8:村文麗香

 麗香は朝までまんじりともせずに過ごした。

 背の高い草の陰から車とたき火のあたりを見続けていた。もちろん、ほかの方向にも注意を払っていたので、夜が明けてきた頃には寝不足と疲労でくたくたになっていた。

 とりあえず夜が明ければ、状況は少しマシになる。目で見えるのと見えないのでは大きな違いだ。

 何事もなく日が昇り、川面からのわずかな靄も消えると、夏場のカッとした日差しが容赦なくそそいできた。今日は特によい天気なので、じっとしていても汗がにじんでくる。

 それでも麗香は用心深く草むらの陰に隠れていた。

 たき火のあとや、車のあたりに何かが接近する様子などない。

 クマゼミが鳴いている。

 麗香は気配を探りながら、そろそろと動き出した。

 まず車の方へ向かう。

 とにかく何かあっても、車であれば、脱出がより可能になる。思った以上に頑丈に作られているし、少々の攻撃には耐えられる。運転技術にも自信があった。

 草むらから出ると、身をかがめながら運転席のそばまで行く。音を立てないように慎重にドアを開ける。そっと運転席へ乗り込む。車がわずかにかしいだ。ドアを閉めた。

 ふう、と息をついて、斜め前方のたき火の跡を見る。

 火は完全に消えていて、煙も上がっていない。

 石を積み上げて作った簡易の竈も壊れていて、上にのせていた飯ごうや小型のフライパンは地面にひっくり返っていた。せっかく作ったおかずが散らばっているのを見て、麗香は顔をしかめた。

 しかし、麗香の目はすぐに他のものに行った。

 たき火の周辺の草むらに、獣道のようになぎ倒されたあとが続いているのが見えたのだ。何ヵ所か同様のところがある。重たいものを引きずったような跡に見える。

 それらはまるで前方と左右の三方からたき火を包囲して襲いかかるように続いていたが、その痕跡を逆にたどっていくと、みな同じ方向へ続いているようだった。すなわち、この河川敷へ降りてくる護岸の道路の方である。

 あの道路を降りてきて、草むらの中を三方に展開し、そして一気にたき火のある場所へ襲いかかったのだ。

 巨大なヘビかなにかが移動したかのような、そんな痕跡だった。

 麗香は少し寒気を感じた。

 夕べ、気づくのが少しでも遅れていたら、逃げ道がなかったのだ。あるいは少しでも躊躇していたら同様だったろう。危険を感じ、いろいろ考える前に、とっさに逃げ出したのが良かったわけである。

 そこまで思って、麗香は気づいた。

 自分があのたき火の場所を素早く離れたとき、おそらくあの包囲した何かは、すぐそばまで来ていたはずだ。わずかの差で、包囲される前に、何かと何かの隙間を抜けられたわけである。

 ということは、その何かは、自分が逃げ出す気配を察知できたのではないか。

 しかし、自分の跡を追おうとはせずに、たき火に襲いかかった。これはどういうことだ?

 気配や音を察知できなかったのだろうか。

 それよりも、火の方に気をとられたのだろうか。

 これは重要なことだった。

 謎の「相手」の能力をある程度推測できるからだ。

 麗香は夕べのあの光景を思い出してみる。

 何かが迫ってくる感じがして、とっさに逃げ出し、草陰から様子を探った。

 麗香は、もう一つ思い出した。

 たき火の火が消える一瞬、黒い陰のようなものが数体見えた。あれが襲ってきた何かの正体だ。

 蛇のように見えたが、今思うと、人影もいたような気がする。

 しかし、人があのように素早く移動するだろうか。それと、仮に人だとして、あのような痕跡が残るだろうか。それに蛇のようなものは何だ。人がなにか引きずっていたのか?

