理解者と裏切り者



..1




 ――私は貴方に全てを話します、だから、ギルドハウスに帰りましょう。

 ロナは僕にそう誓った、でもそれは守られなかった。

 理由はシンプルで、それどころじゃなくなったからだ。

 

「ルカ、あれ見て、明かりがついてる」

 もうすっかり泣きやんでいたロナは、ギルドの門をくぐった辺りで、ハウスの大広間の窓から覗く微かな光線に気づいた。

「誰か帰ってきたのか?」

「……まさか」

 彼女はそう呟くと、一気に駆け出す。

 え?

 その時はまだ、その事態の異常性に気づいていなかった僕は、ロナの行動に困惑しながらも後を追った。

 ロナ全速力で、まるで動物のように無駄の無い動きで駆けて行く。

 その背中を必死で追いかける。

「どうしたんだロナ?」

 必死にそう問いかけるが、彼女は振り返りもしない。

 少女はドアを蹴り破ると、まるで転がり込むようにハウスの中へと突入する。

 遅れて僕もハウスの中に入る。

 そして――

 

「なんだ、これは」

 血、血、血。

 生臭い程の、血の海。

 そしてその中心にはダズが。

 血まみれの黒いリザードマンが、玄関に蹲っていた

 

 ――これは、一体。

「不味い事になった」

 ダズは口から血を滴らせながら、僕らに語りかける。

「十五層に、本当に潜ったのね」

 ロナの口調には、強い失望がにじみ出てる。

 また貴方は仲間を殺したのか、そんな糾弾にも似た意図さえ読み取れる。

 でも予想外な事に、ダズは彼女の言葉を否定した。

「いいや、違う。俺たちは十層までしか潜ってない」

「十層? どういう事なの」

「アウトキャストの奴らだよ。連中、お前を恐れてとんでもない事をしてくれた――」

 彼はそこで一度言葉を切り、血の塊をぺっと吐き出す。

「――ティトラカワンの、封印を解きやがった」

 ティトラカワン?

 それって、たしか、ロナの父親が刺し違えたワイルドキーパーの名前だったはず。

 アウトキャストが、ワイルドキーパーを復活させた?

「嘘だ、嘘でしょ」

 そう言い返すロナの声は、わなわなとふるえていた。

「嘘じゃない、やつらグィンハムの血を保存してやがった。それを使ってあの魔物を限定的にだが、解放してしまった、完全に封印が解かれるのも時間の問題だ」

 驚愕に固まる僕らを置き去りにして、彼は説明を淡々と続けていく。

「他のギルドメンバーは、死んでしまったんですか?」

 僕の質問に、ダズは静かに首を振る。

「まだ何人かは生きてるはず、十層でティトラカワンを食い止めてる」

「何人かって……」

「ゼノビアは死んだよ、ウルミアもケイティも死んだ」

 死ん……だ?

 ゼノビアさんが、死んだ。

 ウルミアって、あのダークエルフの人?

 ケイティって、あの舌足らずな……

 死んだ、ってそんな。

「ロナ、わかるだろ、来るべき時が来たんだ」

 そう言ってダズが静かに立ち上がる。

 僕は思わず息を飲んでしまう。

 彼の全身は、それ程にボロボロだった。

 鱗がところどころ剥げ落ち、生々しい傷跡が幾つも見て取れる。

 激戦の痕、アウトキャストと繰り広げた物か、ひょっとしてそのティトラカワンと戦ったのか。

 死にかけたんだ、この人も。

「ダズ、私は……」

 ロナは視線を地に伏せながら、何かを呟こうとする。

「ロナ――」

 ダズは掠れた大声でそれを遮る。

 拒絶の言葉を吐き出そうとした彼女の言葉を、傷だらけの声で押しやった。

「――頼む、今だけでいい。昔の君に戻ってくれ」

 彼は、ギルドマスターは、その場に崩れるようにしてロナに頭を下げた。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空に蒼く輝く月が浮かんでいる。

