魔物と契約



..1



「……ふん、やはり気づいておらんのじゃな。これじゃから童貞は」

 あ!?

「そう怒るなお前さん、安心しろ、全部話してやろう」

 コイツ、何を言ってやがるんだ。

「知るか。そんな話どうでもいい、僕は帰るぞ」

「そう恥ずかしがらなくてもいいのじゃ、興味あるじゃろ?」

 興味ねぇよ、そんな下世話な。

 僕は再び舞台から遠ざかろうとする。

「何じゃ? お前さんには『ロナからフラれない自信』があるのかのぅ」

 再びティトラカワンの言葉が胸に刺さり、心臓がドクンと強く鼓動する。

「ふ、フラれるってなんだよ、俺は、俺は別にロナにそんな……」

「好きなんじゃろ? ロナの事が?」

「てめぇ! さっきから言わせておけば出鱈目ばかり――」

「じゃあロナがお前さんじゃない、誰かの女になったら?」

 うっ!

 影の言葉通りのイメージが、一瞬脳内に駆ける。

 そして言いようのないドロドロとした感情が吹き上がった。

「それは嫉妬じゃ」

「う、うるさい!」

 僕はそう言って必死にかぶりを振るう。

「うるせぇ! そんなんじゃねぇ」

 言いながら酷く惨めな気分に染まっていく。

 本当は分かってる、僕はロナの事が好きだ。

 あんだけ助けてもらって、あんなに頼られて。

 そしてあんなに外見が可愛いんだ。

 惚れてない方がおかしい。

 必死に押し殺していただけで、本当はとっくの昔からそういう感情はあった。

 初めて一緒にダンジョンへ潜った時から、僕はずっとあの人が……

「お前さんも此処に来るまでの間に見たろう? ダズとロナの完璧なコンビネーションを」

 そんな混乱に脳を逼迫させる僕を余所に、ティトラカワンは説明を始める。

「それもそのはずじゃ、あの二人はもともとコンビでダンジョンに潜っておったのじゃ」

「へ?」

「ダズは、ロナが初めてダンジョンに潜った時からずっと一緒におった。彼女を守る事を、グィンハムから命じられていたのじゃ」

 あの二人が……

 まぁ、確かにそこまで不思議は感じない。

 それ程にあの二人のコンビネーションは完璧だったし、何よりも実力が程よく拮抗していた。

 第九層まで圧倒的な速度で進撃した二人の姿は、まさに僕がかつて憧れていた「ライトノベルの主人公とヒロイン」だった。

「ダズとロナ、二人は互いに背中を預け合い、絆を深めていったのじゃ。あの二人は都合九年間もダンジョンに潜り続けた。九年じゃ、それだけの間二人で死地を乗り越え続ければ、人間というものは友情以上の感情を持つようになる。当然じゃな?」

 あの二人が……恋仲に?

 かなり予想外だ。

 めちゃくちゃ胸にグガっとくる事実だが、確かに道理に適ってる。

「いや違うのじゃルカ。恋心を抱いたのはダズだけじゃ」

「え?」

「ダズはロナも自分に特別な感情をもってると信じた、そして告白をした。誠実で謙虚で優しいちゃんとした告白じゃ、でもロナは拒絶した」

 しかもただの拒絶じゃなかった――ティトラカワンは勿体ぶるように、そこで一息をつく。

「ロナは、ダズを忌避するようになったのじゃ。わかるか童貞?」

「なッ、てめぇ!」

「ロナの父は狂った人間じゃった。己が娘と交わるような男じゃ、それ故ロナは『愛』という感情が、恐怖でしかなかったのじゃ。だから自分を愛そうとしたダズも、忌避と憎悪と悪意の対象にしかならなかったのじゃ」

 僕は思わず絶句する。

 ロナが、ダズを、拒絶した?

 ダズがロナを憎んだんじゃない。

 さきに憎んだのはロナの方だったのか?

