第8話 小話 トロールの議論
【放浪の姫君】レィナスは巨岩を背負い、その岩の上に【朱の騎士】ベルレルレン士を乗せて歩いていた。
もはや荷馬でも運びきれぬほどの重さであるが、レィナス姫は汗を流しながらでも運ぶことができた。
だが修行のために体力はどうにかなるが、心はどうにもならない。
レィナス姫はもちろん、退屈であった。
それを察した岩の上に座るベルレルレンが、話を始めた。
「巨人のトロール族は、野蛮な生き物です」
「うん。知っている」
「話し合いなどはせず、腕力に物を言わせる蛮族的な考え方をしております」
「うん。それで?」
「しかし知恵がない種族といえば、そうではありません。マーメイド族は愚鈍ですが、トロール族はきちんと知恵を持っているのです。知恵を持った上で、野蛮である道を選んだのです」
「どういうことだ?」
「そのきっかけとなった戦争があるのです」
ベルレルレンが、話を始めた。
レィナス姫は巨岩を担ぎながら、退屈を紛らわすベルレルレンの話に聞き入っていた。
※
ある山脈に、巨人であるトロールの集落があった。
彼らはトロールには珍しく、知恵を用いることを是としていた。
野蛮な殴り合いで問題の解決を図らず、議論をもって解決するのである。
意見が対立しても血が流れずに済むこの方法は、当初、非常に効率がよいものであると思われた。
ある時、そのトロールの集落に、平地に住む人間の国が宣戦を布告した。
「断固、人間と戦うべし!」
好戦的なトロール族は、もちろん開戦派が大半であった。
だが僅かながらに、非戦派も存在した。
「一時、山奥に逃げるべきだ。人間はどうせ山では暮らせない。いずれ耐え切れなくなって平地に帰るだろう」
その非戦派のトロールに、多くのトロールが「臆病者!」と反論した。
しかし臆病とは感情論であり、反論の理由とは成りえない。
一方で非戦派のトロールの言い分にはきちんとした論拠があった。
確かにその山脈は、人間が住むには環境が厳しすぎる。
トロールたちの意見は二分され、お互いが議論を戦わせ続けた。
トロールの族長もどちらの説が正しいのか判断がつかず、議論の趨勢を見守った。
集落のありとあらゆる者が議論に参加し、昼夜を問わず、場所を問わず、開戦と非戦で意見を戦わせ続けた。
次第、その集落のトロールたちの生産性が低下した。
いざ開戦時に戦うべき、専業の兵士たちですらも訓練を忘れて議論に没頭した。
やがて時が過ぎ、ついに人間の騎士団が山へ攻め込んだ。
だがトロールたちの議論は、未だ決着していなかった。
なし崩し的にトロールの族長が開戦を宣言して、戦争が始まった。
「まだ議論は終わっていないぞ」
「今更、議論もないだろう」
「ならばいつ戦いを止めるのだ?」
トロールたちは皆、新しく生まれた議題について議論を戦わせた。
「一時的に引いて、その後に逆襲すべきだ」
「いや逆に奇襲によって一旦は攻勢に出て、その後に講和すべきだ」
開戦派も非戦派も、結論が出ないどころか各論が枝分かれして分裂し、もはや収集がつかなくなりつつあった。
「今は議論する場合じゃないだろう」
誰かが言ったが、しかしそれも別のトロールがすぐ反論した。
「ならば戦うのか、それとも講和するのか?」
議論は続いた。
トロールたちは賢く、皆が議論するだけの知恵を持ち、論客となりえる知識を保有していた。
戦争中だというのに、トロールたちは議論に夢中になった。
それでも負けなかったのは、巨人であるトロール族の持つ怪力と、族長の勇猛さによるものだ。
しかしそれだけで戦局を支えるのには限界があった。
防戦をしながらも兵士同士があくなき議論を続けるさまを見て、ついにトロールの族長は決断した。
「もはやこれまでだ。我らは正しき、本来あるべきトロール族へと戻る」
一切の議論を経ずに、トロールの族長が突然の回帰宣言をした。
「族長。本来あるべきトロール族とはいったいなんなのです?」
「我々トロール族は、話し合いなどとまどろっこしい事はしない!」
「そんな。わたしはその意見に反対します」
「黙れ、知ったことか!」
族長は反対意見を持つ者を殴りつけて黙らせた。
そして枝分かれした各論の代表者を集め、それぞれ殴り合いでどの説が正しいかを決めた。
より強い者が、弱い者を導く。
トロール族に古来より伝わる、蛮族的な決断方法である。
トロールの族長は部族内で最強の戦士なので、殴り合いでは族長が当然勝利を収めた。
「意見が纏まったな。講和だ!」
族長の決断により、トロールたちは講和のために動き出した。
だが時は既に遅く、戦争はトロール族に決定的に不利になっていた。
トロールたちは山の産出物の多くを人間に供出して、ようやく講和を結ぶことに成功した。
これ以後、族長は議論による最終決断を行うことを禁止し、トロールたちに話し合いで決議する風潮はなくなった。
※
岩の上に座る赤い鎧の騎士の話が終わり、珍しい話を聞いた姫君は大いに感心した。
「人間がトロールに勝つとは、驚きだな」
「トロールが野蛮なままであれば、人間は間違いなく負けていたでしょう」
お互いの数が互角ならば、人間の騎士団が巨人のトロール族に勝つことなどありえない。
「つまり文明人よりも、野蛮人の方が強いのか」
レィナス姫の出した結論を聞き、ベルレルレンは岩の上から姫君のつむじあたりを蹴った。
そして涼しい顔で、返事をする。
「だいたいは合っています」
「合っているならなぜ蹴った! お前は王族に対する敬意が足りなすぎるぞ!」
頭を抑えながら、レィナス姫が反論する。
「ほとんど誤っているからです。つまり九割くらいは文明人の方が正しく、そして強い」
「む、そうなのか」
「文明的であることは基本的に良いことなのです。意見の多様化は文明の発展と進歩に繋がりますから。ただし一つだけ、文明的であることには欠点があります」
「うん?」
レィナス姫は、背負った荷の上にいる騎士を見上げるようにして聞く。
ベルレルレンはレィナス姫に言い聞かせるように、はっきりとした口調で話した。
「文明的であるというのは……」
「あるということは?」
「……遅いのです。ものすごく」
兵は拙速を尊ぶと、ベルレルレンはレィナス姫に教えた。
《嗚呼、世界は不自由だ。もし時間が無限にあれば、無知な貴方を説得できるのに》
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