 透明でありながら濃い色をした、宝石のような蒼。

 そんな夜空を背負うようにして、その「赤」は居た。

 血の様に真っ赤な皮膚を持った、一頭の翼竜。

 橙色に焼け付く溶岩の様な赫は、夜空の月と対照を成している。

「それで、貴女は私に何を望むのか」

 竜はゆっくりと鎌首をもたげ、自らと対峙する一人の少女へと言葉を送る。

「お前も聞いてたんだろ、ダズ・イギトラの話」

「お前って――」

 竜はぐっと瞳を細める。

「――随分と強く出たね、もう私には縋らないのかい」

「そんな無駄話をしに来たわけじゃない、仕事の話をしよう」

 少女は、そう言って真っ白な髪をかき上げ、夜風になびかせる。

「……ティトラカワンか、貴女の血筋はいつも厄介な物を背負い込む」

 人間で言う所の笑いに当たる表現なのだろうか、竜は痙攣の様に鼻息を何度か噴き出してみせた。

「どうなの、力を貸してくれるの? 貸してくれないの?」

「……アウトキャストが本気でやっているのなら、ギルドメンバーはもう皆死んでるぞ」

「そうだね」

「奴等は当然貴女が来ることも想定してる、貴女への対策も十全だろう、血線術師を殺す魔法なぞ幾らでもある」

 それでも貴女は行くのか。竜は夜の闇に馴染むような、静かな声でそう尋ねた。

「行くよ――」

 少女は即答する。

「――私は、自由になりたいから」

「愚かだねぇ、自由を対価で得ようとするとは」

「余計な話はいい、助けてくれるのか、否か。早く答えなさい」

 少女の強い言葉を、竜は楽しそうに鼻息を鳴らす。

「いいだろう助力しよう、炎の記憶を使うと良い」

 その言葉に、白髪の少女は眉をひそめた。

「炎? まさか後衛魔法? ふざけないで、前衛の魔法が必要なの」

「後衛で何が不満なんだ、あの小僧に守ってもらえば良いではないか、どうせ連れて行く腹積もりなのだろう?」

「ふざけないでって言ってるでしょ!」

 苛立ちに染まった少女の怒号。

 その時、彼女の背後で何か音がした。

 ドアが開き、誰かがその屋上に入ってくる

「ロナ……ここで何を?」

 現れた青年は少し怯えを見せながら、恐る恐ると言った様子で彼女に話しかける。

「――ルカ、心配しないで。私は大丈夫だから」

 ロナと呼ばれた少女は竜へと背を向け、青年の方へと歩きだす。

「自由か……本当に愚かだな人は、まるで焔に惹かれる蛾だ」

 竜はそう大声で嗤う。

 だけどその言葉に、二人は何の反応も返さなかった。

 少女は無視をしていたから。

 そして青年には、そもそもその言葉が聞こえてなかったから。

 竜の存在を、青年は一切認識していなかった。

 その古の竜は、少女にだけ認識できる存在だった。

 少女の世界にだけ住まう、赫の王。

「ねぇルカ、わがままを言ってもいい?」

 彼女は青年と向き合うと、救いを求めるような表情で問う。

「な、なに」

「私と一緒に、十層に来て」

 既に覚悟をしていたのか、彼は多少口ごもりながらも、直ぐに応える。

「わ、わかった行くよ」

 だが応えて直ぐ、彼は目を下に伏せると、弱弱しい言葉を溢しはじめた。

「だけど、僕は未熟だ、だから多分何も……」

 彼女はそっと右手の指を青年の口に当て、言葉を制止させる。

「私を見ていて、それだけでいいから」

 彼女はそのまま青年の瞳を見つめ、憂いの籠った言葉を紡ぎ続けた。

「十層できっと、私は『私をやめる』事になる」


 ――でもお願い、目を逸らさないで。

 

 彼女の背中では、蒼い月が静かに輝き、赤き竜の鱗が煌々と眩耀を放っていた。

 





 

..2




 僕は直ぐに自室に帰ると、支度を始める。

 それはダンジョンに潜る為の支度、ロナとダズと僕の三人パーティで、第十層のボスを封印するための支度。

 とにかく目についた物を片っ端から鞄に突っ込んでいく。

 粗悪な回復薬、エリノフの短剣、それと……ええい、考えるなどうせ大した荷物じゃない全部入れてしまえ。

 僕は棚に置かれてあった数少ない僕の私物を全部鞄へと突っ込むと、閉じ切らないその口を麻紐でグルグルにして無理矢理縛った。

 僕の行動がこんなに荒くなってしまっているのには、主に二つの原因がある。

 一つは当然、これから始まる事への不安、緊張、恐怖、そして僅かな興奮。

 もう一つは、先ほどギルドハウス屋上でのロナとの会話が、ずっと頭の中でグルグル廻っているから。

 

