第2話

 ・一色桃は裁縫が得意である。

 ・一色桃には双子である姉と、青という弟がいる。

 ・そのどちらも、かなり手を焼いている。


「ただいまーっ! 桃ねえいる?」

 家に帰るなり、青は即座に姉の一色桃の部屋へと突き進んでいく。

「桃ねえ、開けるぞ」

 そう言って開けるなり、すぐに開けなきゃ良かったと思った。


「くくく……待っていたぞ」

 全身黒ずくめの姿で、桃は口角をにいっと引き上げて笑う。

「今こそ、我が眷属となるのだ……青くん」

「あ。キャラづくりしてても『くん付け』なんだ」

「はああああ……っっ!」

 青のツッコミを誤魔化すように、桃が右腰の辺りに両手をかざして声を上げる。見たところ魔女のような格好だが、やっている仕草はかめ○め波のそれである。

「わたしのっ! 全身全霊のありったけで……あなたを撃つっ!」

 なにそのすっげー面倒臭いフリ。

 青は目の前の桃を見ながら、すっと右手を持ち上げると、

「……俺は、今から桃ちゃんが使う技の“百倍強いヤツ”を放ちます」

「……なぁっ!?」

 びくんと桃が身を仰け反らせる。

「そ、そんな……まさか青くん……ア、アレを修得したと言うの!? 古より伝わる……冥界王ハーデスから授かった極炎魔法――」

「はい行くよ。どーん」

 最後まで言わせることなく青は桃に向かって手をかざした。

「ぎにゃあああああ…………っ」

 そんな悲鳴をあげながらもたもたとその場を回転して、桃はゆっくりと床に寝そべった。

 青は引き攣った笑いを浮かべた。よりにもよって肝心の桃がこんな感じでは、写真代を要求するタイミングが全然掴めない。

「とりあえず勝手にペンを借りるとするか」

 そう思って桃の部屋の中に侵入し、机の方へと向かう途中でその足を桃に掴まれる。

「ま、まだ……だ……」

「え? うそ。まだ続くのこれ?」

 思わずそんな言葉がぽろりと口からこぼれてしまった。

 まずい。

「…………っっ!」

 ぷるぷると黒装束の小さな身体を震わせ、三角帽子の奥からきらりと涙らしいものが光ったところで、青は桃に取り繕う言葉を全力で探した。

「あ。あーっ! こほんっ! ……ふふふっ。しぶとく生き残っていたか……『ピーチ』よ」

 誰が聞いても信じられないほどにダッセぇネーミングだと思ったけれども、それでもちょっとだけ声を低くして青がそう言うと、桃は一瞬だけぱぁっと明るい笑顔を見せ、

「くっ……まだよ。わたしの右手は、もう使い物にならないけど……っ、まだ……っ」

 そのまま左手だけでなにやら目の前に五芒星をようなものを切ってみせる。

「わたしには……っ! まだ秘策があ――」

「はい。これ身体を貫くやつね。どーん」

「あああああああああああ、ひにゃああああああああっっ!」

 がくっと崩れ落ちる桃を最後まで確認してから、青は机の中のボールペンを取り出した。

 これなら太さも申し分ない。

 さらさらと桃が大学で使っていそうなレポート用紙に試し書きをしてみたところで、

「……ぐぅっ! さ……さすがは青くんね……今のでわたしの右半身を貫くなんて……」

 桃がまたしても青のズボンの裾を掴んだ。

 もはや、しぶといなんてレベルじゃねぇぞこれ。つか右半身貫いても死なないとか。

「でも……っ! でもまだあるの……最大にして禁忌とされてきた、わたしの魔力を根こそぎ奪ってエネルギーにする、そんな幻の呪術方式が――」

「はい。これ、全身をばらばらの分子にしちゃうビームね。えい。びーっ」

「それ反則じゃないのっ!?」

 涙目で両肩を揺さぶる桃。ようやくあっちの世界から帰ってきたらしい。

 そんな風に思いながら、青は桃の手を払ってボールペンを見せると、

「桃ねえ、これちょっと借りるね」

「……別にいいけど、何に使うの?」

「履歴書書くのに使うんだ」

「り、れきしょっ!!」

 青の言葉に、心底驚愕したかのごとく壁にべたんと両手をつける桃。

 勢い余って三角帽子の片方をずり落とさせながら、

「青くんが……あのゲームしかしない青くんが……履歴書とか。普段はネットゲームをしながら『やっぱ時代はリアルマネートレードだよねー』とか『バイナリーオプションとか楽勝でしょ』とかうそぶいていた……あの青くんが、自主的に仕事を始めようとするなんて……それもこの年の暮れにっ!」

