第18話

 それから数日がたった。


「なあ最近のお前は喜々として《まほ研》に通っているじゃないか。すっかり飼いならされてしまったな」

「それは『危機として』の間違いじゃないのか杉多さんや」

「まあ『ぷれじゃあ』でも『くらいしす』でも俺にとってはどうでもいいことなんだが」


 特筆すべきはこういった会話がクラスの中であったくらいで、学校生活に大きな変化は見当たらない。ただ僕の放課後ライフは劇的に変化しているのだけど。結構こんな状況を楽しんでるのかもしれないな、僕は。

 ただ、肝心の事件に関する収穫はといえばなしのつぶてで。逆に被害だけがさらに増えるという結果になっていた。

 しかし、こんだけ事件が発生してそれでも犯人がわからない、その上見た人もおらず

「気づいたら学生証だけが綺麗になくなっていた」という案件ばかりなのだから、魔法があるのだったら透明人間でもいてもおかしくないのではないかとも思う。

 もっとも《まほ研》のメンバー、尾笹部長、詠、エリカ、そして先生は《フレームワーク》を使った痕跡を探そうと毎日がんばっている。

 そして僕も今日もお留守番であるので《フレームワーク》の練習などをしている。紙をだしたり消したり。


「ただいま戻りましたわー同志!」


 ハイテンションな先輩の声で、みんなが帰ってきたことがわかる。そして表情を見ればその成果のほどもよくわかるのだった。その上、今日は先生もほかの用事で不在にしており、先輩がかわりに口を開く。


「さて、みなさん。率直にどう思います?」


 先輩にはめずらしい、みんなの意見を求める形のクエスチョン。


「手詰まりです、部長」


 腰に手をあて憮然とした表情で自身の見解を伝える詠。


「《フレームワーク》を使った形跡の捜索に関していえば、小さいものに漏れはあるにしても大きな反応はすべて押さえたはずです。それにひっかからない、ということは」

「探知されないタイプの《フレームワーク》を使っているか、そもそも使ってないとも考えられるわね」


 部長の答えにうなずく詠。解決の糸口は見えてくる気配はどうやらなさそうだ。


「誰かがおとりにでもなればいいのかもしれないな。おい椋野出番だぞ」


 詠が僕に無茶ぶりをしてくるが、彼女は当然本気なのだろう。それくらいなにも手がかりは見つかってないのだから。

 ちなみ数日前下校途中に《バグ》に遭遇して以降、特に《バグ》に出会うといったことは起きていない。

「まあ、詠ちゃんのいうこともあながち間違いではないんだけど。今のところ学生証とられるだけだから。でも着替え中だったり食堂でご飯を食べている途中、少し席をはずしたときだったりでシチュエーションが特定できないのよねえ」


 だから怪我人がでたということもない。それなら囮というのもありかもしれないな。


「ためしに一回僕がぼんやり構内をほっつきまわってみましょうか?」


 危害がないならいっそのことそれもいいかもしれない、なんて楽天的なことを考え提案してみたが、先輩から帰ってきたのは色よいものではなかった。


「うーん、まあ今回はやめておきましょう。ではみなさん今週はこれでおしまい。まあ生徒会もがんばってみたいだし、我々も来週からぼちぼち頑張りましょうね」


 そんなこんなで今日も解散した。いったいどうなるのだろう。先の見えない事態に僕はなんとなくもやもやとしたものを抱えてしまっていた。



 さて、一年は三百六十五日であり八七六〇時間なのは変わりなく、時を止めることがなければ次の一日がやってきてしまう。そんなわけで今日は日曜日。

 僕は先日の約束どおり、エリカの家の前にいた。ちなみに結局あれ以降、姉さんの姿はみていない。といってもちょくちょくメールを送ってきているので生存は確認できている。せめてもう少し早く送ってきてくれれば夜ご飯をなんとかできるんだけどなあ。いつも二人分つくるのは大変なのだ。なのでここ一週間のお昼ご飯は学食ではなく自作弁当だったりする。

