血戦と血末



..1





「ルカから離れなさいッ!」

 唐突に女性の声がワールンの舞台に鳴り響いた。

 見ると、座席の壁を下って此方へ向かってくる、一人の女性の姿があった。

 ロナ・ヴァルフリアノ

 英雄の子孫、憎まれ続けた少女、そして新たな英雄の為の生贄。

「ロ、ロナ! 駄目だ、逃げるんだ!」

 僕は必死に声を張り上げる。

「これは罠だロナ! ダズさんは君を殺す気だ! 僕は――」

「心配しないでルカ、全部分かってるから」

 少女は良く通る凛とした声で、取り乱す僕を諭した。

「『全部分かってる』か、そいつはなんとも話が早くて助かる」

 ダズは嬉しそうにほくそ笑むと、舞台に突き立てていた大剣を引き抜いて――

「やめてダズッ!」

 ――僕の首筋に突き付けた。

「それは君次第だ、ロナ・ヴァルフリアノ」

 ダズの声色には、毅然さと穏やかな色が浮かんでいるだけだ。

 こんなにも狂った事をしているというのに、そこには気負いも、焦りも、混乱も、狂気も無い。

 冷静で、決して揺らぐ事なき信念を感じる。

「ルカに刃を向けるな!」

「ならばその血を寄越せ。そうすれば彼を、ギルドメンバー共々生きて解放してやろう」

 ただしお前だけは別だがな、ダズはそう言うと静かに顔をロナの方へと向けた。

「ロナ・ヴァルフリアノ、君だけは生かしておけない、君には償いをして貰わないと」

「やめてくれダズさん、ロナを殺さないでくれ!」

 僕は叫びながら、手に有りったけの魔力を注ぎこみ、電熱で紐を焼き尽くす。

 ……焼き尽くそうとしたのだが。

「うっ、あぁああああ!」

 右手に鋭い痛みが駆け抜ける。

 大量の電気が両手の内側へと逆流し、さらに麻紐がギリギリと、手首をへし折る様な勢いで締まりだした。

「ルカ! ダズ、貴方何をッ!」

「俺は何もしてないよ、ルカ君が自滅してるだけ。『魔返し』の付呪が施されてる紐に抵抗しちゃってるだけさ」

 魔返しって、やっぱりこれはエレキが逆流してる?。

 僕はエレキの詠唱を中断する。

 するとやはり痛みは和らぎ、同時に締め付けも緩んで行った。

「こらこらルカ君、余計な事をしないでくれ。ロナ、君も早く決断したらどうか?」

 ダズは余裕たっぷりにそう言って、ロナの方を再び見る。

 ロナは焦燥していた。

 眼を潤ませ、歯を食いしばり、今にも泣き出しそうな表情で、僕を心配していた。

 ――やめてくれロナ、そんな、そんな顔をしないでくれ。

 僕なんか見捨てて、今直ぐにでも逃げてくれ。

 どうして、そこまで僕に……

「ダズ、貴方は本当にこんな事をして英雄になれると?」

 ロナが精いっぱいの悪あがき、ダズはそれに苦笑いをもって答える。

「なれるよ、ちゃんと僕は劇を演じる。君は『ギルドメンバーを襲撃して、ティトラカワンを復活させた情緒不安定な少女、ロナ・ヴァルフリアノ』だ、そして俺は『ロナ・ヴァルフリアノを見事打ち倒し、ティトラカワンを付き従えさせた英雄』ってね。そういう演目になってる」

 真実を知るのは、今ここにいる三人だけ。

 そしてその内の一人は、間もなく死ぬ。

「ルカ君、君は黙っていてくれるよね。あぁゼノビア辺りは真実に気づくかも、まぁ別にいい。そういうのは全部些事だ」

 ダズは気楽そうにに笑う。

 そこで僕は、出発直前のロナの言葉を思い出した。

『――ダズが私を制御できてないっていう現状は、ギルド連合も知っている』

 誰もがロナを憎んでいた。

 だったら、誰もロナが無実だなんて……

 彼は笑顔のまま言葉を続ける。

「例えこの悪事がバレたって構いやしない。ロナ・ヴァルフリアノ、君の父君がそうであったように『英雄』というのは所詮『何を成したか』に過ぎない、過程や行程なんて物は二の次だ」

 いや、二の次どころか不都合な事実は無かった事にさえしてもらえる。ダズは楽しそうにそう付け加える。

「何れにせよ、俺はティトラカワンの『不死』の力をもって英雄になる。英雄無き時代の英雄にね」

 ダズは長く尊大な演説を終えると、まるで拍手喝采を期待するように得意気な視線を、僕とロナに向けた。

「ダズ……貴方は……」

「『狂ってる』? まぁロナには狂ってるようにしか見えないかな?」

 そう言って、わざとらしく意味ありげな視線を僕に向けた。

 ――ルカ君、君は俺の理解者になってくれるだろう?

 僕は思わず目を逸らす。

 逸らさずには、居られなかった。

 あの時の自分を見せつけられて、自分の望みの為に世界を壊した、何も考えずに世界を書き換えた愚かな自分が。

 今こうして、目の前で、僕の大切な人を壊そうと。

 それは、それはあまりにも――

「さて、楽しい楽しいおしゃべりもそろそろお終いにしようか」

 リザードマンは宣言をすると、刃を僕の首により強く押し付けた。

「……わかったよ、私の負けね」

「負け、というと?」

「血を渡すわ」

 ロナは暗く沈んだ瞳で、そう言った。

 感情の剥落した、虚無に満ちた声で。

「だ、駄目だロナ!」

 駄目だ。

 それは絶対に駄目だ!

 それは、最悪の結末だ!

「ルカ、良く聞いて」

 ロナはそういうと、その光の無い瞳を僕に向けた。

「ここから西、ヴィザフっていう都市の北に大きな森があるの、そこに『カフュー』って名前の老人が暮らしてるわ――」

 ロナ、一体何を言ってる?

「――私の名を告げて、そうすれば面倒を見てもらえるはずだから。彼の世話になりなさい」

「待って、待ってロナ」

「ねぇルカ、どうかこの事は全部忘れて。復讐なんて考えないで、穏やかに生きて」

「駄目だロナッ!」

 彼女は腰のレイピアを引き抜くと、それを自分の右手に突き刺した。

 血が。

 赤き血線が、紙の如く細い刃に染み渡る。

「これは、私が選んだ道だから」

 そして彼女の血が染み込んだレイピアは、ダズの元へと放り投げられた。



 駄目だ。

 終わってしまう。

 本当に終わってしまう!