「ロナはダズとダンジョンに潜る事を拒むようになった。そして最悪な事に、自室に引き籠る自分を心配してやってきたギルドメンバーに洗いざらい話しよった、あの女にデリカシーなんてものは無かったのじゃ!」

「う、嘘だ、そんなわけ――」

 そこから先の言葉が吐き出せない。

 嘘だと言い切れない。

 確かにロナは、少し常人と感性がズレてる節がある。

 それもそうだ、まともな情操教育を受けてないのだ。

 幼少期から、ただただダンジョンに潜る事を叩き込まれてた訳で。

 そして彼女にとって「愛」っていうのは、父親の見せる狂気でしかなかった。

 ロナにとって愛は、温かい物でも、秘する物でもない。体液と精液と痛みと非道徳な物の集合でしかないのだ。

 だったら……

「ダズは深い傷を心に負った、ギルドメンバーはみなダズに同情してロナに白い眼を向けた。しかも事態はそれで収まらなかった――お前さんじゃ!」

 僕は思わず身を竦ませる。

「ロナはどこぞの馬の骨のお前さんと、これ見よがしにベタベタするようになった。ダズの目の前で、嘗てのダズの様にお前を扱った。共にダンジョンに潜り、共に装備を選び、共に笑い、共に泣き。そんな残酷な仕打ちを始めよったのだ!」

 言われて初めて思い当たる。

 ロナは確かに、二人パーティに慣れていた。

 ゼノビアは、僕とロナが一緒に居る事に酷く不愉快そうだった。

 誰もかれも、僕とロナのパーティに口出しせず、遠巻きに見つめるだけだった。

「分かるか? ダズがどれ程の怒りと絶望を背負っていたか。ダズはお前さんに尋常ならざる、ついさっきお前さんが感じた嫉妬よりもはるかに濃く熱く痛む嫉妬を胸に宿したのじゃ。そして同情もした、ロナの振る舞いに赤くなるお前さんは、嘗てのダズその物だったのじゃ。心を砕かれる前の、やがて心を砕かれる青年の姿だったのじゃ」

 ――ルカ君は、俺と似てる

 ――君は俺を理解できるはずだ

 ――安心しテイいよ。君はオトスだけだ

 ――何故そこまでその女に尽くす!

 ――よせッ、よすんだッ!

 ダズの言葉が反芻される。

 そして僕はやっと気づいた。

 ダズは最後まで、僕を心配していた?

 僕に対する殺意を感じた時もあった、でも真実僕を殺したのか?

 彼は、実は、僕を……僕を救うつもりだった?

 ロナを憎み。

 僕を救いたかった?

「ふん、やっと理解したようじゃの」

 ティトラカワンの言葉が脳裏に染み渡る。

 僕は、もうそれを拒まなかった。

 その魔物を、その「囁く者」を、恐れはしなかった。

 寧ろ、その魔物を味方と認識していた。

 その毒のような話術に、僕の心はどっぷりと芯まで浸っていた。

「改めて聞かせてもらおうかのう、お前さんは、本当にロナに愛を受け入れてもらう自信があるのか?」

 僕は何も答えられない。

 ただ虚ろに、ゾンビの様な生気の抜けた動きで、首を左右に振るだけだった。

「では、今少し冷静に考えるのじゃ、今の自分に何があるのかを」

 今の……自分に?

 僕に、何がある?

「ロナは貴様を愛しはせんじゃろう、アレは人を愛せない」

 うっ。

「そして彼女は、恐らく次のギルドマスターじゃ。さぞ多忙じゃろうな、もうお前さんとダンジョンに潜ることは当面無いじゃろうな、そしたらお前さんはどうするのじゃ?」

 どうするって。

 ……どうするんだよ。

 一人でダンジョンに潜る?

 いや、そんなの絶対無理だ。また死にかけるだけだ。

 野良パーティ?

「ほうほうそれも良いかものう、気性の荒い高レベルの賊にコキ使われるのか、楽しいじゃろうな。それでその後どうするのじゃ? レベルをちまちま上げて、いつギルドメンバーに追いつく? 十年? 二十年?」

 十年も血反吐を吐く思いをして、追いついたとしてじゃ。

 追いついた先に何があるのじゃ?