 そんなことを考えていると目の前のポットがぴー、という軽快な音をたてはじめる。お茶を淹れて待つことしばし。


「シュン君ごめんね遅くなっちゃった」

「いや、全然。というかリビングでかってに茶飲ませてもらっていた。悪かったね」


 黒のワンピースを主としたシンプルな出で立ち。それでもエリカの金髪と透きとおるような白い肌を引き立てるものとなっており決して地味な装いではなかった。

 もっとも僕はそんな彼女のことを確かに可愛いと思うものの、やはり見慣れてしまっているのだろう、あまり目新しさを感じることもない。

 彼女は自らもカップに紅茶を注ぐと僕のとなりの席に座って


「で、今日の予定はどんなんでしたっけ、エリカさん」

「あら舜一さん、昨日メールで説明したじゃないですか」


 たしかになんか昨日メールで今日のスケジュール表が送られてきたような。まあこういうときはこういっておけばいい。


「コースはエリカに任せます」

「はい。じゃあ行く前の「コレ」しましょう?」


 エリカは左手の小指をこちらに差し出す。彼女の意図は明白だった。

「いや、最近それ多くないか。指きり」

「やって減るものじゃないからいいと思うんだけどなあ……」


 結局、押し負けて『指きり』。


「というか今回僕達はいったいなにを約束したことになってるんだ」

「もちろん今日のお買い物が滞りなくすみますように、だよ」


 それ、約束というより願いごとのような。そんなつっこみをすることもできず、僕達はエリカの家を後にした。

 ふらふらと歩いて、バスに乗って。

 彼女に導かれるままたどりついたのは、最近オープンしたショッピングモール。ここは屋内遊園地まである大型商業施設ということで地元テレビにもとりあげられ、連日多くの人が訪れる最近人気のスポットだ。


「ああ、ここかあ。大人気らしいねえ、まだ来たことなかったけど」

「よかった。折角なので足を延ばした甲斐があったね」


 にこにこと笑うエリカは僕と腕を組んでぐんぐんとに入り口に引っ張っていく。そしてなかに入ったあとはしばらくはぶらぶらとウィンドウショッピング。はて、何か今日は買いたいものがあるとのことだが、一体何買うんだろうか。そんなこともちゃんと覚えていなかった自分自身にあきれてしまう。


「さすがに店もあまり見ないようなブランドのが多いねえ」

「そうだね、たとえばこことか」


 彼女は一つの店の前でとまる。いわゆるセレクトショップというやつだ。彼女の腕を引っ張って店に入っていくと、様々な副を見比べてはかえ、見比べては試着して僕の意見を求めるということを延々と繰り返す。

 女子ってなんでこういうことが好きなんだろう。いや男子でも好きなやつ

 僕がいいかげんな気持ちになってぼんやりしていると。


「シュンくんこっちの服とこっちの服、どっちがいいかなあ」

「……左側、かな。エリカらしくて可愛いと思うよ」


 僕が答えるやいなや、彼女はすごい笑顔でレジに持っていった。……まあいいか。ちなみに今の時代、僕たちはわりと学生証をつかって、電子マネーで決済をする。エリカが今もっていた服もそうだ。彼女は学生証を支払端末に向かってかざすと「パおーん」と小気味よい音がなった。


「ありがとうシュン君つきあってもらって。もうちょっといいかな?」

「どうぞどうぞ」

「どうもどうも」


 エリカはうれしそうにそう言うと、僕の腕をとって腕組みみたいな形になる。なんか最近エリカが妙に近いような……。

 そんなことを考えているうちに次の目的地についたらしい。

 今度はこじんまりとした輸入雑貨店に入る。

 そしてエリカは僕から離れてハーブティーをいろいろ物色しはじめた。どうやらクラスメイトからすすめられた店。いつからか店員さんとのハーブティー談義になったらしく、僕も当然それに巻き込まれるわけで。

 まあ、エリカの淹れるお茶は美味しいので我慢をしておく。

 三〇分ほどして最終的には紅茶にはなにを入れるか談義までいったところでその会談はお開きとなり、僕たちはその足でフードコートへ。小腹を満たしたところで、今まで聞けなかったことでも聞いてみようと思い立った。


