第108話 エルフの暴論
【樹海の苗】ピクラスはうな垂れていた。
長老会において、【太陽の姫君】レィナスのいる人間の国に援軍を送る提案をしたのだが、その説得は悉く論破された。
完璧に論破された精神的な打撃と、親友であるレィナス姫を助けることの出来ない自責の念が、ピクラスを苛んだ。
(万論がつきたか。親友よ。レィナス姫よ。私は不甲斐のない男だ。もはや君の親友たりえる資格は無い)
ピクラスに親しい、まさしく長老と呼ぶに相応しいほどに老いたエルフ長老が、彼の肩をたたいた。
ピクラスを諦めさせ、緊急長老会議を終了させようとしているのだと、会議出席者たちは考えた。
しかしその老エルフの意図は異なっていた。
「で、お前はどうしたいのだ?」
「……」
『友達に頼まれては、断れないな』
そうレィナス姫は言ってくれた。
頼みごとをするばかりの自分を、助けてくれた。
その彼女に対して、自分は何が出来るのか。
ピクラスは顔を上げ、再び声を上げた。
「長老たちよ。誰がなんと言おうと、たった一人であろうとも、私は人間族を助けに行くぞ!」
これには他の長老たちも驚いた。
ピクラスはエルフ族の誇る最も優秀な学者であり、発明家であり、指導者である。
彼が発作的に森の外に出ていって、どこかの戦場で野垂れ死ぬことは、エルフ族の未来に深刻な悪影響を及ぼす。
しかもエルフ族はもう人口が増えないのだ。
一人の天才が死ぬことは、エルフ族から永遠に天才が一人死ぬ事と同意義である。
「待てピクラス。冷静になれ」
「それは論理的ではない。合理思考を思い出すのだ」
「感情を発露するだけならば、赤子にもできることだぞ」
「心の天秤を忘れるな」
今度は攻守逆転して、長老たちが言葉を尽くしてピクラスを説得しようとした。
しかしピクラスは頑として引かず、同じ言葉を言い続けた。
「なんと言われようと、私はレィナス姫を助けに行く。もう決めたのだ!」
「なんということだ。理論が通じぬ!」
長老たちは唖然として言葉を続けることが出来きず、果たしてピクラスは森を出ていくこととなった。
紛糾した長老会議から数日がたった。
ピクラスが森を出て、平原へと向かう出発する日がやってきた。
会議の日に樹海の苗の肩を叩いた老エルフが、ピクラスの見送りにきた。
「ピクラスよ。長老たちは誰もお前の暴論を支持はしていないぞ」
「わかっている。彼らが正しい。誠に申し訳ない」
頭を下げるものの、ピクラスの決心に一切の揺るぎはない。
たった一人でなにができるかはわからないが、自分の知恵と知識と知略が役に立つ場面もあるはずだ。
「論理ではなく、お前はレィナス姫を助けようとしているのだな」
「うむ。その通りだ」
「だが我々はエルフだ。理論なくしてはありえん」
老エルフが合図すると、ウッドウォークの大群が森から出てきた。
「ウッドウォークはお前の発明品だ。しかし森の外でどれだけ戦えるかは、今をもって不明である。テスト運用の必要があるので、連れて行ってくれ」
「……いいのか?」
これほどの数のウッドウォークを再度作ることは、莫大な労力を要する。
無駄に使い潰してよい数ではない。
「長老会の承認はとっている。あくまで平原での運用試験だ。試験責任者は、開発者であるお前が相応しい」
「すまん。ありがたく頂戴する」
ウッドウォークは大きな袋を持っていた。
「これは?」
「森の外での試験では必要となることもあるだろう。持って行け」
袋には黄金が一杯に詰め込んであった。
エルフ族が人間族との交易によって得たものだ。
人間の街では、絶大な力を発揮する。
ピクラスは涙ながらに礼を言いかけたが、長老はそれを止めた。
「理論的に正しい判断を根拠に取った行動だ。礼を言われる筋合いはない。涙もいらん。お前も返答はエルフ的にしてくれ」
ピクラスは少し考えて、改めて礼をした。
「必ず生きて帰り、戦争の趨勢と、ウッドウォークの運用実績と損耗、黄金の使用用途を子細に記した報告書を提出する」
「うん。それでいい」
「年をまだぐ場合は中間連絡を森へと送る」
「わかった。誰もお前の無謀を認めていないが、しかしそれでもお前はエルフだ。エルフ以外の何者にもなれん。心に天秤を忘れるな」
老エルフに見送られ、ピクラスは人間の街を目指して出発した。
《理性が感情を超越した時、暴論は正論を叩きのめす》
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