 ごく平凡な強さのギルドメンバー?

 楽しそうじゃのう。

 貴様が憧れてた主人公には程遠いがのう。

 なんじゃ、貴様はそれで満足なのか?

 ある日とても強い英雄がギルドハウスを訪ねてきても、貴様がやる事は「ようこそ」の一言だけじゃ。

 その英雄はハーレムパーティで、貴様の大好きなロナをパーティに加えようとしても、貴様は指をしゃぶってみてる事しかできん。

 もしそれを止めよう物なら、ロナに愛を告白して阻止しようとすれば――

「やめろッ!」

 僕は思わず悲鳴を上げる。

 それ以上は耐えられなかった。

「やめてくれ、頼む、やめてくれ」

 あんまりだ、そんな未来はあんまりだ。

 でもそれは事実だ。

 今の僕は弱い、そしてこれから強くなるような期待も持てない。

 僕は無力だ。

 ロナの強さに縋って来ただけの、か弱い高校生だ。

 さっきダズを倒せたのだって、HPの大半を削ったのは彼女で、僕はこの魔物に助けて貰いながら最後のトドメを刺しただけだ。

 僕はあまりにも無力だ。

 だから、そんな、どうしようもない。

 モブみたいな未来を受け入れるしか――

 

「儂と契約をしろ、ルカ・デズモンドよ」

 

 魔物の声が響く。

 心の最深部にまでそれは浸透し、僕を揺さぶる。

「お前さんに力をやる、無限の命と創造の力を」

 命……力……

「そしてお前さんは、今度こそ主人公になるのじゃ。最強の主人公、かつて貴様の憧れた夢物語の主人公に!」

 物語の、主人公。

 自分を曲げなくても自分を押し通せる、そんな憧れの「英雄」に……

 どの集団にも属さない、それでいて至高の力を持つ戦士で、何者にも縛られなくて、自由で、正義で、多くの人に尊敬されて。

「お前さんは王になるのじゃ、そしてお前さんの望む事を成せ! お前さんの望む運命を選ぶのじゃ! その力を儂は与えてやれる」

 王……

 世界を、僕が、変える。

 僕が、僕に、僕の居場所が。

 「――本当なのか? お前は本当に、僕に力をくれるのか?」

 闇の影は、その体に三日月の亀裂を産み出し、邪悪な微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

【貴方のステータスが変化しました


 新アビリティ

  「囁かれし混乱」

        を習得】

 

 