「そういえばさ、エリカってなんで《まほ研》に入ってるの?」

「え、私が入った理由?そうだね……」


 彼女はついさきほどまでオムライスがのっていたスプーンをお皿に戻すとすこしだけ考える素振りをみせるとふんわりとした笑顔を見せる。


「あこがれの人が、いるんだ」

「…………エリカらしい理由だね」

「そう?そのあこがれの人がね、《フレームワーク》を使って大活躍したんだって。そして今もがんばってる。だから私もそうなりたいなって」

「へえ……」


 エリカは尊敬する人が誰か、ということまではわからなかったが、その人のことを考えたときのエリカのうれしそうな表情に僕はなんとなくつまらない気分を覚えるのだった。なんでだろうな。

 結局あのあと、何件かお店につきあわされ、最後は夕飯の材料の買い物につきあい、こちらに帰ってきたのは結構な時間になっていた。エリカを家に送っていくと、今度は晩ご飯を一緒にとすすめられたが、さすがに悪いので断った。

 ご飯を断ったのがいけなかったのだろうか。

 一人夜道を帰る僕の目のまえに立ちふさがる影があった。それは数日前にもあらわれた《バグ》。

 そう。またあの『熊』がまさに僕に牙をむこうとしているのだった。

 熊は種類にもよるが通常体長3メートル程度だそうだ。

 そして目の前にいる《バグ》も同じ位の大きさである。それだけでも十分に脅威だ。

でもなあ、なんでかどうしてか。

 目の前にいるそれは先日のように一体ではない。その数ゆうに数十体。へたをすれば百近くいるんじゃないだろうか。

 僕がそれを認識した瞬間、僕は《結界》のなかに放りこまれる感覚を味わう。

 しかし僕の見える範囲にほかに人はいない。僕もその《フレームワーク》を使うことができない。目の前の『熊達』はそんなことをした素振りもない。

 つまり、まだ認識できない第三者が僕に《バグ》をけしかけた?

 しかし、なんで。僕が《まほ研》だからか。ではみんなは?いろんなことがクエッションマークと一緒に頭に浮かんでは消える。

 しかしそのなかで明らかなことは一つだけ。

 目の前でじわりじわりと精神的に僕を追いつめるような距離の詰め方をする熊達はなんらかの人為的な結果によるものなんだろうということだ。


「つまり、大ピンチってわけじゃないか……」


 誰かを呼ぼうにも、この《結界》内はそもそもいつもいる空間とは違う種類の空間で、携帯電話は圏外だし、大声をあげてもそれが届くことはない。

 現実逃避気味にそんなことを考えつつ、僕は少しづつ後退する。一八〇度まわれ右したい気分だが、それだと一斉に襲いかかってくるであろうことを僕の本能が告げている。一筋の汗が頬をつたい、地面に落ちる。

 そして、困ったことがもう一つ。僕はじりじり後ずさっているわけだけど、この結界の広さには限度があるのだ。

 その制限いっぱいまでくると、見えない壁のようなものがあると尾笹先輩がいっていた。

 そんなことを思い出した矢先のことだ。ごつん、と今まさに僕はその壁にあたったらしい。

 ちらりと後ろを振り向くと、まだ道は続いているはずなのに、見えない壁に阻まれ、後退が許されない。

 まさに昔のRPGゲームのような仕様。

 つまりこれ以上逃げることはできず、熊達は近づいてくる。そして辺りを見回せば、前からだけでなく、ほかの方向からも彼らが現れているのが見える。扇状に僕は包囲され、その包囲網は確実に狭められていた。

 あと少しで僕は蹂躙される。僕の脳裏に不意に先日の戦いで同種の《バグ》が放った一撃がアスファルトをえぐった光景がフラッシュバックする。それが僕に向かえば……どうなる?

 僕は、死ぬのか――?

