9:蛇男

 金井は目を覚ました時、見知らぬ異様な場所にいることに気づいた。所々破壊された壁、ひっくり返った家具。壊れた屋根の隙間から差し込む日光。

 その光に照らされて目の前に少女がしゃがんでいた。足を抱えるように座っていて、金井の方を見ていた。壊れた家以上に、その少女に驚いた。

「……」

 黙って見ている。

「こ、ここは?」

「……」

 少女は黙ったままだ。

 記憶が戻ってきた。

 たしか家の人がいないか探して、奥に入ったところでなにかに遭遇して……。

 何かに激しく跳ね飛ばされたように思う。ただ、その辺りの記憶がやや曖昧だ。

 再度いまいる部屋を見回す。記憶に無い。この家は、違う場所?

 少し不安になった。

 夕べのことを思い出すと同時に、体中が痛み出した。見ると、青くなった痣や擦り傷、切り傷があっちこっちにある。乾いた血がいたるところにこびりついている。おでこのあたりも痛い。触るとコブのようなものができている。

「いてて」

「大丈夫?」

 少女が声をかけてきた。

「君は?」

「……おじさん、運がいいよ」

「おじさん?」

「あの人に捕まってそれで済んでるんだから」

「あの人って……?」

「……」

 少女は答えず、

「あの人はおじさんに興味を持ってる。だから、おじさんが逃げださなければ、殺されないと思う」

「殺されない……?」

 少女は意味のよくわからないことを言っている。

 しかし、夕べの……あれは夕べの出来事だったのだろうか……、あの異様なものはなんだったのか。まるで怪物のような……。

 少女の言ってることと関係あるのか?

「なんだかよくわからないけど、ここにいれば、……その、生きていられるというのかい」

「そう。おじさんの分のご飯はわたしが持ってくるから」

「それはありがたい。お腹が空いてきたよ。ただ……、ひとつお願いがあるんだけど」

「なに?」

 少女はやや警戒心をあらわにした。

 この娘、歳はいくつだろう。十歳くらいか?