 ――でもお願い、目を逸らさないで。

 

 そう言った彼女は、どことなく何時もと雰囲気が違って。

 正直な話、少し怖かった。

 彼女の言ってる言葉の意味は、ほとんど良く判らなくって、でもとても恐ろしい事を言ってるのではという漠然として予感だけはあって、それが――

 唐突にドアがノックされた。

「は、はい!」

 僕は必要以上に驚いて、変な返事をしてしまう。

「私、ロナ。ちょっと入ってもいい?」

「はいどうぞ」

 部屋に入ってきた彼女は、もう完全に探究用の装備に着替えていた。

 薄茶色い布で作られた軽鎧、背面には魔法陣の様な物が描かれていて、一目で特殊で効果な装備とわかる。

 武器も何時もの白弓だけでなく。腰に儀式用っぽい、雅な装飾の施されたレイピアを挿している。

 いつも僕と潜ってる時と比べると、明らかに気合いの入り方が違う。

 それもそうだ、だって今回は「いつも」とは違う。

 気楽さや、安心や、逃げ道なんて物はない。

 正真正銘の死闘が始まる。

「ルカ、さっきはごめんね変なこと言っちゃって、困ったよね?」

 ロナはそう言うと、少し口元をゆがませて恥ずかしそうに笑いかけてきた。

「い、いえ大丈夫です。僕も一緒に潜ります」

 僕は改めてそう誓う。

 すると彼女は嬉しそうに微笑む。

「ありがとう、本当にありがとう」

 だが、その安堵したような微笑みとは裏腹に、彼女の声はには堅い響きがあった。

「でもねルカ、出発する前に言っておかないといけない事があるの」

「なんですか?」

「アウトキャストは、たぶん最初の計画では『ティトラカワンを復活させる』だけで、私達を殺す気なんてなかったと思うの」

「え?」

 意味が良く分からない。

「つまりね、アウトキャストは私達ブラザーフッドの最後の手柄『ティトラカワンの封印』を無くそうとしたの。それも私達のせいにして」

「え、でもまって、封印を解いたのはアウトキャストって……」

「血線術師の封印は、解くことも補強することも血線術師にしかできない。だから隠していたパパの血で封印を解けば――」

 彼女はいつになく真剣な表情で、必死に説明を続けていた。

 僕の目をじっと見つめ、細やかな身振り手振りを交え、流れるように言葉を紡ぐ。

「――ダズが私を制御できてないっていう現状は、ギルド連合も知っている。つまり誰もアウトキャストがやったなんて思わない」

「じゃ、じゃあつまり、えっと、アウトキャストの策略と、ブラザーフッドの十五層攻略が……」

「そう。運悪く同じ日にかち合ってしまった。だから、十層で戦闘が発生したの」

 彼女はそう言うと、一歩僕に詰め寄った。

 少女の視線が、より一層力強い光を持った物に変わっていく。

「つまりねルカ、きっとアウトキャストのマスター『リンツ・グリセル』もかなり混乱してる、我を失ってる状態だと思う」

 そうじゃなきゃ、十八人も殺せない。

 仮にもかつて同じギルドだった、同じ志を共にした仲間を、殺す事なんてできない。

「待ってロナ、まだみんな殺されたって決まったわけじ無いは……ず」

「ゼノビアが死んで、ダズが死にかけてた、最悪を想定して動くべきだよ。つまりアウトキャストと私達の間に、もう交渉の余地は残されてないって」

 殺すか殺されるか、それしか無い――少女は冷静に、淡々と持論を述べていく。

「こ、殺すんですか」

「酷い戦闘になってしまうと思う。私かダズかどっちかは確実に死ぬことになると思う」

 僕は完全に言葉に詰まる。

 彼女が言ってる事は正しい、それは分かってる。

 でも、それを事実として冷静に受け入れる事なんて……

 死ぬ?

 ロナが?

