聖剣使いの夜

ホルマリン漬け子

第一部

第1話 始まりの夜1


 聖剣と呼ばれる細身の両刃剣は、人間は斬れないように刃をつけていない。それでも、思ったより簡単に腹部を貫通した。


 間違いなく殺すために、えぐって引き抜きながら斬りあげるとおびただしい出血が俺に降りかかった。


 満月の光りを受けて血塗られた聖剣はぬめりとした輝きを放ち、血なまぐさい体液は口に入り、生ぬるさは肌から染み込んで俺の精神を狂わせていく。


 心の最深部よりあふれ出る力は、声なき声となって喉を振るわせ、無限に湧き出る熱は血に宿って悪心と化した。

 それは万力で締め付けるようにして精神を歪ませていく。


「ひろ……く、ん」


 美雪は、口から大量の血を吐きながら絶命していった。


     ✩


「ねぇ、ちょっと先輩! 大丈夫!? ってか、コラ! 起きろ、おっさん!」


 ドガっという衝撃があって、俺はパイプ椅子ごと床に蹴り倒された。


「なにすんだ!? てめー!」


 飛び起きると、後輩の高村さきがテーブルの側で仁王立ちしていた。


 どうやら、待機室で休憩中に居眠りをしてしまったらしい。高村は、霊装という霊力を編み込んだ制服をきちっと着こなし、見下したような視線で見上げてくる。


 霊装は悪霊の攻撃から身を守るためのもので、女性用は黒と赤と白の繊維から出来ており、どこか巫女装束を彷彿ほうふつとさせる。


「勤務時間中に居眠りなさっておられるようですから、起こしてさしあげました。ついでに言えば悪夢でも拝見なさってたようで、うなり声が不気味で迷惑です。以後注意してください」


 高村は俺が指導中の新人だった。


 養成所を首席で卒業したらしいが、“ここ”に配属になったということは、つまり左遷されたということだ。

 申し送り書が課長の元には届いていて、それには理由が書かれていたが、しょせんは紙に書ける程度の情報でしかない。


「そいつはどうも。イヤー、オカゲデイイ目覚メダネー。気持チノイイ朝ダネー」


 嫌みったらしく言いながら床に散らばった煙草とライターとスマホを拾い、鞘に入ったまま転がる聖剣をテーブルに立てかけた。


「寝ぼけてんですか? 今はまだ気持ちの悪い夜です!」


 時計を見ると夜の二時だった。


 幽霊課ゆうれいかと呼ばれる“ここ”の勤務時間は日の入りから日の出までだ。

 一応は警視庁の管轄で、現行犯に限り超法規的権限もあるが、それは幽霊課の中でもトップエリートの話だ。


「おめーは、先輩に対する敬意ってもんを学習しなおす必要があるな」


 俺は煙草に火を点けて、うんざりして言った。


「大丈夫です。猫を被らなきゃならない相手にはキチンと被ることができますゆえ」


 高村は動きやすそうな小さい胸を反らせ、頭の後ろで結んだ小さいお下げをピロピロと揺すってみせた。


「俺に対して被れよ……」


「は? なぜです? 論理的必要性が認められませんね」


 高村は、理知的な鋭い瞳を大きく見開き、心底意外そうに言った。

 コイツが左遷された理由が分かる気がする。


「そりゃ、俺の方がおめーより強いからだよ」


「だから、そこですよ」


 と、どっかりと室内用パイプ椅子に高村は腰掛けて足を組んだ。


「だって先輩、今まで一度もその聖剣を抜いたことないじゃないですか。ホントに私より強いんですか?」


「抜かずに悪霊をやっつけてんだから、それは強いってことだろ?」


 人に仇なす悪霊を消滅させる。それが幽霊課の存在意義だ。


「現世に出て来なくなるまで“ぶん殴る”って、聞いたことないですよ。そもそも“触る”なんてことができるの、先輩ぐらいですよ。知ってました? 斬れば一発で済んじゃうのに。非常識ですよね? 非効率ですよね? ばかなんですか?」


「ケンカ売っていらっしゃるんですか?」


 俺は、若干額に青筋を浮かべながらにこやかに返答した。


「実は少し」


「なら、おめーの剣を貸してみろよ」


「いいですよ。ふふん」


 なぜか自信満々で高村は、貸与された聖剣を鞘ごと差し出してきた。

 その鞘はいかにも新品然としたもので、長さも身長に合わせたのか俺のものより遥かに短い。


 滑らかに抜剣した。


 刀身には傷一つ無く、電灯の明かりを反射して微かに青い光りを放っている。

 軽く数回振るって、鞘に納めてから慎重に返した。


「軽りーな」


 聖剣には軽い重いがあって、持ち主の魂と同等の重さになると言われている。

 当然、重い方が攻撃力も高くなるが、扱うのはずっと難しくなる。


「むっ。じゃあ、先輩の貸してくださいよ」


 高村が差し出した両手に、俺の聖剣を載せて手を離すとテーブルに叩きつけるように落下した。高村の手は鞘をにぎったまま下敷きになって、ピクリとも動かない。


「いてて! 重い! 重すぎ。何これっ。どけて早く! ってか、どけろっつってんだろ、このハゲ」


 わめき散らす様子をしばらく観察していたくなったが、紳士的な俺は黙って剣をどけてやった。


「どや? 尊敬する気になったか?」


「いいえ! 先輩の聖剣がとっても重く、先輩が細マッチョであることは認めますが、それと強さとは別モノだと思いますね!」


「ほう。では、おめーが思う強さとは何だよ」


「う……、そ、そりゃ、信じたものを信じ抜く! とか? みたいな」


「はぁ……、やれやれだぜ……」


 わざとらしく、オーバーアクションで両手を広げてやった。

 強さについて訓辞を垂れようとすると、音を立てて激しくドアが開いた。


「高村ぁ! 瀬奈を呼ぶのにどれだけかかってんだ! 出動だっつってんだろうが!」


 マジマッチョこと課長の三ツ川が怒鳴り込んできた。

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