第19話
姉さんはすべての敵が沈黙したのを確認したのだろう。
笑顔を見せながらこちらにやってきた。
「やっほー、シュン。大丈夫?怪我はなかった。いやーごめんねー、遅くなって」
一気にまくし立てるようにはなすその姿はいつもの姉さんで。一方で僕はたぶんすごくひどい表情をしているのだろう。
「姉さん……」
色々言いたいことはあるはずなのに、いざ面と向かうと言葉が出てこない。
少し考えればわかることなのだ。姉さんは《まほ研》の関係者のことをよく知っている。僕が《フレームワーク》を使えるということは姉さんも使えておかしくない。
「もー、酷い顔をしているわね。まあ仕方はないか。あんな大量の《バグ》に追いかけられだからね」
「…………」
その問いかけに無言で返す。そんなとき、ぴくん、姉さんはきれいに整った眉がわずかにあがる。すると意地の悪い笑みを僕に向かって浮かべた。
「さて、まだフォローしてあげないといけない後輩が残っているみたいだから、私は行くわ。もう大丈夫だと思うけど、シュンはなるべく人通りの多いところに……。といっている暇もないみたいねー。よし、決めた」
姉さんが手をわずかに動かすと、僕の体の周囲をとりかこむようにまわりにいくつものリングが現れる。そして次の瞬間、それらは輪の大きさを変え僕を締め付ける。つまり簀巻きにされる。そしてそのままフヨフヨと宙に浮く。
「姉さん、なにを…………」
「いやー。帰れといってみたものの、このままシュンを帰してまた巻き込まれたら不安だからねえ。うんうん、私ってば優しいお姉さんよね。だからシュンの勉強もかねてちょっとおつきあい願おうかなあ、と」
「いや、僕ちゃんと帰れるから早くほかの人のところへ……」
「さ、少し急ぐから。大丈夫だと思うけど酔うかもしれないから気をつけてね」
そういって姉さんは僕のお願いなどなんのその、地面を強く蹴りあげ、高く舞いあがる。僕もそれにつられるよう、リングにしばられたまま宙を舞うのだった。
「空を飛んでる……!」
「あなたの場合はね。私はただ、屋根づたいに飛び移ってるだけ」
「ほかの人にみられたらどうすんだよッ!!」
「ああ、それなら認識阻害をしてほかの人の視覚をジャミングしているから大丈夫よ」
姉さんの説明によくわかったような、それでも理解できないような。そもそもなんで人間が屋根づたいに数十メートル単位でジャンプすることができるんだ。
「《フレームワーク》の基本的なもののなかに、身体強化とかできるようなものがあるのよ。それに一見普通の服に見えても魔力を通して強化したりもできるし……。ていうかシュン、あなたなんか中途半端に習ってるわね、《フレームワーク》のこと」
胡乱下な視線を向ける姉さん。確かにそう言われればそうだ。先輩や詠が常人とはかけ離れた力で《バグ》と戦っていたことを思い出す。そうだよなあ。なんらかの力がないとあんな化け物と渡りあっていくことなんてできないか。
「いや、てっきり何かを創り出す能力、だと思っていたから……」
「まあいいわ。とりあえずこの案件が終わったら私からちゃんと説明してあげるから覚えておくことね。さああと次の目的地まで数分よ、スピードをあげるから」
今でも十分早いのに、さらにあげるのか、と思った瞬間。更に加速度がかかる。でも何かで守られているらしくそれのおかげで僕自身は特に息苦しさを感じることはなかった。
そして次なる戦いの地に僕たちは辿り着いた。あっさりと、結界に侵入することに成功した僕達は。
正直拍子抜けであった。
「ふむ、結構派手にやってるわねー」
そう言いながら手近な建物の上に陣取った姉さんは油断なくあたりを見回す。
「姉さん、僕はいつまでこんな格好をしてないといけないんだよ……」
「ああ、ごめーん。すっかり忘れていたわ」
そう言うや否や、僕を今まで簀巻きにしていた戒めの光は消え、僕は姉さんの斜め後ろでへたりこむ。
そこから見る姉さんの横顔は今まで見たこともない、真剣なものだった。
「さて、シュン。もうほとんど《バグ》はいないみたいだけど、なにやらみんな最後の大物と戦っているみたいだから行ってくるわね」
「みんな?」
「そりゃあエリちゃんやハルちゃん達よ。それ以外に誰がいるの。若干ピンチみたいだから私もいってあげないと、ね」
「……僕は?僕はどうすればいいの」
「さあ?ついてこれるなら、ついて来ればいいんじゃないかしら。そうそう、これ貸してあげるから」
そこで僕の携帯端末がバイブレーションする。あれ、ここは結界のなかだから携帯端末は使えないはずではなかったのか。
「今、直接それに転送したのよ。私が昔作った《フレームワーク》の使い方をまとめた本よ。当然非売品でコピーも駄目なんだからね」
にへら、と笑みを浮かべる姉さん。こういった表情はこんな非日常的なシチュエーションにおいてもいつもの姉さんのものだった。
「なんで今それを……」
そうだ、仮に今姉さんにもらったこの本を読んだとしてもこの場では役に立たないではないか。もっと即物的にみんなの役にたつことはないのか。姉さんがピンチって言うときは大抵他の人にとっては大ピンチなときが多いのだから。
「それはもちろん、その程度のことができないと行っても死ぬだけだから」
死。
その単語に僕は本能的な恐怖心を抱く。わかってはいるのだ。いつも惨めたらしく助けられてばかりで。さっきも姉さんが助けてくれなかったら間違いなく、その瞬間は訪れていたであろう。
「姉さん…………」
「つまり、ここに来る前にも言ったけど、ここで後学のため『見るだけにしときなさい』、ってことよ。じゃあ時間が惜しいから、私はいくわね」
姉さんは僕がいる周辺になんらかの術――前、尾笹先輩がかけてくれたような結界みたいなものなんだろう――をかけるとそのまま飛び去って行ってしまった。
そしてその飛び去って行ってしまった方角を見る。あれ、なんだろ。
そこには特撮の世界から飛び出してきたような怪獣がいた。
ビル三階建ほどのサイズのそれはいわゆるティラノサウルスのような姿かたち。
そこの周りを動きまわる影がいくつか。たぶんあれがエリカ達なのだろう……。
なんで彼女達はあんなのと闘っていられるんだろうか。今さらなのだが、僕にはとても理解できなかった。
ぼんやりと自分の携帯端末を取りだし、姉さんからもらった本を表示する。姉さんらしく、簡潔かつ要点をとりまとめた小冊子。しかしなんとなく読む気にはなれない。 暗い気分で携帯端末を閉じたとき。
ドンッ、と爆音があたりに響く。
そちらをみれば怪獣がビルに倒れこむ様子がみてとれた。
どうせ姉さんがやったのだろう。続いていくつかの光があのあたりで発生し、さきほどまで猛威をふるっていたらしい怪獣はここから見ても、明らかに動きが緩慢になってきていた。
しかし、最後の力なのか、怪獣がグッと力を入れたように見えたとき。
怪獣自身が赤い光を帯び、見たことのない大爆発を起こす!
