第9話

「これは一日仕事になりそう……」


 そういって一番手近にある紙を手にとろうとするが――。


「はーい、皆さんお元気ですかー」


 どかん、と扉を開けて勢いよく尾笹先輩がはいってきて、書類へ伸ばす手が止まった。挨拶もそこそこに、彼女は僕の目の前にやってくるとにこやかな笑みでこう宣告した。


「今日は我が部の《活動》を紹介しますわ、同志舜一」

「いえ、早速お願いされている作業をしたいのでまた別の機会に」


 速攻断らしていただいた。今はこの部に体験入部の身である。いや、先ほどエリカに言ったようにゲームをえさに買収されたといってもいい。お願いされたことは書類の整理だしあまり深入りするつもりもない。


「確かにそれがお願いしたことなんですけど、折角我が部の一員となったのですから、活動の様子とか見る必要があると一考いたしました」

「まだ一員ではありませんよ先輩。体験入部しているだけです」


 体験入部期間が終われば速やかにこことの関係を切って、もとの生活に戻ろうと思っているのだが、さすがに今ここでそれを言う必要はあるまい。


「正式メンバーでないならなおのことです。『体験』の意味、全くないじゃないですか。それに体験入部期間は半月くらいありますから時間は充分ありますよ」

「う……それは…………」


 確かにそうだ。《魔法》などと大層な名前がついているが、その実どんな活動をしているのか具体的なことを僕は全く知らなかった。そもそも《魔法》という言葉からして、そのようなものはすでに時代の亡霊、まやかしに過ぎない。

それとももしかして先ほどの噂のように、実はここもカルト宗教の隠れ蓑となっていて、その勧誘の一環で自分はつれて来られ、今から熱心な勧誘の一環として監禁とかなんとかされて……。


「なんて、同志舜一は考えてらっしゃいませんよね?」

「いえ、せいぜい動物を生贄にして、なにかを呼び出す儀式をする怪しい集団の図を想像したにすぎません」

「あらあら、野蛮なイメージね。でもそんな噂は確かにありますね」

「私が聞いた話だとここに入った人間は例外なく悲惨な目にあう、とのことです」


 からからと明るい笑顔振りまきながら応える先輩とそれにしれっと小森江さんが携帯を依然いじりながら付け加える。

 確かにここはへんなところだ、と認識を新たにしたところでエリカがまだ来ていないことに気づく。昼の様子だとすぐに来そうな気がしてたんだけど。


「そういえば尾笹先輩、九品寺さんはどこに?」

「ああ、エリカちゃんならその《活動》のために先にいっていますよ」

「なるほど。今日はその日でしたね。忘れてました」


 携帯端末をいじるのを止め、顔をあげた小森江さんが尾笹先輩にそう応える。

なにやら一人で納得したらしい。そそくさと自分の荷物を片付け、お先にと部室から出て行った。

 しかし《活動》っていっても一体何をするのだろうか。


「で、今日は何を見学すればいいのですか、先輩」

「それはもちろん《魔法》に決まっているじゃありませんか」


 そういっては口の端を吊り上げる尾笹先輩は、杉多の言うところの《魔女》というイメージぴったりだった。

 そんなこんなで部室を出発して10分程度歩いただろうか。

 僕がに連れてこられた場所、そこでは多くの運動部の生徒が汗を流している学園の運動場だった。特に何も変わったとこもない、いたって普通のグラウンドだ。こんなところに何があるのだろう。


「ここに《魔法》があるんですか?」

「ええ、そうです。まあすこし様子を見ててくださいな」


 尾笹先輩はただにこにこと笑顔を振りまいている。この時間に制服姿の生徒が運動場を闊歩している姿は珍しい。周りの運動部の生徒達も彼ら珍妙な訪問者を不審な目でいぶかしむ様子だけが伝わってくる。ちょっと恥ずかしい。

 そしてそのまま、僕達は運動場の隅っこへと向かおうと少し方向を変えたとき。

 ふいに、僕の目に一人の少女の姿が飛び込んできた。


「えっ……!?」


 そこには、フリフリの服をまとった《魔法少女》がいた。


 それも残念なことに僕の見知った従兄妹サマが。

 魔法少女。それは日本のサブカルチャーにおけるキャラクター類型であり、魔法を使い物語をつむいでいく存在――。

 ただそれはあくまでもフィクションでのお話で、現実にいてもそれはただのコスプレにしか見えないわけで。目の前にいる少女はその一昔前のアニメにでてくるような典型的な格好をしていた。