 そんなことを考えつつ、金井は言った。

「僕のことは、お兄さんと呼んでくれる?」

「え?」

「君くらいの歳の子に、おじさんと呼ばれる年齢でもないし」

「……」

 少女は戸惑った表情を見せた。金井は苦笑し、

「君、名前は?」

「……留美」

「るみちゃんか。いい名前だね」

「……おじさんは?」

 金井は咳ばらいし、

「……お兄さんの名前は金井広実。二十四歳だよ」

 と年齢を強調した。

「カナイ……わかった」

「わかってくれた?」

「おじさんはやめる」

「そうか、よかった」

「カナイ、いま怪我の薬を持ってくる」

 少女はそう言って部屋を出た。

「今度は、呼び捨てですか……」

 金井はやや唖然としつつつぶやいた。

 少女は絆創膏を何枚か持ってきた。打ち身にはあまり効かなそうだったが、取りあえず礼を言うと、少女は頷いて部屋を出て行った。

 金井が腕や足の怪我に絆創膏を貼っていると、今度は食事を持って戻ってきた。

 ご飯と味噌汁と卵焼きだけだった。

 しかしやや焦げ目はあったが、あの家のよりはずっとマシな味だった。

 少女はぺたんと座ると、じーっ、と金井が食べる様子を見ていた。金井は視線に気づき、

「おいしいよ」

「……ほんと?」

「うん。お味噌汁もちゃんとだしをとってあるし、卵焼きも程よく甘みがあっていい」

 お世辞でなく、金井はバクバク食べた。

「あの爺さんが作った料理に比べると、ほんと天国だな。お金を出してもいいや」

「おじいさん?」

「僕がゆうべまでいた……、と思うんだけど、その家にいたおじいさんだよ。ひどくまずい食事を出されてね」

 すると瑠美は、顔をしかめ、

「それ、たぶん、ノラーンがおじいさんを使って作ったやつだよ」

 と言った。

「ちゃんと教えたつもりだったんだけどな……」

「のらーん……ってなに?」

「あの人のこと。なんでもないよ」

 瑠美はそっぽを向いた。金井は首をかしげ、

「これ、もしかして君が作ったの?」

「そうだよ」

「君は食べないの?」

「もう食べた」

 少女は金井が食べ終わるまでじーっと見ていた。

 食事が終わると、少女は手早く片付けた。手慣れた感じである。

 そのまま、壊れた壁をまたいで向こうへと姿を消した。

 ふう。と金井は一息ついた。身体のあちこちが痛いが、腹が満ちたので、少し気持ちが落ち着いてきた。

 この家の人はどうしたのだろう。

 金井は壊れた天井を見て思った。古くなって朽ちたのではない。家自体はそんなに古い感じがしないし、破損面はまだきれいだった。明らかに何か強い力で破壊された跡だ。

「この家だけ地震にあったというわけでもないだろうしな……」

 トラックでもぶつかったんだろうか。

 床にはいっぱい残骸が落ちていた。その中に、壊れた壁掛け時計が見えた。振り子の付いた古い時計だ。今でも田舎の民家や旅館などにある。

「いま、何時だろう」

 ポケットを探ったが、携帯電話はなかった。あの時どうしただろう。部屋に置いてきたんだろうか。これでは麗香さんにも連絡が出来ない。

 時間は昼くらいだろうか。壊れた天井の一部から空が見える。青空だ。

 さっきの子に聞けば良かったな。だが、声をかけようか迷った。しばらく待ってみたが、少女が戻ってくる様子はない。

 それにしても、これからどうしようか……。

 あの少女は、ここにいれば安全のようなことを言っていた。たしか誰かが自分に興味があって、殺そうとするとかしないとか。でも、夕べ、襲ってきたのは、なんかうねうねとした不気味な化け物のようなものだったと思うんだけど。

 あれは夢だったのか。

 記憶が曖昧だ。

 よくわからないが、ここにいれば襲われなくて済む、という事か……。

 わけがわからない。自分は命を狙われているのか?

 なぜ?

 一介の歴史学者では、なかなか理解しがたい状況であった。

 パソコンも古文書も置きっぱなしにしているが、無事だろうか。壊れてなければいいけど。

 そもそも、ここはどこなんだろう。あのじいさんの家からどれくらい離れてるのだろうか。

 窓はないか、金井は辺りを見回した。

 かなり大きな家のようだ。

 部屋は和室で窓もない。前後左右の壁がどれも大きく壊れている。少女が現れた引き戸の方は台所に通じているのか、やや薄暗い。梁が斜めに落ちていて無残なことになっていた。反対側は壁と共に障子戸が壊れていた。その向こう側が明るくなっている。田舎の大きな家は、縁側に窓があり、外廊下を挟んで和室はそれより中にある。そう考えると、明るい方が庭か……。

 金井は痛む肩の辺りを抑えながら立ち上がった。

 歩き出そうとした時、

 壊れた障子戸の方からガタガタと音がした。

 思わず足を止めると、人影が現れた。息を呑む。

 留美じゃない。

 人影は不気味なほどに土気色をした男だった。男は、なぜか半壊した壁の向こう側に立ったままで、中には入ってこようとはせず、その場から金井を無言で見つめた。

「あの……ど、どちら様で」

 この家の人なのか?

 さっきの少女が言っていた、自分を見張っているらしき何者かがこの人のことなのだろうか。

 男は唐突な感じで口を開いた。

「オマエは何者ダ」

「えっ。なにもの……と言われましても」

「我が敵か」

「て、敵?」

 金井は面食らった。

「ここになにしに来たノダ」

 こことは、この村のことだろうか。この家ならいつの間にか連れてこられたわけだし。

「ここになにしに来たのだ」

 と繰り返す。

「それは……、この村の歴史を調べるためです」

「コノムラノレキシ?」

 抑揚のない声のまま、それでも明らかに疑問を呈するように応える。

「コノムラノレキシとはなんだ」

「なんだ……って言われても」

「私を殺しに来たのではないノカ?」

「え……?」

「私を殺しに来たのではないノカ?」

「こ、殺しって……。なんの話です? 私はあなたが誰か知らないですけど」

 さっきから、この男は何を言っているのだろう。

「私を殺そうとしてもムダだ。私にはオマエたちにない武器がある」

「いや、あの……意味がわからないんですが。私はあなたを殺すつもりなんてないですよ」

 男は黙った。身じろぎ一つしない。金井を見つめたまま突っ立っている。金井も座っていいのか、どうすればいいのか判らない。

 この村の人間はどうかしてるんじゃないか。あのじいさんも、この男も。

 金井は不機嫌に思った。

「お前はどれくらいの力を出せるノカ」

「ちから……?」

「飛行する技術はどれくらい持っているノカ」

「……??」

 奇妙な質問である。

 金井はだんだん、その男が自分の意思でしゃべっているわけじゃないことを理解してきた。

 なにかに操られている……?

 どうやって操られているか、と言うことはわからないが、この男の言動、顔の表情、まるで糸で操られている「操り人形」のような、人にはあるリアルさが感じられなかった。

「オマエは何しに来たノダ」

 男はさっきと同じ質問を繰り返す。

「ですから、歴史を調べに来たのです。この村の歴史を」

「コノムラノレキシとはなんだ。意味がわからない」

 歴史を知らないってどういうことだ?

 金井は戸惑いつつも、

「歴史とは、その人や、地域がこれまでにたどってきた時間とその間に起こった出来事のことです」

 男は黙った。なにか意味を考えているような感じだ。

「レキシ……レキシ、歴史?」

 男は突然気づいたかのような、表情に変化が出た。

「歴史……」

「私は、この村のこれまでの出来事、過去についてを調べに来たのです。この村にある古文書を見せてもらいに来ただけです。あなたのことは知りません」

「コモンジョ……」

 とそこだけはっきりとした口調で言った。

「古文書を見る」

「そうです。古文書で歴史がわかるからです」

「歴史……コレマデノデキゴト……」

「そうです。過去に起こった出来事の集まりです。それが歴史です」

「歴史……」

 男は何かを学んだかのようにつぶやいた。

 いや、この男ではなく、この男を操っているなにかが、つぶやいているのではないか。すると、あの家にいた不気味な老人も……?