..2





 意識が再び肉体へと還った。

 ワールンの舞台にて、囁く者の体を見上げながら立たずむ僕の肉体へと。

 精神と体の同機が復活していく。

 幾度となく瞬きを繰り返し、心と体が神経によって再接続されるのを感じる。

「ルカ? どうしたの?」

 そんな僕を心配する少女の声が、遠くから聞こえる。

 僕はゆっくりと振り返ると、柔らかく微笑んでみせる。

「大丈夫ですよ、ロナ」

 ――そう、全部大丈夫だ。

 僕は彼女に見えない様に、そっと胸にかけていたペンダントを手に取る。

 そしてその中で踊る、朱い液体をジッと観察する。

【血線術師の血(純粋) 重量:1 中毒性:255】

 僕はその可憐な彫金細工の施されたペンダントトップを握りしめる。

 そして一気に握力を振り絞った。

 バキバキと不愉快な金属音を立て、その構造が歪んでいく。

 思っていたよりも頑丈で中々壊れない。

 だから両手を使って強引に、その白金の鳥かごを押し広げる。

 ガクっという小さな音を立て、そのペンダントは歪んで壊れた。

 そしてその中に埋め込まれていた、ガラスの小瓶を取り出す。

「……ルカ? 何をしてるの?」

 今度は返事をしなかった。

 僕は天井を見上げる。

 黒い肉の塊、「囁く者、ティトラカワン」へと視線を向ける。

 僕に力をくれる、僕に居場所を与えてくれる、僕の願いを叶えてくれる、その魔物を見つめた。

「受け取れ! これで契約は履行だろ!」

 叫び越えと共に、その小瓶を投げつける。

 はるか上空の繭目がけて一直線に飛んでいく血線術師の血。

 そしてそれは、繭から伸びた一本の触手によって、確かに受け取られた。

「ルカッ!」

 ロナの悲鳴のような声が響く。

 僕はゆっくりと振り返り、彼女と向き合う。

 少女は驚愕していた、今しがた僕のしたことが、自分の眼で見た物が信じられない、そんな表情を浮かべている。

「ルカ、何をしたの?」

「……怖がらなくてもいい、これは僕の支配下に置かれるから」

「お願い、質問に答えてルカ……何をしたか分かってるの?」

「大丈夫だよ、アイツはもう人を襲ったりしない。ただの可哀そうな魔物だから、ちゃんと僕が管理して――」

「何してんの! ルカッ!!」

 ピキッと何かが千切れる音がした。

 囁く者を封じていた、血のワイヤーが切断されていく音だ。

 そしてボタボタと、何か黒い液体が天井の本体の直下に、僕の周囲に降り注ぎ始める。

「契約したんだ、魔物と。それで僕は力を手に入れる。不死になるんだ。大丈夫だよ、僕は悪いようにこの力を使わない」

 ロナが弓を右手に持って観客席を飛び降り、僕の元へと駆け寄ってきた。

 その身には不完全な殺気を纏って、泣きそうな怒りそうな悲しい表情を浮かべいる。

「なんて顔をするんだロナ。大丈夫だよ、僕は利己的な人間じゃない、ちゃんとこの力を使ってこの世界を正しくして見せる」

「ティトラカワンに憑りつかれたの? お願いルカ、正気に戻ってよッ!」

「僕は正気だよ。聞いてくれロナ、実は僕はこの世界の人間じゃないんだ。僕はもっと、素晴らしい世界から来た、そこはこんなに貧富の差とかなくて、あ、奴隷制とかもなくて、戦争も少なくて……」

 彼女は僕の言葉には耳を傾けず、呆れたように頭を両手で抱える。

「ロナ、頼む聞いてくれ、バカみたいな話だけどこれは真実なんだ。僕はもっと先に進んだ世界から――」

「それが本当だとして、ルカは本当にそんな事をするべきだと思うの?」

 少女は溢れる感情に声を震わせながら、責めるような口調で僕に問う。

「だって、僕はこの世界をもっと……」

「この世界はゲームの盤面じゃないの、本当に人が住んで暮らしてるのよ! その世界を、貴方の勝手で傲慢な正義感でぐちゃぐちゃにして良いと思ってるの?」

 ロナは凄い剣幕で正論を並べ、僕を圧倒しようとした。

 でも僕は引かない、引くわけにはいかない。

 もうモブになんてならない、僕は主人公になるんだ。

「ぐちゃぐちゃにしようとなんて思ってない、僕はただこの世界を、もっと良い物にして、それで……」

「だったら自分の力でやりなさいよ! 人が苦労して封印した魔物を使ってんじゃないわよ! 他人のふんどしで相撲とってるんじゃないわよッ!」

 ロナはそう言って弓に矢を番え、僕に向けた。

 微かに涙をこぼしながら、真っ赤に腫れた瞳で僕を狙う。

「待ってくれ、なんでだロナ、僕は別に悪い事をしようと思ってなくて、ただ、ただ」

 ――ただ、君の横に居たいんだ。

 ロナの横に居られるぐらい、強くなりたいだけなんだ。

 そこに、僕の居場所があって欲しいんだ。

 なのに僕は今、矢を向けられている。

 心の支えにしていた大切な女性に、遠ざかって欲しくない愛しい人に。

「ルカ、貴方は昔の私と同じよ――」

 彼女口調が柔らかく諭すような、それでいて熱の籠った力のある物へと変化した。

「――昔の私は、自分の強さから逃げていた。今の貴方は、自分の弱さから逃げてる」

 彼女の言葉が、薄っぺらな僕の心を切り裂く。

 少女の心の内から絞り出すその説得が、闇によって濁った僕の意志を洗い流そうとする。

「僕は、違う、違うんだよ、ロナ……」

「自分を受け入れなさい。そうじゃないと、憎まれてしまうのよ」

 あぁ。

 自分の心が崩れていくの感じる。

「違う、違ッ……」

 彼女の言葉に、嘘と虚偽で糊塗された汚染された心が。

 ボロボロと落涙の様に崩れていく。

「ルカ、お願い。こっちに――」

 ロナが手を差し出す。

 僕は思わず、その手に縋ろうと……

 