 揺るがない未来予想図。僕の心臓の鼓動はさっきから破裂しそうなほどの音をたて、 握られた手からは脂汗。

 僕に《まほ研》のみんなみたいに戦う力はーー。

 ああ、こんなことだったら以前僕が《フレームワーク》で生み出した《本》に字を書いて攻撃の道具として使っていた。そんなことを不意に思い出す。あのときは先輩がそうして詠を援護してたっけ。あまり詳しくは覚えてないけれども。

「やらないよりはまし、なのかも」

 幸い、僕が持つバッグのなかにはボールペンがある。その一方で僕が動けば奴らを刺激し、殺到してくるかもしれない。

 どこか逃げる場所はないか、すこしでも時間が稼げるような退路は。きょろきょろとあたりをみると。


「……あった」


 一カ所だけ、なぜかぽっかりと道が空いていた。誘うための罠なのか。それとも……。


(迷っている暇はない、な)


 一つ大きく息を吸って、足に力をいれ、全力で走り出す。

 一瞬遅れて、熊達が僕を追いかけ始める。

 誰もいない街を疾走しながら、僕は《フレームワーク》を発動し、自らの手のなかに本を作り出す。

 さて僕は全速力なのだが、熊達との距離はぐんぐんと縮まってきていた。熊のスピードは時速五〇キロを越える。乗用車並みの速度に人間がかなうはずもない。

つまり僕はあとすこしで大量の熊に追いつかれ、捕食される運命にある。


「ええい、なんとでもなりやがれっ!!」


 そういって僕は作り出した本の1ページを破り走り書きしたものを放り投げる。

 そういえば昔の童話で三枚お札を投げて鬼ババから逃げる、っていうのがあったような気がする、なんてことが不意に思い出された。

 ぽすん、と音をたて煙を吐くだけ。

 もうぜんぜん余裕がない。たぶん投げられるのはあと一枚時間があるかないか。今度こそ、と尾笹先輩が書いたのをできるだけ思い出しながら。

 しかし、人は練習していていても失敗する動物である。ぜんぜんやっていないことをやれといわれても急にはできやしない。少しの希望をもって投げられた二枚目のお札が不発だったとき、僕のもってる手札はすべて尽きたように思われた。

 その童話でも三枚のお札を使ったけど、結局はそれだけでは駄目で最後は助があったんだよな、確か。

 すぐ後ろには熊の気配がする。ああ、なんかいつも追いかけられてばかりだなあ、僕は。

 つい最近も先輩をかかえて《ミノタウロス》に追いかけられったっけ。

 しかし今度は前よりも状況はさらに切迫していて。覚悟を決めるべきときがきたように思われたとき。


「全く、困った子がいたものね」


 二度あることは三度あるのか。それとも仏の顔も三度までなのか、今回で都合三回目。すんでのところで助けが入る。しかもすごくよく見知った人でーー。


「その声は…………」

「《光よ、蹂躙せよ》!!」


 浪々たる声とともに電柱の上に立つ人物の右手から無数の光が打ち出される。熊達はそれを受け、打ち抜かれ、次々にぼろ雑巾のようになっていく。

 それでもそれをかいくぐった《熊達》数体が複数方向から『彼女』に襲いかかるが。


「うーん、やっぱり遅いわよあなたたち、陳腐だけど一昨日きやがれってヤツ?」


 彼女が今度は左手を振るうと、かまいたちなのか、彼女を囲んだはずの熊達の四肢がいきなりちぎれ、飛ぶ。そしてその一部は僕の目の前にぽとりと落ち、そのまま光になって消えていく。

 僕が彼女をみればその胸では質素なネックレスがいつもと違って淡く青白い光を発していた。

 それから数分後、あれだけいたはずの《バグ》はすべて駆逐されていた。


(ぜんぜん、違う)


 そうなのだ。先輩達が振るってきた力は確かにすごいなあと思っていた。でもどうだ?今目の前にいる彼女が振るう破壊の力は今までみてきたものはとはレベルが桁はずれに違うのだ。

 これなら、いやこれこそ《魔法》なのだろう。

 ああーー。そしてこれが『畏怖』という感情なのか。

 にこりと微笑む彼女の名は椋野厘。つまり僕の姉さんに抱いた感情はただそれのみであった。

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