第21話

 僕が学園にたどりついたときには、既に校門は堅く閉じられ、立入禁止と書かれた張り紙が貼ってあるだけだった。

 とりあえず壁をよじのぼるしかないみたいだ。その準備をしていると声をかけてくる人物がいた。


「シュン、どうしてこんなところにいるの?」


 我が姉、椋野厘が腕組してこちらを険しい表情で睨みつけている。


「姉さん……」

「あとは姉さんに任せなさい、ドーンと解決してやる、そう言ったでしょ。その言葉信じられない?」


 その問いに僕は首を横に振る。姉さんの言うことは絶対で成功することもわかっている。でも僕には僕の『約束』があった。いや、あったことを思い出したんだ。


「じゃあいいじゃない。信じて待ってなさい」

「待たない。僕も行くよ」

「どうして?」


 僕の表情に何かを感じ取ったのか。姉さんから先ほどまでの威圧感が和らいでいた。


「……私が渡した本。読んだ?」

「隅から隅まで全力で読んだ」

「試してみた?」

「……試した」


 実際に試したのは自転車で走りながら、なんだけど。


「……おやつはもった?」

「いや……さすがにその質問の意味は判りかねるのだけど……」


 たまにこうやってわけのわからないことを言うのは姉さんらしといえばらしいが、何もこんな非常時に言わなくても。


「じゃあ、もってないなら私からプレゼント」


 そういって姉さんの手がのびてきて、僕の胸をあたりをまさぐった。


「な、なにを……」

「少し黙っときなさい、シュン」


 存外真面目な声の姉さんに気圧される。そして次の瞬間。それは起きた。

 僕の胸部から《フレームワーク》の青白い光が発せられる。


「あなたの《発動体》を使えるようにしたから《アプリ》の状態を確認しときなさい」


 そういわれて僕はすぐに確認する。姉さんとおそろいのネックレスが青白く光っている……。やっぱりこれも《発動体》だったんだな。使えるアプリの一覧を見て、すぐに僕はあることに気付いた。


「使える《アプリ》の数が増えてる……?」

「《発動体》には相性があるって話、誰かから聞いてなかった?」


 確かに以前そういわれたような気がするけど。


「あら、都合のいいことに《身体強化》のアプリもちゃんとあるわね。まあ基本的なものの一つではあるからて普通使えるはずなんだけど」

「先輩にもらった《発動体》では《紙造り》だけしか使えなかったよ……」

「まあ細かいことは気にしない。そんなことでは本当に……、やられるだけ、よッ」


 いきなり姉さんがハイキックを浴びせてくる。それをなんとか両手でブロックする。


「うん、《アプリ》の起動はしっかりできてるわね」


 そういいながらも今度は僕に向かって光球を放つ。

 僕はそれを『紙』の盾でなんとかいなして、距離をとる。さすがにこれ以上攻撃されるのは素人の僕には厳しいのだけど……。

 姉さんは構えをとくと、僕の横に並び、閉ざされた学園を一緒に眺める。


「今は敵のサイバーアタックと物理的な各種ケーブル切断によって、学校の電源と《フレームワーク》による守りが非常に薄い状態になっているわ」

「…………」

「私は敵の本命である大学の研究室に向かう。あそこは今、先生だけがいる状態なの」


 ちなみに学園のサーバーダウンの影響を受けて、大学ももちろん閉鎖中だ。


「で、《まほ研》部室ににはエリちゃんと詠ちゃんがいるわ。ここは重要度は低いけど、攻撃はないとはいえない。研究室と戦力を分断するためにね」


 僕は一つ肯く。つまり、僕は《まほ研》部室に行け、ということだ。


「そして敵が誰だかはまだ判明していないわ。背後にいるのが中東の組織だということはわかってそっちには手をまわしてるんだけど……。敵も切羽つまってきたということかしら」

「……」

「でも、ただ一つわかっていることは、『今日配った新学生証』に細工をできる人物ということよ」


 その姉さんの言葉である人物の映像がフラッシュバックしてきた。

 いやいや、まさか、そんな。


「さて、ここからは私の独り言。鍋島副会長の背後関係を洗ってるんだけど、彼、中学のときにどこからか転校してきたのよ。でもどこからやってきたか、についてはついぞわからずじまいだったわ」


