第11話
「家出るのが早すぎた…………」
待ち合わせ時間には少し早すぎて時間を持て余し気味だった僕は、道沿いにある書店に入って時間をつぶすことにする。
もっとも電子書籍全盛の今は、『書店』といっても昔のように雑誌が平積みされ、棚に整然と本が並ぶーーなんてことはほとんどなくなった。
僕が入った書店もたくさんの端末と、新刊を宣伝する3D立体画像による広告がところ狭しと立ち並び、購入するときは端末を操作して自分の電子書籍端末にインストールするだけ。非常に味気がなくて嘆かわしい限りだと僕は思うんだけど多くの人はこれが便利らしい。
僕は空いている端末の一つを使ってくつかの新刊を《試し読み》をするが、あいにくこれは、と思うようなものとは出会えなかった。
はあ、これなら家から本もってきてファーストフード店でコーヒーでもたのんで時間をつぶせばよかった。
ひととおり立ち読みも終わったころには、待ち合わせ時間が近くなっていたので、とりあえず約束の場所に向かうことにした。
歩くこと十数分、公園の入り口の一つ。そこには既に待ち人がいたらしい。
「よく来てくれました、同志舜一」
公園の青白い街灯に照らし出される尾笹先輩はなぜだか制服姿。そしていつもと同じように笑いかけるが、その雰囲気はなんとなく荘厳なものを感じさせられる。
そんな彼女に言われるがまま導かれたのは、先日エリカと小森江さんに会った公園の一角にある広場だった。
その広場の真ん中で、彼女は僕のほうを振り向く。妖艶なまでの笑みをたたえて。
「私が同志をこの《まほ研》で手伝ってもらいたいことって何だと思いますか?」
「えっと、たまってる書類仕事をするってことですよね」
それも僕がエリカの親戚で頼みやすいから、ということだろうけど。
「ええ、それが大きな理由の一つ。でももう一つあるんです」
「もう一つ?」
僕の疑問に答えることなく、先輩は体の向きを僕からそらすと、別の話題に転じた。
「先日、エリカちゃんと詠ちゃんが対戦をしていたこの場所にあなたが来た、と聞いて驚きました」
「…………?」
「さて、ここで同志に一つ質問です。先日エリカちゃん達と公園で会った日。その場所に足を踏み入れた際に何か悪寒のようなものを感じませんでしたか、同志よ」
「確かに……。なにか《ゾクリ》としたような」
妙な悪寒がしたような気はしたけど……。あれは単なる気のせいだったのではないか。
「ふふっ、こんな感じでしょう?」
いつのまにか先輩の近くには、立体映像のコンソールがふわふわと浮いていて……。
彼女は、エンターキーを、軽やかに、なんのためらいもなく、いつもしているかのように、気軽に、押した。
「…………《リストラクション》」
尾笹先輩から漏れる聞こえるか聞こえないかくらいの大きさの声とともに、一瞬彼女の胸元が光り輝く。
ゾクリ。
その瞬間、あの夜感じた悪寒と同種のものが僕のなかに流れ込んでくる。この世から自分が拒絶されているかのような悪意する感じれるような悪寒。それがおさまったとき、僕は先輩に尋ねざるを得なかった。
「ここは……。今さっきいた場所と同じ公園なのですか?」
質問に答えることなく、ニコリと笑った先輩は、よく気づきました、といっているかのような優しい表情を僕に向けた。
改めて辺りを見回しても今までとなんら変わらない場所。でも僕の頭のどこかは、ここが先ほどとは違う場所であることを主張している。空気が変わったとかそういうという生易しいものではない。もっと根源的なものが変わったような。
まるで、バーチャルリアリティの世界に迷いこんだような現実感のなさはなんだ。
「《フレームワーク》って便利な技術だけど、ほかのコンピュータープログラムと一緒で《バグ》とか《ウイルス》があるんですよ」
先輩のいきなりの話題転換に僕はついていけない。いきなりなんでこんなことをいいだすんだ?
「はあ……」
「それでたとえばだけど《フレームワーク》がそういった《バグ》や《ウイルス》でおかしくなるとどうなるか知ってる?」
「それはいきなり動かなくなったり、へんな画面がでてきたり……」
「正解」
それだけ言うとこんどは先輩は背を向ける。僕を何かから守るかのように。
「でもね。もう一つ困ったことがおきる場合があるんです」
「……困った、こと?」
なんだろうか、いきなり爆発したりとかか?
