Act.0019:ほら見ろ! ほら見ろ! ほーら見ろ!

 正義を愛していた父は、何事にも厳しかった。

 しかし、同時に優しさがあった。

 人々の上に立つ貴族として、そして警務隊で地域統括管理官という大職につく者として、他の人々を守ることに喜びを感じるような人だった。

 安寧の中で暮らす人々を見る父の顔は、満足げで穏やかだったのを覚えている。

 そんな父が大きな手で頭を優しく撫でながら、私によく言い聞かせてくれた。


「アラベラ、許す心をもつのだ。罪を憎んで人を憎まず。これは大事なことだ」


 それこそが、父の座右の銘。

 罪人を見ても、まずなぜそのような罪を犯したのか調べ、そしてできる限り更生の道を進ませようと努めていた。

 幼かった私にとって、そんな父は絶対であり、憧れであり、自慢であった。


 だが、橙の空に季節外れの羊雲が現れたその夜。

 父の想いが裏目にでた。


 その者・・・にとって、「許す」とは、侮辱の行為だった。

 その者・・・にとって、「寛容」とは、嫉妬の対象だった。

 その者・・・にとって、「思いやり」とは、哀れみの別名だった。

 その者・・・にとって、「優しさ」とは、おごりそのものだった。


 激憤のためか、眼窩から発火したように眼球は充血していた。

 表面は曇り濁って、なにも正しく視ようとしていない。

 その者・・・にあったのは、ただの嫌悪と狂気のみ。


「ほら見ろ! ほら見ろ! ほーら見ろ!」


 その者は男らしい豪腕で両刃の片手剣を握り、足下の物体へ言葉に合わせて何度も突き刺した。

 グシャ、グシュと、そのたびに不快な音がして、その物体がビクンッと跳ねる。

 だが、それは単なる反動。

 朱殷しゅあんに染まった床に転がる物体には、魂など抜けてなくなっている。

 自ら動くことは、もう二度とない。


「ママ……マ……ママ……」


 私の目の前で、もともとママだった胴体は千切れかかっている。


――グシャ、グチュ


 横に飛び散る液体と、なにか体から出てきた紐状の物。

 なにあれ? わかんない……。


――グシャ、グシュ


 うつ伏せに倒れているのに、顔は斜め上を向いている。

 ママ、こっちを見て……。


――グシャ、グチュ


 目玉が落ちるほど見開き、なにかを叫ぶように開いた口。

 ママ、辛いの? 苦しいの?


――グシャ、グシュ


 ママ、返事を――。


――グシャ!!


 あ。ママの首が転がった。

 長い髪が巻きついて、顔がよく見えないよ、ママ。

 もともときれいな栗色の髪だったのに。

 今は真朱しんしゅに染まっている。


 あれ?

 どうして?

 いつも通り、おうちで夕飯を食べていただけなのに。

 ほら。

 テーブルにはまだ、湯気の立つスープが残っている。

 アハハハハ……おいしそうだよ!

 早くみんなで食べようよ。

 ねぇ、ママ?

 そうだよ、パパも……。


「きっ、きさ……ま……」


 床に座りこむ私。

 転がる、ママの頭。

 剣を持つ男。

 その足に這いつくばりながらつかまるパパ。

 額からの血が、片目を開けられないぐらい流れている。


「娘だ……けは!!」


「……うっせーんだよ!」


 男がパパを蹴り飛ばす。

 私は「パパ、大丈夫!?」と聞きたい。

 でも、目も口も体も、すべて固まったように動かない。


「見ろよ、ほら! 偉そうに偉そうに偉そうに言ってても、お前は這いつくばっている! てめーの妻なんてただの肉の塊だ! 見ろよ! てめーらなんて、おれとかわらねぇ……いいんや、おれより下だ!」


 男に愉悦が浮かぶ。

 楽しそう。

 なんで楽しそうなの?


「なにが許してやるだ! なんでお前ごときがおれに偉そうに言うんだよ! お前もおれをバカにしていただけだろう! どうせおれのことなんて、気にとめてなかった! 見てなかった! カスだと思っていた! それなのに、おれのことを考えて? 許してやる? 何様だよ!」


 怒った。

 怖い……怖い……。


 あれ?


 怖いの、私?


