけ知っているのでしょうか?
突き詰めていけば限りがなく、移民説にまで辿り着くのがハーメルンの笛吹き男という童話です。私にとっては、考察のしがいがありとても面白いものですが、人によっては面倒な話だと感じるところでしょう。話が膨らむほど、どうしても複雑化してしまいますから。
「この事件について最初に考慮すべきことは、笛吹き男の存在です。彼の存在は異邦人として、町の外からやってきた派手な青年として描かれていることが多いですが、ハーメルンが職人の町だったこともあり、たまたま変わったものを開発してしまっただけの青年として描かれることもあります。他にも、義勇兵を集うラッパ吹きであったり、両親の手によりロカトールへ売り渡されたとする説もあります。つまりのところ、単純に笛を吹いている男性が感染者だとしてしまうと、いつまでも見つけられず物語が閉じてしまう可能性もあります」
事件を解決する上で見逃してはいけないのは、感染者の存在。運悪くアンティークの所持者となり、エネルギー供給源と配役までもを押し付けられる人間。彼等は最悪の結末を迎えることになることが多く、また被害を広めた存在になってしまうため加害者側に分類されることが多い。正直なところ、自由意志が残っている可能性のほうが低く、物語に飲み込まれてしまっていると見るほうが賢いです。早期に発見出来れば事件の解決に結びつきますが、助けることはほぼ不可能でしょう。
そして、重要なのは感染者からのエネルギー供給が途絶えてしまうと、物語を閉じてしまう、つまりは収束してしまうことになります。一時的に、この事件のことだけを考えるのであれば、時間はかかりますが解決という形になるので、歓迎すべきものです。
しかしながら、アンティークを解体することなく物語が閉じたということは、いずれどこかで、また同じように物語が開いてしまうということ。別の地、別の時に、また被害が発生するということになります。それがどの程度の規模になってしまうのか、どういった被害をもらたらしてしまうのか、発生するまで分からない災厄の箱となってしまうでしょう。
「今のところ私達が把握している情報では、笛吹き男だと目星を付けられる人物はいません。その上で見つけられていない主要な配役として、まだネズミが残っていますから。群れとしての扱いでしかありませんが、ネズミがいなければ物語としては成り立ちません。どこかに必ず、ネズミ役がいるはずです。当面は、この二つの役者を見つけることに専念しましょう」
「お姉ちゃん難しい話は分からないけれど、可奈ちゃんがやりたいことはわかったよ。一緒に頑張ろうね」
「はい、頼りにしてますよ」
他にも考えておくべきところはありますが、注意を促す為に伝えるのはこの程度でも十分でしょう。必要なのはここが危険な場所であり、巻き込まれる可能性があるのを姉さんが理解してくれること。無駄に脅すようなことはしませんが、だからといって何も話さないのは間違いだから。姉さんを便りしているのも事実で、気をつけて欲しいのも事実。
本当は安全なところに隠れていて欲しいけれど、一度踏み込んでしまった以上は傍にいてもらって方が安全だから。巻き込まれたとしても、何かが起きてしまったとしても、一緒にいたい。
私のわがままでしかない願いは、どのような結末につながってしまうのでしょうね。想像は出来ないけれど、願うのなら幸せなかつマツを引き寄せられるものでいたい。
その為には私が残りの問題点を整理し、必要であれば明日の打ち合わせで提示することが求められる。それくらいのことが出来なければ、姉さんのパートナーとして事件を解決することが出来ない。私がここにいる意味が、なくなってしまう。姉さんはのんびりしていて、ちょっと心配性なところはあるけれど、時計を扱う技師としてなら無免許だけど一流だ。修理技師の資格は受験料が高く、私達の今の支払い能力では手が届ききそうにない。今の資格を持ていない状態でも姉さんの知識と技術は活かされているけれど、どうせなら金銭面の心配をする必要もなく、受けたい試験を気兼ねなく受けられる、そんな環境に変えていきたい。姉さんがもっと笑っていられる、そんな日常を手にしたい。です
さて、そんな空想に捕らわれるのもたまには悪くないのですが、今は事件のことを考えましょう。危険の真ん中にはまだ位置していないとはいえ、寝泊りをすることになっているこの場所さえ渦の中にあるのだから。
今回の事件において大切なのは、先ほど話した配役の他に、物語の展開方法にも気を配っておいたほうが良いのでしょう。これだけ小さな町なのに、笛吹き男に該当する人物が見つかっていないこと。ネズミを起因する、もしくは害虫を起因とする被害が起きていないこと。物語の展開として、最初のほうに起きるはずの出来事が、どちらも見つかっていないというのは何を表しているのでしょう?