 

 

 ダズの刃が僕の首から離れた。

 そして彼は嬉しそうに、心の底から嬉しそうに放物線を描くレイピアの元へ……

「駄目だぁあああああああ!!」

 

【新魔法を習得

 ブリッツ

 

詠唱成功

 詠唱可能条件

 破壊(5)

 変性(13)】

 

 バチッと小気味の良い音がして、魔返しの麻紐が千切れた。

 うっ。

 何が?

 ……考えてる暇なんてない。

 僕はそのまま、レイピアに気を取られているダズ目がけて渾身のタックルをかます。

 完全な不意打ちとなった僕の攻撃は、見事な程綺麗に決まり、ダズの体を突き飛ばした。

 レイピアがカィンと乾いた音を立て、地面に突き刺さる。

「ロナッ――」

 僕がそう叫んだ時には、彼女はもう弓を構えていた。

「――殺れ!」

 白い閃光が三つ、漆黒のリザードマン目がけて放たれる。

「……小癪な」

 が、内二発は彼の大剣「レインメーカー」で斬り落とされた。

 残る一発も脇腹に命中するが、彼の強靭な鱗によってあっさりと弾かれる。

「やれやれ。ルカ君、君は本当に俺を理解してくれないんだね」

 ダズはそう言うと、気だるげに立ち上がる。

「俺は悲しいよルカ君。君と俺は同じ苦しみを味わっていると思ったのに、憧れに届かない、どうやったって届くことの無い世界、理想は遥か遠く、それよりも足元を見る事ばかり強要される苦しみ、何一つ自分の思う通りにならず、世界が自分の心に牙を立て、噛み千切り、砕き潰し、その心を壊そうとする」

 ロナは何度も矢を射続けたが、その全てが有効打にはならない。

 火力が足りな過ぎる。

 ダズの全身がゆっくりと戦闘態勢に入って行くのが見て取れた。

「ルカ君にはがっかりだよ。理解しているはずなのにそうやって突き放すなんて酷いなぁ、本当に酷い、殺したくなる」

 全身の筋肉が膨らみ、目には殺意が揺らめき始め、剣の舞いが強く速く無駄の無い物になっていく。

「ルカッ! 逃げなさい、約束したでしょ!」

 矢をばら撒きながら、ロナが必死に声を絞りだす。

 でも僕は首を振ってそれを拒む。

「逃げない、僕は絶対に」

 鞄の中から短剣「クファンジャル」を取り出し、それを構える。

 理屈なんてない、とある本能的な確信が、僕の中にあった。

「……じゃあ、君から死ね」

 ダズが僕目がけ駆け出し、その刃を振るった。

 閃光の様な、目で追う事さえ困難な達人の一撃。

 でも、『今の僕』にはそれが見える――

 ジャキっと金属のかち合う音。

 そしてダズの刃は逸らされ、僕の肉でなく大地を抉る。

「おや?」

 ダズは「レベル5の僕に躱された」という事実を飲みこめず、一瞬の隙を生じる。

「オラッ」

 僕は右足を振り上げ、いまだ驚愕を浮かべるダズの顔面を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばしたつもりだったが……

 黒いリザードマンが瞬時にバックステップし、それを回避する。

 ダズの表情に、もう余裕や油断や平常心は完全にない。

「あははは、面白いねルカ君」

 僕に対してあきらかな敵意が剥き出しになっていく。

 ――さっきの魔法、ブリッツは身体能力を強化させる魔法だった。

 恐らく、魔法で作った電気信号によって、脊椎や脳からの指令をより早く末端器官に伝える魔法。

 多分、筋肉の収縮力を底上げしたりすることもできるのでは?

 だから麻紐をちぎる事が出来た。

 自己強化魔法だから、魔法返しにも掛からなかった。

「ロナ!」

 僕は背後の少女に呼びかける。

 返事は無い、たぶん言葉が出ない程に動揺してるのだろう。

 僕がダズと対等に斬り合った、それに衝撃を受けてるのだろう。

「僕がダズを止める。その間にロナは強力な血線術の詠唱を!」

「俺を見くびるなよ」

 ダズが再び駆け出す。

 彼の狙いは明らか、僕の後ろのロナ、彼女を直接殺る気だ。

「させるか」

 僕はダズの前に立ちはだかる。

 彼の斬撃が来る。

 さっきよりも速い、肉食動物の一撃のような一閃。

 だがこれも、僕の体は反応する。

 いや、反応できるだけじゃない。

 剣の重心、力の中心、それらが手に取るようにわかる。

 何処をどう打てば、軌道を逸らせられるかが見える。

「喰らえッ!」

 先ほどよりもさらに数段軽い金属音。

 大剣を弾いたというのにもかかわらず、まるでプラスチックの破片を鳴らしたような。

 完璧なパリィが、鮮やかに決まった。

「ルカぁあああああ! 散華しろッ――」

 ダズの咆哮。

 ぞわり、と背筋が震える。

 死。

 それが突如迫った気がした。

 うっ。

「――飛燕」

 僕は咄嗟に二歩後退する。

 その直後、 ブリッツを持ってしても見切れない、一撃がッ。

「あ、っぐぁ」

 顔の右半分が熱い。

 反射的に触れると、べたつく液体が、血が溢れ出ていて。

 斬られた?

 何処を?

 右頬と右耳?

「なんと、これも避けるのか」

 ダズはそう漏らすと、傷の確認をする僕から一歩退く。

「レベル5でそこまで動くとは、なるほど良い魔剣士だ」

 漆黒のリザードマンはそう言いいながら、自分の鎧に手を掛けると、幾つかのパーツを外し始めた。

「俺も本気を出す必要があるな、これは」

 まずい。

 さらに速くなるのか?

 僕はロナの方を振り返る。

 彼女はまだ血線術を詠唱していた。

 右手から滴り落ちた血が宙に浮かび、何かを形作ろうとしてる。

 ――まだ時間が掛かりそうだ。

 ロナは泣きそうな眼を、今にも心が張り裂けそうな表情を僕に向けて、必死に詠唱を続けていた。

 ……大丈夫だよ。

 声に出さず口の動きだけでそう伝えると、僕は再び敵と向き合う。

「改めて自己紹介をしようか――」

 鎧の両肩部と籠手を外し、ダズはニッコリと微笑む。

「――ようこそ第十層ワールンの舞台へ、我が名は『ダズ・イギトラ』、黒の王の眷属の一人だ――」

 僕は相手のステータスを確認する。

 

 