「まったく、口やかましい小娘じゃのう」


 どちゃりと、一際大きな音と共に、「それ」は降ってきた。

 丁度僕とロナの間に。

 黒い粘液の塊が、まるで二人の仲を遮るように。

「お前さんもお前さんだよ、ふらふらふらふらみっともない」

 黒い不定形な肉塊はそんな毒を吐きながら変形していく。

 ぽこぽこと、ぐぎゃぐぎゃと気味の悪い音をたて、やがて一つの形へと成形される。

「儂はちゃんと言ったじゃろ? この女は危険じゃと」

 それは、その形は「美しい女性」だった。

 まるで女性的な要素だけをかき集めたかのような、完全な女。

 全身に漆黒のタトゥーが刻み込まれた、不気味な程に妖艶な女へと、その肉塊は変化した。

「ティトラカワン……このッ、ドグサレ外道がぁああああッ!!」

 ロナが突然吠え猛る。

 それまでの優しい少女が一瞬にして消え、憎悪に身を焦がす獣が現れる。

 ロナは、「僕の知らないロナ」は、番えていた弓を妖女へと向け、解き放った。

「野卑じゃのう、これだから人間は」

 放たれた三本の白い閃光は、ティトラカワンへと命中する。

 しかし、その矢は妖女の体を貫かず、ずぶずぶと沼に沈むように彼女の体内へとゆっくりと飲みこまれて行き――

「返すぞ」

 ――突き出された魔物の腕から、黒い粘液に包まれた閃光となって、ロナの元へと返される。

「ぎャッ」

 悲鳴とともに少女の体が吹き飛ばされ、舞台の床に叩きつけられる。

「ティ、ティトラカワン! よせっ!」

「安心せい、加減はしておる」

 そう言って、その魔物は僕の方へと向き直る。

 二十代程の女の裸体が、まるで美術の彫刻の様な女性のすべてが、僕の前にさらけ出される。

「それで、お前さんは如何するのじゃ?」

「ど、どうって」

「あの小娘の言う通り、『じぶんのよわさをうけいれるー』なんて馬鹿げた修行を始めるのかと、聞いておるのじゃ」

 ずいと寄られ、僕は思わず言葉に詰まる。

「別に儂とて無理強いはせんぞ、お前さんの好きなようにせい。あの女を回収して帰っても良い、邪魔はせんぞ」

 ロナを回収して、帰る?

 ここで、このまま。

 それで、良いのかもしれない。

 ロナの言った通り、僕はただ自分の弱さから逃げてただけだ。

 だったら――

「ふぅん、立派な志じゃな。お前さんはそんな啓蒙に殉ずる気か? あの者の様に」

 ティトラカワンはそう言うと、遠くを指差す。

 そこにはダズが、ボロボロなってに打ち捨てられたリザードマンが転がっていた。

「あの者も正しい存在であろうとしたのじゃ、自分自身を受け入れ、己を律し、真の英雄になろうとしたのじゃぞ。そしてその結果があれじゃ」

 ――望む物は何も手に入らなかった。

 ――地位も、名声も、自分の居場所も、そしてなによりも愛する者に愛される事さえ。

 ――それだけじゃ世の中どうにもならない。もっといろんな物が必要なんだ

 魔物の言葉に呼応するように、記憶の深層からダズの言葉の数々が次々と発掘され、それが僕の心を再び揺さぶる。

「それで、お前さんは本当にこんな運命を受け入れるのかい?」

 妖女は吸い込まれるような黒い瞳で見つめながら、僕に最後の質問をした。

 こんな運命……

 正しいかも知れない。

 でも、それだけだ。

 正しいだけで、何も手にすることは無い。

 決して英雄には為れない。

 そしてロナからの愛も――

「――い、嫌だ」

 魔物が邪悪な微笑みを浮かべる。

「契約成立じゃな」

 妖女は傍に立つと、僕の顎を掴んでクィっ上げた。

 

