第2話 始まりの夜2


「怒られちゃったじゃないですか」


 四駆のパジェロを運転しながら高村が言った。

 高村は首席というだけあって、車の運転は元より知識、技術、実技においては確かにどれも高い練度をもっていた。

 ないのは実戦経験と畏敬の念と胸だけだ。


「もしかして、俺が悪いのか?」 


「そうですよ。後輩の不始末は先輩の不始末です」


「不始末だっつう自覚はあるのか」


 もう反論する気も失せて、煙草をくわえた。窓を少しだけおろすと、初秋の乾いた寒気が爽やかな風となって入ってくる。


「それにしても、出動が多くないですか? このところ毎晩なにかしらありますよね?」


「そうか? こんなもんじゃね?」


 確かに、高村が来るまではせいぜい月に一回程度だった。

 ところが、この一ヶ月というもの出動回数が異様に増加している。


「おかしいですって。過去の調書を見ましたが、こんなことは一度もなかったですよ」


「何にだって初めてってあるじゃん?」


「先輩、何か隠してるでしょ!? こんなド田舎に幽霊課支所が出てき八年、先輩だけ発足当初からいますよね? そもそも幽霊課って、東京とか大都市を秘密裏に守る組織でしょ? 公式には存在しないことになっているとか、それはまぁカッコいいからいいですけど。こんな地方にもあるなんて、養成所で教えてくれなかったですよ?」


「そりゃ、養成所はこの世のすべてまでは教えてくんねーだろ」


「違くてっ」


「まぁ、あれだよ。大人の事情ってやつだよ。色々あんだろ色々」


 説明するのが面倒になってきた。


 高村が“ここ”に来たのに理由があるように、俺が“ここ”にずっといることになったのも理由がある。


 悪霊は田舎では一年に一度も現れるものではないのが、たびたび現れるのも理由があるし、俺の左手が本来触れるはずのない霊体に触れるのも理由がある。


 この世の出来事にはすべて理由があり必然であり、因果でありさえするのかもしれなかったが、今の俺にとってはどうでもいいことだった。


 ちょうど、支所の観測員から着信が入った。


『悪霊に関する情報に追加はありません。確認されている呪術は発火現象のみ。一固有体。極光現象と特定電磁波動は確認済みです』


 悪霊は不気味な黄色い光りを放ち、特有の電磁波を出すことが確認されている。

 町中に観測機が設置されていて支部で四六時中記録を取っているのだった。


 東京など大都市部ではオーロラ観測機を応用した電磁波結界を作動させているが、当然ながら地方にそんなものはない。


「了解。ちゃちゃっと新人ちゃんが片したら、すぐ帰るよ」


 悪霊にも様々な段階があり、固有の霊体を持つとなるとそれなりに強敵だと言っていい。

 この一ヶ月で高村と出動した中では最強ということになる。初心者を卒業するのに、ちょうどいいだろう。


「おそらく今晩の悪霊はソークだと思う。一人でやれるか?」


 悪霊にはランクがあって、固有の霊体を持つものをソーク。

 ソークが怨念を集めて"深禍しんか"したものをゾーマと呼ぶ。


「ソ、ソークってことは、恨みを持って死んだ霊魂が、周囲の怨念と、混ざり合ったってこと、ですよね?」


 目的地が近づくにつれ、だんだんと高村の顔色が青くなってきた。脂汗をかきながら、何度も唾を飲み込んだりもしている。


「そうだな。強盗に殺されたとか、餓死とか色々可能性はあるけど、俺たちには生前のことは関係ない。人間にあだなす悪霊だけをやっつけりゃいいよ」


 ずっと登りだった山道が下りになって、目的の廃屋にはすぐに着いた。

 家の前はかなりのスペースがあり、廃屋といっても二階建ての洋館だった。

 足下は砂利が敷き詰められていたが、今は膝下あたりまで雑草が生い茂っている。


「"己の尾を咬む蛇ザカル"との接続は問題ないか?」


 ザカルは、己の尾を咬む蛇の形をした額飾りサークレットで聖剣と共に支給される。


 ザカルと魂魄結合することによって、身体能力の向上と"霊視眼グラムサイト"という"悪霊を視る能力"が得られるのだった。


「か、完璧れす」


 体を強ばらせて言う様子は、まったく完璧どころではなさそうだったが虚勢を張るのも一つの資質ではある。

 極度の怖がりと強がり、と申し送り書に書いてあった。


「ああそう」


 パジェロは洋館に頭を向け、エンジンとライトを点けっぱなしにした。小さなペンライトを持ってパジェロを下りる。


 特有の気配がある。


 凍り付いたような、空間が停止したような、どこか無機質な気配。

 機材で確認するまでもなく、それは悪霊が放つ怨念の気配だ。


 闇の中に浮かび上がる洋館は、古ぼけた中に深い暗闇を内蔵し、静かな威圧感を放っている。

 音のない風が周囲をなで回り、まるで見えない群衆に取り囲まれているような重圧がかかってきた。


「じゃ、行こうか」


 立ちすくみかけていた高村に軽く声をかけた。

 恐怖は心の奥にある"密度"で乗り越えられる。それは言わなかった。戦い方は、結局自分で身につけるしかない。

 恐怖の乗り越え方も人それぞれだ。


 正面の扉。


 開ける前に一瞬、気を集中させて中の様子をうかがった。微かな死臭と腐敗臭。


 ドアノブに手をかけた。

 鍵はかかっていない。ゆっくりと手前に引いた。濃い暗闇の奥から、さらに濃厚な死臭が爆発的に広がる。


「うぐっ!?」


 死臭による嘔吐反射を、高村は強引に飲み込んだようだった。


 ペンライトで奥を照らして見ると、廊下の中程に死体らしきモノが倒れているのが見えた。

 ぼろぼろになった衣類の隙間には無数の蛆虫がうごめき、流入した外気に触れて羽虫が舞い上がる。


 その時、悪霊の気配が背後に生じた。


 急いで扉を閉めて振り向くと、高村の後ろに"誰か"いる。間髪入れず、高村を押し退けながら前に出た。

 

「ひぎゃ」


 高村はカエルが潰れたような声を出しながら、後ろにすっ転がって扉にぶつかった。


 悪霊は黒い霧に包まれた人型をしていて、滑るように空中を後退していく。


 鋭い目つきは悪意に歪み、口は大きく裂けて牙を剥く姿がザカルを通じて脳裏に"え"る。


 畜生霊を取り込んでいる、よくあるタイプだ。


 同時に、洋館の中でも何かが這いずって来る物音と気配。

 聖剣をドアノブに、つっかえ棒にして扉が開かないようにした。

 悪霊の怨念を享受して死体が動き出したのかもしれない。それもよくあることだ。


「いけるか?」


「だ、だだ誰にモノをを言ってるンですカ!? 現物が"出て"きさえすれば怖いモンですか! 怖いのは出てくるまでの雰囲気れすっ」


 空中に浮かび上がる悪霊に向かって聖剣を構え、高村は引きつった笑みを浮かべた。


「あ、そ。じゃあ、頑張ってネ」


 ドンと扉が内側から叩かれた。ちょうど、人間が拳で殴っているような衝撃だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る