そこで僕は一つの可能性にいきあたる。
僕が小森江さんとエリカとはじめて会った日。
そう、あの日。
彼女達は何をしていたんだ。
「さて、そろそろ時間みたいですね。『お客様』がいらっしゃったみたいだからすこしお静かに」
尾笹先輩はそういうなり手元に立体コンソールを呼び出すと大きく一つ息を吸う。
のそり。
それは唐突に僕達の前に姿をあらわした。
僕だけでなく多くの人間がよく知っているであろうソレのことを僕は主に最近先輩にもらった《カードゲーム》のキャラとして知っていた。
「ミノタウロス……!?」
上半身が牛、下半身が人間という神話をモチーフにした登場キャラクターである《ミノタウロス》。僕の記憶が確かならゲームではかなり強い能力値を持っていたはずだ。身長は4メートル弱ほど。右手には背丈よりは少し短い程度の戦斧を握り締め、殺気だった視線を僕達に送ってきている。
しかもその様子はゲームでみるときと違ってその息づかいや細かな動きはこの世界で圧倒的な存在感を放っていた。まるで本物のように。
「うーん、思ったより手ごわそうですわねえ、同志舜一を連れてきたのは失敗だったかしら?」
「先輩……」
「いえいえ、言ってみただけですよ。手ごわいっていってもそんたいした相手ではありませんから。さて先ほどいった《困ったこと》の正体があれ」
「あのミノタウロスが?」
「ええ。ああやって暴走した《フレームワーク》はああいう《バグ》を生み出すの。それを駆除するのが《まほ研》の役割」
そんな話を聞いても現実感など沸くはずもない。そもそも先輩はたいしたことない的な発言していたけど、どうみても十分たいした相手のような……。
あ、《フレームワーク》でできたものは現実のものには影響を与えないんだっけ。つまりあの怪物に殴られても痛くも痒くもない、はずだ。
「さて、同志舜一にはしばらくじっとしててもらわなければいけません」
尾笹先輩が僕を一瞥すると、僕の足元を中心に半径1メートル半ほどの青白いフィールドができていた。そして彼女は何かを僕にほおり投げ、反射的に僕はそれを受け取る。
それは、先日先輩に説明してもらった《発動体》といわれる黒い石だった。
「その青白い場所はゲームでいう結界みたいなものです。その中にいればよっぽどのことがない限りは安全ですから……。そしてその《発動体》はお守りみたいなものかしら。念のため持っていてね。さて、ではぼちぼち参りましょうか」
その一言が先輩が戦いの帳をあける宣言だったのだろう。彼女の両手にはモデルガンのようなものがいつのまにかおさめられていてそれをおもむろにミノタウロスに向け、発砲する。
ガード下で電車が通過するような音が連続して鳴り響く。すごいうるさいなこれは。
ーーそれからどれくらいの時間がたっただろうか。
実際は2、3分ほどなのだろうが、ひどくのどが渇く時間だ。
戦況は先輩が有利に進めているようだ。スペックは《カードゲーム》のものと同様なのだろう。
近距離の攻撃手段しかもっていない《ミノタウロス》に対して、先輩は次々と銃やら何やらを生み出しては距離をとって攻撃をしかけている。
致命的な一撃を与えるまでに至っていないが、段々とあいての動きがにぶくなっていっているようにみえる。
それにしても先輩、ほんとキレのいい華麗な動きだなあ。距離をとるためにはげしく動いているけどほとんど息があがってないし。
そんなふうにおもっていたときだった。
「きゃあ!!」
先輩の悲鳴が聞こえる。どうやら相手が手近にあった木をへし折り、投げたらしい。
その全てをよけきれず、先輩にその一部があたったのだ。数メートルほど吹き飛ばされた先輩はそのまま近くにあったベンチにたたきつけられる。
これはマズイ。
だって、あれは現実のものだ。《フレームワーク》ではない。その証拠に先輩はピクリとも動かなくなっている。気絶しているのかもしれない。
そして、それにすごい勢いで《ミノタウロス》が先輩に近寄っている。
どうしよう、どうすればいい。なにができるんだ僕に?