 人以外の何かだろうか。

 もし、この場に金井がいたら、人だと思っただろう。

 しかし、麗香はその知識と経験から、「相手」が必ずしも「人の格好をしていない」可能性があるとわかっていた。さらにいえば、「部分的に人の格好をしている」可能性も考えられた。

 その形状だったとして、彼女は驚きも不審も感じない。そう言う場合もあり得ることがわかっているからだ。

 問題は、人だった場合(あるいは人の形だった場合)と、まるっきり別の姿形だった場合とでは、対処が異なると言うことである。特に後者の場合、どういう動きをするか予想がつかず、また、それがどういう思考体系、知識体系を持っているかも想像できないことだった。

 想像できず、対応できなかった場合、それは自分の身の危険にもつながるわけである。

 夕べもそうだった。夕べは運良く、自身の本能的行動が功を奏したことになる。だが、あの痕跡を見てもわかるように、どうやら「相手」は少なからず敵意を持ち、あるいは殺すことをためらわず、そして相当なパワーと複雑な動きのできるものであるということがわかる。

「か弱き女性一人で対処できる相手じゃないわよ」

 麗香は一人つぶやいた。

 しばらく様子を見ていたが、決心したようにヒップバッグに入れたままの携帯を取り出す。

 そしてそれを見つめながら少し躊躇した。

 躊躇したのは、いろいろな事情を考えたからである。それに無線通信は、「相手」に傍受され、余計に警戒心を煽るのではないか。

 が、ここは、連絡を取るべきだと思った。

 ボタンを数回押して、耳に当てる。

『お電話有難うございます。株式会社五月商事です』

「調査局第五班の村文麗香です。えーと、調査ナンバー……」

『少々お待ちください』

 言い終わらないうちにリンク先が変わったので、麗香は少しムッとした。通信係は相手が麗香とわかっていたのでさっさと済ませたつもりなのだろうが。

 だったら、最初から五月商事などというベタなカムフラージュはやめればいいのに。

『どうした?』

 班長が出た。

「夕べ襲われました」

『襲われた?』

 ふつうの女性が、襲われた、などというと、よからぬ方向に考えが行きそうだが、班長はそうは思わない。

『敵対行為か?』

「わかりません。様子を探っただけなのかも」

『人か?』

 そんなことを言った。

「人にも見えましたが、暗かったのでなんとも。蛇のような不気味な長い物体も動いていました」

『蛇……』

 もちろん、そこらへんにいる蛇だと思ったわけではない。

『おまえ、何かよけいなことをして、相手を警戒させたりはしてないだろうな』

 それにもムッとした麗香は、たき火をしてご飯を作りました、とよっぽど言おうかと思ったが、なんとか抑えて、

「いいえ。警告らしきものは受けましたけど、まだ何もしてません」

『警告?』

 麗香は、班長に少女に出会って以降の出来事を話した。

 話を聞き終わった班長は、

『まだ相手とは接触していないのだな』

「少女が相手の正体でなければ、夕べのアレが最初ですが、接触するような余裕はなかったですよ」

『ふむ。……ふつうに考えれば、その蛇のようなもので脅しをかけてきた、というところか。相手もこっちの様子を探っている、と見るのが良いだろうな』

 脅しというレベルじゃなかったと、麗香は思ったが、

「……つまり班長は、相手が調査カテゴリーに属すると、考えているわけですね」

『今の話を聞けば、そうとっても良いだろう。もともと、その可能性も考慮に入れてはいたしな。木田の疑っていたことが正しかったということになる』

 麗香は緊張してきた。「調査カテゴリー」はこれまでにも何度かあったが、それはいずれも、痕跡の類だったからだ。

 しかし今度は、調査する「対象」がいるのだ。

「どうしますか、もしこの村にいるのが、そうだったら、私一人じゃ……」

『わかっている。検討委員会に働きかけることにしよう。アラームを関係者に送る。その上でコンタクトに備えた体制にシフトするから、準備が整い次第、専門要員を送る」

 麗香は少しホッとしたが、

「では私は、情報収集と無関係の市民の保護の準備を進めます」

『おまえには、やってもらわなければならないことがある』

「なんですか?」

『一つ、船を探せ』

「それはわかっています。調査カテゴリーなら、乗ってきた船があるはずですから。ただ、事前の情報と村の様子からはさほど大きくないと思いますけど」

