2:調査
金井と別れ、車で坂道を降りながら、村文麗香はバックミラーをのぞいた。
大きな家が遠ざかる。金井がだんだん小さくなるのが見えた。
「……」
あの家の老人の様子を思い出してみる。
「気味の悪いおじいさんだったわね……」
とつぶやいた。
車は下の道路に降り、左へ曲がると、すぐに川に架かる橋に出た。室木川の支流、仮屋川である。ゆっくりと橋を渡りながら右の方を見ると室木川と合流するところが見えた。仮屋川は石積みの護岸が成されている。石にはこけが生えて暗緑色になっており、ずいぶん昔に石を積んだことがわかる。金井が見たら、これにも関心をみせたかもしれないが、麗香は興味を示さなかった。
仮屋川集落の中心部に入り、信号のない十字の交差点に出た。
道は前方の上り坂と、左右に分かれている。上り坂を進むと、おそらく対岸から見た、老人の言う「お屋敷」の横に出るのだろう。左の道はまっすぐ支流沿いに伸びていて、家が並んでいる。右の道は室木川の方へ向かって緩やかにカーブしていて、やはり家が並んでいる。
「……?」
静かだ。
奇妙なことに、どの家にも人が住んでいるような気配がなかった。
見るからに空き家っていう家も結構あるが、窓が少し開いていたり、庭に洗濯物が干されている家も見える。人が住んでいるのは明らかである。
しかし不思議と人がいる様子も感じられなかった。
そういえば、ここまでの間にも村人はあの老人以外に誰一人出会わなかった。いくら過疎の村と言っても、昼間、老人のひとりやふたりは屋外で散歩しているものだ。
なのに、誰もみかけない。
それとも、これがいわゆる「限界集落」というやつなのだろうか。
同時に、麗香にとって不思議に感じられたのは、人が住んでいる気配がないにもかかわらず、どこかから見られているような、そんな雰囲気があった。
わけがわからない。
「みんな家の中で孤独死、とか言うんじゃないわよね」
ろくでもないことをつぶやいて、麗香は坂の上の方を見た。
「お屋敷とやらは、あとで行ってみますか……」
麗香は車を右の道に入れた。様子を窺うようにゆっくりと家並みの前を進む。
雑貨屋らしき建物もあり、店は開いていたが、中に人がいる様子はなく、それどころか半開きのガラス戸の隙間からは、中に雨や風が吹き込んだ様なあとが見える。店頭に並べてあった商品の箱がひっくり返り、小物が散乱し、葉っぱも落ちているのが見えた。
少なく見ても数日間、この店は入り口のガラス戸を半開きにしたままでいるような感じだ。
「……」
麗香は眉をひそめながら、店の前を通り過ぎた。続けて家や店の様子を見ながら車を進める。
同じように人気のない開けっ放しの店、あるいは閉めたままの店もある。閉めたままの店は、もう随分前から閉まっているのかもしれないが……。
それ以外は空き家にしてはまだ小綺麗だった。
だが、やはりどこにも人が住んでいるような気配はない。
気配はないのだが、それでも麗香は何者かに見られているような感じがしてならなかった。
麗香は黙って車を進めると、緩やかな左カーブを曲がる。
と、あわててブレーキを踏んだ。
「ちょっと、なによ、もう」
道路を半分ふさぐようにして、白い軽トラックが停まっていたからだ。農家でよく使う積載量三五〇kgの小型車である。トラックは店の入り口につっこんでいた。ガラスが散乱している。車が大破するほどの激しい事故ではないようだが、それでも色々壊れるほどの事故を起こしている。にも関わらず、事故を起こして数日は経っているように見える。
どう見ても、ほったらかしだった。
ハンドルを切って、その脇をゆっくりと通り過ぎた彼女は、車を止めて降りた。
トラックの運転席側にそーっと、近づいてみる。
「……」
予想に反し、そこにはぐったりと倒れている死体、などはなく、運転席のドアは開いたままで、誰もいなかった。
店の中にも人らしき姿はない。店の中を覗いてみる。
ちいさな生活雑貨店のようだ。大したものは置いていない。
ガラスの他にも、生鮮食料品が散乱していた。一部、果物や野菜がアリにたかられて、また腐りかけているのもあった。つまり、ここは最近まで村の人が利用していたお店だった、ということは明らかだ。
やはりここ数日は誰も利用していない、ということになる。
「すみませーん」
声をかけてみる。
奥に一段上へ上がれるような入口があり、のれんが下がっている。裏の母屋につながっているのだ。
「ちょっと、すみませーん」
大声を出してみる。
しーん、と静まり返っている。