 アウトキャストの連中か、いや、ワイルドキーパーによってか。

 そうだった、彼女の父はワイルドキーパーと刺し違えたんだ。

 だからそれをまた封印するのなら、かなり高い確率でロナもまた……

「ルカ!」

 彼女の大声で、僕の思考が無理矢理中断された。

「あ、あ、はい」

「いいルカ、例え私が死んでも、貴方は逃げて」

「え、いや、ロナを置いて逃げるなんて……」

「ルカ、私は別に貴方が一緒に死んでくれたって、これっぽっちも嬉しくないから」

 うっ。

 彼女の言葉が、僕の胸にとてつもない破壊力を持って突き刺さる。

 わかってる、ロナは僕の事を思って言ってるし、僕の為に敢えて強い言葉でそう言ってるのも分かってる。

 でも、これは、堪える。

 もの凄く拒絶されたみたいで、心臓がぐっと縮まる。

「ルカ、納得したのなら返事をして」

 彼女はさらにキツく詰め寄る。

 瞳は猫の様に爛々と輝き、眉間には深く皺が寄って怖い。

「は、はい、わかりました。逃げます、ロナさんの為にも逃げます、僕は生き延びます」

 しどろもどろになりながら、僕は必死に頷く。

「よろしい、じゃあこれ持ってて」

 彼女はポケットから何かを取り出すと、ずいっとそれを僕に押し付けた。

「え、何ですか」

 勢いに気押されて、とりあえず受け取ってみる。

 これは……ペンダント?

 一見普通の装飾品に見えるが、トップのデザインが変だ。

 丸い鉄の鳥かごの中に、ガラスの小瓶が入ってる。

 瓶の中に、赤い液体が詰まっていて。

「それ、私の血だから」

「え?」

 これ血?

 ロナさんの?

「いざって時にそれは貴方の助けになる、大切にしてね」

 ロナはそう言って、僕にペンダントをしっかりと握らせる。

「あ、ありがとうございます、大切にします」

 これは、彼女の血。

 そう思うと手の平に乗ったそれが一際重く、そして暖かく感じた気がした。

 僕はもう一度それをジッと観察する。

 明らかに高価そうな、凝った趣向で作られている彫金細工。

「高かったんじゃ、これ」

「値段とかどうでもいいでしょ」

 少女の咎めるような冷たい返し。

 うっ。

 違う、言葉を間違えた。

 僕はそんな事を言いたいんじゃなくて。

 これは、これには明らかに、強い彼女の思いが籠ってる気がして。

 ただの装備品として扱っちゃいけない、もっと特別な。

「た、大切にします、僕はこれを大切にします」

 ロナは小さく噴き出した。

「はいはい、そうしてね」

 少女は楽しそうにニコニコと笑ってる。

 僕もつられて笑ってしまう。

 ……笑ってしまったが、直ぐに背筋に冷たい物が走った。

 

 彼女はまもなく死ぬんだ。

 

 そんな認識が鋭いナイフの様に僕の心を切り裂いた。

 もう直ぐ死ぬ、僕の前で無邪気に微笑むこの娘は、僕の大切なロナは。

 間もなく、死んでしまう。

 僕にこの血を託して、憎んだ父と同じ死に方で。

 それは

 それは、あまりにも……

「ロ、ロナ!」

 僕はたまらず声を上げてしまう。

「なぁに?」

 彼女は気の抜けた、ごく普通の少女の声でそう返す。

 一瞬、自分の中でなにか揺らいだ。

 僕の思ってる事、いや僕の価値観が全てずれていて。

 僕は間違ったことを言おうと……

 いや、そんなわけない!