 班長は麗香の説明には応えず、

『二つ、それが例の侵略者なのか、全く無関係なのか、あるいは侵略から逃れてきたものかを探れ』

「……どうやって?」

『判断は任せる』

「は?」

『三つめ』

「いや、ちょっ」

『もし調査カテゴリーが侵略者でないと判断できた場合は、接触を図り、予備交渉しろ』

「……それって、私にファーストコンタクトをしろと?」

『そうだ』

「私一人でですか」

『そこにはおまえしかいないからな』

「ハア? いやいや、全然意味がわかりません。専門要員を寄越すんでしょう。ていうか、寄越してくださいよ」

 局長は麗香の発言はすべて無視して、

『時間がない。こちらの準備が整うまでほっとくわけにも行かないからな。現場にいるものがするしかない』

「いやいやいや、それはそうかもしれませんけど」

『幸いにもおまえは優秀な』

「それはいいから」

『メタ数理学とメタ言語学を修めているのは、うちのメンバーではおまえだけだ』

「はあ……」

『しかもおまえは、マグダリアンの出身だしな』

「なんの関係があるんです」

『マグダリアン機関の訓練を受けた人間だ』

「……受けたと言っても、セカンドクラスですけど」

『ファーストクラスを卒業したものは一人も残っていない。なにしろ機関は滅亡し、そのメンバーは全員殺されたのだからな』

「……」

『そしておまえは、その唯一の生存者になった。しかも自力でな。セカンドクラスのお前がだ。ダグ・マグダリアンもそれを潰したアメリカ政府も人を見る目がなかったらしい』

「私だって危うく殺されかけましたよ」

『それを助けたのは我々だ』

「忘れてませんよ。わざわざ廃ビルを爆破までして、私を死んだことにしてくれたんですからね」

『あれには金がかかった。しかし、金をかけるだけの価値はあった』

「はいはい、感謝してます」

『よろしい。だが、助けることが出来たのは、その時点までお前が逃げ延びたからでもある』

「まあ……、それは努力もしましたから」

『その能力に期待している』

「……能力ねえ」

『それだけの行動力、判断力、決断力がおまえにはあるということだ。言語能力とその特異な経験の両方を持った人間は他にいない』

「努力を惜しみませんよ」

『よろしい』

 班長は重々しく繰り返し、

『だが慎重に当たれ。相手を怒らせて争いになるのは極力避けたい』

「簡単に言いますよね」

 こんな口の利き方をしても、班長は文句を言わない。軍隊のように上下関係に厳しくないから……、ではなく、単に口の聞き方にイチイチ文句を言う時間を無駄にしたくないためだ。

『いいか麗香。もしこれが調査カテゴリーだったら、重要なチャンスかもしれないんだ。我々機関がこの百年近くをかけて調べ続けた問題の情報が一気に手にはいるかもしれないんだからな』

「侵略……ですか」

 ほんとなんだろうか、と麗香は思った。

 大勢の学者らが、密かに調べていることは、本当に将来起こることなのだろうか。

『我々には時間がない。得た情報から「侵略」の残り時間は最大見積もっても二十年もないんだ。しかし我々はまだ何の準備もしていないし、それどころか、「敵」の存在すら確認していないのだからな』

「わかりました。調べます。調べればいいんでしょ。特別手当をお願いします」

『経理に言っておく』

 なんだかうまく丸め込まれたような気がした。

『緊急の時は例の信号だ。三〇分以内に人を送る』

「だったら今送ってください」

『調整がつき次第、送る』

 と最後まで無視した挙句に、

『麗香』

「まだ、なにか?」

『……死ぬなよ』

 通信は切れた。

「……」

 そこだけ、なんだか妙に感情が込められているように聞こえたので、麗香は何も言えなかった。



 昼過ぎになって、麗香は、車のエンジンをかけた。しばらく様子を見てみるが、何も起こる気配がない。ギアを入れ、慎重に運転を始める。ソロソロと集落内へと移動した。橋を渡る。どこで「相手」は見ているかわからない。いや、確実に見ているだろう。この狭い集落の中なのだ。車で移動などここですと宣伝しているようなものだ。

 しかしなんの反応もない。

 警戒を起こさないように、というのはわかっていることだが、調べないといけないことはいろいろあるのだ。いざというとき逃げられるように、車をトンネルに近い方へ移動させようと思ったのだ。

