第3話

 エリカは再度お礼を言うと軽い足取りでこの部屋を後にする。

 その背中を見ながら、僕は姉と自分のことをついまた比較してしまう。

 なんでもできる姉さん。なにもできない自分。何かが燻っていた。

 さて、気分を切りかえよう。だいぶ時間も食ってしまったし、今日は月末。

いくら暇な部活動といっても作業はゼロではないのだ。

 物品の棚卸をはじめとしていくつかの作業が残っている。それを片づけなければ。


「伝統ある購買部、ねえ」


 しかし今日はため息が多い。陳列されている教科書やノートは先程エリカが指摘したような紙製。しかしこれらは今の時代のメインストリームではない。

 嘆かわしいことだ、紙の手触りやにおいは電子書籍では決して味わえないものであるのに。もっともこれを周りに言ったところで相手にされないところがつらいところである。

 そうやってしばらくの間作業をしていると下校の時間であること告げる放送が校内に響く。帰り支度をしないと……って。ああっ!


「エリカのやつ学生証、カウンターの上に置きっぱなしじゃないか……」


 カウンターにはこの学園の学生証がぽつんと置かれていて、その氏名欄には確かに九品寺エリカと記されている。

 この学生証、当然電子マネー機能だけでなく学園に入るための身分証明機能などもあるそこそこ重要なものだ。できるなら早めに返してあげたいんだけど……。

 明日の朝渡してもいいかな。でもなあ。明日わざわざ彼女に学生証を渡す姿をほかの生徒に見られたらどうなるか。美少女として名高い彼女は何かと目立つ。そんなエリカに親しげに話しかける平々凡々たる自分。いらぬ波風を立てることは容易に想像できる。特に男子の視線は深々と突き刺さるに違いない。

 そう、違いないのだ。ならば仕方ない。


「はあ、帰りに家に寄っていくか」


 幸い彼女の自宅は知っている。少し回り道になるが、そんなに自宅からも離れていないから時間的にも問題ない。明日渡すよりましという結論に至ったのであった。



 舗装された車道を、非常に静かな音で車が駆け抜けていく。

 その横の歩道を一人心持ち早めの速度で歩く。帰りの準備に手間取ったため、陽が長くなってきた季節ではあるが、すでに周りは薄暗くなっていた。

 その歩道に面して、街一番の広さを誇る運動公園が街灯に照らし出されている。休日は親子連れでにぎわうこの場所も今の時間はひとっこひとりいないようだ。もっとも、この広い運動公園では見通しの悪いところもあって、中までは良くわからないけど。

 そして、この公園を横切るのが、エリカの家への最短ルート。急がないと。僕は公園の入り口に向けて歩を進め、足を踏み入れる。その刹那――。

 ゾクリ。

 周囲の気温が急に2、3度下がったような、そんな感覚に囚われ皮膚が泡立つ。

 そしてそれと同時に、ドン、と何かが爆発する音を耳にした。

 キョロキョロとあたりを見回すが特になんら変わることなく、周囲が騒ぎ始めるといったこともない。

 公園沿いの道路には車が行き交い、周りのマンションからは夕食をとっている家族の様子が伝わってくる。まるで先ほどの爆発音など全く聞こえていないように――。

ははは、聞き間違いに違いない。ききまちが……。

 ドン、ドンッ。

 さらに2度。先ほどと同様の爆発音が僕の耳朶を打つ。

 今度は音のする方向も大体わかった。公園の広場の一つ方からだ。そちらに意識をむけると誰かが騒いでいるらしい気配もしている。

 花火でもしているのだろうか。なんとなく、そう、厄介ごとからは極力離れたほうがいいとこの一五年間学び続けてきた僕にしては珍しく、何をしているのかを確かめたくなった僕は――。

 つい足を向けてしまったのだ。その広場はちょうど木々が目隠しになって外からは死角になりやすい。おそるおそる中の様子を伺ったとき、僕の目にとびこんできたのは――。

 最大で体長3、4メートルはあるであろう異形の生物達。

 そんな彼らは二つの集団に分かれているようであり、相対する者同士が羽や拳、尻尾で殴りあいを繰り広げていた。そんななか僕の一番近くでは、大きなトカゲに羽が生えた生き物2匹が対峙している。