事故、いいんですかー、と小さくつぶやいた。
「……どういうことよ、これは」
真夏なのに、何やら薄ら寒くなってきた。
なんとなく気配を感じて、思わず後ろを振り返ってみる。
誰もいない。
明らかにおかしなことになっているのに、なにもしてないなんて。
後ずさりながら、車に戻る。
席に腰を下ろした。前方を見る。
この道は緩やかなカーブでしばらく進んだあと、山道になる。道は尾根の頂上に向かう。頂上には小さなお寺があり、それを越えて向こう側に降りる。そこにも数軒の家があり、そして道はそこで終わっている。あとは細い登山道のような道しかない。ここはまさに行き止まりの集落だった。
実は麗香、金井と同等か、あるいはそれ以上に、この仮屋川の地理を知っていた。といっても、ここの出身者ではない。彼女はある理由で事前にネットの地図などでここを調べたのである。
ただし、調べたのは地理と、行政区分、警察などの管轄だけだ。
右の方に川原に降りる道があったので、そっちの方へ車を移動させた。
河川敷は丈の短い草の生い茂った原っぱと、やや大きめの丸い石が敷き詰められたような河原とに分かれていた。
車を草っぱらに停めた彼女は、イスにもたれ、ため息を付いた。
「これはどういうことなのかしら……。どう考えても異常事態よね。村人がほとんどいないように見えるけど……。一体どこに消えてしまったのかしら。それとも、こういう過疎も過疎な村だと、昼間も家の中に閉じこもっているのかしら」
麗香は家々の様子を思い出して、
「でも、事故を起こしてそのままってのもありえないでしょ……」
ふう、とため息をついて、身体を起こし、
「……さて、問題はこれから、どうやって探すかよね……。こんな奇妙なことになっているとは思わなかったから、ちょっと予想外な感じがしてきたぞ」
そうつぶやいて、ヒップバッグから携帯を取り出した。
「とりあえず連絡連絡……と。めんどいなあ」
麗香はちょっと首をひねりつつ、画面を数回押した。
呼び出し音がなるとすぐにピッと音がする。
『お電話有難うございます。株式会社五月商事です』
「あー、調査局第二班の村文麗香ですが。調査案件の……えーと、No・一〇四七七に関してですが……」
『すこしお待ちください』
フッと軽い音がして、リンク先が変わった。すぐに、
『麗香か?』
「ああ、班長。今、仮屋川に入りました」
『どうだ?』
彼女の組織上の上司である調査局第五班長の本川は、余計な事は言わない。
「どうっていいますと?」
麗香は班長の言いたいことを判っててわざと聞き返した。聞き返されても、本川は機嫌を損ねるようなことはない。機嫌を損ねるのも無駄な時間だと考えているのだろう。彼女の上司はそう言う男だ。
『木田の居所はわかったか』
麗香は、あのな、と思いつつ、
「今ついたばかりって言いませんでしたか。これから探すところです」
『そうか。なにか不審に思ったことはないか?』
「あります。おおいに」
『というと?』
「村にほとんど人がいないようです。空き家が並んでいますが、人の住んでいる跡のある家にも、人の気配がありません。それも入口が開けっ放しになってたり、車がぶつかってもそのままになってたり。あきらかにその直前までは人がいたような感じのする、でも今は誰もいないという雰囲気です」
『なんだそれは。一人もいないのか?』
「一軒一軒回ったわけじゃないので、わかりませんけど、いたのは老人がひとりだけです。ただ、なんだか、頭がヘンになっているような感じでした」
『変? どう変なのだ?』
「なんていうのか、そのままだと痴呆症のように言葉があまり明瞭じゃないんだけど、時々回路がつながったようにはっきりとした口調になるんです。しゃべっている内容もその時だけは明晰になるというか」
『その老人と話したのか?』
「ええ。あ、そうだ」
『なんだ?』
「途中でこの村に向かっている一般人に会っちゃって。若い歴史学者で、村の歴史を研究をしているそうです。例の案件とは無関係のようですが、その人、数日この村に滞在するらしくて」
『ナンパしてる場合じゃないぞ。真面目にやれ』
と抑揚無くしゃべる。
「そんな事、言ってませんけど」
『村の様子が変なのは気になるが、とりあえず木田の行方を探せ』
「わかってます。でも、木田さんが調査しようとしていたことと、村の様子と関係あるんでしょうか」
『わからん。ただ木田から連絡がないというのは、おかしな話だからな』
「そうですね。何か情報を掴んでいるのかも知れませんし、もしかすると」