 橋を渡ってすぐ、金井の泊まっている屋敷の下まで来る。車を止めた。

 運転席から麗香は坂の上の方を見上げた。

「今日は彼、閉じこもって古文書とにらめっこかしら」

 すぐそばには昨日登った城跡の小さな山がある。

 これからどうしようか、と考える。

 正体のわからない相手に、警戒をもたれている状態で、穏便に接触を図らなければならない。その方法が思いつかない。

 ただ、手はいくつかあった。

 まず、あの集落の上の方にある「お屋敷」だ。崖崩れで立ち入り禁止、というが、おそらくあそこに目的のものがあり、いるんじゃないか、という気がしていた。

 もうひとつ、あの少女を捜すことだ。警告を伝えに来た少女だ。

 あの少女は、どう見ても人間だった。その警告の内容から考えても、接触を図る「相手」ではないが、「相手」から命ぜられて動いていることは間違いない。つまり、少女は「相手」に信頼されていて、少なくとも敵対関係にはないことがわかる。

 少女を仲介にして、「相手」に接触を図ることはできないか。直接「相手」に交渉を持ち込むよりも、この方がうまくいく可能性は高かった。

「もっと村の中をくまなく見て回る必要はあるわね」

 でも、警戒されずにそれができるだろうか。

 背もたれにもたれかかる。

 視界に金井の泊まっている屋敷の屋根が見える。

「……」

 一般人を無用な危険にさらすわけにはいかないが、

「彼はまだ警戒されていないようだった。彼を伴えば、もしかするとうまく村内を見て回れるかもしれない。昨日だって、そこの城跡に上れたし」

 麗香は、金井を誘おうと考えて、キーをひねってエンジンをかけようとしたが、思いとどまった。

 車で動くにしても、村から離れるトンネルの方へ行くのならまだしも、すぐそこの金井の屋敷へ行くのは目立つような気がした。降りて歩いていくのもリスクがあるように思えるが、道路上は開けている。想像を絶する相手でもない限り、とっさの行動はとれるはずだ。

 麗香はドアを開けると、車を降りた。

 そっとドアを閉める。鍵はかけないでおいた。いざというときは、車に飛び乗り、まっすぐトンネルへ向かうことができる。

 前後を確認し、怪しげな様子がないのを見てから、屋敷へあがる坂道を登っていく。何も起こる様子はない。不気味に静かだ。

 屋敷まで来た。門を抜けると、玄関の扉は閉まっていた。

 手をかけると、鍵はかかってなくて、するすると開いた。

「こんにちわー……」

 声をかける。

 麗香は次に起こる状況を頭に浮かべていた。

 が、予想に反し、何もない。

 金井が飛び出してこないのだ。昨日は、いそいそと出てきた彼が、玄関からさほど離れていない部屋から出てこない。研究に集中しているのだろうか。障子戸は開いているように見えるが……。

「こんにちわー」

 少し大きな声で呼びかける。

 屋敷内はしーんと静まりかえっていた。

 麗香は首をかしげ、

「金井くーん」

 と呼びかけてみた。かなり大きな声で。

 何の反応もない。

 麗香は、急にいやな予感がしてきた。

 玄関に入る。

 薄暗い視野に慣れてきたとき、麗香は、廊下の奥の方の異常を見いだした。

 暗い廊下の空間に部屋のドアらしきものが斜めにつきだしていて、床には破片のようなものが散らばっているのが見える。

「金井君っ!?」

 麗香は土足のままあがった。

 まず、金井のいる部屋を覗いた。

 大きめのテーブルの上に古文書と彼の使っているらしいノートパソコンなどの機材が並んでいたが、金井の姿はない。パソコンの画面は暗くなっていた。電源は入ったままのようだ。

 そのまま慎重に奥へ進む。

 昼間でも薄暗い廊下をさほども行かないうちに、右へ廊下が分かれている場所に出る。

 その左側の部屋のドアがめちゃめちゃになっていた。それだけではない。右へ続く廊下の壁にも何かがぶつかったような、へこみが何カ所かにできていた。砂壁がめり込んで、壊れている。

 何かがこのドアや壁にぶつかりながら移動し、ドアを突き破ったのは一目瞭然である。ドアは途中から折れ曲がり、上の方が廊下側へ突き出ている。下の方には大きな穴が開いていた。