 【名前:ダズ・イギトラ

 HP:272/281 MP:43/45

 ジョブ:ベル9^tt?FYキ8^Pt??FZキ?Z V?T ??VZRV?P ?V?M ?8? Vt?G キ?6 ?? ?8Xu 8^@キ$t?D$?$QV? ?8^AuワイルドキーパーSV? ???V???? ?V????;?tL8^@uG??囁かれし 8Xt<8? ?$t?@?? ???????3?8^Z????_[Y???????????????V?$W?キ ?混乱 t3?G ?? キj V???キ キjV???キ キjV???? ?~J tE?t u??~P t?~Z t??? ?Gキ?~X t??? キキ?B/ キキV???フラグエラーです?? キV???キ ?V????~A ua? u?? キV????? キV????~J t?W??無効な識別子です キRV?????キ キ??キRV???キ キj V????キt=?3??8W??dW??~@ t?? ?y u?3?8VZ?dP_^????????このメッセージを確認した人は、至急係員にお伝えください??$?xJ V?キ t?? ?P????^???????????V?$?キjjV???キ ?? V@ ?@?W@ ?@ ?キ?^????????????????$P??  名前:英雄無き時代の英雄?????$Pキ? Y??????$?????????????$キ?A3

 ジョブ:ワイルドキーパー

 レベル:計りしれない強さの相手だ

     攻撃力がとてもとても高そうだ

     防御力が驚異的に高そうだ

     魔法耐性が驚異的に高そうだ】

 

 

 なんだ。

 なんだこれは?

 なんだこの表示は?

 バグってる?

「――我が主『囁く者、ティトラカワン』に代わって、僭越ながらこの俺がワイルドキーパーを務めさせてもらおう」

 レインメーカーから過度な装飾が外され、シンプルな直剣へと変貌を遂げる。

 ――クソが。

 勝てるのか?

 いや、僕が勝つことは絶対に無い。

 僕はあくまでも「辛うじて相手の攻撃を受け流せてる」だけだ。

 この「クファンジャル」のお蔭で、なんとか受けられるだけだ。

 D値と引き換えに、機動性に特化された宝剣。

 ダメージソースとしては絶望的だけど、こうして受け流すのが目的なら、これ以上無く頼もしい装備だ……

 が。

 が、それでも、ヤバい。

 

 【名前:ルカ・デズモンド

 HP:44/82 MP:21/65】

 

 もうMPが尽きかけてる。

 ブリッツはめちゃくちゃ燃費の悪い魔法だ。

 あまり長くは持たない。

 またマインドクラックをすれば?

 やった所でどこまで戦える?

 いや、そもそも僕は彼の本気の攻撃を防げるのか?

「行くぞッ!」

 ダズが駆け出す。

「クソがッ」

 やるしかない。

 頼むロナ、早く詠唱を完了してくれ!

 





..2




「薨去せよ、楼月!」

「『舞え』『走れ』――ブリッツ」

 僕は全神経をその一瞬へと集約させる。

 時間が急速に引き伸ばされていく、一秒が十秒へ、十秒が百秒へと。

 脳に流れ込む大量の電気信号によって、体感時間が何倍にも引き伸ばされていった。

 ――だが。

「うっ」

 ガキッという重たい音。

 器用に受け流せていた先ほどまでとは違う、刃と刃がぶつかり合う耳障りな音。

「あははは、どうした、どうしたルカ君」

 こいつ、もう僕の戦術を見抜いて……

 ダズの斬撃には速さはなかった、いや、寧ろ先ほどより遅い。

 しかし、どれも圧倒的に受け流しづらかった。

 重心が剣の根本の方にある一撃、作用点が安定しない乱れた一撃、圧倒的な怪力の込められた強力無比な一撃。

 僕にとって嫌な方向へと、剣術の練度が上がっていた。

 しかも今なお上がり続けてる。

 一撃一撃と積み重なっていくにつれて、僕は攻撃の勢いを逸らせなくなっていく。

「クソがぁあああ!」

 攻撃を受けるごとに二歩、三歩と後退してしまう。

 どんどん戦線が下がっていく、このままでは詠唱するロナの元まで……

「無理だよなぁ、技量と素早さだけじゃあ前衛は務まらんよなぁルカ君」

 このままじゃ、駄目だ。

 だったら。

 だったら力を。

「オラァ!」

 ゴグン、と一際巨大な音が鳴り響く。

 弱い一撃を狙って受けたのだが、信じられないような衝撃が全身を貫く。

 決して軽くないはずの僕の体が、一瞬浮き上がったような錯覚に襲われる。

「このまま吹き飛べ」

 追い打ちをかけるように更に強力な一撃が僕目がけて……

「されるかよぉオオオオッ!」

 僕は最後のMPを使い潰し、全身の筋肉という筋肉に膨大な量の電流を流す。

 腕と足の筋肉の細胞が一斉に活性化する。

 いや、活性じゃない、これは悲鳴だ。

 自然には在り得ないような量の電気信号、そして在り得ない程過激な筋肉の収縮。

 人の体の限界を超えたエネルギーが発生する。

 

 空間を破壊するような、壮絶な金属音が響く。

 

「バカな!」

 ダズの斬撃を、僕は受け止めた。

 僕の全身の皮膚は真っ赤に湯立ち、骨がミシミシと壊れ始め、食いしばった奥歯は粉々に砕け散っていた。

 でも、受け止めた。

 一歩も引くこと無く、受け止める事ができた。

「バカな! そこをどくんだ!」

 更に強力な一撃。

「ァアアアアアッ!」

 もう一度僕はそれを受ける。

 全身の内側にまで衝撃が染み込み、そして爆発する。

 蒸気のような汗が拭き出し、急激に上昇した体温に脳髄が悲鳴をあげる。

 右の眼球が破裂して、視野の半分が消える。

 でも、それでも。

 引くわけには。

「どけぇええええ!」

「ウォアアアアアア!!」

 三撃目。

 僕の左腕の骨が砕け、肉を突き破った。

 呼吸器官がイカれたようで、まともな呼吸ができなくなる。

 体中の節々から、穴の開いたホースの様に血が噴き出す。

 全身の筋繊維がズタズタに引き裂かれ、もう魔法無しでは立つのもやっとだ。

 それでも。

 引けない。

 引くわけには……

 

 四撃目

 

 ついに僕の体はボロクズの様に弾き飛ばされ、無様に地面に転がった。

「うっ、くぅ、あぁ」

 でも、それで良かった。

 吹き飛ばされたのはわざとだ。

 その直前に、「それ」が目に入ったから。

「バカな、俺が、この俺が……」

 ダズも「それ」に気づき、絶望の悲鳴を上げる。

 ――血線術の魔法陣。

 それがダズの足元を中心に、大きく浮かびあがり、輝きを放ち始めていた。

「……其冥乃晦、其視乃明、不哭不滅不息、其燭九陰……」

 ロナの言葉が響き渡る。

 彼女は右手に書物を、自らの血で精製された魔導書を持っていた。

「……是謂赫龍……力を貸しなさい。『偽り』『最果て』『清め』『聖火』――フェイクドパーガトリーワーデン」

 眼も眩むような光が、魔法陣の中心から吹き上がる。

 ダズの体はその輝きの洪水に飲みこまれ、一瞬にして見えなくなった。

 薄暗い舞台が、光に満ちあふれていく。

 その光は全て焔なのだと、僕は直ぐには気づけなかった。

 ――熱を感じない、煉獄の炎。

 それがダズを、狂気の英雄を焼き焦がしていく。

 閃光の様な焔はますます力を増して行き、僕の視界が何も映せなくなっていく。

 勝ったのか?