「えっ、あれって……自爆、なのか……!?」
煙が止んだとき、爆発があった場所を中心として、巨大なクレーターができていた。
姉さんは、みんなは、どうなった――。
僕は急いでビルの屋上から駆け降りると、戦いの現場へと向かう。
どれくらいたったのだろう。息をきってそこに駆け付けた僕の目に入ってきたのは、 姉さんとエリカ、そして詠の姿。
そして彼女達に取り囲まれるようにして倒れている尾笹先輩の姿。遠目なのでよくわからないがあまり良い状態ではないのかもしれない。
「姉さんッ!?」
僕の叫びに反応することもなく、姉さんは先輩の方に手をかざしつづけている。その両手からは温かい橙色の光が出て、先輩を包んでいる。さらに彼女達に近寄ろうとしたとき。
「来るな!椋野舜一!」
僕が来たことに気付いた詠が警告を発する。なんで近づいたら駄目なんだろうか。そう思ったとき、エリカが詠に一つ目配せをして、こちらに駆け寄ってきた。
「シュン君。私とあっちに行ってよう。そっちに何が起きたかも聞きたいし。ね、いいかな?」
「尾笹先輩は大丈夫なの?」
「うん。最後の爆発で少しね。でも厘さんがいてくれるから大丈夫。すごい《フレームワーク》使いなんだから」
そういって一瞬視線を下げたエリカだが気を取り直して僕にそんなことをいってくる。
彼女の瞳には椋野厘に対する絶対的な信頼感に満ちていた。
しかし、僕は強い違和感があった。なんで目の前の少女はこんな目にあってもなお、そんな表情をできるのか、と。
僕の親愛なるこの従兄妹はどこでこんな道を歩むようになったのだ。いったいいつから。
それでもその感情をなんとか押さえつけて。僕は少し離れた場所にエリカと移動した。
まだ結界が解除される気配はない。
そこで僕からの状況説明とエリカからの状況説明を互いに行う。どうやらエリカは僕と別れた後、先輩達と会うことになっていて、そのときまとめて襲われたらしい。
「シュン、エリちゃん。ちょっとこちらにきなさい」
姉さんに呼ばれたのは僕たちがその場を離れてから一〇分ほど後のことだった。
戻ると、毛布をかけられた尾笹先輩がすやすやと寝息をたてていた。
その様子を見て僕はほっと安堵のため息を漏らす。
「まず結論から言うわ。ハルちゃんは大丈夫よ。ただちょっと腕の骨をはじめとして何本か折れちゃってるの。だから今から病院に行く必要がある。それは私が手配するわ」
「ありがとう厘さん」
「いいのよー、エリちゃん。むしろ遅くなって謝らないといけないのは私のほうだわ。本当にごめんね」
そういって姉さんはエリカと詠、そして尾笹先輩に向かって頭を下げる。それが終わると姉さんはこちらに視線を移した。
「それとシュン。悪いけどこのような状況になったので私から言っておくわ。こちらが誘っておいて、といっても私が誘ったわけじゃないだけど……」
姉さんの言いたいことはだいたいわかっている。そして僕にとってもすごく良い話のように思われた。
「わかってる。『これ以上まほ研につきあうな』ってことだろう。僕でもそれくらいはわかるよ」
僕はそういってきびすを返してこの場をあとにする。
一刻も早くこの異常な空間から抜け出したい、逃げ出したい、そんな気持ちでいっぱいだった。
「うん、そのとおりよ。それと明日は念のため学校休みなさい……。あと今日の晩ご飯もいらないけど明日は帰ってくるから準備しておくこと!」
最後にひどく家庭的なコメントを投げかけてくれた姉に対して背を向けたまま右手を上げ、了承の意図を返す。
また、エリカが何か言いたそうな視線でこっちを見てきていた。
「これ、先輩に」
先輩に借りていた《発動体》を手渡す。
「あの、シュンく……」
僕は彼女の言葉を無視して、その場を去った。
(勝手に巻き込んでおいて、勝手に捨てる、か)
もうなにもかもがどうでもいい気分だった。
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