 学校という公共の場で、こんな真昼間から。

 それも男性に人気の高そうな類の格好で、フリルのついたマイクロミニのスカートからは健康的な素足が伸び、なにかの拍子にスカートの中が見えてしまいそうだ。

 そういう格好は是非お盆と年末、年に2回東京でいまだにあっている、某イベントでやっててくれればいいのだけどなあ。


「えっと、実はマスコットなどいたりして?」

「あら、同志舜一。よくわかりましたわね」


 ふと思いつきが口をついてでたが、ころころと笑いながら尾笹先輩が肯定する。

驚いてエリカの方を凝視すると、確かに彼女の近くの空間に犬のぬいぐるみのようなものがふわふわと浮いていた。

なんという現実感のなさか。


「やっぱりあのぬいぐるみの一人称は『ワイ』とかいう設定なんですか」

「もちろんよ。あら、なんでわかったのかしら……」

「それは……いえ、なんでもありません」


 なんとなく出典がわかってしまう自分自身に辟易してしまうが、その間にもエリカはなにごとか忙しく立ち回っていた。そういえばエリカはあの格好で何をしてるんだろうか?


「はーい、エリカさん。こっちに目線くださーい」


 エリカを呼ぶ男の大きな声が聞こえた。

 そちらの方に目をやれば数人の生徒がカメラや照明、マイクなどをもって彼女の姿を追いかけていた。どうやらエリカは彼らの要望にあわせて、位置を移動したり、ポーズを決めている。

 それにしてもエリカの格好は派手だ。ぼんやりとその光景を眺める僕にたまにエリカが視線を投げかけてくる。

 うんうん、わかってるよエリカ。このことは親戚には黙っておくから。安心して。そんな視線を送り返すがなぜか彼女はがっくりとした表情になる。あれ、どうしてだろ。

 それにしても。これはどうやら何かの撮影をしていることは理解できた。でも、これが何をもって活動なんだろうか。まして《魔法》なんて。いや確かに魔法少女のコスプレではあるのだけど。


「先輩、これなんですか?」

「あら、同志舜一が見てのとおり、撮影ですよ?」

「いや、確かに撮影をしていることはわかります。問題は……」

「ああ、あの格好なら《フレームワーク》で作っているから大丈夫よ」

「へえ、そんなことまでできるんですかー、っていやそもそも……」


 なぜ、撮影をしているのかを問いたかったが、先輩からかえってきたのは違う答え。

 なんなく合点がいかない。そんな僕の表情をどう読み取ったのか、尾笹先輩は話始める。

 昨日の経験からどうも話を止めることは無駄であることはわかっているので、とりあえずそのお話を聞くことにする。


「ではご説明しましょう。《フレームワーク》の原理を。それはシンプルに言うならば《発動体》に《アプリ》といわれるプログラムを流すことで様々な事象を発生させること、と定義できるわ。まあいわばパソコンのディスプレイ上でできることが、現実に飛び出てくる、というイメージかしら」