 これで、これで終わるのか?

 そう思った瞬間。

 そんな希望が胸に湧き上がった次の瞬間。

 消え入るようなロナの声がした。

「ごめんルカ、お願い、逃げて」

 閃光は唐突に消えた。

 焔は刹那に掻き消え、彼女の魔導書は元の血の塊に戻って、バシャっとその場にぶちまけられた。

 ――ロナがその場に崩れた。

 血を消耗し過ぎた彼女は、意識を失ってしまった。

 

「あハははハハ、まぁ、コウなるとはワカってたサ」


 まだ光の残滓が残る舞台。

 その中心に、彼は立っていた。

 煉獄の炎に焼かれたはずの黒き英雄は、まだその足で舞台に立っていた。

「ザン念だったナ、ロナ・ヴァルフリアノ。俺モ君と同じ仮ケイヤクシャだ、もっトも契約しテる魔物のランクがチがうが」

 微かに湧き上がった希望が、一瞬にして絶望へと変わる。

「だがキミの竜とはチガって、俺の『囁く者』ハ、曲がりナリにも現界シテる、そのサだよ」

 ダズはボロボロだった。

 全身の黒鱗は焼けただれ。

 体の節々が炭化し、崩れ落ち。

 顎の一部が損傷して、喋るのも困難そうだ。

 でも彼は立っていた。

 彼はまだ、動ける。

 

 【名前:英雄無き時代の英雄

 HP:89/2543 MP:35/37

 ジョブ:ワイルドキーパー

 レベル:エラー、未登録のIDです】

 

 僕は悲鳴を上げる体を、無理矢理立ち上がらせる。

「ヨせルカ君、もうケッカは見えてる」


【名前:ルカ・デズモンド

 HP:4/82 MP:0/65】


 ドロドロに溶けたレインメーカーを投げ捨てながら、彼はロナの元へと歩み寄って行く。

「や、やめろ。彼女には、指一本、触れさせない」

 僕はダズの前に立ちはだかると、乾ききった舌を必死に動かして、強引に言葉を絞り出した。

 クファンジャルは、もう芯金からへし折れ、武器としての機能を持ってない。

 だから僕は、さも魔法を詠唱するかのように、右手を彼に向けるしかなかった。

「あはハハハハ。足ガくねルカ君、MPはキれてるのダろ?」

 僕の虚勢を見抜いているダズは、歩みよりに一切の躊躇を見せない。

 クソがッ。

 なめるなよ、やってやる。

 マインドクラックだって怖くない!

 僕は右手に魔力を充填させる。

 ……させようとしたのだが。

 

 【詠唱失敗

 MPが足りません】

 

 え?

 期待していた「マインドクラック」の表示が現れない。

 何故?

 僕の手には、一欠けらの魔力も蓄積される事はなく、ただプルプルと小刻みに震えるばかりだ。

「オレはちゃんとイッタはずだ。魔ホウは炎だと、着火剤トナルMPがナけれバ、マインドクラックも起きない」

 バカだな君は、彼はそう嘲笑うと僕の首に手を掛けた。

「うっ、ぐっ」

 体の筋が幾つも焼き切れてしまった今の僕は、もがく事さえもできず、されるがままに首をしめられる。

「あはハハ、安心しテイいよ。君はオトスだけだ、無益なセッショウは俺の好みジャナインでネ」

 辛うじて動かす事が出来る右手で、首を圧迫するリザードマンの手を必死に振り払おうとする。

 だがまるで赤子のような握力しかでない、そもそも人差し指と中指以外に感覚がない。

「がッ、うっ、ぐふぃ」

 気管支が圧迫されていく。

 肺に流れ込む酸素量が急速に減少していき、まるで暴風に晒された砂上の様に意識が崩れていく。

「可哀ソウに、君モマタ、英雄にはナレナイのだ」


 可哀そうに。

 可哀そうだ。

 すっかり取りつかれてしまって。

 君は道を間違えた?

 正しき道を選ばなければならない。

 ダイジョウブダ。

 正しき心によって導かれた道は、全て正しい道だ。

 ……本当は知ってるのだろ?

 君はもう一つの選択肢に気づいている。

 どちらを選ぶんだ?

 どちらを君は選択する?

 怖いのか?

 

「うぎ、うぅ、がぁあ」

 右手から力なく弛緩し、ダズの腕から外れる。

 全身から五感が抜けていき、周囲の世界が無色に崩れていく。

 その時、視界の片隅にロナが映った。

 彼女は、その白い少女だけは無色に飲み込まれず、僕の世界に留まり続けた。

 

 助けたい。

 彼女を救いたい。

 

 友人を救いたいという純粋な心、僕にとってのこの世界の唯一の拠り所を守りたいという濁った心。

 その二つが、彼女を救うというその穢れと清さをもったその意思が。

 何を恐れているんだデズモンド?

 彼女が死ぬことか?

 君が死ぬことか?

 違うだろ。

 君が本当に恐れている事は、そんな事じゃない。

 君が恐れている事は――

「うっ、僕は、僕はぁ……」

「オや? まだ意識がアルのか?」

 ――何も選択を出来ないことだろ?

 オソレルナ

 クルシメ

 イタメ

 ナケ

 サケベ

 全ての記憶が君を形づくる。

 選ぶと良い、君の道を。

 

「……お前をッ、殺す」


 僕は右手を鞄の中に突っ込むと、「それ」を取り出す。

 ダズが瞬時に僕の動きに察知し、両手に力を籠め僕を絞め殺そうとする。

 でも、ダズの握力は驚くほど微量にしか上がらなかった。

 やはり、彼もまた僕同様に弱っている。

「喰らえッ!」

 僕は叫びながら「それ」を、その小袋をダズの側頭部に叩きつける。

 パフっと破裂音と共に、袋の中身がぶちまけられる。

 エメラルドを砕いたかのような、きらきらと緑色に光る粒子が、輝きを放ってダズの全身に降り注いだ。

 

 【ゼンギアの回復薬(劣悪) 重量:1 中毒性:1】

 

