第23話

 目が覚めるとそこは病院だった。

 でも、どうやら立ちあがる気力は生まれてないようで、力を身体にいれようにもどこに力をいれていいのか分からない

 それからしばらくの間、具体的にいえばやってきた詠にぼこぼこ殴られるまで、僕はゆったりとした気分でベッドに横になっていた。


「あの……痛いんですけど」

「うむ、そのようにしている。ああ大丈夫だ。どこまで痛めつけて大丈夫なのか、お医者様にはしっかり確認をとったからな」


 姉さんはもちろん、エリカに詠、尾笹先輩に先生までみんなでお見舞いに来てくれたようだ。それでも僕の体調を気遣ってくれたのか、少しだけお話をして早々に引き上げていった。部屋に残ったのは家族のみ。


「姉さん、鍋島先輩はどうなったの?」

「とりあえず当局に引渡したわ。それから先は当局の仕事よ。……とりあえずお疲れ様」

「そうか……」


 僕の入院している個室の窓を、外を走る車のヘッドライトが一瞬だけ照らしだす。


「無茶をしたね、シュン」

「うん……」


 少しの間、病室が静寂に包まれる。そして姉さんが口を開いた。


「まず、後輩達を守ってくれたこと、《まほ研》のOBを代表して礼を言うわ。ありがとう」


 姉さんが僕に頭を下げる。そして――。


「そしてシュンの姉さんとして、一言。正直なところ、これからフレームワークに携わらないで欲しい。お願いだから……ねっ?」


 そのままの姿勢でお願いをされてしまう。姉さんの手にぽたりぽたりといくつかの水滴が落ちる。ああ、たぶん僕は姉さんの涙を初めてみるのだろう。少なくとも僕の記録にそんな姉さんの姿はなかった。


「……姉さんは悪くないよ」


 なんて柄にもなく殊勝な言葉を掛けてみる、と。


「うん、確かにそうだわッ!」


 なんて、ケロっと姉さんが顔をあげる。あれ、ちょっとでも姉さんがしおらしいなんて感想を抱いた僕が悪かったのかな?


「でも驚いたわ。そっちに着いたらシュンがぱったりと倒れてたんだから。姉さん心臓が止まるかと思っちゃったわよ」

「そうなの?」

「ええ。あなたに縋りつく娘達の様子をみたら誰でもそう思うわよ。まあ、結局寝ていただけみたいだから良かったんだけど」


 ちなみに父さんも母さんも昨晩来たらしいが、僕が寝ているというのと医師からの説明を聞いて安心した様子でまた出張先に戻っていったそうだ。


「さー、じゃああなたが退院した暁には晩御飯には期待しててよー」

「……姉さんが作ってくれるの?」

「いいえ。私が用意するのは良い食材だけ。料理するのは当然シュンに決まっているじゃない。あんたの方が美味しいんだから。さて、私は後片付けがもう少しあるからもう行くわね。まあ仲良くやりなさい」

「なんだよ、仲良くって」


 それには応えず、姉さんは笑いながら病室を出て行った。

 ことり。僕のベッド脇のテーブルにお皿が置かれた。そこには綺麗に切り分けられたリンゴが並ぶ。それらはさきほどお見舞いの品で貰ったものだった。


「ありがとう、エリカ」

「いいえ、どういたしましてー」


 ふんわりとした笑顔が僕を迎える。まあ家族だけ残る、ということはこの部屋には今まで姉さんとエリカがいたわけで。姉さんが出て行った今、この部屋にはエリカと僕の二人きり、というわけである。


「シュン君は頑張ったよね……」


 そんなことをいいながら、フォークにひとかけらをさしてこちらに向ける。


「はい、あーん」

「またまたそんなことをして、僕ちゃんと一人で食べられる……」

「はい、あーん。今どうせ誰もいないよ?」


 仕方なく口をあける。僕のそんな様子に少しおやっという表情を見せたエリカはすぐに笑顔に戻って、優しく僕の口にまで運んでくれた。パクリ。うん、美味しいよねリンゴって。


「あのね。『約束』を守ってくれてありがとう」

「……まあ、約束は約束だからね」


 そういってエリカは左手小指を自分の唇につける。


「まあでも最期は倒れちゃったし格好つかなかったなあ」

「うん、確かに倒れたときはびっくりしちゃったけど……。詠ちゃんも言ってたよ『あのときのアイツは格好良かった』って」


 なんだか気恥ずかしくなって、今度は自分でリンゴをとって一齧り。

 しばらくの間、僕達は言葉をかわすでもなく、視線をあわすでもなく。ただゆっくりと時間が過ぎていく。どれくらい時間がたったのか、エリカが口を開く。


「それで、シュン君はどうするのかな。姉さんも聞かなかったけどさすがに『体験入部』の期間はもうおしまいだし」


 確かにそうだ。この『体験入部』は校則上、その期間が終われば速やかに、その部に入るか、やめるかを決めないといけない。まあ、延長とかもできるといえばできるけど、そんなことをする気分でもない。

