第86話 暴君竜と魔王③

【暴君竜】カーンが、【火炎山の魔王】ガランザンに襲い掛かった。


 ドラゴンは世界で最強の生物である。


 膂力、重さ、スピード、硬さ、破壊力、戦闘における物理的な要素の全てにおいて、カーンはガランザンに勝っていた。


「死ね、死ね、死ね!」


 猛烈に爪と尻尾と牙を振るうカーン。


 それは猛攻を加えているようにも見えるが、焦っているようにも見えた。


 事実、カーンはガランザンを恐れていた。


 一方で、ガランザンには一切の恐れはない。


「ふん」


 魔王ガランザンは慎重に、しかし余裕をたっぷりに、大剣で攻撃を受け流した。


「死ね、なぜ死なん?」


 カーンはいつも通り戦っている。自分に敵対する者は、恐怖と恐れのままに叩き潰してきた。


 今までの戦いは、それでも問題なかった。


 圧倒的な戦闘力の差が、それを可能としてきた。


 だが魔王ガランザンはドラゴンほどではないにせよ、恐怖心に囚われたまま圧倒できるほど弱くない。


 一方、ガランザンには誰にも負けぬ信念があった。


 ガランザンはカーンの恐怖と焦りを見越して、冷静に長期戦を覚悟して戦っていた。


「お前は、俺が怖いのか?」


「恐ろしい。我は恐ろしい。さっさと消えろ。早く死ね!」


 恐怖に怯え、怯えながら猛攻を加えるカーンを、ガランザンは鼻で笑った。


「俺を負かせた奴は、今まで2人いる」


 1人はマーメイドを統べる【珊瑚の女王】イオナ。


 1人は人間族の国王である【隻腕王】ジョシュア。


 戦闘力には大きな開きがあるが、2人とも見事な魂の輝きを持っていた。


「そやつらは2人とも、俺よりも弱かった。片方はゴブリンにも劣るほど弱かった。だがそれでも俺を恐れなかったぞ」


「それがどうした!?」


 どうした、と言われて答える言葉はガランザンにはない。


 それはガランザンの中にある、彼だけの美意識の問題であった。


「お前は地上最強のドラゴンなのに。俺を怖いと言う」


「ん?」


「こんな臆病なお前が、世界最強のドラゴン族であるという事実が、俺には我慢できん。ここで処刑する」


「殺すと言うか。いいや、我は殺されんぞ。お前を食い殺してやる」


 カーンは更にいきり立ち、ガランザンに攻撃を加えた。


 ガランザンはそれを受け流し続けた。


 それが延々と続いた。


 高かった日差しが傾きかけた頃。


 カーンは疲れ果てて、ガランザンへの攻撃が緩んだ。


「なぜ倒れない。なぜ殺されない?」


 カーンは聞いたが、ガランザンにそれに答えるつもりはなかった。


 ガランザンにとって、もはやカーンはただ強いだけの赤子だ。


 赤子に掛ける言葉はあっても、交わす言葉はない。


「疲れたか」


「……くそ」


 今までの様に気勢を上げる元気もないカーンに対し、ガランザンは酷薄な表情を浮かべた。


「ならば死刑を執行する」


 ガランザンはまず、カーンの尻尾を一太刀で断ち切った。


「ぎゃぁ!」


 大口を上げて悲鳴を上げるカーンの口に大剣を放り込み、根こそぎ牙を粉砕する。


 さらに両手の爪を切り落とし、背中の翼を剥ぎ落とした。


 つづいて腹に剣を突き刺して火袋も壊した。


 もうこれで戦うことも、飛ぶことも、炎を吹くこともできない。


「ぎゃぐぅぅうぅ……」


 カーンは怯えた。それは着実に近づく死への恐怖でもあった。


「首を落とすぞ」


「いやだ。我は死にたくない!」


 カーンは最後の力を振り絞り、ガランザンに切られた尻尾の根っこで強烈な一撃を加えた。


「死にたくない、死にたくはない」


 カーンは翼を広げて空へと逃げようとしたが、翼がもはや剥ぎ取られていることに気が付いた。


 空へは逃げられない。


「死にたくはない」


 カーンは周囲を囲むゴブリンを蹴散らし、むちゃくちゃに走った。


 折れた牙、切断された尻尾や爪から血を流しながらも、走り続けた。


「我は死にたくないだけなのだ!」


 川を見つけ、カーンはそこに落ちた。


 川の流れは急であり、巨体のドラゴンをも運び、そのまま流れていった。


「……追わないのですか?」


 魔王の腹心である【林冠】パヌトゥは、ガランザンに聞いた。


「その必要があるのか?」


 ガランザンは答えた。


 たとえカーンが生き延びたところで、もはや戦闘能力は残っていない。

 ましてや逆らおうなどと、絶対に思わないだろう。


 それほどの恐怖を擦り付けた。


 カーンの逃げ去ったあと、残されたのは魔王の軍勢である。


 ドラゴンをも倒す偉大な魔王を、ゴブリンの軍勢たちがいつまでも歓声を上げて褒め称えていた。




《恐怖はカンフル剤さ。人を全力で走らすことが出来る。でも月にロケットは飛ばせないよ》

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