 そして次の瞬間、僕は唇を奪われた。

 

 驚き、慌てて押し返し離れようとするが、彼女の腕力がそれを許さない。

 無理矢理抱き寄せられ、さらに唇をむさぼられる。

 ふっくらとした冷たい唇から細く生暖かい舌が押し込まれ、僕の舌が絡め取られた。

 深く強引な口付け。自分が犯されているようで、必死に抵抗する。

 でももがけばもがく程に妖女は僕の体を強く抱きしめ、その柔らかな肉で包み込む。

「うっ……ぐも……ん!」

 妖女の舌はより激しく僕の口内を犯し、溢れ出た唾液や呼吸を奪い取る。

 いや、それでだけじゃない。

 自分の内側から、急速に「何か」を奪われていくのを感じる。

 上手く言葉で表現できない、とても大切な、僕の核となる何か。

 それがずるずると溶かされ、熱い液体となって彼女のキスによって吸収されて行く。

 そして、同時に「何か」が与えられた。

 奪われた物と同量の何かが、僕の中に注がれていく。

 僕と彼女が混ざり合っていくのを感じる。

 激しく流れ込み、時に逆流し、熱く溶け合い、一つの液体へと混ざっていく。

 

 

 【ステータスが変化しました

 

  アビリティの成長

  「囁かれし混乱」

     が

  「黑き玉座の語り手」

     へと成長しました】

 

 

 永遠の様な、刹那のような口づけから解放される。

「これで契約成立じゃな」

 妖女はそう言って、得意気に微笑む。

 僕はよろよろとした歩みで彼女の元から離れ、燃える様な熱を持った口元を手で押える。

 口元だけじゃない、その熱は体の芯からも起こり始める。

 焦がすような、何かが溢れ出るような、抑えがたい感情の様な炎。

「ぐっあ、あぁ、だ、駄目だ。これは、駄目だ」

 その熱は洪水のように、僕の意志とは関係なく、怒涛の勢いで押し寄せる。

 眼がくらむ、意識が歪む、自分抑えられなくなる、何かが僕を内側から溶かす。

 僕が、僕で無くなる!

 

 【ステータスが変化しました

 

 新たなスキルを獲得

  魔法

   呪術

   幻惑

   闇魔術

   古代魔術

 

 新たなアビリティを獲得

  精神刻み

  意志を侵す者

  闇潜み

  絶影

  エンバウントメント

  ガラマカブル】


 わからない、理解できない。

 ただ冒涜的な何かが僕を包み込む。

 とても許容できないような、忌むべき物に、僕の存在が浸食される。

「嫌だ、こんなの、これは、嫌だ! 助けてくれ!」

「安心しろ、それは直ぐに収まる物じゃ」

 助けてロナ!

 頼む助けてくれ、僕が間違ってた。

 コイツは、コイツはやっぱり。

 コイツは!

「落ち着くのじゃ、お前さんの体が人間をやめようとしてるだけじゃ。それぐらい覚悟しとらんかったのか?」

 僕はその場に崩れる。

 体の制御が効かない。

 意味不明な想像が僕の思念を支配する。

 蛹の孵化だ、僕という蛹から何かが羽化する。

 僕を突き破り、僕の脊髄から何かが飛び出る。

 それが出た後は、僕はただの抜け殻だ。

 産まれた物が僕となって、今の僕は消滅する。

 嫌だ!

 そんなのは!

「まぁ、確かにそれは事実じゃ。自我を保てなくなって、魔物に飲みこまれる」

 体を掻き毟る。

 自分を食い破るそれを、すこしでも抑えようとする。

 騙された!