この物語において、展開方法がどれだけ重要な意味を持つかは分かりません。けれど、違和感としてすぐに感じられるほどの異常を孕んでいるのなら、その違和感を無視したり放置してしまうのは危険です。そこにこそ、今回の事件を読み解く、アンティークを見つける為のヒントが存在する可能性があります。
ただし、可能性としてのものでしかなく、被害状況だけを見てハーメルンの笛吹き男だという仮定を組み上げた今、この可能性を全員で共有するのは向かうべき方向性をバラバラにしてしまう恐れを含ませることにつながります。気心の知れた中なら問題はありませんが、今回の田中さんは初対面。そして諏訪さんは初対面な上に、事件への耐性がありませんから。ここで情報としてお渡しするには、リスクだけを膨れ上がらせることにならないでしょうか?
姉さんだけに伝えてしまうというのもありですが、如何なものでしょう?
「お話は終わりでしょ? 可奈ちゃん、お風呂に行こうよ」
「ウチと違ってここのお風呂は狭いですよ。お先にどうぞ」
姉さんは隠しごとが苦手だから、田中さんに問われれば答えてしまうでしょう。それによって情報の齟齬が発生した場合、修正するのは少々面倒ですね。諏訪さんに伝えていない情報を、田中さんだけに伝えるというのはフェアではありませんし、あのくらいの男性達は無意識に競争心を持ち合わせている可能性がありますから。そこを刺激してしまうと、これもまた面倒ごとにつながる可能性があります。
「そうなの? 狭くて一緒に入れないの? えー、それじゃつまんないよ」
「我慢して下さい、姉さん。旅先ですから、たまにはのんびり浸かっても良いじゃないですか」
この宿泊所には、大浴場とは別に各部屋に小さめのお風呂も用意されている。ただ、そちらの使用はあまり想定されていないようで、設備的に充実しているとは言えない。アメニティに関してはほとんど持ち込んでいるけれど、バスタオルすら不足しそうな感じ。
姉さんに先に入ってもらって、その間にカウンターからもらって来ようと思っていたけれど、どうにも一緒に入れないということでわがままスイッチが入ってしまったみたいですね。家ではのんびりとしながらもしっかりとしているので、旅先でこういったかわいらしい姉さんを見るのも中々良いものですが、お風呂くらいは一人で入って欲しいものですね。体が大きな方ではありませんが、あの狭さで一緒に入るのは難しいですよ。
「加奈ちゃんと一緒じゃないと、誰が私の背中を流してくれるの? 私の一日の楽しみは、どこへ行ってしまうの?」
「もっと他に楽しみを見つけましょうよ。そんなことを一日の楽しみにしているだなんて、さみしい人みたいで涙が出てきます」
私に背中を流してもらうことを、一日の楽しみになんてしないで下さい。殆ど毎日一緒に入って、ずっと流しているでしょう? もっと別のことを、もっと楽しいことを、一日の楽しみにして下さい。妹としてちょっと悲しいです。
「時計の修理をしている時、動かなかった時計が直った時。姉さんすごく嬉しそうにしているじゃないですか、それを楽しみにしちゃいけないんですか?」
「あれは、頑張ったら加奈ちゃんが褒めてくれるから。お仕事頑張ったねって、背中を流してくれるからやってるの。別に時計なんて直らなくても困らないもん」
「どこまで重症なんですか。もう、いい加減に怒りますよ?」
姉さんが私のことをどれだけ愛してくれているかなんて、今更聞かなくても知っています。説明されなくても、ずっと見ていますよ。その気持ちにちょっとでも応えたいから、私も頑張っています。姉さんの愛には届かなくても、私だって好きを届けているんですよ?
それに、背中を流しているのは忘れない為です。姉さんの背中の傷、私をかばってくれた傷。それを見ることで忘れないように、気持ちが折れないようにしているだけです。姉さんだって、本当は嫌なんじゃないですか? 背中の傷のせいで水着が着られない、服装も大きく制限される。そんな日々に嫌気がさしていたりはしませんか?
