第130話 人々戦争⑥

【火炎山の魔王】ガランザンは右手の様子を確認していた。


【朱の騎士】ベルレルレンに切られた傷には、先ほど傷薬を塗った。


 腹心であるエルフ、【林冠】パヌトゥが調合した塗り薬は、その効果を遺憾なく発揮していた。


 血管からとめどなく出ていた血は、すでに完璧に止まっている。出血多量で死ぬことはなさそうだ。


 だが剣を握ろうとしても力が入らない。


 神経の傷はそう簡単には治らないのかもしれない。


(あと一人だ)


 ベルレルレンは倒した。


【珊瑚の女王】イオナは動くことはできないだろう。


【太陽の姫君】レィナスを倒せば、この戦争は魔王軍の勝利となる。


(勝って、どうするのか)


 まずはパヌトゥと、【悪喰】ルーシャムの生死を確認せねばならない。


 助けられるのなら、助けたい。


 その後は、またあくなき殺戮を再開となる。


(いつまで?)


 死ぬまでずっと……。


 イオナ女王となにやら話していたレィナス姫がやって来た。


 レィナス姫は大きく深呼吸して、ガランザンに語りかけた。


「お待たせした」


 正々堂々とした、まさしく太陽の異名に恥じない立派な戦士であった。


「……お前は鎧を脱がなくていいのか?」


 その顔があまりにも眩しく、ガランザンはつい意地悪な質問をしてしまった。


「必要ない」


「そうか。ならば始めるか」


 ガランザンは左手だけで大剣を担ぎ上げるようにして構えた。


「あ、待て。魔王よ、戦う前にわたしは謝っておきたい」


 レィナス姫が手を上げた。


「なんだ?」


「わたしは実は、三人がかりでお前を囲めば楽勝だと思っていた」


「うむ」


 一般的な戦術で考えるなら、人海戦術は当然の帰結だ。イオナ女王が戦えるとは思えないが。


「騎士として恥すべき行為だ。申し訳ない」


 レィナス姫がぺこりと頭を下げた。


 ガランザンはどう反応していいか迷い、結果何もせずにその謝罪を見ていた。


「贖罪として、わたしはここに誓おう。三度目の正直だ。今日、わたしはお前を叩き潰す!」


 レィナス姫、ガランザンには見せ付けるように鉄球を振り回した。


 レィナス姫がガランザンと戦うのは、これで三回目だ。


 初めは死人戦争の時。


 二度目は魔王軍による侵略戦争の時。


 レィナス姫の大見得を聞き、ガランザンは思わず目じりを緩めてしまった。


「くふ」


 口元から、笑いがこぼれ落ちる。


「何が可笑しい?」


「いや、なにも可笑しくない。お前は正しく、トロール族の戦士たちの理想像だ」


 太陽に突き刺さる峰の如く、強く、麗しく、逞しい。


「わたしに出会ったトロールは、みんなそう言った」


「そうか」


 当然だろう。彼女こそトロール族の理想が具現化した姿だ。そこに異論があるはずない。


「お前もそう思うのか」


「……」


 ガランザンは気恥ずかしくて返答しなかったが、沈黙は肯定と取られてもおかしくない空気であった。


「なら、お前に言っておく」


「なんだ?」


「お前も少しは、わたしを見習え」


 レィナス姫がなんと言ったのか、ガランザンは判断が一瞬遅れてしまった。


 そしてその言葉が理解できたとき、ガランザンは大笑いをしてしまった。


 高笑いであったが、相手を小ばかにする意味も、嘲笑する意味もない。


 ただひたすらに面白く、腹の底から笑いがこみ上げてしまった。


「つくづく失礼な奴だ。なぜ笑う。何が可笑しい?」


「全てが」


「全て? わたしは間違っていないぞ」


「ああ、その通りだ。お前は正しい。だから可笑しい。こんな愉快なことは初めてだ。もし、仮に、万が一の機会があれば、俺はお前を見習おう」


「ふん。ではそろそろ始めるか。行くぞ!」


 ガランザンが緩んだ顔を引き締めると、レィナス姫は攻撃を仕掛けた。


 ガランザンはレィナス姫の攻撃を楽々とかわした。


 だが反撃しようにも、左手だけでは大剣を自在に振り回すことはできない。


 ガランザンはレィナス姫と、慎重に距離をとる。


「逃げるな!」


 レィナス姫の攻撃はいよいよ激しさを増した。


「……強くなったな」


 ガランザンは静かに言いながらも、驚嘆していた。


 死人戦争の時の姫君ならば、片手でおつりが来るほどの実力差であるはずだ。


 あれからガランザンは強くなったはずだが、レィナス姫も強くなっている。


(だが、甘い)