 僕は、騙されたんだ。

 コイツは、コイツは僕を。

「当然じゃろ? 普通の魔物と契約した愚か者が無事で済むと? 本当に人はつくづく愚かじゃのう」

 嫌だ!

 嫌だ!

 誰か助けて!

 僕は!

 

【貴方のステータスが変化しました


  新アビリティ

    「不死」

      を習得】

      

「冗談じゃよ。今のは普通の魔物の話、儂は別じゃ」

 少々怖がらせすぎてしまったかのう――そんなティトラカワンの声が僕に降り注ぐ。

 それと同時に、自分の内側での「起こり」が静まっていくのを感じる。

「言ったじゃろ、貴様を不死にしてやろうと。お前さんの内のそれは、お前さんを食い殺す事はできない」

 やがて自分の内側の「起こり」が融解していく。

 僕を破るはずだったそれが、僕の中に取り込まれていった。

「おめでとう、これでお前さんは『物語の主人公』じゃ――」

 魔物の力を持つ、不老不死の英雄。

「――それが今のお前さんじゃ」






..3




 力が。

 僕を食い破るはずだったはずの力。

 人智を超越した圧倒的な力が、自分の中に宿ったのを感じる。

 

【新魔法を習得

 ディグ

 シャドウグレア

 レガジテイトキャスト

 サークルオブヴェノム

 ヴィラナスレイヤー】

 

 自分の手の平を凝視して、ステータスを映し出す。

 

 

 【名前:ルカ・デズモンド

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 また、このエラー表示か。

 ダズと同じ、魔物と契約した人間のステータス。

 結局目的であった自分のデータを見る事は叶わなかったが……まぁいい。

 感触で十分分かる、僕は強くなった。

 いままでとは完全に別次元の存在に、自分が進化したのを感じる。

「どうじゃ? 満足かのう?」

 黒い女が、凍えるような撫で声で僕に尋ねる。

 彼女の声と共鳴するように、僕の内側の黒い液体が波立った。

 それは両の手の平より、まるで湿った雑巾を絞るかのように、邪な黒毒となって滴り落ちる。

 それは魔力の塊であり、僕の心を満たす祝福でもあった。

「あぁ、満足だ」

 僕は半ば一人言のようにそう呟いて、その液体を顔に塗りたくる。

外側はゆっくりと冷えて硬化していき、内側はねっとりと優しく僕の皮膚を覆った。

「ほう? 仮面か、まぁシンプルで良いかもしれんのう」

 コールタールの様な液体は、僕の思うがままに成形が進んで行く。

「過去の自己を否定する儀式としては、打倒じゃな。それで、それは何の仮面じゃ?」

「そっか、こっちの世界に『これ』は居ないのか」

 造形を指でなぞり、その出来栄えに満足する。

「これは『鬼』だ、僕の世界にかつて居た、化け物だ」

 いいな、これなら……

 黒い液体をさらに絞り出し、さらにもう一つ、アイテムを生成しようとイメージを沸かせる。

 堅い鋼、それを覆う柔らかい鉄、直線的な刃、頑丈な鍔、そして固く軽い鞘。

 そう、日本刀だ。

「ル……カ……」

 ロナの声。

 久しぶりに聞いた気がした。

 見ると、彼女は紫色に痛々しく腫れ上がった右手を抑え、必死の形相で立ち上がっていた。

「おね……がい、魔物から……離れて」

 傷はそれだけじゃない。

 彼女は矢尻で自分の胸を貫き、おびただしい量の血を流していた。

 池の様に大きな血だまりを持って、数多の赤き魔導書を作り出していた。

「うるさい小バエじゃのう、大人しく寝てれば良いものを」

 魔物はそういうと、全身に魔力を充填させる。

 体中のタトゥーがまるで生物の様に蠢き出した。

「よせ。ティトラカワン――」

 僕はそれを片手で制する。

「――あれは、僕が」

「殺すのか?」

「まさか、彼女は大切な人だ」

 そう言って、産まれたてのその武器を鞘から引き抜く。

 魔物の力を練り込んで作られた、僕の漆黒の刀。

「ルカッ!」

 少女の絶望的な悲鳴が木霊す。

 でも、その言葉は僕の耳には届かなかった。

「僕はもう、ルカじゃない!」

 僕はもう弱くない。

 僕はもう、モブじゃない!