「はあ……」

「そして、その《発動体》とよばれるものが、コレね」


 先輩はごそごそと黒い結晶のようなものを取り出し、僕の前にかざす。

 見せられたのは何の変哲もないただの黒い石にしか見えない塊。

 これが《発動体》というものだろうか。それにしては安っぽいもので、なんだか石炭のようにも見える。


「ただの石にしか見えないですが……」

「確かに。それなら同志、こうすればどうかしら」


 どこから現われたのか、先輩はおもむろに空間に立体映像のコンソールを出すと、いくつかのキーをたたく。

 すると、彼女が持つ黒い石の表面に青白い光の筋が幾何学模様にどんどん刻まれていく。


「これは……」

「大丈夫大丈夫、すぐに終わりますから」


 ほどなく、先輩と僕が並び立つ間に、この学校全域を示す立体映像の地図がぽっかりと現れる。

 はあ……、ほんとSF映画の世界だな。

 僕の驚いた表情に満足したのか、さらに先輩がコンソールを軽やかにたたく。

 すると地図上に様々な情報が上乗せされる。それは建物の名前であったり、学食のおすすめメニューであったり、学園の告白スポットの紹介であったり、だ。


「……学校の、地図ですか?」

「ご名答。地図アプリを起動しました。で、次に……」

 再び尾笹先輩がコンソールに手をやると今まであった地図が消え、そして再び黒い塊の表面に光の筋が生まれる。

 あれっ、何か前みたものと若干その模様が違うような……。気のせいだろうか。

 そんなことを考えている間に、今度は矢印が尾笹先輩の目の前にあらわれるとくるくると回転し、僕の方向を指してとまった。


「これは《方位磁石アプリ》ね。矢印が向くほうが北側ってことですよ」


 その矢印もすぐに消える。


「このように《フレームワーク》は《アプリ》を介することで初めていろいろな用途に使うことができるというわけです」

「確かに便利ですね。でも僕の知っている限り《フレームワーク》といわれるものは普通、ある一定の機能をもった製品しかないように思うんですけど……」


 たとえば、昨日僕が遊んでいた囲碁や、部室でやったトランプといったものがその代表格だろう。


「なるほど、いい質問ですね。さすがは同志。ああいうのは、囲碁ゲームなら囲碁だけ、と単一の機能を想定して作られているものだから、こういった汎用性はもっていません」


 尾笹先輩はいたずらっぽい笑みを浮かべながらもう一度コンソールをたたく。

そこにあらわれたものを見て、僕は目を見張るしかなかった。


「……こんなことまでできるんですか」

「ふふふ、驚きましたか。そうでしょう、そうでしょうー」


 先輩が胸をはる。僕の目の前にはいつも放課後で使っている碁盤と碁石が忽然と現れていた。


「もっとも、同志がいつも使っている囲碁の《フレームワーク》みたいにネットワーク機能とかはついていません。それは作り込みの差ってものがあるからなんですけど……」


 それから先輩から《フレームワーク》について聞かされていたけど、正直見せられたものの衝撃が大きくてあまり耳に入ってこなかった。だって、いままで見聞きしてきた《フレームワーク》というものにはこんな機能に広がりはなかったし、こんなことができるなんて知らなかった。まあ僕が素人なだけで、世の中では既に常識なのかもしれないけど……。それにしてもすごいよなあ。

 先輩は《フレームワーク》について超高校級の腕前といわれていたが、その一端がわかったような気がする。

 そしてそんなことを考えるにつけ、一つの欲求が頭をもたげてきた。うん……。あれ、触ってみたい――。

 気づけばつい、口に出していた。


「先輩よかったら僕にも……」

「あ、どうやらそろそろ撮影も一番のクライマックスシーンのところみたいですね。エリカちゃんがんばってー」


 話を切り出そうとしたところで、先輩は向こうの様子が気になったのか撮影の方に興味を戻すと声援を送り始めてしまった。

 その切り替えの早さに思わず苦笑してしまうけど、後でまた聞けばいいし、しばらくはエリカの《魔法少女》っぷりを眺めるとしよう。

 舞台に目をやると確かにクライマックスシーンのようだ。先ほどよりもいっそうエリカの動きと彼女のさらに奥にいる生徒たちーーつまりは映画研究部の面々だろうーーは撮影に熱がこもっているようであった。

 もっとも、僕達とエリカたちの間は結構離れている(撮影の邪魔にならないようにからなんだけど)ため、エリカが言っているであろうセリフを聞き取ることはできない。

 そして、エリカの前には怪物が一匹立ちふさがっている。今回の撮影における敵役といったところなのだろうか。そしての姿は僕にとっても見たことがあるものだった。


「あれはカードゲームにでてくるモンスター!?」

「ええ。こちらであれもこちらで用意させてもらいました」

「あれもやっぱり《フレームワーク》ですか」

「そのとおり。やっぱり魔法少女には敵がつきものでしょうしね」


 モンスターに向かって対峙する魔法少女エリカ。

 しばらくにらみ合いが続いたがどうやらなにか動きがあるようだ。

エリカはおもむろに持っているステッキをモンスターに向ける。

 するとそのステッキは青白い光を放ち、その瞬間エリカを中心として円が広がった。

 そしてその円の中にはヘキサグラムと見覚えのない文字で埋まっている。

 あまりに非日常的で幻想的な光景。思わず少し眼鏡をずらして裸眼でその様子を眺める。

 うん、確かにこれは現実の世界に存在しているものだ。

 一人納得しているあいだにも光はだんだんとエリカのいる場所に向かって収束する。

 そしてエリカの大きな叫び声というか掛け声が聞こえるとともに、一筋、というには太すぎる光の束がモンスターを蹂躙してーー。

 僕が気づいたとき、残されたのは大きなクレーターと、僕の横で涼しい顔して見守っている尾笹先輩だけだった。

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