『木田の行方がわかったら、連絡しろ。その他、明らかに異変や、活動カテゴリーを上げるような事態だとわかれば、そのつど報告するんだ』
麗香の言葉を遮るように本川班長は言った。
「……はあい」
麗香は不平たっぷりに返事をした。
「それより班長」
『なんだ』
「もう少し装備を何とかならなかったんですか。武器をよこせ、とは言いませんけど、こんな装備ともいえない装備だけだなんて。木田さんは行方不明だし、この村の様子だと、ちょっとやばそうじゃないですか?」
『麗香』
「なんです?」
『とりあえずお前の仕事は、木田の行方を探すこと。それに我々は今のところ、目立つようなことは極力避けるべきだ。警察に捕まるのはもちろんのこと、ナンパもするな』
「だからしてませんって。……でも、なにかあったときはどうするんです」
『木田からは何かしらの異変を感じさせるような報告は上がっていないからな。他からもそういう情報は来ていない』
「その彼がいなくなっちゃったんですよ。何かあったと考えるしかないんじゃないかと」
『心配するな。幸いにも、お前は分析・言語・交渉、そしてサバイバルの専門家だ。我が局では、木田に次ぐ才能の持ち主だ。なにかあっても、お前なら見事問題を解決できる。大丈夫だ』
本川班長は抑揚のないしゃべり方で麗香を励ました。
(その木田さんが行方不明なのに、彼の次の私だとなんで大丈夫なのよ)
そう思いつつも、
「でもですよ、もしカテゴリーを上げざるを得ない事態だったら」
『咄嗟の判断はお前に任せる』
「はあ? ちょっと、どういう意味ですか。そんなの、任務前には言ってなかったじゃないですか」
『お前は我々の仕事の内容も、やり方も理解している。緊急事態の場合、重要なのはその場をいかに切り抜けるかだ。後のことはいくらでも対策の施しようがあるからな。お前が一番わかっているはずだ」
「そりゃまあ、そうですけどぉ」
『そういうことだから、危機が迫ったら、例の信号を送れ。三〇分以内に駆けつける』
「あのね、班長」
『ああ、それから、危険が迫った場合、村人と、その歴史学者とやらは、お前が救助しろ。いいな』
「私ひとりでですか?!」
『お前の能力に期待している。以上だ』
携帯は切れた。
「あっ……、ちょっとお」
麗香は眉をひそめた。なんという人使いの荒い上司だろうか。
もう、と愚痴をこぼしつつ背もたれに体重を預ける。
フロントガラス越しに山並みの風景が見えていた。
麗香がしなければならないことは人探しだった。木田という名前の男で、彼女の職場での同僚だ。過去に傭兵をしていたとか、企業の危機管理コンサルタントをしていたとか、とにかく一流の能力と経験の持ち主だったが、その彼が三日も消息を絶つというのは、尋常ではない。
(……そりゃまあ、ただ行けば、木田さんがノコノコ出てくるとは思ってなかったけどさ。村人がいれば、聞いてまわるっていう方法もあるんだけど……)
さっきあった老人のことを思い出す。なんか聞きづらい雰囲気の人だった。
様子を探るため、一軒一軒回ってみるか?
麗香は川の方を見て、あごに手を当てた。
彼女はバックミラーをちらっと見た。
また小さくため息を付き、
「ま、今のところ、調査は私ひとりでいいけど、問題はあの学者くんか。私のこともさることながら、木田さんが行方知れずな上に、今の村の様子に気づいたら、いくら彼でも不審に思うかもしれないわね。なにも気づかないで終わればいいのだけど」
それにしても、いくらど田舎とは言え、村人に異常が起こっているのに、世間は何も気づいていないのか?
それとも、過疎地域は概ねこういうもので、自分が気にし過ぎているのか。
いや、いくらなんでも、この様子はおかしいし。村人は死んでしまったのか、どこかへ連れ去られたのか……。少なくとも、この三、四日の間に何かが起こる可能性は想定していたほうがよさそうだ。そうなったら、最悪、あの金井という青年の命だけでも守らねばならないわけだ。
命を守る、か……。そもそもそんな事態って、一体どんなことよ。
まったく面倒な話ではあるが……、まあ、あの青年は悪い人間じゃなさそうだし。それに、少なくとも自分の所属する組織は、「人類の生存のため」に活動していて、私はそのメンバーとして雇われたのだから、彼を助ける義務があるのだ。
「それなりにイケメンだったし、そこが救いかしらね」
そんなことを言いつつ、彼女は前途多難を予感し、顔をしかめた。
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