第129話 人々戦争⑤
【朱の騎士】ベルレルレンは目を覚ました。
どこも痛くない。
【火炎山の魔王】ガランザンの一撃で死んだかと思ったが、自分は本当に悪運強くできているようだ。
と、そこでベルレルレンは気がついた。
自分が横になっているのは【珊瑚の女王】イオナの膝の上だ。
「あ、これは失礼」
「……我が妹の騎士殿」
イオナ女王は息も絶え絶えという様子であった。
なにがあったのか、頬はこけ、瞳の色は薄く、肌には艶が無いどころか水分が全くないように見える。
死相が全身から見て取れた。
「イオナの女王。どうされました!」
「……私は貴方の質問には答えられません。しかし私は貴方に三つ質問があります。時間がないので、速やかに答えなさい」
「はい」
状況も理由もわからないが、一刻を争うことだけはわかった。
イオナ女王は死にかけている。
そしてその死すべき者の質問に、ベルレルレンはこれから答えなければならない。
「私は生まれて初めて嘘をつきました。我が妹、レィナス姫は、私の嘘を許してくれるでしょうか?」
「許します、間違いなく」
一瞬のためらいもなく、ベルレルレンは答えた。
「安心しました。貴方が言うなら、たとえ許さなくとも、許すでしょう」
イオナ女王は難解な言い方をした。
ベルレルレンには意味が良くわからなかったが、聞き返す余裕はなさそうなので、ただ頷いた。
「二つ目の質問です。私はこの生涯をマーメイド族と、神に捧げてきました。そこの後悔はありません。ですが…………。それ以外の幸福を知りません。女性としての幸福を。私は得る資格はあるでしょうか?」
あります! と即答したくなる気持ちをベルレルレンは飲み込んだ。
今、必要なのは、そういうことではない。
ベルレルレンはそこで、愛する【太陽の姫君】レィナスを思い出した。
レィナス姫は魔王と相対しており、何か話し合っている。
都合のいいことに、背はこちらに向いていた。
「イオナ女王。実はお話がございます」
「なんでしょう?」
「わたしは初めてお会いした時から、珊瑚の女王をお慕い申し上げておりました。強く、美しく、気品と誇りに満ちた女王を想い、日々を過ごしてきました。もし女王が許されるのであれば、わたしが女王を幸せにしたい」
「……ふふ」
イオナ女王の瞳から、よりいっそう色素が抜けた。
もう何も見えていないかもしれない。
「では私と結婚してくれますか? 生涯、私を愛してくれますか?」
「はい。生涯変わらぬ愛をここに誓います」
そこに嘘はない。
今だけは。
ベルレルレンはあらん限りの情熱を持って、イオナ女王の唇を奪った。
博愛でしか触れたことのない唇に、初めて男性が触れた。
唇には生命力はなく、まるで枯れた木の樹皮のようであった。
「旦那様……」
「なんだい、イオナ?」
イオナ女王はそのおままごとのようなやり取りに、僅かに目を細めた。
照れているのだろう。
死が間近に迫っていても、今まで男性を寄せ付けなかった彼女にとって、気恥ずかしさは強い。
「最後の質問です。私はマーメイド族が心配です。とてもとても心配です。私がいなくなっても、彼らは大丈夫でしょうか?」
質問にもなっていない嘆きを、イオナ女王は口にした。
「大丈夫です」
「なぜそう言い切れます?」
「……実は女王は知らないでしょうが、とても優秀なマーメイドの若者がいるのです。その者は女王よりも強く、優しく、信心深く、おまけに知恵もある。女王がいなくとも、マーメイド族は安泰です」
「そんな者がおりましたか?」
「はい」
いるわけない。
いないことは、誰よりもイオナ女王が知っている。
そのあからさまな嘘を知って、なおイオナ女王は聞き返した。
「ではもう、私は必要ありませんか?」
「ありません」
「もう私を頼らなくても、マーメイド族は大丈夫なのですね」
「はい」
「安心しました。……とても重い荷物を、今ようやく降ろせた気がします」
イオナ女王から最後に残っていた力が抜けた。
「それは良かった。もう心配することは何もありませんよ」
「そうですか。しかし、寂しいものですね」
「ですからこれからは、わたしと楽しく暮らしましょう。子供もつくりましょう。わたしは三人くらい欲しいです。遅すぎることはない。皆が祝福してくれます。毎日毎日、楽しいことばかりですよ」
「はは」
イオナ女王は何かを言いながら微笑み、頷くような素振りをした。
ベルレルレンにはそれが、手招きをしているのだとわかった。
手を動かすことがもうできないのだ。
「なんでしょう?」
ベルレルレンはイオナ女王の口に、耳を寄せた。女王もう小声で話すことしかできない。
「……騎士殿」
掠れるような、絞り出すような声であった。
「はい」
「うそつき。……ありがとう。貴方に感謝と祝福を……」
女王は目を瞑った。
ベルレルレンは二人目の妻となる女性に、死別の接吻をした。
《花は色で彩られ、真実は嘘で彩られる。懸命に生きた彼女の旅立ちに、白いだけの真実で送り出すなんて、そんな寂しいことは出来ない。できる限りの花を添えよう。彼女が愛されていた事実に、嘘はないのだから》
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