 それはつまりはファンタジーなど空想の物語でよくみるところの


「ドラゴン……!」


 僕のつぶやきが引き金になったのか、今まで睨みあうだけであった2匹はほぼ同時に相手に噛みつく。重低音の咆哮が空気をふるわす。ありえない。これは、ちょっとありえない。

 目の前で繰り広げられる怪獣大決戦を見ながら、僕は大混乱に陥ること暫し。

 一つのことに思い至った。

 …………あれ?この怪物達どこかで見たことがあるような――。

 あ、これって今日も話題にでてた最近人気の「《フレームワーク》カードゲーム」にでてくるキャラクター達と同じものじゃないか。

 迫力がある立体映像のモンスターが戦うことが売りのカードゲームは、数ヶ月前に発売されて以来、品切れが未だに続く人気立体ゲームであった。さっきも囲碁の対戦相手にやってないかと聞かれたあれである。

 また、迫力がありすぎるがゆえに「教育に良くない」と一部からは問題視され、ニュースにも取り上げられたりもしているんだよね。確か。


「あー、びっくりした」


 種があかされれば人間とは気楽なもので。先ほどまでの張り詰めた緊張という名の糸は一気に緩み、大きく息を吐く。

 そう立体映像なのだ。あまりの迫力につい現実のものと錯覚をしてしまっただけで。これは誰かがゲームをしていて、自分はそれにたまたま居合わせてしまっただけ。仮に今目の前で戦っているモンスター達にぶつかられても、吹き飛ばされることもなく、痛みも感じないはず。そう、『ただの』立体映像なのだから。

 しかしそうすると僕という存在はこのゲームの邪魔をしているのだろう。ここからは見えないがプレイヤーがいるはずだ。

 うん、これは早くこの場を離れたほうがよさそうだ、と気づいたとき。

 ふと、僕の視界に一つの影が飛び込んできた。

 それは一人の少女。それも大きな刀をもった制服姿の少女がフィールドを縦横無尽に駆け回っている。

 はて、あんなキャラクターいただろうか。それに制服も自分の学園と同じもののように見えるけど――。

 ふと、その彼女と目が合ったように感じられたが、すぐに僕は現実に引き戻された。


「フルルルルルッ!!」


 なぜなら僕の一番近くで対峙していた2匹のドラゴンの決着がついたらしく、。次のターゲットへ定めたのだ。その目標、つまりは僕に対し声を出して威嚇してくる。

 ドラゴンの口からは大きな牙が見え、ボタボタと垂らされる涎が地面に水たまりを作っている。

 こんなところまでリアルに作らなくてもいいのに。そのあまりの迫力につい恨みごとをいいたくなる。


「えーと、僕はただの見学者というかイレギュラーだから他をあたったほうがいいと思うんだけど……」

「グルル!?」

「って、何で立体映像、それもゲームのキャラに向かって話しかけているんだ、僕は!」

「グオオオオオッっっ!!」

 説得(?)はどうやら失敗したらしい。ずしんずしんとドラゴンが近づいてくる。

 あれ、これって結構ピンチなのかしら。もしかして?そして目の前の竜は不意に口を開ける。そこには今にも吹き出しそうな炎の固まりが渦巻いていた。

 彼我の距離は一〇メートルもない。チリチリと熱すらも感じられる。


「…………熱?これはあくまで機械が作り出した立体映像――」


 ちらり、と他の場所へ目を向ける。地面はところどころでえぐれ、木は何本もなぎ倒されている。まるで戦場のような光景。

 本当にリアルなゲームだ、いや本当にこれは《立体映像》なのか。

 ふと、このままドラゴンの口から出る炎を食らったらひとたまりもないのではないか、そんな危険な幻想が頭をよぎり、手にはいつの間にかじっとりと汗で滲んでいる。そんなことはずはない、そんなはずはと理性が懸命に精神の手綱を握る。


 しかし、そんな想いはすぐに中断された。ドラゴンから炎の玉がこちらに向かって吐き出されたのだ。僕にできたことは避ける、なんてアクション映画のような行動ではなくただ目を瞑るだけだった……。

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