「何ダ、こレはッ」

 僕の予想外の反撃に怯み、そして次の瞬間信じられないものを見たかのように眼を見開いた。

「ウッォオオオオ!」

 ダズは断末魔の如き悲鳴を上げ、僕の首から手を離すと、その場に転げまわった。

「ルカッ、貴様ァ!」

 必死に顔面にこびりついた粒子を落とそうとしてる。

 血液と化学反応を起こし、高熱を放つ事で強引に傷口を焼き塞ぐその傷薬は、果てしない激痛となって彼に襲い掛かる。

「痛むか、ダズ、超痛いだろ」

 ほんの一つまみでも僕は暫く動けなくなったのだ、これだけの量を浴びれば当分は……

 動かない左足を引きずるようにして、僕は蹲るリザードマンに背を向ける。

「ルカッ! ルカッ! おノれ、こんナ、こんなふザケた真似をッ!!」

 ダズの悲鳴が舞台に木霊する。

 彼は両の目から血を流し、地面に這いつくばっていた。

 だが、まだだ。

 まだ終わってはいない。

 あれは所詮回復薬だ、痛みはいずれ引き、傷口の多くが塞がってしまう。

 僕はゆっくりと、倒れないよう、確かな歩みでロナの元へ向かう。 

 ――選ぶと良い、君の道を。

   死を恐れるな

   君が恐れている事は何も選択を出来ないことだろ――   

 先ほど薄れゆく意識の中で聞こえた誰かの言葉が、僕を支える。

 満身創痍の僕に、最後の力を振り絞る覚悟をくれる。

「ロナ、大丈夫だよ」

 僕は眠るロナの元にたどり着くと、そう声を掛ける。

「もうすぐ、全てが終わる」

 少女の体をそっと抱き起すと、腰に付けられた鞄へと手を掛ける。

 そして中から目当てのアイテムを取り出す。

 

 【アクアムルスム(上質) 重量:1 中毒性:1】

 

 僕は蓋をあけるとその薬酒を一気にあおり、空瓶を投げ捨てた。

「マ、まさかルカ、貴様ッ、本気で!」

 眼球の傷が再生し、顎の修復も始まったダズの動揺が聞こえる。

「僕はちゃんと言ったよ、お前を殺すって」

 もう一本アクアムルスムを取り出し、同じく飲み干す。

「バカか貴様は、そんなMPで俺を殺す魔法を!? 死ぬぞ! 肉体も精神も形を失うぞッ!」

「死ぬのは怖くない。僕が怖いのは、選択できなくなる事だ」

 ロナを助けられず。

 ただただ無意味に生き延びて。

 流されるがままに――

「そんなのは嫌だッ!」

 魔力が滾る。

 世界が色を取り戻す。

 心臓の拍動が強く、大きく、激しくなっていく。

 僕は再び右手を突出し、立ち上がろうとするその敵に照準を合わせる。

「何をしてるルカ、何故そこまでその女に尽くす! 貴様は死ぬんだぞ!」

 今ならわかる。

 あの時ロナが、ダンジョンに潜る前に、レイピアを投げた時に、彼女の言ったあの言葉の意味が……

「……これは、これが僕の選んだ道だ!」

 強力な魔法を唱える方法は分かってる。

 初めてエレキピアサーを唱えた時のように。

 ありったけの魔力を、自分の体の想定や許容を超える程に、際限なく注ぎ込む。

「『産まれろ』『刻め』『ざわめけ』『崩せ』――」

「よせッ、よすんだッ!」

「――『断ち切れ』『滅ぼせ』『焼き払え』――」

 魔力が凝縮されていく。

 力が臨界点を迎え、僕の手から滲み、零れ落ちていく。

 それはただの魔力ではない、僕の命だ。

 命を溶かして作られた、最期の魔力。

 周囲に電磁場が発生してき、パリパリと空電の音が鳴り始める。


【新魔法を習得

 シアリングデュナ】

 

 十分だ。

 感覚で判る、これだけ強力な魔法なら。

 再び世界が色を失っていく、さっきより急速に、打ち寄せた波が引いていくように。

 ……大丈夫だ。

 ここから先は、簡単だ。

 ただこれを、この命を放出するだけだ。

 遠のく意識に必死にしがみつき、僕はそれを成し遂げる。

 

「―― シアリングデュナ!!」

 

 ゴポリと、口からヘドロの様な血が零れた。

【詠唱失敗

 スキルが足りません

 シアリングデュナ詠唱可能条件

 破壊魔法(81)

 

 マジックバーストが発生します

 

 

 MPが足りません

 シアリングデュナ詠唱可能条件

 MP:418~

 

 マインドクラックが発生します】


 




 

..3






 笑っちゃうよな

 なんだこの魔法は。

 破壊スキルが81も必要?

 バカじゃね―の、20以上だって見たことない。

 消費MPが418?

 なんじゃそりゃ。

 ゼノビアさん3人分じゃないか。

 明らかに人間が唱える魔法じゃない。

 きっと敵専用魔法とか、精々イベントキャラ専用の魔法だろう。

 だから僕は、詠唱完了と同時に自分の右手が粉々に分解されてしまっても、大して動揺しなかった。

 当然だ。

 まったくもって当然だ。

 崩壊していく僕の右腕からは、紫電が迸り続ける。

 触れるものすべてを微粒子レベルに解体する、この世の理を超えた力。

 それは黒き英雄を貫き、ダンジョンの壁を打ち砕き、そこから差し込む日の光さえも無へと帰していた。

 なんて魔法だ。

 バカげてる。

 バカげていすぎる。

 これだけの魔法を唱えたんだ。

 僕は死ぬ。

 それに異論はない、文句もない。

 むしろ幸運に思う、こうして苦しみなく死を迎えられる事に。

 これだけの事をしたのに、安らかに死ねるんだ。

 右腕は削り切れ、胸にまで崩壊が浸食してきた。

 思考は徐々にほぐれ、古びた糸くずの如く解けていく。

 ロナは、救えただろうか。

 あの娘は無事に帰れるだろうか。

 

「それで、お前さんは本当にこんな運命を受け入れるのかい?」


 安寧の眠りに堕ちようとしていた僕の元に、どこからともなく声が届けられた。

 老人の様な、幼子の様な。

 男の様な、女の様な。

 いままで聞いた事も無い奇妙な声だ。

「お前さんは、本当にこの結末で良いのか? これが最期で後悔しないのかい?」

 僕は思わず鼻で嗤う。

「無いよ。あるんだったら、選ばない」

 胸がぼろぼろと崩壊し、脊椎や心臓が剥き出しになっていく。

 生命機能の大半が停止し、僕は、僕という存在は、もう脳に残った僅かな電気信号の名残りだけだ。

「なるほど面白いのう――」

 死の領域へと沈下して行く僕に、その声は呼び掛け続ける。

「――あの奇士がお前さんを選んだわけだ。さて、どこから来た者なのかのう――」

 何かが僕の手を、いまだ崩壊してなかった左手を掴んだ。

「――今度はお前さんが、儂の器になるのじゃ」

 体が引き上げられる。

 死の領域から、魂が強引に剥されていく。

「あなた、は、何、僕は?」

 崩壊したはずの肉塊が、まるで蝶の如くひらひらと舞って、僕の体へ……

 

 

 

 ――ようこそ。

 

 

 

「うっ、あああぁ!?」

 意識が爆発するように溢れかえった。

 長い長い夢が中断され、僕は跳ね起きる。

「ルカ!」

 誰かが僕の名を呼ぶ。

 そして僕の体に、何かやわらかい物がぶつかった。

「ルカ、本当によかった。死んじゃうかと思った、約束したのに! 逃げてくれるって誓ったのにバカ!」

 それはロナだった。

 小柄な少女が僕の上半身に抱き着き、そしてわんわんと泣き始める。

 え、あ、?

