第66話 姫君と樹海の苗⑤

 赤褐色の鉱石を手に入れ、【放浪の姫君】レィナスと【樹海の苗】ピクラスはエルフの大森林に戻ってきた。


「ありがとう、友人よ」


 樹海の苗が、素直な感謝の言葉を口にした。


「気にするな。わたしも面白かった」


 放浪の姫君も返す。


「面白いか。あの旅は面白いというより、困難と表現するのが正しいと思えるが」


「旅が面白いというより、お前が面白かった。お前は森にいる時は天才だが、外に出たら赤子のようだな」


 四苦八苦する様が面白かったと、レィナス姫は笑った。


「不服だが、友人の指摘の正しさを認めざるを得ない」


 憮然とした顔でピクラスが言った。


「怒るな。可愛らしかったと褒めているんだ」


「とてもそうは聞こえない。しかし賞賛は素直に受け入れておこう」


「じゃあわたしはそろそろ行くぞ。何かあったら、手紙でもくれ」


「……友人よ。また旅に出るのか?」


「放浪の旅は、王族の義務だからな」


「そうか。しかしまだ友人は森のエルフ族がもつ科学を、ほんの一割も理解していないと思える」


「うん?」


「許されるならば、もう少し滞在することを勧めよう。我々エルフ族の知識は、友人の理解よりも遥に深遠だ。興味はないか?」


「どうかな」


 人間族にとって垂涎の的であるエルフ族の技術は、レィナス姫にとってあまり興味のない分野であった。


「私も友人のもつ知識や、外界での経験に興味がないといえば、嘘になろう」


「お前は物を知らないからな」


 数ヶ月前は考えもよらないことであるが、レィナス姫は自身の知識と経験を、エルフの大天才に対して誇れるまでになっていた。


「であればこそ、相互の交流を持つことは有用であると思われる。これを機に人間族とエルフ族はより協力的になれるかもしれない。友人はその架け橋となろう」


 ピクラスは非常に魅力的な提案をしたつもりであった。


 レィナス姫に世界で唯一、エルフ族の技術を理解する人間となれる権利を上げたのだ。


 しかもエルフ族との交渉窓口となる権利もつけている。


 取引としては成り立たないほどの、破格の好意を見せたつもりであった。

「お前は本当にまどろっこしいな」


 だがレィナス姫の返答は笑いであった。


 大笑いであった。


 それが肯定を意味するのか、否定を意味するのか、ピクラスには理解できなかった。


「友人よ、笑っているだけではわからない」


「わからないか。それは済まなかった。でははっきり言おう。森に興味はないから、断る」


 ピクラスは深い崖に突き落とされた気持ちになった。


 これほどまで魅力的な提案を、断る人間がいるとは思わなかったのだ。


 姫君は変人ではないかと疑うほどだ。


「なぜだ?」


「理由は言ったろ」


「それはそうだが」


 ピクラスにはわからなかった。


 気付くことができなかった。


 レィナス姫の興味の対象は森や科学や技術ではなく、ましてピクラスの社会的地位でもなく、あくまで彼自身であった。


 それに気付ければ話は違ったのだろう。


 だがピクラスにとって、森以上の価値に自分がいるとは思いもよらず、長く考えたが遂にそこへ思い至ることは出来なかった。


 レィナス姫は馬に乗って、【朱の騎士】ベルレルレンの待つ森の入り口へ向かって手綱を動かした。


「もし何かあれば、また呼んでくれ。お前は面白い友達だよ」


 レィナス姫は『友人』の部分をわざと強調していった。


 去り行くレィナス姫の背中に、ピクラスもまた言った。


「友人よ。何かエルフの力が必要の時は、遠慮なく私に言え。私は決して友人の頼みを断ることはない」


「それはわたしに借りがあるからか?」


 レィナス姫が去り行く足取りを止めず、大声で聞いた。


 おそらく聞こえる言葉では、これが最後になろう。


 そうだ! と言いそうになり、ピクラスは慌ててその口を止めた。


 明晰な頭脳で、今までの事を整理する。


 そうしてようやく姫君の言っている不可解な言葉が、欠片だけはわかった気がした。


 ピクラスは脳裏に浮かんだその答えを、大声で叫んだ。


「いや違う。親友だからだ!」


 ピクラスの声は、レィナス姫に届いただろうか。


 もはやレィナス姫の声は聞こえないが、遠くで手を振ってくれていることだけはピクラスの目にも見えた。




《ひ弱で、小賢しくて、肝心なことは何も知らない。そんなお前が大好きだ。理由だと? なんとなくに決まってるだろう》

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