第124話 魔王の処刑場
【火炎山の魔王】ガランザンはたった一人となっていた。
残っていた手勢のゴブリンも、死ぬか逃げ去るかしてしまった。
一方、【珊瑚の女王】イオナの軍勢は依然として健在である。
指揮官のイオナ女王、彼女の跨る【暴君竜】カーン、部下のマーメイド、トロールたちも深手を負ってはいるが逃げ出したりはしていない。
そこに【隻腕王】ジョシュアの軍から敗残した騎士たちも合流した。
長大な槍を持つイオナ女王が、ガランザンに向けて言った。
「私はこれから、貴方に最後のお願いをします。心からの願いです。貴方には是非、はいと答えて欲しい」
「……」
「もし私の望みを叶えてくれるならば、わたしは神の名において、貴方の命と名誉を守るでしょう」
イオナ女王の宣言に、ガランザンは答えなかった。
しばらく待った後、何も答えないガランザンに対し、イオナ女王は哀願するように言った。
「降伏してください。貴方はよく戦いました」
静寂がその場を支配した。
ガランザンを包囲する誰もが、彼は降伏などしないであろうと確信していた。
だがイオナ女王はあえて聞いた。
彼女なりの、愛の体現でもある。
沈黙を続けていた魔王が、ようやく口を開いた。
「女王よ。お前とは心の底から、分かり合えないようだ」
「分かり合えませんか?」
「俺にとって、ここで死ぬことと降伏することは同意義だ」
「悲しいことです」
イオナ女王が悲しげに目を伏せた時、何かが風を裂いた。
矢であった。
空間を突き破るほどの強弓は、【暴君竜】カーンの長い首に突き刺さった。
「ギャ!」
まったく予想していなかった攻撃を受け、カーンは暴れた。
その瞬間を逃さず、ガランザンは動き出した。
ガランザンは巨人とは思えぬ俊敏さでその場から離れ、自分を囲むマーメイドの軍に襲い掛かった。
「マーメイドよ。愚昧なる民よ。その無知の罪により処刑する」
魔王の大剣が暴風雨のように荒れ狂い、進む先からマーメイドの首を跳ね飛ばす。
「なんという!」
イオナ女王は怒り、驚き、暴れるカーンの背から、魔王を槍で突いた。
ガランザンは振り向きざまにその槍の先端を、大剣で思い切り叩いた。
火花散る衝撃。
長大な槍は縦に真一文字に割れた。
「な、な、な!」
槍が折られることはあっても、縦に割られることなどありえない。
イオナ女王はあまりの驚きと、手に残る衝撃に震えた。
魔王は止まらない。
全身から汗を噴出し、呼吸を荒れさせながらトロールたちに駆け寄る。
「トロールよ。荒々しき民よ。その粗暴の罪により処刑する」
ガランザンは傷ついたトロールの兵団に踊りかかり、トロールたちを次々に切り殺した。
ガランザンはもはや汗も血もわからぬ有様になりながら、騎士たちに向き直る。
「人間よ。愚直なる民よ。その貪欲の罪により処刑する」
ガランザンは騎士たちの鎧ごと、兜こと叩き割り、次々と殺していった。
魔王は全身を揺らしながらも、瞳だけはギラギラと輝かせ、逃げ出したゴブリンの背に向けて言った。
「ゴブリンよ。我が国民よ。我が国民たる罪により処刑する」
ガランザンは大剣で地面を抉り、石礫としてゴブリンを撃ち殺した。
カーンを襲う矢が十七本に達したとき、ようやく首を狙う矢の攻撃は止んだ。
そして魔王を囲んでいたはずの兵士たちは、残らず屍をさらしていた。
あまりの暴虐に、臆病を捨てきれぬカーンは恐怖した。
「ひ」
カーンに、ガランザンが近づいて来る。
魔王の全身は、返り血で赤く濡れていた。
体からは湯気のように汗が噴出し、血が汗と混ざり合い、赤い蒸気となって魔王の体にまとわりついていた。
怯えるカーンには、それがこの世ならざる者の纏う瘴気に見えた。
「引きなさい、カーン」