「まさか……」

 麗香は、夕べ襲われたときに見た、蛇のような影を思い出した。金井もあれに襲われたのでは。

 すぐに壊れたドアを引っ張ってはずした。

 部屋の中に入ってみる。部屋は、外の光で明るかった。

 畳の上には破片が散在しているが、金井の姿はなかった。

「いったい、どこに……」

 部屋から出て、さらに奥の部屋を調べてみる。しかし、他の部屋に異常は見られなかった。戻ってきて、途中から分かれているもう一つの廊下の方を見た。そっちへ行こうとして、ふと、足下のかすかな光に気づいた。

 麗香はしゃがんだ。

 廊下の床面に、何かがこびりついている。

 麗香は顔をしかめた。

 吐瀉物だ。量はわずかである。

 それが横の廊下の奥の方へ続いている。麗香は振り返った。真後ろの壊れたドアのところにもよく見ると、同様の吐瀉物が点々とあった。

 麗香は廊下と部屋の方を見て状況が見えてきた。

 この吐瀉物が、金井の吐いたものかはわからない。が、金井の可能性は高い。

 仮に金井のものだとして、金井は、横に伸びる廊下の、縦廊下と交差する手前のあたりで何者かに襲われた。壁の傷跡から見て、そこに大きな何かが激しく動いたことで想像ができる。

 金井ははじき飛ばされ、横の廊下の突き当たりにあるこの部屋のドアに激突して中に転がり込んだ。

 そのあと、金井を襲った何者かは、部屋から金井を引きずり出した。そのとき、金井は吐いたのだろう。そのまま金井は引きずられて、この横の廊下をどこかに連れ去られたのだ。

 麗香は唇をかんだ。

 金井も警戒されていたのだ。そして、おそらく金井が取った何かしらの行動が原因で危険だと判断されて、襲われたに違いない。そのあと連れ去られた。金井がどうなったのかはわからない。

 村人もほとんどいない。集落の中で事故を起こしたままの車を見ても、運転していた人はどこかへ連れ去られたと考えるのが妥当だろう。壊れた何軒かの家の住民もそうだ。そのあとどうなったかは不明だ。

 金井はまだ連れ去られてそう時間は経っていない。おそらく夕べ遅くだろう。

 他の村人は絶望的だが、金井はまだ無事の可能性がある。

 金井は、今度のことには無関係だ。たまたま居合わせて巻き込まれたと言うことになる。麗香は調査のために来ていて、基本的に金井のことにはかまってられない立場にある。班長にも言われたように、金井が危険に巻き込まれそうな場合は、助ける必要があるが、危険に巻き込まれたあとの場合は、想定していない。

 だが。

「見捨てるわけにもいかないわ。それに、相手の正体を見極めるチャンスかもしれない」

 麗香は、廊下を金井の連れ去られたらしい方へ歩き出した。

 悩んでも解決しないと覚悟をきめ床に残る痕跡を追った。

 台所は食器などが散乱していた。

 その先の廊下にはガラス戸の残骸が散らばっていた。

 中を覗くと中もめちゃくちゃである。

 奥は風呂場で、風呂場の窓も壊れていた。

 良く見ると、タイル壁にわずかに血痕がある。窓の外へ引きずったような跡だ。

 窓から外を見ると、植え込みが見えた。

 麗香は、一旦風呂場から出ると、そのまま進んで勝手口から外に出てみた。

 風呂場の外に痕跡がある。引きずったような痕跡だ。

 痕跡は敷地外の斜面を降り、川を越えて、対岸の民家が建ち並ぶ辺りへと続いていた。

「これは……!」

 やや高台にあるここから見ると、対岸の家並みがよく見える。

 その家並みの奥の方が横一直線に、破壊されているではないか。前日にも一部確認出来たが、壊され方は尋常じゃないほどひどい。完全に倒壊している家屋も見えた。その破壊の列は対岸の高台にある「お屋敷」まで伸びていた。なにかが支流の上流方向からお屋敷の方へ向けて住宅地を突き進んだような跡だ。それもかなり大きなものだろう。

「まさか、これが「船」の跡なんじゃ……」

 そうつぶやいて、視線を痕跡の続く先の方へ向けた麗香は、一瞬、息を呑んだ。

 瓦礫のあいだになにやらうねうねとした不気味な物体が見え隠れしたのである。

「あれは……」

 夕べ、私を襲ったもの。そしてたぶん、金井を襲ったものだ。

 麗香は息を大きく吸うと、意を決してその方向へと歩き出した。

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