 鮮血の魔導書が、一斉に開かれる。

 ページがバラバラと捲られ、次々と血の飛沫が迸る。

「私に、貴方を殺させないで!」

 彼女の周囲の温度が上昇し始める。

 ロナの背後から真っ赤な火柱が上がり、その焔は巨大な竜の顔を模った。

 ――邪魔をするな。

 僕はもう僕じゃない。

 何もかもを捨てたんんだ。

 弱さも、正しさも。

「改めて自己紹介をしようか――」

 そう言うと、僕は闇の領域を周囲に展開する。

「――ようこそ第十層ワールンの舞台へ、我が名は『デズモンド』、黒の王の眷属の一人だ――」

 その言葉は、魔法の詠唱と共に勝手に零れていった。

 意識とは無関係に、内側から湧き出るような声。

 「――我が主『囁く者、ティトラカワン』に代わって、僭越ながらこの僕がワイルドキーパーを務めさせてもらおう」

 赫の炎竜が咆哮を上げる。

 灼熱が舞台を覆いつくし、世界が陽炎によって霞んでいく。

「これは少しマズそうじゃのう。加勢するぞお前さん」

 魔物の放った黒い波動は僕を背後から押し、そして彼女の放つ熱波と激突した。

 二つの力は猛々しくかち合い、膨大な魔力の渦がその場に巻き起こる。

 その竜巻の中央で、僕と少女は対峙する。

「どけ、ロナ・ヴァルフリアノ。僕は僕の夢追い旅を完結させる――!」

「退くのはそっちよ、ルカ・デズモンド。いい加減目を覚ましなさい――!」

 それを合図に、僕は刃を振り上げた。

 

 

 ――舞台の上で、最後の演目が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 











PE L ?6?U キ , キ [キ @ @ `: &- @キ ?$ $キ ? 4 (? , ? ?8 ?キ ?G 8 h# @ @ T

 

 

 愚かだな

 オロカダ

 バカだなぁ、こんなのが器?

 それもダブルブッキング?

 悪趣味な冗談だねぇ

 

 

「オラ、なんか言う事あるでしょ、いいなさい!」

 マァ、ソウイウモノサ。

 昨日の敵が今日の味方。

 最愛の友が今日の敵。

 信じていた味方に刃を向け。

 憎んでいた相手に縋り諂う。

 良くある話じゃん。

「聞こえない! 全然聞こえません! もっとはっきり大声で言う!」

 善とか悪とか、そんなものは後から貼られるラベルに過ぎない。

 世界の本質は残酷で、無慈悲で、気まぐれで、各自やっていくしかない。

 この世界はそんな混沌とした領域に過ぎない。

 ソレニ、アトカラ「カイシャク」ヲアタエテイルダケ。

 善悪だなんて、たった二つのカテゴリに仕分けようとしても……ねぇ

「ねぇ貴方本当にバカでしょ? 言いたくなかったけど、コレで確信したわ。バカでしょ、ねぇすっごいバカでしょ!」

 でも、だからと言って、割り切ってしまってはままならない。

 ソレハ「バカ」ダ。

 それでは身も蓋もない。

 善も悪も、蜃気楼に過ぎないのは事実。

 でもだからこそ、ちゃんと生きていく必要があるってこと。

 だからこそ、正しき心を。

 だからこそ、正しき道を。

 ソウシテ、イロイロヤッテイクノダ。

「アンタは黙ってなさい、アンタは後で、今はこっち。は? 泣くな!」

 夜明けは未だ遠い彼方。

 月はさらに高く蒼くなっていく。

 ハヤク、アルキダセ。

 成すべき事を成すのだ。

 鐘を響かせろ。

 黄昏の鐘楼を打ち鳴らせ。

 

 ヨセ、マダオキチャイケナイ、キズガヒラクゾ!

 

 

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