 ごくり、と唾を飲み込む音がやけに響く。


「じゃあ、いくわよ。この結界は敵が張っていて、敵の狙いは当然先生の研究成果。まあ国家機密級のも含めて色々あるわ」

「なんでそんなのがあるんだよ……」

「まあ、そう言わない。当面の目標は結界の破壊、すなわち術者の排除よ。……シュン。覚悟を決めたのはいいわ。でも死なないでね」


そう言い残し、姉さんは大学のほうに向かう。そして僕もーー。



 私は急いでいた。

 大学の研究室では延岡先生が一人で防衛線を張っているはずだ。彼女は研究者としては優秀であっても戦闘者としてはそこそこ、といったところであるのだから早く救援に行かなければならない。


「こんなときに、大学のやつら、全部出払っているんだからっ!」


 そうなのだ。そもそもそれが良くない。優秀な《フレームワーク》の使い手達は様々な事情で軒並み出払っている現状。自らの弟さえも戦いに赴かせなければならないこの非常事態。

 もっともその弟、舜一は自ら志願して飛び込んでいったわけではあるのだが。

 そして大学の敷地に入ろうとしたとき、こちらを待ち受けている気配があることに気づく。


「……お前か」

「厘姉さま、お待ちしておりました」


 私の前に立つのは一人の少女。その服装は弟が通う学園と同じ。ただリボンの色だけがオレンジ色で彼らとは違っている。それが示す事実、つまり彼女は最上位学年の娘であるということ。


「ようやく重い腰をあげたか、お前も」

「そういってくださいますな。関係各所との折衝というのも骨が折れる仕事なんですから。ままあしかしその甲斐もあってようやく私自身もこうやって出ることができるわけです」

「正直助かる。借りができるな学園には」

「いえとんでもない。副会長が怪しいと睨んでおきながら、こんな事態を招いた失態、生徒会を統べるものとして、挽回しないわけにはいきませんからね」


 そのとき、ピピピっと慎ましやかに携帯からメール着信音が聞こえる。失礼とそ少女は断って、携帯を一瞥すると微笑みを浮かべた。

 なにか良い知らせでもあったのだろうか。


「どうした?何かあったのか」

「ああ――いえ、失礼。全然別件ですの。最近ネットで仲良くなった方がいましてね。よくゲームに興じているのですが……」

「ほう……」

「その方から少し前に出されたメールが今届きましたの。一言『ありがとうございます。色々我侭になってみます』と」

「……お前は一体何を助言したんだ」


 私の問いにニコリと微笑むだけで、彼女は応えようとしない。もちろん私自身、言っただけで答えを求めたわけではない。


「さて、話が脱線しましたわね。研究室には私達が参ります。こちらが本命とは思いますが、副会長のことです、我々の意図を読みきって学園側に行っている可能性もありますし。ですから、私どもが大学(こっち)にいきますわ。『会長』としての矜持というものもありますし」


 それとともに彼女の周りに数人の影があらわれた。まあボディガードといったところだろうが、彼女にとってはそれも必要ないかもしれない。


「わかった。そちらは頼んだ。私は学園部室の方に向かう」


 言うが早いか、私は来た道を駆けだそうとすると。


「ええ、承知しました。厘姉さまのお願いは最優先事項ですし。それに……」


 にこり、とお嬢様然とした様子で笑みを浮かべる彼女。

 ところで、なぜ尾笹遥花は『部長』と呼ばれ、自らもそれを自任するのか。《まほ研》は単なる『研究会』に過ぎないのに。

 それはその名のとおり、尾笹遥花は《まほ研》のトップではないからだ。

 伊万里芳子。

 学園生徒会会長にして、《まほ研》の『会長』でもある彼女は、静かに歩を進めながら先ほどとは打って変わった、妖艶な笑みを浮かべる。今にも舌なめずりしそうな様子で。


「さて。ゆっくりオレンジジュースいただく暇もくれない痴れ者はただ蹂躙あるのみ、ですわね」


□ 


 学園の文化部棟の前で、私は疲弊の極みにあった。もちろん、それは隣に居る親友のエリカも同様だ。

 既に倒した《バグ》の数は三桁を超え、三桁中ごろ辺りで数えるのをやめた。

 自慢の黒髪にはいつもの艶はなく、それどころか大剣を持つ手の感覚ももう既になくなりかけている。

 その疲弊っぷりときたら隣にいる少女も同様で、大きく肩で息をし、豪奢な金髪は泥にまみれ、ぐちゃぐちゃであった。

 現在は学園全体が結界の範囲内。私達は《まほ研》の部室を守るべく、文化部棟の前に陣取っている。文化部棟は冷遇の結果、学園の隅っこに配置されているため、敵の《バグ》がやって来る方向が限られていること幸いしているのかもしれない。