 なんだ?

 これは?

「ロナさん、一体、え? 何が?」

「私も知らないわよ! 起きたらルカが倒れてて、私が聞きたいぐらいよ!」

 倒れてたって。

 ここは、まだワールンの舞台か?

 だったら。

 僕は赤子のようにしがみついて泣きじゃくる彼女を、そっと胸から引きはがす。

「ロナ、ダズはどうした、アイツはどうなった」

「ダズはそこで寝てるわよ、貴方が倒したんでしょ?」

 寝てる?

 死んでるじゃなくて?

 慌てて僕は立ち上がり、辺りを見渡す。

 そして直ぐにそれを、ロナの背後に横たわる彼を見つけた。

 全身がチリチリに焦げあがったリザードマン。

 鱗はもう一枚も残ってない、痛々しく赤くはれた皮膚を露出してる。

 ときおり断続的に体を震わせている。

 ……なんだ、死んでないのか。

 あれだけの魔法をぶち込まれたのに死んでないって。

 驚くことに、生きてる彼を見て安心してる自分がいた。

 こんな畜生染みた人間だというのに、殺す事に罪悪感を感じていた自分に驚く。

 やはり殺人っていうのは、例え相手が……

 ……いや、違う。

 結局僕は、彼の理解者だったのだろう。

「あの、ロナ、このままだとダズが起きたりとか?」

「あぁ、それは大丈夫、血をたっぷり抜いておいたから」

 彼女はそう言うと、何故か右手で自分の口元を拭った。

 良く見ると、少女の顔色はかなり良くなっている。

 フェイクドパーガトリーワーデンを唱えて倒れた時は、あんなに真っ白で幽霊のようになっていたのに。

「そんな事よりもルカ、ダズは貴方が倒したの?」

「あぁ、うっ、たぶん、そうだと」

 そっか、僕が倒したのか。

 僕が、シアリングデュナで。

 次の瞬間、完全に油断していた僕の頬にを、暴力の衝撃が貫く。

 バチンっと鈍い音が響き、僕の脳みそがぐらぐらと揺れた。

「うげっ、あ、痛ぁッ!」

 二秒ほど遅れて、ロナにビンタされたと知覚する。

「ルカのバカ! なんで逃げなかったの! 私逃げてって言ったでしょ、約束したじゃない!」

「だって、ロナを置いて逃げるなんて。それにこうして……」

「それとこれとは別! 今は結果論の話はしてない、ルカは私の命令に従いなさい!」

 彼女はそういうと、再び僕に抱き着いた。

 そして再び赤子のように、大声で泣き始める。

 僕は一体なんて言葉をかければいいのか、何をどうすればいいのかまったく判らず。

 しばらくロナのされるがままになった。

 

 

 

 

 それからしばらくして。

 ロナは怒ったり泣いたり喜んだりを目まぐるしく繰り返した後、やっと僕の胸から顔を上げた。

 そして両手で、まだ頬に残る涙の粒を全て拭いさると。

「私、他のギルドメンバーの様子を見てくる。多分みんな痺れ薬を盛られたんだと思う」

 そう言って、彼らの座る観客席の方を指差した。

「あ、じゃあ行きましょう」

「ルカはここで休んでなさい」

「え?」

 彼女は立ち上がろうとした僕の頭を押さえつけ、強引に座らせる。

「神聖魔法も使えない人は不要です、ここでダズの見張りをしながら休んでなさい」

 彼女はそう言って、照れ隠しのように赤い舌をベっと突き出すと、パタパタと駆けて行ってしまった。

 ……うん、まぁ確かに僕は不要だ。

 そんな独り言を呟きながら彼女の背中を見送る。

 そして次に、相変わらず舞台に転がったままのダズを見た。

 白目を剥きながらビクッ、ビクッ、と不規則な痙攣を繰り返してる。

「そっか、僕は勝ったのか」

 その実感は、潮の満ち引きの様にゆっくりと、でも確実に湧き上がってきた。

 僕は勝った、そして、ロナを救えたんだ。

 モンスターにも人にも、ずっとずっと負けっぱなしだった僕が、ここでついに勝った……

「でも、おかしくないか?」

 俺は自分の右手を突きだして、改めてよくよく観察する。

 僕の右腕、立派で貧弱なごく普通の青年の手。

 これは、分解されたはずだ。

 シアリングデュナの対価として支払われ、微粒子にまで分解されてしまったはず。

 いや、右腕だけじゃない。

 僕は命と引き換えに、あの呪文を唱えたんだ。

 レベル19のプレイヤーに、レベル5の僕がまともなダメージを通すには、それしかなかった。

 なのに――僕は生きている。

 こうして右腕も完全に復活して。

 いいや、肉体だけじゃない。

 MPを418も消費する魔法を唱えたんだ、とんでもない深度のマインドクラックが生じたはず。

 でも今の僕のステータスに、マインドクラックの文字はない。

 それどころか、MPが全快してる。

「一体だれが?」

 さっきの口ぶりからするに、ロナが血線術で治してくれたわけではなさそうだ。

 あの時この場で意識があったのは、僕とダズだけ。

「ダズさんが?」

 いや、そんなわけないだろ。

 というか、ダズさんはそもそもそんな事できない。

 だって神聖スキルが――

「いやいや、そういう話じゃない」

 そこまで考えた所で、僕は思い直す。

 マインドクラックを治療して、粉々に分解された体を復元するなんて、それは人が唱えられる魔法なのか?

 そんな世界の理を捻じ曲げるみたいな、チート染みた魔法を人の身で?

