第104話 姫君の奇策

【朱の騎士】ベルレルレンは、魔王軍の【悪喰】ルーシャムとの戦いで深手を負った。


「右目は完全に潰れております。視力が戻ることはないでしょう」


 医者の見立ては、聞くまでもなかった。


 ベルレルレンの額から唇まで、一直線に顔を切り裂く深い傷がついている。


「左目があるからいい」


 遠近感がつかめなく不便でだが、なくなったものはどうしようもなかった。強がりは慣れている。


 治療する彼のもとへ、【太陽の姫君】レィナスが見舞いに来た。


「どうだ傷の……」


 と、そこでベルレルレンの顔面に刻まれた目立ちすぎる傷を見て、レィナス姫の言葉が止まった。


 じっと相手の反応を伺うように、ベルレルレンも黙っている。


「……なかなか男前になったな」


「そう言われるとは思っていませんでした。傷は男の勲章、少々大きめの勲章を頂いたということで、いいでしょう」


 ベルレルレンはそれでこの深手の話を終わらせた。


 司令官であったレィナス姫に謝られるのは、戦った騎士にとって何より辛いことだ。謝られなかったことが、逆にベルレルレンにとっては救いであった。


 そして話題は、王国の現状の話へと移る。


「状況はかなり厳しいらしい」


「そうですね」


 魔王軍は刻一刻と迫っている。


 だが王国にはそれを止める兵力はない。


「お兄様から献策を頼まれた」


 知力に難のあるレィナス姫の作戦を頼るとは、よっぽどジョシュア王も追い込まれているのだろうと、ベルレルレンは考えた。


「それで姫君はなんと答えました?」


「作戦なんてまるで思いつかないと言った」


 思わず殴りたくなるような、惚れ惚れする程の思考放棄である。


「ジョシュア王は呆れたでしょう?」


「いや。2、3日ほど考えて欲しいと言われた。あとその席で、お前の見舞いを勧められた」


 つまりベルレルレンに相談せよと言うことだ。


 真意はまったくレィナス姫に伝わっていないが、命令には忠実にレィナス姫はやってきたわけだ。


「でも見舞いはわたしも来たいと思ったから来たんだぞ。お兄様から言われて来たわけではない」


 レィナス姫は検討外れに弁解がましいことを言ったが、それは聞き流してベルレルレンは考えた。


 ジョシュア王は間接的に、療養中のベルレルレンに意見を求めた。


 ベルレルレンにはこれに答える義務がある。


 だがさすがにこの状況を逆転させる手段は、経験豊富な彼にも思いつかなかった。


 唯一、自国の村々を潰して魔王軍に補給をさせない焦土作戦は考え付く。


 だが今から準備しては間に合わないだろう。手遅れだ。


「姫君はこれからどうするおつもりですか?」


 ベルレルレンは何気なく聞いた。


 もちろん知恵を求めてのことではない。


 しかし知略ではない奇抜な発想で、レィナス姫は過去にも成功を収めてきた。


 まさしく奇想天外な行動で、ジョシュア王の命を救ったこともある。


 そういった発想を転換させるような意見を聞かせて欲しかった。


「うん、どうするかなぁ」


 レィナス姫は腕組みをして考えた。


「あまり気負わずに」


 思った以上に深くレィナス姫が思考したので、ベルレルレンは心配した。


「ああ、そうだ。とりあえず手紙を書こう。忘れていた」


「……そうですか」


 不覚にも落胆した表情を、ありありとベルレルレンは浮かべてしまった。


 だが戦況をひっくり返すような奇抜な発想が、早々しょっちゅう思い浮かぶはずがない。


 期待を掛けすぎた側にも責任はある。


「実は約束をしていたのだ。今、思い出した」


「はあ、そうですか」


 ベルレルレンはもう、レィナス姫の話を九割くらい聞き流していた。


 そして現状を少しでも良くする戦術を練り始めた。


 戦況は良くはならないが、あっさりと王国を崩壊させることは、残された騎士の誇りが許さない。 


「珊瑚のお姉様に、困ったら連絡すると約束していたんだ。忘れていた」


 戦略から戦術に移行し始めていたベルレルレンの意識は、一気に会話へと引き戻された。


「珊瑚のお姉様とは?」


「珊瑚の女王だ。マーメイド族の。知らないのか?」


 知らないはずがないでしょう、と叫ぶのをベルレルレンは留めた。


【珊瑚の女王】イオナ。マーメイド族全てを統べる女王にして、唯一の神へ仕える最高位の司祭。


 そして何より……


「わたしの義理の姉だ。義理の姉妹の契りを交わしたからな」


 レィナス姫は気軽にそう言った。


 その表情からは、王国の現状と苦境をイオナ女王に伝える意味を、正確に理解しているとは思えない。


 しかもレィナス姫は、イオナ女王とマーメイド族全体に莫大な貸しがある。


 いや借り貸しという点で言えば、エルフ族の長老である【樹海の苗】ピクラスにもありそうだ。


「姫君、今すぐ手紙を」


「ああ、あとで書こう」


「今すぐ! 大至急です。紙と筆を用意してください。文面を2人で考えましょう。それにエルフの長老であるピクラス様にも書きましょう。それ以外に親しい異種族は他にいますか? そうだ、トロールの族長とは仲良しだと言っていましたよね」


 ベルレルレンはまくし立て、レィナス姫に筆記用具を病室に持ってこさせた。


 各種族を代表する『友人宛て』の手紙が出来たのは、その日の夜のことである。




《さあ大きな声で叫んでみよう。「助けてくれ!」 貴方のことが大好きな友人か、気のいい他人が、きっと貴方を助けてくれる》

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