 私達に撤退は許されない。なぜなら、今本来研究室に置いてある資料の大半は《まほ研》の部室にある、ネットワークにつながっていないPCに保存されているのだ。

そしてそれを悟られないため、延岡先生も厘先輩も研究室のほうに居るはず。そしてそちらはもっと苛烈な攻撃を受けている、はずだった。

 しかしその異変に気付いたのは、エリカだった。


「ねえ、詠ちゃん。なんだろ……。あれ」

「……《バグ》だな。それも大量の」


 数千体はいるであろう《バグ》の大群が整然と行進してくる。

 一番先頭には背の高い学生服姿の男性が歩いていた。まるでそれらをつき従えるように。その姿には多いに見覚えがある。ちょくちょく部活に顔を出していた生徒会役員。

 彼が手をあげると《バグ》の行進が止まる。そして一歩、少女達の方へと歩み寄る。


「さて、そこをどいてくれないかな……。《フレームワーク》の最新の研究結果、そこにあるんだろう?」

「鍋島……副会長」


 私は声を絞り出す。


「鍋島先輩、どうして、どうしてこんなことを!」


 エリカも同様にかすれた声で叫ぶ。


「どうして?その質問はナンセンスだな。目的は今言ったとおりだ。そして俺、いや私はこのために退屈な学生生活を何年も送る羽目になっていた。そんなかりそめの生活も今日で終わり。そう考えると非常に愉快ですらあるんだから」


 つまり最初から、これが目的だったのだ彼は。《フレームワーク》の秘密を探る工作員。それが彼の本来の姿であり、顔も実年齢もすべて偽りのもの。


「いや、最初はもっと穏便に盗みだそうと試みたのだ。幸い全員が《フレームワーク》の仕業を疑った。確かにそのとおりだ。お前らが調査を開始するより遥かまえに生成したこの《バグ》どもを使っていたのだから、あのとき痕跡を探しても無駄だったのだよ」

「その割にはその試みは失敗に終わったな」

「そうだ。本当に残念だよ。スマートな手ではないからね。だから私はこうやって仕方なく実力行使に踏み切ったわけだ。しかしこの《》とは便利なものだ。こんなたくさんの兵隊を容易に調達できるのだから」


 それが彼の能力か。《バグ》一つ一つは大したことない。しかしあの物量を今ここで投入されれば、二人ではさばききれない。


「さあ、どきたまえ。もしこの勧告に従うのなら『楽に』死なせてやる。しかし抗うのなら……ああ、苦しいだろうなあ。何千という《バグ》に蹂躙されながら死を迎えるのは」


 知らず私は息をのむ。例え厘先輩が来たとして、あの人数に果たして対抗できるのか――?

 そう思ったとき。

 ぽつり、と。

 感覚がなくなって久しい手の甲に、白いものが舞い降りてきた。


「雪……?いや違う……」


 それが『紙吹雪』であることに気づくまで、私は幾分かの時間を要した。どうやら判断力まで鈍っているらしい。しかしある意味当然のように、目の前の敵たちも突然の『降雪』に戸惑っている様子であった。だって今の季節は梅雨。雪が降るような時期ではない。

 そして紙吹雪であると気づいても、誰がどうしてこんな舞台芸能じみたことをする必要があるのか。

 そんななか、私達二人を守るように、敵との間に立ちふさがる影があった。


「……お待たせ。少しばかり『部活』に遅刻してしまいました、すいません」


 ああ、それは紙しか生み出せず、少し前に自らの姉に戦力外通告を受けた少年ではなかったか。

 私は文句の一つでも言ってやらないと気がすまなかった。

 折角危険から遠ざけてやったのに、なんでやってくるのだ、と。

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