イオナ女王が手綱を引くが、カーンは動けなかった。
「ドラゴン族のカーンよ。臆病なる者よ。その怯懦の罪により処刑する」
ガランザンが言った。
カーンは全身を震せ、涙を流さんばかりに恐怖した。
「逃げてもよいのです。あとは私に任せ、貴方は逃げなさい」
イオナ女王が優しくカーンの背を撫でた。
「女王よ。偉大なる女王よ。俺は恐ろしい」
「よいのです。誰も貴方を責めません」
だがイオナ女王の言葉に、カーンは首を振った。
「恐ろしい。怖くて仕方がない。だが、逃げたいのではない。もう一度だけ、魔王に立ち向かえる勇気をくれ」
カーンはかつて確かに、魔王と戦うと言った。
その言葉に、後悔はあっても嘘はない。
後悔だって、したくはないのだ。
そのためには勇気がいる。
イオナ女王は頷いた。
「それでこそ、ドラゴンです。空の王です。海の女王として、貴方には慈愛ではなく、勇気を差し上げましょう」
イオナ女王は真っ二つに割れた槍の片方を、鞭のようにしならせてカーンの背を打った。
強烈な痛みが、カーンの魂から恐怖心を追い出し、体が動けるようになる。
「ゆくぞ【火炎山の魔王】ガランザンよ。かつての借りを、返してやる」
カーンは首に突き刺さった矢をそのままに、ヒューヒューと苦しげな音を鳴らしながら、ガランザンに向けて突進した。
イオナ女王もまた、半分となった槍を構える。
「いざ、決着をつけましょう」
イオナ女王はガランザン、そしてカーンの二人に向けて言った。
ガランザンも大剣を構え、迎え撃つ。
土煙が上がる中、巨大な塊が正面から衝突した。
小山のごときドラゴンの突撃。
騎乗するイオナ女王の槍は、ガランザンの脇腹を貫いた。
深手だが、致命傷ではない。
ガランザンの大剣は、カーンの左前足を分断していた。
「ぐぐぅ……不覚」
カーンが苦しげに呟いた。
自重の慣性に耐え切れず、カーンは前のめりに倒れた。
カーンの背から、イオナ女王も転げ落ちてきた。
「マーメイドの女王よ。優しき者よ。他者を堕落させる罪により処刑する」
ガランザンは落下してくるイオナ女王に対し、大剣を振りかぶって投げつけた。
轟音とともに回転しながら飛んでくる大剣。
まともに当たれば、イオナ女王とて生き残ることは出来ない。
「!」
落下しているイオナ女王は、大剣を避けられないことを素早く察し、その柄の部分にわざと身体をぶつけて刃の直撃を避けた。
柄の衝撃に吹き飛ばされ、そのまま受け身も取れずにイオナ女王は地面に落下した。
腰を地面に打ち付け、深刻なダメージを負ったが、しかしなんとか生きている。
苦痛に顔をゆがめながらも、イオナ女王は何とか立ち上がった。
よろめきながらもカーンに近寄り、起き上がることもできないドラゴンの頭を抱いた。
「偉大なる女王よ。力及ばず、役にも立たぬ俺を許してくれ」
「貴方はよくやりました。見事な勇気でしたよ。しばしお休みなさい」
イオナ女王が鯨の骨で作られた巨槍を手に持ち、ガランザンに向き直った。
ガランザンもまた、投げつけた大剣を回収した。
そして新たなる来援もやってきた。
「珊瑚のお姉様、遅くなりました」
【太陽の姫君】レィナスと、【朱の騎士】ベルレルレンであった。
その二人を見て、ガランザンはカーンを撃った弓矢が、どういう状況で放たれたかを理解した。
「……ばか者め」
ガランザンは忠実すぎる腹心、【林冠】パヌトゥのことを静かにそう評した。
こうして、かつて死人戦争の折にまみえた英雄たち四人が、再び戦場で会いまみえる事となった。
《お前は罪人だ。俺がそう決めた》
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