「え、ひょっとして……」

 僕は思わず天井を仰ぎ見る。

 そしてそこに張り付いた、巨大な繭の如き油の塊を視た。

 ダズでも、僕でも、ロナでもない

 あの時この舞台の上に居た、最後の一人。

 囁く者、ティトラカワン

「あれが? あれが僕を?」

 そう口にした途端、黒い異形は一際大きく脈動した。

 天井に張り付いた黒い油が、まるで死にかけた芋虫の様に震え、悶え、暴れ出す。

 体を縛る赤血のテグスが緊張し、ギチギチと不協和音を奏でる。

 全身に大量の亀裂が走り、それらが植物の気孔の様に一斉に開裂する。

 それは瞳だった。

 数十もの黄金色の眼球が、魔の蛹の外皮を覆い尽くす。

 数多の瞳の焦点が僕へと絞り込まれて行くのを感じる。

「な、なんだ」

 にちゃり、と血肉が絡み合うような、生理的な嫌悪感を引き起こす音が鳴る。

 そして興奮したように、瞳の瞳孔が錯乱し始め……

 

 僕は再び意識を失い、その場に倒れ込んでしまった。

 

 

 

 

..4

 

 

 

 

 

 黒い音楽が鳴り響いている。

 戦慄を覚える程に音が重く、それでいて軽快なテンポを持った、暗黒のメロディ。

 僕はその旋律に身を晒されながら、廃色な舞台を眺めていた。

 舞台の周りには骨のような物質でできた座席が大量に設置され、その座席には銀灰色の仮面を付けた様々な生き物を模したマネキンが座している。

 空間は色の無い霧で覆われ、昼のような夜のような曖昧な時が世界を支配している。

 ――ここは生命の消えた世界だ。

 僕は静かにそう思った。

 全ての生命が死に絶え、生き物の形を模した模造品だけが残った冷たい世界。

 そんな世界に僕は迷い込んでいた。

「ここは? 僕は、ティトラカワンに……」

 夢の世界? いや、それにしては意識がはっきりしすぎている。

 幻術の類でも喰らってしまったのか?

 軽い混乱を抱えながら、僕はぼんやりと舞台の方に歩いて行った。

 なにかが僕の事を呼んでいる気がした。

 膨大な量の埃を体積させ作り出したような儚く崩れるカーペットを踏みしめ、舞台の縁へとたどり着く。

 舞台の中央に何かが浮かび上がってくる。

 真っ黒な影のような、不定形な残像の蓄積らしき何かが。

「ようこそ、儂の領域へ」

 遥か彼方から響くような、不思議な声がその空間に広がった。

「儂の名はティトラカワン、境界線と矛盾を司る者」

 台上の黒い歪みが発しているらしきその言葉は、まるで波紋のように世界へ響き渡る。

「嘗て享楽の民を導く身であったが……いや、儂の身の上話なぞお前さんは興味ないか?」

 闇と影が溶け合ったそれは、一人で勝手に話を進め、言葉を投げ捨てていく。

 でも、僕はその言葉に耳を傾けた。

 恐怖や疑いや煩わしさは、なぜか一かけらも抱かなかった。

「定命の者よ、儂と契約を交わせ、さすればお前さんの望む物をくれてやろう」

 闇の影はそういうと、静かに震え始めた。

「望む……物?」

 僕は思わず言葉を発する。

 すると僕の声も、魔法陣の言葉と同じように世界に響き渡る波紋となった。

「力と命、それがお前さんの望むものじゃろ? 黒い魔物の力と、不老不死の魂をお前さんにくれてやろう」

 力と命……?

「え? いや、別にいらない」

 何も考えずに言葉を発していた。

 ほぼ条件反射で答えていた。

「はい?」

 ティトラカワンがちょっと戸惑った声をだす。

 ――かなり場違いというか、空気の読めてない発言をした気がするが、全く後悔はしていなかった。

 それ程に、今の僕には「力や命」なんてどうでもよかった。

「うん、いらない。いやだって、現状に不満ないし」

 僕はそう宣言すると、その影に向けて肩を竦めてみせる。

 影からの返事は無い、心なしか不定形な振動が弱まったような気がする。

 その後、しばらく僕は待ってみたが返事はない。

 ――これで、お終い?

 まぁ、そういう事もあるか。

 僕はとりあえず踵を返し、やってきた道を帰ろうとする。

「……え、ちょっと待って、タンマ、待って――」

 唐突に影が喋り出した。

 僕は無視して足を進める。

 来た道をひたすら帰って行けばこの空間を出れる、そんな確信があった。

「――待ってお前さん、えっと、マジで帰るの? 待つのじゃ、頼む待ってくだされ――」

 無視無視。

 契約しろ?

 僕をバカにしてるのか?

 さっきまでコイツはあのダズと契約して、ロナを殺させようとしてた。

 なんでそんな奴と契約なんか。

 なにが力と魂だ。

 バカにするな魔物。

「――た、たのむ行かないでくれ。分かった済まぬ、ちょっと調子に乗っておった、儂が悪かった。だから頼む、戻ってきてくれ、もう一回仕切り直させてくれ、頼む、頼むお前さん――」

 僕はため息を吐き出す。

 なんだこの魔物は。

 こんな奴にダズは踊らされて、ロナの父親は刺し違えて、僕らは苦労させられたのか。

 ウンザリだ、頼むこれ以上何も喋らないでくれ。

 ……とは思うが、本当にこのまま帰るのもな。

 仮にもコイツは、僕の命をシアリングデュナから救ってくれたんだよな。

 まぁその魔法を撃つハメになったのもコイツのせいなのだが。

 うーん。

 しばらく思巡したのち、結局僕は今一度踵を返し、その影と向き合った。

「――お! おぉ! ありがたい、ありがたいのぅ。やはりお前さんは理解してくれるのか、いやぁ本当に――」

 まぁ話ぐらいは聞いてやるか。

 僕は苦々しい気分を表情に表しながら、その舞台へと再び戻って行った。




「で、仕切り直して? また舐めたこと言うと本当に帰るぞ」

 僕は敢えて高圧的な態度にでる。

 一応相手はダズを籠絡した魔物なんだ、警戒するに越したことは無い。

「儂はお前さんを舐めてるつもりはない。というかじゃ、お前さんは儂を誤解しておるのじゃ」

「誤解?」

「いやそのじゃな、儂はあれじゃ、ダズにロナを殺せとは命令しとらんのじゃ」

「はぁ?」

 嘘くせぇ。

「本当じゃ、信じてくれ。封印を解くのに必要な血の量は、ほんの数滴で十分なのじゃ」

「じゃあなんでダズはあんな事を?」

「儂は何もしとらん、儂はただ……」

 コイツ、なんでこんな見え見えな嘘を?

 ひょっとして封印のせいで知能まで低下してるのか?

