第105話 珊瑚と真珠

 マーメイドを統べる【珊瑚の女王】イオナは、【太陽の姫君】レィナスからの手紙を受け取り、涙を流した。


 手紙には、レィナス姫の母国が魔王軍の度重なる攻撃を受け、滅亡の危機にあることが記されていた。


 イオナ女王は、レィナス姫がこれほど追い込まれるまで気づくことができなかった自分を恥じた。


「過ちは正せます。正せばよいのです」


 イオナ女王は至急、マーメイドの国民たちを集合させた。


 なにごとかと集まったマーメイドたちに、女王は言った。


「私の妹で、マーメイド族の恩人でもある【太陽の姫君】レィナスが、魔王軍に攻められて危機にあります」


 マーメイドたちはざわめいた。


 それらの雑音を、手を振ることで収めて、イオナ女王はさらに続けた。

「かつてレィナス姫は自らの生命を賭して、我々を助けてくれました。今度は我々が彼女を助ける番でしょう」


 イオナ女王はそう宣言して、マーメイド軍の出兵を宣言した。


 だが大規模な兵士はすぐには動かせないので、連れて行ける兵士の数は少ない。


「カーン、あなたはどうします?」


 小山ほどもあるドラゴン、【暴君竜】カーンにイオナ女王は話しかけた。


「魔王か。再びあいつと戦うのは恐ろしいな」


「そうですか」


「恐ろしいくて仕方がないが、偉大なるイオナ女王が魔王に害されることの方が、我は恐ろしい。同行する」


「貴方は未だに、何でも怖いのですね」


 イオナ女王は微笑をもってカーンを同行者に加えた。


 カーンの背には鞍が乗せられた。


 そして沈没船のマストを転用して作られた、長すぎる程に長い槍を準備した。


 世界で一つだけ存在する、ドラゴンに騎乗して戦う為の武器だ。


 巨大すぎて無双の戦士であるイオナ女王にしか使えない。


 その頼もしさにマーメイドたちは狂わんばかりに歓声を上げた。


 だが一人だけ、そんなイオナ女王に反する意見を述べた。


「女王様、俺は反対です」


 それは一介のマーメイドの兵士であった。


 名前をテスラという。もちろんイオナ女王は兵士のすべての顔と名前がわかるので、彼が何者であるかすぐに解った。


「テスラよ。それはなぜです?」


「人間の国の為に、マーメイド族が傷つくのは間違っています」


「貴方の言葉は確かに正しいです。しかしレィナス姫は、かつて我々を助けてくれたのですよ」


「イオナ女王に万が一のことがあれば、取り返しがつきません。人間の国が救えても、マーメイドの国が滅びてしまいます」


「それは身勝手というものです。テスラよ。一歩前に出て、右の頬を出しなさい」

 テスラは言われた通りに進み出て、顔を上げて頬を差し出した。


「恩返しをすることも出来ない、その不義理なる心を正して差し上げます」


 イオナ女王は、テスラの右頬をはたいた。


 テスラは猛烈な勢いで吹き飛び、二回転して床に倒れた。


「再び聞きます。我らは人間の国へ助力に向かいます。異存はありますか?」


 誰もがテスラが意見を取り下げると思い、また取り下げることを望んだ。


 しかしテスラの意志は固かった。


「女王様はマーメイド族の王です。人間族の王ではありません!」


「なんという狭量。今すぐ立ち上がり、左の頬を出しなさい」


 テスラは起き上がり、イオナ女王の前に進み出た。


 右頬は青あざとともに晴れ上がっており、口からは血が流れている。


「マーメイド族のことしか考えられない、その偏狭なる心を正して差し上げます」


 イオナ女王はテスラの左頬をはたいた。


 テスラは先ほどと同じように、左に三回転して吹き飛んだ。


「我らは人間族とともに、魔王軍と戦います。異存はありますか?」


 もう口を開くな、黙って頷け、そうマーメイドの兵士たちは望んだ。


 だがテスラがその期待に応じることはなかった。


「マーメイド族は……」


 テスラは瞬間的に気を失い、言葉がつかえたが、何とか意識を取り戻して続けた。


「……マーメイド族は、マーメイド族の為にあるはずです」


「頑固とは貴方の為にある言葉です。今すぐ立ち上がりなさい」


 テスラは立ち上がり、イオナ女王の前へと進んだ。


 右頬、左頬ともに腫れ上がり、顔はまるでは河豚のように膨れていた。


 もう一度叩かれたらテスラは死ぬ、居並ぶマーメイドたちは漠然とそう考えた。


「両腕を出しなさい。貴方に枷をはめます」


 マーメイドの兵士たちは安堵した。


 牢屋送りならば、イオナ女王が意見の反する者を殴り殺す場面をみないですむ。


 だがその枷は、意外なものであった。


 イオナ女王は自身の頭上にある王冠をはずし、テスラの両腕にのせた。


「私よりも器量が狭く、しかしマーメイド族を第一に思える貴方に、この枷をはめましょう」


「女王様、これは?」


 どこからどう見ても、マーメイド族を統べる者のみが頭上に乗せることを許される王冠である。


 史上、【珊瑚の女王】イオナの頭以外に、その王冠が鎮座された例はない。


「この枷はこの世界で最も堅く、最も重い枷です。貴方は誰よりも多く学び、私がいない間、この国を導きなさい。貴方は誰よりも勇敢であり、私がいない間、この国の先頭に立って戦いなさい」


 そこまで言うと、イオナ女王は遠征に連れて行かないマーメイドたちに告げた。


「皆はこの者に従いなさい。この者は……【真珠の代行者】テスラです。この者は私とは異なる道を歩く者ですが、しかし私と同様にこの国を愛しております」


 珊瑚と真珠は、美しさでは異なるが、しかし美しいと言う点では同一だ。


 マーメイドの兵士たちは、【真珠の代行者】と名付けられたテスラに平伏した。


 イオナ女王はテスラの髪を撫でた。


「しばらく貴方に冠を預けます」


 テスラは目をぱちくりとしたが、恭しく王冠を受け取った。


「ほんの僅かな間、お預かりいたします」


 イオナ女王は少数の兵士と、カーンをつれて人間族の住む大平原へと向かった。




《貴方は人を守りなさい。私は世界を守ります》

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