「短期のアルバイトだけどね」

「お……お刺身にたんぽぽ乗っける仕事、とか?」

「近からず遠からずと言ったとこだな。そんなわけで頼みごとがあるんだけど」

「頼みごと?」

 三角帽子を正しながら、桃が首を捻る。

「証明写真がいるんだ。五百円貸して欲しい」

「なあんだ。そんなこと」

 桃がクローゼットを開ける。そこにはいつものコスプレ衣装がごっそりと山のように積み上げられていた。

 一体どれくらいあるのだろうか。

「おさいふ、おさいふー……っと」

 大学が冬休みに入ってからというもの、桃が外に出た記憶はおそらく青が思い出す限りでは一度もない。単位は取れているらしいので、もしかしたら知らん間に出て行ってるのかも知れない。大方、大学に着ていった私服の中にでも突っ込んだままで完全放置だったのだろう。

「あれぇ? どこにいったんだろう?」

「かばんの中とかじゃないの?」

 衣類の山からにゅっと顔を出した桃に青はそう告げる。

 よく見るとクローゼットの中を探検したせいで、桃の頭に三角帽子にピンクのブラジャーが巻き付いているではないか。

 いくら弟といえどもそういう無頓着なところはどうなのだろう。

「桃ちゃん、ブラジャー頭についてる」

「あ。ホントだ」

 恥ずかしそうにえへへと笑ってみせるけれども、それほど気にもしていないようである。

 実際のところ、青自身も特にそれを見て何を思うこともなかった。風呂に入る時に、姉二人の下着など腐るほど見ているのだから。

 他人はあれこれ思うのだろうが、普通に共に暮らしていると姉弟間にいわゆるエロス的なものを感じることは、少なくとも青自身にはまったくと言って良いほどないと、そうはっきりと断言することが出来る。

 なんというか、前提としてまず有り得ないのである。

 それにまだ桃は良いとして、もう一人の双子の姉である赤に至っては「こいつホントに女かよ」と言いたくなるほどのヤツなのだ。

 幼少の頃からずっとそんな姉たちを見続けている青にとって、彼女らの下着はおろか、仮に全裸を見たところでもそれほど興奮はしないだろう――とまぁ、兄弟の現実とやらをこんなところで長々と連ねる理由もないのだが。

「かばん、どこいったのかなぁ?」

 しかし一転、他人の目からすれば桃なんて言うのはどうなのだろうか。

 顔に関して言えば姉弟という間柄もあって素直に評価は出来ないのだが、少なくともブサイクではないだろうし、性格もコスプレしたままキャラ作りをするという趣味さえ除けば、それなりに穏やかで優しくて愛嬌もある。我が家における家事全般もそのほとんどをこの桃がやってのけているわけだし、モテないわけがないと思うのだが。

「なぁ、桃ちゃん」

 思いきって青は尋ねてみることにした。

「桃ちゃんって、大学でモテたりしてないの?」

「しないよー」

 ようやく見つけたかばんの中を漁りながら桃はそう答える。

「なんでそんなことを聞くの?」

「男の人に近付こうとしないから」

「そうかな?」

「そうだよ。なんで?」

「うーん。なんか臭いもん」

 身も蓋もねえ……。

「あっ。青くんは別だけどね。でも時々臭いよ? ちゃんとお風呂だけは入るようにね」

 そう言って立ち上がる桃の手には財布が握られていた。どうやらちゃんと見つけたらしい。

 桃は財布の中から千円札を抜き取ると、

「細かいのがなかったからこれで。お釣りは後でちゃんと返してね」

「おっけーっ!」

 青は両手でそれを受け取ると、さっそく桃の部屋を飛び出して出かけることにした。確か証明写真の機械が一番近いところは駅だったような気がする。そんなことを思いながら、履き古したスニーカーに履き替えようとしたところで、

「あ。帰りに糸を買ってきて欲しいな」

 桃が自室から顔だけを出して青に告げる。

「糸?」

「うん。これを渡してくれればお店の人もわかるとおもうから」

 そう言ってすいーっと床に紙のメモを滑らせる。青はそれを拾い上げると、スニーカーに履き替えて玄関を出た。

 外まで出てから、もう一人姉の存在を思い出した。あれだけ口やかましいヤツが今の間に現れなかったということは外出中だろうか。

「あいつにはバイトのこと内緒にしておくか……」

 後で桃にも口止めしておかなきゃな。絶対面倒臭いことになるから。

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