 決定的な戦闘力の差を、ガランザンは見抜いていた。


 慎重に距離を保てば、レィナス姫が疲労した瞬間、大剣が彼女の胴を真っ二つにするだろう。 


「お前は強くなった。だがここで死ぬ。遺言を聞いてやろう」


 優れた戦士に言葉を残すのは、その者を倒した更に優れた戦士の義務である。


「ふざけるな! 勝つのはわたしだ」


「くく」


「代わりにお前の遺言を聞いておいてやる」


 この負けん気の強さ。


 まさしく若いトロールそのものだ。


「悪いが遺言など考えたことがない」


 ガランザンが答えた。


「わたしもそうだ!」


 レィナス姫はそう叫び返した。


「ならば今考えろ。俺もすぐに考える」


「わかった、ええと、よし考え付いた」


「言え」


 期待できそうもないと思いながら、ガランザンは言葉を促した。


 だが彼女の生還を待っている人間たちに、真の勇者であった彼女の言葉を繋げねばならない。


 遺言を聞いた者は、更に頑強にガランザンと戦おうとするだろう。


 それをこそ魔王の望むところでもある。


 レィナス姫は汗がにじみ出る額を乱暴に拭いながら、その言葉を言った。


「お前が、心配だ」


 レィナス姫はなんでもない風であった。


 真剣に言葉を選んだ様子もない。


 誰宛とも言わない。


 ただ一言だけ、呟くようにそう答えた。


 そしてその一言は、劇的にガランザンの心を動かした。


(あなたが、しんぱい)


 過去の忘れがたい、忘れたい、忘れようもない記憶が、脳裏で何度となく繰り返される。


 ガランザンの動きが止まった。


 思考が数十年前の故郷の山へと戻り、目を見開いたまま、微動だに出来なくなる。


 歴戦の戦士となったレィナス姫が、その気を逃すはずがなかった。


 レィナス姫は渾身の一撃を振るった。


「む!」


 ガランザンは慌てて思考を戦闘に戻し、レィナス姫の鉄球を受けようとした。


 だが出来なかった。


 ベルレルレンに切られた右腕が動かず、大剣を素早く動かせなかったのだ。


 鈍く強烈な一撃が、ガランザンのわき腹に炸裂した。


 尋常ならざる耐久力を持つ魔王の体には、一撃では致命傷になりえない。


 一撃では。


 しかしガランザンのわき腹には、【暴君竜】カーンに騎乗したイオナ女王の放った、必殺の一撃が刻み込まれている。


 レィナス姫の攻撃は、その傷跡に正確に直撃していた。


「ぐはぁぁあ!」


 それはガランザンが魔王として行動を始め、初めて上げた悲鳴であった。


 耐え切れずに片膝をついたガランザンに、再度、レィナス姫が強烈な攻撃を加える。


 そこからは息をつく間もなかった。


 レィナス姫は一気呵成とばかりに鉄球を振るい続け、ガランザンを滅多打ちにした。


 もはや戦況は、覆しようがないほどにレィナス姫にとって有利になっていた。


「【火炎山の魔王】ガランザンよ、遺言を述べよ!」


 今度こそ本当に勝利を確信したレィナス姫が、堂々と仁王立ちしてガランザンに聞いた。


 ガランザンもまた、それを認めざるを得なかった。


 始めての、戦闘での敗北である。


 そしてそれは最初で最後となるだろう。


「【太陽の姫君】レィナスよ。お前の夢は何だ?」


 ガランザンの問いに、レィナス姫は鉄球を振り上げたまま、少しだけ考えた。


 高い空には、渡り鳥が見える。


 遠い山から、故郷の山脈に帰っていくのだろう。


 レィナス姫の視界にはまったく入っていないだろうが、ガランザンはなぜか感慨深い心境で山に帰っていく鳥を眺めながら、レィナス姫の言葉を待っていた。


 しばらくして、ようやくレィナス姫が答えた。


「わたしの騎士と一緒に、幸せに暮らすことだ」


 ガランザンは記憶に残る風景を思い出していた。


 脳裏に広がる、過去の豊かな山脈。


 緑の山々。


 一族たち。


 将来を誓った少女。


(俺もそうしたいと思っていた……)


 だがそれを口に出すわけにはいかない。


 ガランザンには魔王としての宿命がある。


 魔王に付き従ってきた者への責任がある。


 たとえ敗れても、魔王として死ななければならない。


 故郷を失った哀れなトロールなどに、今更、戻ることは許されない。


「理解できんな、人の子よ」


「お前には、この世界の素晴らしさがわからないのか」


「くく、わからんな。では遺言を言おう」


「……ああ」


「この世界に欲がある限り、魔王はまた現れるだろう。魔王は一人ではないのだ。恐怖は永遠に続くのだ。怯え震えながら、つかの間の平和を祝うがいい」


 ガランザンは笑いながら言い切ると、静かに目をつぶった。


 我ながら陳腐な遺言だと、ガランザンは思った。


 本気できちんと遺言を考えておいたほうが良かったと、後悔すら残る。


 パヌトゥに考えさせれば、後世に残るような名文句を考えてくれたかもしれない。


 いや、だめか。


 また「魔王様が負けるはずがありません!」とか大げさに叫んで、考えることにすら反対するだろう。


「そんな……」


「ん」


「……そんな悲しい目をしながら、世界を呪うな。未熟者め」


「……」


 レィナス姫の言葉にも、ガランザンは目を開くことはなかった。


 しばらく後。


 振り下ろされたレィナス姫の渾身の一撃がガランザンの頭骨を砕き、ガランザンの目が開かれることは永遠になくなった。


 人々から歓声が上がり、戦争は終結した。




《この世界に祝福を。私も貴方も彼も彼女も、幸福になる自由が欲しかった》

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