第65話 姫君と樹海の苗④
【放浪の姫君】レィナスと、【樹海の苗】ピクラスが旅をしていた。
道のりを急ぐために、レィナス姫は馬を使うことにした。
「ピクラス、乗馬の経験はあるか?」
あればもう一頭、馬を用意して、それぞれ騎乗するつもりであった。
だがピクラスの返事は難解だった。
「エルフは森に住み、馬は平原に住む」
ピクラスの回答の真意がわかるのに、レィナス姫は少しだけ時間が掛かった。
「つまり、知らないのだな?」
「乗馬の方法は知っている。馬の生態も理解している。品種別の特徴も述べることは出来る。だが馬を見るのは今日が初めてだ」
「わかった。わたしが手綱を握るから、後ろに乗ってくれ」
レィナス姫の言葉に従い、ピクラスは振り落とされないよう姫の後ろに貼り付いて、始めて見る馬に騎乗した。
レィナス姫は馬を巧みに操り、トロールの集落へと急いだ。
道のりの途中。
ピクラスがレィナス姫に質問した。
「友人よ。君の使用している武器はなんなのだ?」
「鉄球だ。見てわからないのか?」
「視覚的な情報を聞いてはいない。私にも目は付いている」
「じゃあなんだ」
「鉄球は武器として非常に非効率的に思えるのだが、友人はなぜそれを使う?」
「これが一番強くて、使いやすいからだ」
武器を選ぶ理由など、その二つ以外には考えられない。レィナス姫の回答は簡潔であった。
ピクラスは姫君の回答に一定の理解を示したが、しかしその疑問は解決しなかった。
「鉄球が、使いやすいのか?」
ピクラスは近代戦における武器事情を例に取って反論した。
鉄球がスタンダードな武器なら、世界の武器で鉄球を使うものはもっと増えている。
だが世界中で最も多い武器は弓であり、その次が槍で、次に剣だ。
鉄球の使用者はほとんどゼロに近い。
「なのになぜ友人は、わざわざ鉄球を使うのだ?」
「だから、これが一番強くて使いやすいからだ」
回答が一切変わらず、ピクラスはますます頭を悩ませた。
トロールの住む大山脈が近くなり、レィナス姫はピクラスに言った。
「ピクラス、その弓は置いていってくれ」
「承知した。武装解除していくのだな」
ピクラスは理解を示し、エルフ族自慢の弓を無くさぬように目だつ木に置いた。
だがレィナス姫は鉄球を手放そうとはしない。
「友人よ。私だけ武装解除しても意味がないだろう」
「わたしのはいいんだ。これは武器だから」
「友人よ、それは回答が成り立たない。私の弓も武器だ」
「弓は戦争用の武器だからダメだ。戦争しに行くわけじゃないんだから」
「ならば鉄球はなんだ?」
「うーんと。戦闘用の武器、だな」
「戦争用の武器と、戦闘用の武器の、違いは何だ?」
レィナス姫はつっかえつっかえながら、トロール族の意識を話した。
トロール族は長距離で攻撃されるのを『卑怯』もしくは『悪』と断じる気質がある。
戦争ならば仕方ないが、戦士が持つ武器ではないという理屈だ。
それはレィナス姫も日々感じている意識と似通っており、間違いない共通認識であるはずであった。
「どちらも武器だろう。優劣はあっても、正邪はないはずだ」
「とにかく弓は不許可。置いてくぞ」
トロールの大山脈に着き、ピクラスは驚愕して聞いた。
「友人よ! 我々は交渉に来たはずだ!?」
「知ってる」
「だったらなぜ、族長に一騎打ちを申し込むのだ」
「交渉の一環だ。なんだか話し合っても埒が明かないから、殴りつけることにした」
「それで解決するはずないだろう」
「解決も何も、あいつらこっちの話を聞く気がない。一発殴らないと始まらないだろ」
「いったい何を始めるつもりだ」
「交渉だと言っただろう」
レィナス姫トロールの族長との一騎打ちが始まった。
トロールの大山脈からの帰路、ピクラスは聞いた。
「なぜトロールの族長は、負けたのに喜んだのだ?」
「うん、それはわたしが勇者だからだ」
「なぜ交易に応じてくれたのだ? 別に条件をつけたわけじゃないのに」
「わたしが勇者だからだ」
「勇者である事と、交易との間の接点はなんなのだ?」
ピクラスは立て続けに質問をしたが、疑問が増えるばかりで一向に解決しない。
まったく経緯が理解できず、しかし結果だけは確かに残った。
エルフ族が最大限の譲歩をしても得られなかった赤褐色の鉱石の交易が、このむちゃくちゃな交渉によって成り立ったのである。
口を挟む余地があるはずない。
「友人よ。私はまるで魔法でも見ているようだぞ」
ピクラスは論理を放棄したような、しかし心からの正直な感想を口にするより他なかった。
奇しくもそれは、森を見学したレィナス姫の感想と、まったく同じものであった。
《理解できないことは、魔法に見える》
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