第119話 バケモノ戦争⑦
【太陽の姫君】レィナスと、【朱の騎士】ベルレルレンが率いる義勇兵の部隊は、戦場の後方にいた。
その部隊に急報がもたらされたのは、太陽が天頂に達した頃である。
「ジョシュア王が撤退しただと?」
「はい、ジョシュア王は戦場にて負傷。やむを得ず撤退したとのことです」
連絡員の話を確認してもなお、ベルレルレンは信じられなかった。
【隻腕王】ジョシュアは負傷による撤退という行為に最も縁遠い。
死の目前まで引かないはずだ。
いや。もしかすれば死んでもなお、魂がその場に踏みとどまるかもしれない。
それ程の精神の持ち主である。
「誤報ではないのか?」
「間違いありません。近衛のギャラック様が指揮を引き継ぎましたが、部隊は混乱しており……」
「急報! ギャラット様が戦死しました。敵の司令官は【悪喰】ルーシャムです」
新たな悲報がもたらされた。
もはやジョシュア王の近衛騎士団は半壊したに等しい。
作戦では、ジョシュア王の軍が足止めしている間に、イオナ女王とレィナス姫の軍が魔王を囲い込んで討ち取るはずだったのだが。
「作戦は瓦解しましたな」
敵の援軍は二手に分かれている。
片方はまったく無傷。
もう片方も近衛騎士軍の残兵を倒しきれば、自由に動けるようになる。
「姫君、ここは重要な局面ですぞ」
「わかっている。で、どうすればいい?」
レィナス姫は頭脳労働を全てベルレルレンに丸投げした。
この期に及んでは、ベルレルレンもそれを咎めることはしない。
レィナス姫には軍略の才能はなく、努力はしたが一片の花も咲くことがなかったのだろう。そういう努力もある。
「極めて、極めて難しいですが。我々が全てをやらねばなりません」
ベルレルレンは冷静に状況を判断しつつ言った。
すでに軍隊として自由に動ける部隊は、レィナス姫の率いる義勇兵団しかいない。
「うむ」
「部隊を二つに分け、片方が【悪喰】ルーシャムの軍に突撃。片方がもう一つの敵の援軍に突撃……」
そこまで言ってみて、ベルレルレンは首を振った。
これでは勝てない。
そもそもレィナス姫の義勇兵団は、軍勢としてはさして強くない。
また個人の武力では、ベルレルレンは一度、ルーシャムに敗北している。
しかもこの軍の役割は敵の援軍をくい止めることではなく、【火炎山の魔王】ガランザンにとどめを刺すことなのだ。
引き分けや損害の大きい辛勝では、負けも同然である。
「……失礼。これでは勝てません」
「そうか」
勝てる可能性が少しでもある方法は、もう一つしかない。
「我々の全軍で、ルーシャムの軍に突撃するのです」
「それでは敵の援軍が、魔王と合流するのではないか?」
「イオナ女王の軍勢にはもう一人、英雄がいます。彼を頼りましょう」
「……ピクラスか」
【樹海の苗】ピクラス。エルフ族の生んだ稀代の大天才。
マーメイドの軍勢を破った軍略家にして、レィナス姫の親友である。
「彼ならば戦場の変化と、我々の行動をみて、自分の役割を的確に理解するはずです」
「そういうものか?」
「敵の動きをみれば一目瞭然。私でもわかったことです。彼にわからないはずはない」
「わたしには、わからなかったぞ」
「それはそれでよいのです。その為に、わたしがいるのですから」
ベルレルレンの最後の言葉に、レィナス姫は顔をほころばせた。馬を近づけ、ベルレルレンの胸を手の甲で軽くたたく。スキンシップのつもりなのだろう。
「ふふ。お前はわたしの右腕のつもりか?」
「そう望まれるのであれば」
「ならば、わたしはお前の右腕になろう。夫婦とは、そういうものだとお父様から聞いた」
レィナス姫は、ベルレルレンから少し離れた。
「姫君、作戦は?」
「お前の言う通りでいい。わたしはその方面は弱い。【悪喰】ルーシャムの軍を、できるだけ早く倒せばよいのだな?」
「その通りですが、油断は禁物です。あやつは強いですよ」
ベルレルレンは隻眼となった。先の戦で、片目をルーシャムに奪われたのだ。
「心配するな。これから凄い事をやってやる」
「はい?」
「賢く強いお前でも、出来ないことだ」
「……何をなさるおつもりで?」
レィナス姫はベルレルレンを見ながら、いたずら好きの少女のように微笑んだ。
「お前はわたしに、惚れ直すぞ」
レィナス姫はさらに馬を一歩進めて、その手を高く挙げた。
周囲の兵士たちがそちらを向く。
雑談をしている兵士も何事かと黙り、次々と兵士たちがレィナス姫を見た。
そして全軍が何の命令もないまま、レィナス姫をじっと見つめた瞬間。
まさに一瞬だけ、その空間に一切の音がなくなり静寂が支配した時。
レィナス姫が叫んだ。
「聞け!」
透き通った声であった。
その声は風を裂き、まるで従軍しているものたち全ての心に訴えかけているかのようであった。
「現在、友軍はことごとく苦境にある。だが心配することは何もない。我らの国を救うのは他の軍ではない。我々なのだから!」
兵士たちは、我々という言葉を噛み締めていた。
自らの手で国を救うという義務感と使命感で、体が高揚していくのを感じる。
「わたしは太陽の姫である。天に輝く光である。燃え上がり続ける炎である。我が国を照らす太陽である!」
木霊して響くレィナス姫の声に呼応し、興奮を抑えきれない兵士たちから歓声が上がった。
救国の英雄と讃えられている姫の声を聞き、気持ちが高ぶらない兵士はいない。
義勇兵のほぼ全てが、彼女とともに戦いたくて戦場に馳せ参じたのだから。
「諸君もこれから、わたしとともに熱き太陽の一部となるのだ!」
兵士たちはその声を聞き、魂の活力が血管を通じて体中にみなぎるのを、感じていた。
もはや歓声は怒号のごとき咆哮になり、戦場中に響いていた。
「魔王もゴブリンも関係はない。全てを燃やす炎となれ!」
兵士たちは体中に湧き上がる高揚、情熱、興奮に耐え切れず、荷物を投げ捨てて武器だけを手に持った。
「全軍、灼熱の光となりて突撃せよ!」
「ウォォォォォォォオ!」
大気を震わす雄叫び、地響きのごとき轟音とともに、レィナス姫の軍団は動き出した。
そのことごとくが全力疾走。
ルーシャムの軍に向かい、全員が夢中で突撃していく。
「姫君は」
ベルレルレンは馬を走らせながら言った。
「人を勇者に変える天才ですな」
《その声は鉄と血と炎の味がする。その声を鼓膜で味わって、正気でいられる者はいない》
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