カラフル
黒井日花
第1話
・一色青はニートである。
・一色青には二人の姉が居る。
・そのどちらも、そこそこに手を焼いている。
つまり我が輩はニートである。
職歴はまだない。
「はぁ~……」
今日もファミレスで親友の藤原と二人でタウンワークを眺める日常。
「なぁなぁ青。こんなのどう? 『ブラックじゃない飲食店のバイト、ここで人生を変えてみませんか?』ってある。時給八百円」
「ブラックじゃないと書く時点で正直ブラックすれすれだし、たかが全国チェーン店の飲食業一つで人生が変わるって、一体どんな衝撃が待ち受けてるというんだそこは。んで何屋だ?」
「カレー屋」
なるほどヒンズー川を見た気分と同じだってわけかよふざけるな。
心の中で、棒読みかつ一呼吸でそう突っ込む青。
「青、カレー大好きじゃん?」
「自分でよそったカレーは大好きだが、どこのわからん奴によそわれたカレーは大っ嫌いだ」
「それって飲食業全否定じゃん」
「飲食業を否定しているわけじゃない。こうして飲んでいるドリンクバーも別にファミレスのサービスを否定しているわけじゃない。ただお前の言う『カレー好きじゃん?』という言葉を、ただ漠然と否定したんだ。仕事もやる気はある。けど働くのは好きじゃない。それだけだ」
「そりゃ、ボクだって働くのは嫌いだけど」
「まだ齢十八の俺に早くも奴隷になれというのかこの社会は。仮にもこちとらニートという名の高等遊民なのだぞ? ひょんなことで身分を明かせば、たちまちドン引きの身である高等遊民それこそが俺なんだ。大体、このファミレスの代金はどこから出てると思ってる?」
「ボクの財布から出てるね」
「そう、お前の財布からだ。ふっふ」
「自信満々に言うなよ」
せっかく顔を上げて指までさしてやったのに。そう思いながら苦笑いする藤原を見て、青は再び気分を害してその場に突っ伏した。
「……ところでなんでいきなりバイト?」
「あ?」
顔を上げる。
「だから。なんでいきなりバイトなんてやる気になったの?」
「お前な、」
「はい?」
「さっきブックオフ行ったろ? 俺の買い取りレシート見ただろ? いくらだったと思ってるんだ。我が財産、臓器に例えるなら盲腸を一つ切除したくらい重い、我がコレクションが一体なんぼでハンマープライスしたと思っているんだ貴様は? え? 言え。言わんと殺す」
「えーっと……いくらだっけ?」
どうやら本気で忘れているらしい。
藤原はいつもそうだ。藤原は他人の財布事情をいちいち詮索しない。
先ほどは冗談めいて高等遊民などとフかしてみた青だったが、この藤原は正真正銘の高等遊民なのだ。家が大層金持ちなもので「働いたら負けだと思っている」を地でいっている存在だ。
一九九九年の四歳の誕生日に、なぜかノリタケの子供用食器十セットをもらったクソ野郎。
くたばれノストラダムスだバカ野郎。ちなみにそのノリタケの食器は、五歳の誕生日が来る前にはそれら全てを割ってしまったらしい。粉々である。世も末だ。実際に世紀末だったが。
んなことはどうでもよく、
「……三千円だ」
青は絞りきった声でそう告げる。
「え、今なんて?」
おまけに藤原は、よくこうして人の話を聞き返すクセがあった。
きっと今ここにサイコパスな殺人鬼がやってきて「あなたを今から刺します」と言いだしても、コイツは絶対「え、今なんて?」とか言いながら聞き返すだろう。そうして刺されて死ぬ。
要するに、藤原はなんとも言えぬほど至極普通で、真っ当な、現代メンズなのであった。
「三千円だ三千円。俺の大切なマイコレクションであるナトリちゃんの、それも一万五千円もしたドールが、たった三千円だ。買った額の五分の一なんだよ。未開封なのに」
「へぇ。五桁もあった価値が、時の狭間の中で緩やかに風化していったんだねぇ」
むず痒いポエムのようなことを抜かす藤原。マジクソ。
「時の狭間とか、んなことはどーでもいい。とにかく俺は今、全っ然金が無い! 来月でもあり来年でもある一月十日。その日に発売するゲームを買えないんだ! どうしても欲しいやつなのに、買えないんだぞ? 高等遊民であるはずのこの俺が!」
「……ところでその高等遊民って言葉、流行ってるの?」
「別に流行ってない。繰り返すことで惨めになりそうな自我をとりあえずどうにかしている」
「ふーん」
「とにかくこのままではゲームが買えない。だからバイトをする。出来れば短期が良い。それも、べらぼーに世の中を舐め腐っているような、指先一つでダウン出来る北斗神拳のようなバイトをだ」
「そんなのあるかなぁ」
言ってみただけなのに、それなりにマジっぽく探してくれる藤原。
半笑いなのが少々気になるが、こんなところでいちいちプライドなんぞ気にしていられない、と青は思う。