 ガタンと後ろの方で音がした。

 金井が驚いて振り返ると、壊れた壁の向こうでなにかが動いた。

 人だ。

 さっきの少女かと思った。

 斜めになった柱をくぐって、人影は慎重に部屋へ入ってきた。

「麗香さん……!」

 麗香は少しだけ笑みを浮かべた。

「金井くん、無事だったのね。よかった」

 それから麗香は、慎重に様子を見た。金井が誰かと向き合っていることに気づいた。壊れた障子戸と壁の間に男が立っている。

「木田さん! 生きていたのね」

「お知り合いですか?」

 金井が聞いた。

 麗香はうなずいたが、すぐに木田の様子が変なことに気づいた。

「木田さん……?」

 まるで生気がない。

 これはなに?

 麗香はどういう状況か、急いで思考を巡らせた。

 木田は、ひどく無表情で、目が濁っている。部屋の入り口付近で身体を隠しながら立っている。動きも変だ。

「オマエは誰ダ」

 木田は唐突に言った。非常にぎこちない言い方をしている。

 操られている……?

 麗香もすぐに気がついた。

 金井は交互に見た。麗香は男と知り合いのようだが、様子が変だ。

 男は麗香の方を見ているが、知り合いという割には表情がほとんどないままだ。

 やっぱり、あの老人と同じだ。反応が非常に鈍い。それと、予想外の状況に対応出来ないところも。

 少ししてから、

「村文、ここになにしに来たノカ」

 木田と呼ばれた男は急に鮮明な口調で問い掛けてきた。

「あなたとおなじでしょ」

 金井は間に挟まれた状態で、どうしようかと戸惑った。このふたり知り合いのようだけど、どういう関係なんだろう。親しい、というよりは、むしろピリピリとした感じがする。

「警告したはずダ。ただちにここから立ち去れと」

「あなたからの警告は受けていないわよ」

「……」

「まあ、あの子からは忠告されたけど」

「なぜ、言うことをきかナイ」

「あなたこそ、なにをしているの?」

「ナニ?」

 なんだか動揺しはじめた。しかし、見た感じは無表情のままだ。言動がちぐはぐである。

「あなたの任務は、この村で起こったことを調べることでしょう」

「……」

 麗香は、相手の様子をみてから、やや口調を変えて、

「ねえ、そろそろ正体を現さない?」

「……」

「正体ってなんですか?」

 金井が麗香に聞いたが、麗香は答えず、

「教えて欲しいの。あなた、この先のお屋敷のあたりに不時着した船の乗組員でしょう」

「船?」

 金井がつぶやくのが聞こえる。

「オマエ……なにしに来たノカ」

「あなたのことを調べに来たのよ」


 キイヤアアアア!!


 突然、男は、異様な叫び声をあげて空中を飛んできた。人間の動きじゃない。

 金井はびっくりして床にひっくり返った。

 男は麗香のところまで飛んで来たが、麗香は素早く避けた。男はそのまま壁に激突した。

「ま、まって。話を聞いて」

 麗香は叫んだが、

 男はあり得ない動きで起き上がるとぐるっと向きを変えた。うなり声を上げる。

 起き上がった金井は目を見開いた。

 男の背中からなにか蛇のような物体が伸びていた。いや、むしろ蛇の胴体に、男がくっついているというべきか。その長い胴体は壊れた壁の向こうへと続いている。

「わわわ、な、なんだ、これ」

 尻餅をついたまま後ずさりする。彼は夕べ遭遇した不気味な物体を思い出した。あれもこれだったのか?

 いや……。急にひらめいた。

 あの老人だ。

 老人は後ろ向きに移動した。あれもきっと背中から、このうねうねしたものが伸びていて……。自分を襲ってきたのはそのヘビのような胴体だったんだ。

 金井はそう思ってから、眉根をひそめた。

 ヘビの胴体って……。

 なんの答えにもなってないじゃないか。こんなわけのわからないこと……。

 蛇の胴体は金井の周囲をぐーんと素早く移動して、麗香を追いかけようとした。金井が慌てて飛び退くと壁際にへたりこんだ。

 麗香は相手が小回りが効かないことを見抜き、最短距離を行くように直線に動いた。

 蛇男は、何度か麗香に向かって突入したが、麗香には当たらず、そのつど壁に激しくぶつかるため、手足が折れたり、鼻が潰れて顔が血だらけになってきた。血しぶきが飛び散る。

「何と言うことを……」

 あまりにむごい様相を目の当たりにして、金井が呆然とつぶやいていると、麗香が駆け寄ってきた。

 むんずと腕を掴んで立たせると、

「なにやってるの、にげるのよ」

 あとは有無を言わせず金井を引っ張って、壊れた壁から逃げ出した。

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