 だって、ママは殺されて、パパも……今、首に剣が突き刺さった……。


 もう、パパも返事をしてくれない。

 もう、頭を優しく撫でてくれない。


「ほら、死んだ! おれのこと下に見ていたくせに、おれに殺されたんだ! ばーか!」


 男はまた少しずつ含み笑いを始める。


「くっくっく……どーせおれなんて、幸せになれない! 偉くなれない! くっくっ……誰にもかまわれない! 生きててもしかたないんだろう? そうなんだろう!? あははは……ならさ、殺しちゃえばよかったんだよ!」


 男は私を遥か頭上から見下ろした。


「なあ。お前のパパは『許す』ってさ。これでも偉そうに許すって言うのかね? 言わないよな、死んでるしさ! ……あはははははははははははははははははははははははは!!」


 耳に残る笑い声。

 掲げられる剣。


「誰にもかまわれない、こんなおれのことなんて、殺しちゃえばよかったんだ。バカだよな、お前のパパはさ。偉そうにお説教して生かしたから、こんな目に遭う」


 ……ああ。そうか。

 わかった。

 やっとわかったよ、パパ。


 悪い人は・・・・死にたいんだ・・・・・・


 だから、悪いことをするんだ。

 だから、生きている限り悪いことをするんだ。


 パパは・・・まちがえたんだ・・・・・・・


 悪い人は・・・・助けちゃいけないんだ・・・・・・・・・・




 私の記憶は、いつもそこで暗転する。

 その後、たまたま訪れてきた父の部下が、犯人を殺害して私を助けてくれた。

 気がついた私は、たぶん少し精神的におかしくなっていたのだと思う。

 しばらくは、両親の死をまるで他人事のように感じていたのだ。


 私は、父を慕っていた人たちに助けられながら、多くのことを学んでいった。

 そして、警務隊に志願した。

 家系のよさもあったが、知識でも実践でも成績は首位を守り、異例の速さで昇進していった。

 管理職になってからも、私は次々と成果をあげていった。


 悪を許さぬことを正義と決めて。


 無論、四阿に転属してきても、そのポリシーがぶれることはない。

 特に四阿警務隊は、かの【四阿の月食】で屋台骨は倒れかけていた。

 それなのに、所長代理はとんでもない楽天家ときている。

 だからこそ、私は今まで以上に厳しく対応することにしたのだ。



「――納得がいきません!」


 そのためなのか、反発も多かった。

 山賊退治の時、命令通り処刑しなかった隊員の2人を実働部隊からはずし、裏方に回すことにしたのだ。

 そのうちの1人が、すぐさま申述してきた。


「貴様が命令通りに山賊を殺さなかったから、怪我人がでたんだぞ! わかっているのか!」


 その隊員は、白旗をあげた山賊数人を殺さずに捕らえることにした。

 ところが、それは逃げるためのだまし討ちだったのだ。

 結果、別の隊員の1人が傷を受けてしまう始末。

 幸い傷は浅かったが、命令違反がなければ、この怪我はなかったはずだ。


「確かに私のミスもありました。しかし、白旗をあげた者を殺すなど……」


「その甘い判断が事故を生んだ! 悪党は生かしておいてもしかたない! 貴様は警務所に残って事務仕事をしているがいい!」


「くっ……」


 その隊員が、私を睨んだ時に見せた眼球の色。

 それは濁り曇った……両親を殺した男と似た、身勝手な色をしていた。


 まちがいない。

 この作戦を敵にもらしたのは、あの隊員だ。

 いや。そもそも彼は、最初から山賊とグルだった可能性もある。

 なにしろ、彼は名誉挽回と山賊のアジトの情報をとってきたにも関わらず、「仕事が合わない」と警務隊をやめてしまったのだから。


 あの濁った瞳を見た時に、気がつくべきだった……――。



「――……?」



 アラベラはゆっくりと覚醒する。

 淡い光が岩肌を照らしだしている。

 そこは、見覚えのない洞窟の中。


「気がついたか?」


 凛とした女性の声が響く。

 それはアラベラの知っている声。

 ゆっくりと横を見ると、黒いタイトなスーツ姿。

 先ほどは暗闇でよくわからなかったが、黒いなめし革のショートジャケットが大きな胸を無理やり包み、漆黒のミニ・フレアスカートで腰を飾っている。

 そして、その頭は獅子を模したマスク。


「へ――」


「獅子王! もう言わせん! 胸元も腰もちゃんと隠してるだろう!」


「……いやいや。むしろ、よけい変態っぽいぞ」


「……え?」


「…………」


「……マジ?」


「最悪」


「…………」


 アラベラは命の恩人に、いきなり精神的大ダメージを与えたのだった。

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