現在の日本時間は十二月の二十六日。昼の十二時を切ったところだ。
既に発売日まで一ヶ月を切っている。
実のところ、ゲームソフト自体の値段はそれほど高くない。先ほどブックオフで錬金術したこの三千円と、一番上の姉に土下座でもして数千円借りれば十分に買える額のものだ。
だが、青がやりたいそのゲームをやるためのゲームハード機。
それが今朝方、一番上の姉貴の不注意によってぶっ壊されてしまったのである。
だからゲーム機も買わなければならない。出来れば同梱版のシリアルナンバーが入っているヤツが欲しい。おそらくセット価格で三万円くらいだろうか(※新品値段)。
そんなことを思いながら青は、半笑いのままぺらぺらとタウンワークを眺めている藤原のコーラに、ドリンクコーナーで拝借したコンデンスミルクを黙って注いでいると、
「あっ。あるよ。あったよ青!!」
と、一瞬腰を浮かせて喜び、その勢いのまま自らのストローに口をつけた。
「あれ。このコーラ。なんだかすっごくマズくなってるような……甘ったるい、というか」
「そんなことより藤原。本当にこの世の中を舐めきり腐ったようなバイトがあったのか?」
半分、というか九分九厘ジョークのつもりで言ったものだったのだが、
「うん。指先どころか、指も使わないよ」
意外にも藤原はさらりとそんな風に言ってのけた。
これにはさすがの青も目玉をひん剥いて、
「うそ!? 指も使わないの?」
「うん。ついでに手も使わない。使いたきゃ使ってもいいくらい」
「手も使わないのか!?」
他に使うところといえばなんだ?
逆に意地になって考える青。やがてはっとしたように顔をあげて、
「は……鼻の穴はどうだ!? ある意味でこの部位は、俺のとっておきの場所でもあるのだが」
「何言ってるのキミ」
真面目な顔で藤原にそうツッコまれた。
急に素になるなよコンチクショウ。
「使うのはここ」
そう言って、藤原はのど仏を指し示す。
「…………声?」
「そう。声」
そうして広げられたページを青が覗き込む。
それは、スーパーマーケットのおせち販売のアルバイトであった。とにかく売れた数で勝負。年末三日間の間に出来うる限りの声がけをして、売れた数がそのままノルマとして支払われるといったもの。もちろんそれに加え、日給八千円もアリ。
「こ、こんな美味しいバイト……果たしてこの不景気の世の中に存在していいのか……っ」
たまらず青は絶句した。フルタイムではあるが決してノルマがあるわけでなく、おまけに直行直帰で、最寄りの勤務地は家から歩いて二分である。
「藤原。お前、いつもバカそうな顔をしてるが、実はなかなかに優秀なヤツだったんだな!」
「青にはそういう言葉、言われたくなかったな」
こういうことを言っても怒らない藤原が好きだ。愛してる。
そんなことを青が思っていると、
「ボクもやってみようかな」
「あん?」
「いや。青がやるならボクもやってみようかなって。社会勉強みたいな感じでさ」
「ふふん、まぁ別に構わないだろう。貴君がそれほどやってみたいというのであればね!」
ニコニコ顔の藤原をよそに、青はタウンワークを掴むとそれを高々と掲げながら言った。
「タウンワークよ……。俺は貴様の存在を一目確かめたときからずっと、その表紙のネズミに模したクソキモマスコットに殺意を抱いていた。だが、今を以てしてその好感度は千葉県遊園地のマスコット以上に高まってきているぞっ! ぬはっ。ぬわはははっ!」
「ボクは豚だと思ってたけど。それより履歴書書かないとね」
言われるまでもない。コンビニで履歴書を買おうと青がその場を立ち上がると、藤原は先ほどまで青が手にしていたタウンワークの一部をびりりと破って、
「知ってる? これ履歴書ついてるんだよ」
「おおっ!」
テンションが上がって、ついついそんなしょうもないことでも感動してしまう。したり顔の藤原を見ながら、青はその場にもう一度座り直し、履歴書を丁寧に破り取ったところで、
「そうか……しまった」
と額に手をついて首をかくんと下げた。
「写真がいるんじゃねーか……」
それにボールペンだ。写真代も合わせて二番目の姉から金を借りられないかと青は思う。
「
「さっきの三千円使いなよ」
「馬鹿者めっ! 貴重な三千円を、こんなとこで無駄に出来るか! ぼけっ!」
青は藤原に挨拶も告げずに立ち上がると、そのままファミレスの出口まで猛突進していく。
「やっぱここはボクの奢りだったんだね」
そんな青の後ろ姿を眺めながら、藤原は笑みを崩さずに立ち上がった。
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