倒れている先輩と僕の距離は二〇メートルほど。
そんなに遠くないが、近くもない。そしてその怪物と先輩の距離はそれよりも遠いがどんどんとつめられている。
僕の手元には先ほどに渡された黒い
「でも使い方は……」
使い方なんて知るわけがない。
頭の中にいやなイメージが広がる。怪物によって先輩が蹂躙される――。
いや、それだけはだめだ。せめて気をそらして先輩が目を覚ませば。
しかし僕の足は震えるばかりで、一向に進もうとしない。この場所からでることをいやがっているんだ。この根性なしめ。
なにか、なにか、なんでもいい、すこしでも時間稼ぎができて先輩が助かるような。そんなものが……。
その祈りが通じたのか、その瞬間、黒い石に過ぎなかった《発動体》に文様が浮かび、ほのかに青白く発光して――。
光が収まると僕の手元には一冊の本が現われていた。
ごてごてした装丁の時代がかった単行本サイズのそれには、ずしりとした存在感。
読めば炎がでてきたりする魔術書だったりしないか――たしかあの《カードゲーム》にはそんなアイテムカードがあったはずだ――慌てて本を開き、ページをめくる。どんどんと、どしどしと。
その結果は……。
「いや、こんなのが出られても非常に困るんだけど……」
僕の目に飛び込んでくるのは、まぶしいばかりの白、ホワイト、 象牙色。つまりはただの白紙ノートだった。
普通、物語とかではこういうときは、何やらドーンと銃やら刀やら、はたまたトンデモ兵器がでてきて、目の前の敵を颯爽と片付ける、というのが王道というか、お決まりのパターンではないのだろうか。
そんな僕の葛藤を気にすることもなく、《ミノタウロス》は一歩また一歩先輩のもとに近づいている。
一方、尾笹先輩の方に目をやれば、気がついたのか起き上がろうとしているけど、怪物のほうが少し早く目的を達成しそうな感じだ。
うーん、もしかしてこの本を奴に向かって投げればなにか効力が発生するとか、か?
人間、危機的な状況になれば藁にでもすがりたくなるもので、普通ならありえないような考えに僕は行き着いていた。
理性的には可能性が低くても、感情的にはその可能性にかけたくなるような、そんな馬鹿馬鹿しい考え。
それでもそれは僕の心を軽くし、行動に移させる格好の言い訳にはなってくれた。
ええい、ままよっ!!
僕は震える足に活をいれ、先輩の方に向かって全速力で駆け出す。
とりあえず彼女を助けなければ。
守ってくれていた結界から出た瞬間、《ミノタウロス》は僕のことに気づいたらしい。そのスピードを緩めて僕の方に一瞬だけ注意が逸れる。
今だ。現れた本を怪物に向かって投げつける。なにか素敵なことがおこりますようにーー。
僕のそんな願いもむなしく、放物線上に飛んでいった本は、ぺちん、と情けない音を立てて《ミノタウロス》にぶつかり、消えた。
「ああーっ!やっぱり駄目かー!!」
全くダメージを与えることはできなかったが、ただ幸いといっていいのかどうか、奴の気をこちら側に逸らすことはできたらしい。ほんの少しだけ、動作がとまり全力疾走で先輩に駆け寄る僕を一瞥する。
その間に僕は倒れた先輩のところまでたどりつくと抱きかかえて逃走。
もちろん、かの怪物がいるところとは別の方向へ、だ。
それに気づいたらしく、《ミノタウロス》はそのスピードを早める。
そんな怪物が僕より足が遅いはずはない。そして僕はいかに軽いとはいえ、人一人を抱きかかえているのだから、その距離はぐんぐんと縮まってーー、その射程に収まろうとしていたとき。
「椋野。伏せろっ!!」
どこからともなく聞こえてくる女の子の声に、僕は先輩をかばうように覆いかぶさりながら身をかがめる。
ズドン、と音がして辺り一面に砂埃が舞った。それと同時に《ミノタウロス》のすぐそこまで迫っていた息遣いが聞こえなくなっている。僕が振り返るとーー。
「全く。放課後、あれだけ《フレームワーク》のことを教えた割には、部長があっさりと椋野を開放するから可笑しいと思ってきてみれば」
いつぞやの夜のように、黒髪の少女が僕達に背を向けている。
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