「怒られるのは嫌だけど、背中を流してもらえないのも嫌だよ。ねぇ、一緒に入ろうよ。一緒にいようよ」
「無理ですよ。二人で入れるだけのスペースはありませんよ。ね? 先に入って綺麗になって下さい。私の姉さんは美人なんですから、土埃に汚れているだなんて勿体ないですよ」
家から離れるほど、姉さんは幼さが加わっていく。それがなぜなのか、細かいことは分かっていないけれど、巻き込まれた物語の影響が少なからずあるのでしょう。思い出したくない過去、私達家族を襲った忌まわしき童話。それは解決されることなく閉じてしまい、私達に大きな傷跡を残しました。
それを解消する為には、あの童話を解決するしかありません。解決することによって過去のトラウマを乗り越え、強くなる。それが生き残った上でこの場に立っている、私たちの役目です。
「むぅ、加奈ちゃんズルいよ。お姉ちゃんがソレに弱いの知ってるでしょ?」
「事実ですから。少しは自覚してもらわないと、結構大変なんですよ?」
アンティークが引き起こす事件は、特殊だ。人数を費やしたところで解決出来る保証はなく、また物語が閉じてしまう前に解決する必要がある以上、捜査は迅速に行わなければいけない。あっさりと言ってしまえば、警察が通常通り捜査をしていたのでは、解決する前に物語が閉じてしまう。被害者は一切救われることがなく、閉じてしまった物語の情報は傷跡からしか読み取れない。
なによりも、どこかで再び事件が起きてしまうのを許してしまうことになる。被害者を増やし続け、悲しみを拡大させることになる。
別に縁もゆかりもない人が泣いていたところで、私の心は動かない。可愛そうだとは思うけれど、助けられるだなんて傲慢なことは考えない。その時、私の中に存在するのはアンティークに対する怒りと、その熱を原動力とする悲しみの持続だけ。
本来、童話というものは読み聞かせるものであり、教訓とするべく存在する。物語として言い聞かせることにより、分かりやすく覚えやすくなる。そういったプラスの物だったはずなのに、誘い人によって全てがひっくり返されてしまった。
人間のために存在していたはずの物語が、存続の為に歪みながら人間を取り込んでいく。自らを保つ為のエネルギー源として人間を取り込む。それは正しい形ではない。物語を作った、作者の思いを踏みにじる許してはいけない行為だ。彼等がどういった考えの下でアンティークを作り、日本各地にばら撒いているのかは分からない。分かりたくもない。
幸せな家庭を壊し、笑顔を奪うようなものを作る。そんな人達のことなんて分からなくて良いんだ。
「加奈ちゃん、難しいこと考えてない? お姉ちゃんと話しながら、難しいこと考えてるでしょ?」
「……夕食に出てくるのが、お肉かお魚か。そのどちらであるかを予想しているだけですよ」
考えていることを、そのまま口に出すような愚行は犯しません。対応が幼いとはいえ、私の姉さんです。どんなことに気付いてしまうか、私を危険から遠ざける為にどんな行動に出てしまうか、予想も出来ないのですから。不用意に口にするようなこと、しませんよ?
効率と安全性を無視してしまえば、事実として姉さんはこの事件を一人で解決するのも不可能ではないでしょう。傷まみれになって死んでしまうかもしれません。それでも姉さんなら、一人で解決してしまうのでしょうね。そんな危険なこと認めるつもりはありませんが、仮に私が口に出してしまったら、許可を出してしまったら今すぐにでも駆け出してしまうのでしょうね。
姉さんは素直ですから、私がお願いをすればその通りになろうとしてくれますよね。怖いものから、危険なものから私を守ろうとしてくれます。それはとても頼りになることです、とても嬉しいことです。でも、同時に寂しいことでもあるんです。傍にいるのに支えることさえ出来ない、一緒に傷つくことさえ認めてもらえない。とても寂しいです。
「そっか。それなら、お姉ちゃんはお風呂に入ってくるね」
「ええ、しっかりと温まって下さい」
「今の季節なら風邪はひかないよ? 加奈ちゃんは心配性だね」
お風呂場へと消えていく、見慣れた笑顔。姉さんは気付いてしまっているのでしょうね。私が何を考えて、その中で負い目を感じていることに。守られている存在だと、そう感じていることに。
それは心の負担へと繋がります。出来ることならば、気付かないような鈍感さを手にして欲しいものです。
けれど、願っているものが叶わないのは私も知っていますから、これも口に出したりはしませんよ。願いは通じることはなく、嫌な形で成就する可能性がある。それならば何も望まず、全てを自分の手で組み上げていきましょう。努力で積み上げていつか届くように、堅実な未来を求めます。
さしあたってはこの不可解な事件、どうにかしてしまいましょうか。
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