第8話 小話 トロールの議論

【放浪の姫君】レィナスは巨岩を背負い、その岩の上に【朱の騎士】ベルレルレン士を乗せて歩いていた。


 もはや荷馬でも運びきれぬほどの重さであるが、レィナス姫は汗を流しながらでも運ぶことができた。


 だが修行のために体力はどうにかなるが、心はどうにもならない。


 レィナス姫はもちろん、退屈であった。


 それを察した岩の上に座るベルレルレンが、話を始めた。


「巨人のトロール族は、野蛮な生き物です」


「うん。知っている」


「話し合いなどはせず、腕力に物を言わせる蛮族的な考え方をしております」


「うん。それで?」


「しかし知恵がない種族といえば、そうではありません。マーメイド族は愚鈍ですが、トロール族はきちんと知恵を持っているのです。知恵を持った上で、野蛮である道を選んだのです」


「どういうことだ?」


「そのきっかけとなった戦争があるのです」


 ベルレルレンが、話を始めた。


 レィナス姫は巨岩を担ぎながら、退屈を紛らわすベルレルレンの話に聞き入っていた。





 ある山脈に、巨人であるトロールの集落があった。


 彼らはトロールには珍しく、知恵を用いることを是としていた。


 野蛮な殴り合いで問題の解決を図らず、議論をもって解決するのである。


 意見が対立しても血が流れずに済むこの方法は、当初、非常に効率がよいものであると思われた。


 ある時、そのトロールの集落に、平地に住む人間の国が宣戦を布告した。


「断固、人間と戦うべし!」


 好戦的なトロール族は、もちろん開戦派が大半であった。


 だが僅かながらに、非戦派も存在した。


「一時、山奥に逃げるべきだ。人間はどうせ山では暮らせない。いずれ耐え切れなくなって平地に帰るだろう」


 その非戦派のトロールに、多くのトロールが「臆病者!」と反論した。


 しかし臆病とは感情論であり、反論の理由とは成りえない。


 一方で非戦派のトロールの言い分にはきちんとした論拠があった。


 確かにその山脈は、人間が住むには環境が厳しすぎる。


 トロールたちの意見は二分され、お互いが議論を戦わせ続けた。


 トロールの族長もどちらの説が正しいのか判断がつかず、議論の趨勢を見守った。


 集落のありとあらゆる者が議論に参加し、昼夜を問わず、場所を問わず、開戦と非戦で意見を戦わせ続けた。


 次第、その集落のトロールたちの生産性が低下した。


 いざ開戦時に戦うべき、専業の兵士たちですらも訓練を忘れて議論に没頭した。


 やがて時が過ぎ、ついに人間の騎士団が山へ攻め込んだ。


 だがトロールたちの議論は、未だ決着していなかった。


 なし崩し的にトロールの族長が開戦を宣言して、戦争が始まった。


「まだ議論は終わっていないぞ」


「今更、議論もないだろう」


「ならばいつ戦いを止めるのだ?」


 トロールたちは皆、新しく生まれた議題について議論を戦わせた。


「一時的に引いて、その後に逆襲すべきだ」


「いや逆に奇襲によって一旦は攻勢に出て、その後に講和すべきだ」


 開戦派も非戦派も、結論が出ないどころか各論が枝分かれして分裂し、もはや収集がつかなくなりつつあった。


「今は議論する場合じゃないだろう」


 誰かが言ったが、しかしそれも別のトロールがすぐ反論した。


「ならば戦うのか、それとも講和するのか?」


 議論は続いた。


 トロールたちは賢く、皆が議論するだけの知恵を持ち、論客となりえる知識を保有していた。


 戦争中だというのに、トロールたちは議論に夢中になった。


 それでも負けなかったのは、巨人であるトロール族の持つ怪力と、族長の勇猛さによるものだ。


 しかしそれだけで戦局を支えるのには限界があった。


 防戦をしながらも兵士同士があくなき議論を続けるさまを見て、ついにトロールの族長は決断した。


「もはやこれまでだ。我らは正しき、本来あるべきトロール族へと戻る」


 一切の議論を経ずに、トロールの族長が突然の回帰宣言をした。


「族長。本来あるべきトロール族とはいったいなんなのです?」


「我々トロール族は、話し合いなどとまどろっこしい事はしない!」


「そんな。わたしはその意見に反対します」


「黙れ、知ったことか!」


 族長は反対意見を持つ者を殴りつけて黙らせた。


 そして枝分かれした各論の代表者を集め、それぞれ殴り合いでどの説が正しいかを決めた。


 より強い者が、弱い者を導く。


 トロール族に古来より伝わる、蛮族的な決断方法である。


 トロールの族長は部族内で最強の戦士なので、殴り合いでは族長が当然勝利を収めた。


「意見が纏まったな。講和だ!」


 族長の決断により、トロールたちは講和のために動き出した。


 だが時は既に遅く、戦争はトロール族に決定的に不利になっていた。


 トロールたちは山の産出物の多くを人間に供出して、ようやく講和を結ぶことに成功した。


 これ以後、族長は議論による最終決断を行うことを禁止し、トロールたちに話し合いで決議する風潮はなくなった。





 岩の上に座る赤い鎧の騎士の話が終わり、珍しい話を聞いた姫君は大いに感心した。


「人間がトロールに勝つとは、驚きだな」


「トロールが野蛮なままであれば、人間は間違いなく負けていたでしょう」


 お互いの数が互角ならば、人間の騎士団が巨人のトロール族に勝つことなどありえない。


「つまり文明人よりも、野蛮人の方が強いのか」


 レィナス姫の出した結論を聞き、ベルレルレンは岩の上から姫君のつむじあたりを蹴った。


 そして涼しい顔で、返事をする。


「だいたいは合っています」


「合っているならなぜ蹴った! お前は王族に対する敬意が足りなすぎるぞ!」


 頭を抑えながら、レィナス姫が反論する。


「ほとんど誤っているからです。つまり九割くらいは文明人の方が正しく、そして強い」


「む、そうなのか」


「文明的であることは基本的に良いことなのです。意見の多様化は文明の発展と進歩に繋がりますから。ただし一つだけ、文明的であることには欠点があります」


「うん?」


 レィナス姫は、背負った荷の上にいる騎士を見上げるようにして聞く。


 ベルレルレンはレィナス姫に言い聞かせるように、はっきりとした口調で話した。


「文明的であるというのは……」


「あるということは?」


「……遅いのです。ものすごく」


 兵は拙速を尊ぶと、ベルレルレンはレィナス姫に教えた。




《嗚呼、世界は不自由だ。もし時間が無限にあれば、無知な貴方を説得できるのに》

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