 そしてエリカに一言、こう宣言した。



「うん、そうだね。僕…………、辞めるよ」




 一週間後、僕は退院した。

 結局、姉さんが話してくれたとおり、僕の怪我自体は全くたいしたことなかったのだが、『念のため』ということで時間がかかってしまった。ちなみにこの病院も学園、というか学園を運営する伊万里財閥の傘下にあるものの一つなんだそうだ。

 そしてその姉さんといえば、せっかくの弟の退院にも顔を出すことなく、また忙しく色々なところを飛びまわっているみたいだ。まあ、僕としては事件が起こらないでくれるのでそっちのほうが助かるのだけど。

 それにしても毎日放課後になると、エリカと詠が遊びにきては、どっちが僕に差し入れを食べさせるのかということをかけて何がしかのゲーム、主にはあのカードゲーム、をしていた。エリカはともかく、詠はどうしたんだろうか一体。

 杉多には案の定、僕の入院理由をからかわれた。まあ『学校に忘れものして忍び込んでこけて頭を打ってしまい、念のため入院』という理由付けだったので仕方ないのだけど。

そうやって僕は既に構築されていた日常を取り戻す。

そしてあっというまに時間は過ぎ、放課後。

文化部棟に向かう僕に声をかけてくる女性がいた。


「あら、椋野君。今日から学校だったのね。もう身体は大丈夫なの?」

「ええ。おかげさまですっかり」

「いえ、こちらこそ本当にごめんなさね」

「もうそれはいいですから……。みんな大丈夫でしたし」


 《まほ研》の顧問、延岡先生からは僕が入院中、たびたびお見舞いにきてくれて、それはもうしこたま謝られたのだ。心配してくれる人がいるのは嬉しいことではあるのだが。なんか逆に申し訳ない気分になってしまう。


「椋野君ありがとう。……そういえば随分彼女たちの誰が本命、なのかしら?」


 さきほどまでのしおらしい表情はどこへやら。僕の反応をうかがっている延岡先生。


「いや……、そんなこと無いですから…………」


 結局、そのネタで先生にしばらくいじられて。そんな先生と別れた僕の目の前にポン、とメッセージウィンドウが開く。

それは珍しいことに、囲碁ゲームの対戦相手、アラウシオさんのからのダイレクトメッセージだった。


『やっと、一息ついてオレンジジュースが飲めるようになりました。今度また対戦しましょう』、そうただ一言。

「やっぱりこの人は本当にわけがわからないな。『ええ、是非こちらからもお願いします』送信っと」


 そして僕は文化部棟の部屋の一つで歩を止める。


「……失礼します」


 僕が踏み入れたの『購買部』の部室。

 入院やらなんやで久しく訪れていなかったその場所に、僕は立つ。そして。

 ここに置いていたいくつかの私物を片付ける。

 今日付けで僕はこの部のメンバーではなくなった。

 幸いなことに、ここはもともと数寄者の集まりでもあり、その上理由もお察しということで慰留されることはなかったのだ。

 荷物を自分の鞄に詰め込み、同じ文化棟のもう一つの部室に向かう。

 ドアの前で小さく息を吸って。そして吐いて。

 二回ノックをすると、どうぞーという声が聞こえる。そして僕は――。



「お邪魔します」



「む。ちがいますよっ!!同志舜一。ここは『お邪魔します』でなく『お疲れさまです』じゃないですかー」


 ハイテンションな様子でツインテールの部長さんが笑顔とその豊満なボディを僕に向ける。


「あ、シュン君おはよー。いつもの緑茶いれておいたよ~」


 ほわほわとエリカがお盆をもって僕に席を勧める


「……ふん。早く扉を閉めろ。折角除湿しているのに、外気が入ってくるではないか」


 いつもどおり、詠が携帯をいじりながら指摘してくる。

 これが僕の、今日からの日常だった。

「どうしたのシュン君。なんかにやけてるけど……」


「いや、エリカ。お前の淹れるお茶が美味しいものだから。つい、ね」

「もう、そんなこと言うと、また美味しいご飯食べさせちゃうんだから」


 そういってエリカが髪をなびかせ再び笑う。僕もつられて笑顔になる。ああ、そういえばそんな約束もしたなと思いながら。

 ここは《魔法科学研究部》。通称まほ研

 再構成された僕の学園生活が、今、はじまる。


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