「『英雄になれる』とかなんとか言って、ダズをそそのかしたんだろ?」

「いや、そそのかしたかと聞かれれば、そそのかしたのじゃが――」

 僕はため息を吐き、露骨な舌打ちをする。

「――待って、待つのじゃ。だからお前さんは勘違いをしてるのじゃ」

「だから、その勘違いは?」

「儂は人を殺そうなんて思っとらん、人を殺すのは好きじゃないのじゃ」

 呆れた。

 もう吐き出すため息もない。

 影はそんな僕を前にして、おろおろと揺れ動く。

「聞けと言うっておろう、頼むから最後まで聞くのじゃ。儂は確かにこの階層に挑む探究者を殺した、上の層に強力なネームドモンスターを投げ込んで殺したりもした。それは認めよう、儂は探究者を途方もない数殺した」

「だったら……」

「でもそれは儂の意志でやっていた事じゃないのじゃ。儂は呪われておったのじゃ、ワイルドキーパーという束縛に意識と思考を奪われて、番人という役割を強制させられておったのじゃ」

 え?

 僕はそこで初めて、顔を上げて真面目にその影を見た。

「儂は最初からダンジョンに居た訳じゃないのじゃ、二千年前に、何者かの手によってダンジョンに囚われたのじゃ。それ以来ただただ探究者を殺戮するだけの存在に固定されておったのじゃ」

 うっそ?

 そういえば、皆「モンスター」と「魔物」ってわざわざ分けて呼んでいた。

 魔物がただのボスキャラならば、ボスモンスターって呼び方で十分なはずだ。

 もっと言えば「魔物」イコール「ワイルドキーパー」ならば、魔物なんて呼称は存在しないはず。

 つまり……ダンジョンに自然発生する雑魚がモンスターで。

 わざわざダンジョン外から連れて来て封じこめた魔物が、ワイルドキーパー?

「儂ら魔物は、本来もっと高尚な存在なのじゃ。この世界のまだ人が到達しえない領域、『魔』を管理する、世界の理そのものなのじゃ」

 し、知らなかった。

 いや、待て待て嘘かもしれない。

 こんなショボイ黒い靄の塊が、世界の理?

「嘘だろ?」

「嘘じゃない! 無礼を言うでない! 儂はこう見えても嘗ては王だったのじゃぞ」

「じゃあ、なんで今はその『ワイルドキーパーの束縛』に囚われてない?」

 ここで一瞬でも答えに詰まったら、直ぐに振り返ってダッシュで逃げよう、そう心に決める。

 しかし、影は即答した。

「ワイルドキーパーの契約が失効したのじゃ。儂には『第十層への侵入者全てを抹殺する』という条件付けがあった、しかしそれがあの血線術師『グィンハム・ヴァルフリアノ』に封じられたことにより崩壊、契約が消滅したのじゃ」

「な……なるほど」

「極論を言えば儂はヴァルフリアノの人間には感謝しておるのじゃ。この封印から解放してくれたあの者たちには――」

「だったらなんでロナを殺そうとした!」

 僕は声を張り上げ、魔物の発言の矛盾点を突く。

 影が言葉に詰まる。

 よっし、嘘決定。

 僕は立ち上がる。

「待って、待つのじゃ、違うのじゃ。なんで儂の言う事を信じてくれないのじゃぁああ」

「信じてほしければ、ちゃんと説明しろ」

「ちょっと考えればお前さんにもわかろう。よいかお前さん、儂は二千年も自我を奪われ使役されておったのじゃぞ。そして遂にそれを返還されたと思えば、今度はほっそい糸で緊縛されて、三年間も中吊りじゃ、この苦しみを理解してほしいのじゃ。三年も同じところに括りつけられておるのじゃぞ、酷いのじゃ! 悪夢なのじゃ! 残酷なのじゃ! あんまりなのじゃ!」

「だからロナを殺そうと――」

「仕方なかったのじゃ、儂にはあのダズしか頼る相手が居なかったのじゃ。それしか手立てが無かったのじゃ、ダズがそれを望んだのじゃ、儂はそれに従うほか無いじゃろう!」

 なんだか、だんだんムカついてきた。

 こいつ結局自分の事しか考えてねぇ。

 なにがダズがダズがダズが……だ。

「それの何が悪いのじゃ、二千年もじゃぞ!」

 影の唐突な反論に、僕は怯む。

 僕は口に出してない、頭の中でそう考えただけだ。

 それなのにコイツは……

「儂は二千年も全てを奪われておったのじゃぞ! 儂はまた地上の世界を見たい、朝日に照らされる美しい草原を見たい、静かな夜の闇の中で咲き誇る草花を愛でたい。あの高き青空を、今一度、もう一度だけでも、この瞳に。その為ならなんだってする、なんだってしてしまう。それは当然じゃろ、当然の選択じゃろ? それともお前さんは、儂を悪だと断じるのじゃ?」

 こいつ、僕の心を読んでやがる?

 僕は思わず一歩後ずさる。

「――あ、違っ、待って。待つのじゃお前さん」

 その瞬間、始めて僕はコイツに対して危険性を感じた。

 今まで油断していた。

 が、やはりコイツはダズを籠絡しただけある。

 今だって危なかった、危うくコイツに同情してしまう所だった。

 コイツの話術は危険だ、まるで毒だ。

「ひ、酷いのじゃあ、なんでそんな事を言うのじゃ、儂はただ自由になりたいだけなのじゃ。人はもう襲わないのじゃあ!」

「交渉決裂だな」

 僕は言葉短くそう言うと、慌ててティトラカワンに背を向け、逃げるようにして舞台から遠ざかる。

 危険だ。

 危険過ぎる。

「待つのじゃお前さん!」

 待たねぇよ。

 僕にはロナがいる、大切な彼女がいる。

 だから僕はこの世界に満足してる、今の全てに満足してる。

 これ以上こんな魔物と会話をして、この充足した世界を壊されては……

「お前さんは本当に気づいてないのか! ロナは危険じゃぞ!」

 これ以上は耳を貸してはいけない、そう心に決めていたはずなのに。

 その言葉は心に深く突き刺さり、僕は思わず歩みを緩めた。

「本当に気づいとらんのか? ロナが、あの小娘が今回の全ての元凶なのじゃぞ?」

「な、なに出鱈目を言ってるんだ!」

 僕はどもりながらも必死に反論する。

「いいか魔物、僕の命を助けたことには感謝してる。でも彼女を侮辱するんじゃない、これ以上侮辱するなら――」

 だがその反論は、影の声で遮られる。

「お前さん、なんでダズが『ロナを殺す事』に執着したのか、本気で気づいとらんのか――」

 なにを、こいつは、さっきから何を。

 止せ、聞くな、聞くんじゃない。

 危険だ、逃げろ、このまま。

「――ダズはロナにフラれたんじゃぞ?」


  はぁ?

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