第128話 人々戦争④

【珊瑚の女王】イオナは、【太陽の姫君】レィナスを送り出した。そして愛用の巨槍を杖にして立ち上がった。


 これほどまでに体が重いのは初めてだ。


 全身がずっしりと重い上に、背骨がとてつもなく痛む。


 激痛を押して、イオナ女王は倒れている【朱の騎士】ベルレルレンに近寄った。


「目覚めなさい。【朱の騎士】ベルレルレンよ。貴方の愛する者が、貴方が立ち上がるのを待っているのですよ」


 イオナ女王の声に、ベルレルレンは反応しなかった。


 騎士の肌は真っ青であり、唇が紫色に染まっている。


「……」


 イオナ女王は唾を飲み込みながら、ベルレルレンの胸元に耳を当てた。


 ベルレルレンは鎧を着ていない。にもかかわらず、心臓の音がしなかた。


 イオナ女王は目を瞑り、深く息を吸った。


 呼吸を調べ、脈を取り、唇の色と舌を見て、再度、心臓の鼓動を胸に耳を当てて調べる。


 脈、呼吸、生気、どの角度から見ても、ベルレルレンは死んでいた。


 彼の魂は、もう身体には残っていない。


 だがイオナ女王は諦めなかった。


 レィナス姫とベルレルレンの結びつきは疑いようがない。


 ここで彼の命を散らしてしまうわけにはいかない。


 むこうでは【火炎山の魔王】ガランザンに対し、一歩も引かずレィナス姫は睨み合っている。


 いずれ戦いが始まるだろう。


 そして必ず、レィナス姫は勝利して帰ってくるだろう。


 彼女を迎える者は、ベルレルレンでなければならないのだ。


 イオナ女王は空を仰いだ。


「神よ。我らマーメイド族を守る父よ。お願いがございます」


 神に仕える司祭であるイオナ女王の声に、神は応じなかった。


 しかし諦めるわけにはいかない。


「神よ。なにとぞお声をお聞かせください」


「……」


 気配はするが、声が聞こえない。


「神よ。この世の万物を神がお作りしたのであれば、今日この戦争、この戦場で世界は終わるかもしれないのです。この戦場にマーメイド、人間、エルフ、トロール、ドラゴン、ゴブリン、全ての者が戦いました。しかしながら神よ。未だ貴方だけはおりません。なにとぞお声を」


「……【珊瑚の女王】イオナよ」


 神の声が聞こえ、イオナ女王は安堵した。


「神よ。感謝します。そしてこの勇敢な騎士の命をお救いください。この者は未だ、死すべきではございません」


「だめだ」


 イオナ女王の願いを打ち砕くように、神は冷徹に言った。


「なぜですか?」


「我が子よ。この騎士は私を信じていない。この騎士は人生の全てを自身の力と、他人の力と、運命のみを信じてきた。この者の心に、私への信仰は一欠片もない」


 神はイオナ女王の願いを退けた。


 本来ならばここで続く言葉はない。


 だが女王はさらに食い下がった。


 イオナ女王は激痛を押さえ込んで大地に伏し、偉大なる神に頭を下げた。

「何卒。この騎士の心に信仰はないかもしれません。しかし不敬を承知で、神に一言だけお聞きしたいことがございます」


「なにか?」


「神は……」


 イオナ女王は自身の言おうとしている言葉のあまりの無礼さに動悸を覚えながらも、神罰を甘んじて受ける覚悟を持って言った。


「……神はご自分を信ずる者しか、お救いにならないのでしょうか?」


「なんと?」


「神はご自分を信じない者であっても、救いの手を下さるほどに寛容ではないのですか? 神はこの世界の全てを愛しておられる、絶対の存在ではないのですか?」


 イオナ女王の言葉に、神は黙った。


 無視されたのかとイオナ女王は思ったが、それは違っていた。


 神には一つだけしこりがあった。


 かつて心から神への助力を望んだトロールたちがいた。


 山が噴火して、神しか頼れる者がなくなったトロールたちである。


 神はその祈りの声を無視した。


 それが神には気に掛かっていた。


「我が子よ。不敬の極みである」


 しばしの沈黙の後、神は厳かに言った


「申し訳ございません」


 がっくりとイオナ女王は肩を落とした。


「しかしながら、我が子よ。お前が今まで積んだ善行は無視できぬ。よって有るモノを無きモノへ移し変えることは許そう」


 神の難解な言葉を、イオナ女王は一瞬で理解した。


 と、同時に飛びついた。


「かまいません。お願いいたします」


 イオナ女王は神への祈願を行い、最後の奇跡を起こした。




《私が神を信じる理由は、神ならば私では助けられない者ですら助けてくれると信じているからです》

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