「ロナ、こんなのやめよう! こんなの絶対に間違ってる。何一つ正しくない」

 拳を握りしめ、腹に力を籠め、ありったけの熱量を載せた言葉を絞り出した。

 でも彼女は、それに対して力なく笑い返す。

「ルカ、心配しないで。これは私の選んだ道だから」

「選んだって、こんなの、こんな所で死ぬのが、ロナの『選んだ道』だっていうのか」

「でも他に道は無い、そうでしょ?」

「逃げればいい、ここから、この街から。ロナはそれができるんだろ!」

 僕の必死な訴えに、少女は首を横に振った。

「逃げてきたよ、私はずっと」

 私は逃げてきた、そう言って目を閉じる。

 ダンジョンを拒み、世界を忌み、そして何より自分を拒絶して。

 暗く狭い部屋で、一人孤独に何もせず、何もしようとせず、全てから逃げてきた。

「でも逃げ切れなかった。ダズの言うとおり『来るべき時』は来てしまうの、どこかで清算しなければ……」

 少女はそこで言葉を切る。

 そして僕に背を向けた。

「……憎まれてしまう」

 もう行くわ、玄関で待ってるから。ロナはその言葉を最後に歩き出す。

「ロ、ロナ!」

 話すことはもう何もないと言わんばかりに、呼びかけは無視され虚しく空に吸い込まれていく。

 去っていく彼女の背中を止めるだけの言葉を、僕は持ってなかった。






 支度を完全に終えて正面玄関へ行くと、ダズもロナも用意万全といった様相で僕を待っていた。

 ダズは一瞬、本当に刹那の間だけ僕を心配するような視線を見せた。

 でも直ぐにそれを消し、僕の肩に手を置くと「ありがとう」と、ただ一言だけ礼をした。

 僕はそれに、ただ黙って頷いて応える。

 そして僕たちはギルドハウスを出た。

 空はいつの間にか白みはじめ、遥か彼方の山々の間隙から朝日が顔を覗かせている。

 現実世界で見ていた物と良く似た十万ルクスの太陽光が、僕たちの進む道を照らし出す。

 その先に希望なんて物は、欠片もないのだけれど。






..3




「まぁ、分かってた事だけどね」

 僕は二人に聞こえないように小声で、そんな愚痴を溢すとさらに一歩後退する。

 目の前では、二人の戦士がモンスターと激闘を繰り広げている。

 モンスターの名は「ティトラカワンの落とし子」、真っ黒でドロドロな液体状の体を持った人型の怪物。

 それと戦うは屈強な戦士「ダズ・イギトラ」

 もう一人は高位魔法を途切れることなく詠唱し続ける「ロナ・ヴァルフリアノ」

 そして、それを見てることしかできない僕「ルカ・デズモンド」

 

 ……情けねぇ。

 

 ダズが大剣を振りおろし、黒い液体人間を頭から真っ二つにする。

 二つになった体は、左右に分かれたかと思うと、直ぐに切断面から新たに「体を生やし」て、二体の敵になってしまう。

「ロナ、右を頼んだ」

 言うが否や、ダズは左の落とし子を剣の柄で殴ってスタンさせる。

 そして再び剣を振り上げると――

「散華しろ、『飛燕』」

 流れるような剣さばきで×の字に相手を切り裂く。

 切断された落とし子は次々と再生を試みるが、黒鱗のリザードマンはそれを上回る圧倒的な剣さばきで次々と細切れにしていった。

 一方ロナは――

「『偽り』『沸き立ち』――フェイクドボイル」

 ロナが敵を蒸発させるのと、ダズが再生困難なサイズにまで斬り刻んだのは、ほぼ同時だった。

「ルカ、だいじょうぶ?」

 敵の絶命を確認すると、ロナは振り返って僕を見る。

「大丈夫です」

 大丈夫に決まってる。

 僕はずっと後ろで見てただけだ。

 いや、でももし分裂した内の一体でも僕の方に来てたら……

 なっさけねぇ。

「二人とも急ぐぞ。まだ六層だ」

「わかってるよ。ほら行こうルカ」

 ロナはそういうと、僕に自分の肩を掴ませ歩き出す。

 この歩き方は初心者を高階層に連れて行くときのセオリーらしい。

 不意打ちがあったときに、直ぐに僕を守れるようにと。

 

 情けない。

 彼女に何から何まで頼って。

 頼るしかなくて。

 

 分かってたよ、分かってたけどさ。

「ルカ? ひょっとして拗ねてる?」

「うっ」

 背中越しだというのに内心を見透かされて僕は思わず怯む。

「そ、そんな、そんなわけないですよ」

「だよね」

 信じたか信じてないか、どっちとも取れる彼女の明るい返事。

 僕は必死でため息を押し殺すべく、彼女を掴む右手に力を込めた。

 ――さっきの「ティトラカワンの落とし子」のレベルは11。

 瞳には「強そうな相手」と表示された。

 それは初めてザーリカの鎧と相対した時にも見た評価。

 つまるところ僕はこの階層、そしてこれ以降の階層ではもうまるっきり戦力にならないんだ。


 そんな事をモヤモヤ考えていると、再びロナの歩調が落ちる。

 敵だ。

 野犬の様なモンスター達が群れで通路を塞ぎ、僕らを迎え撃とうとしていた。

「ロナ、手早く行くぞ」

 ダズの合図。

 ロナは僕の手に軽くタップする。

 それは「手を離して」という意味。

 僕はただ黙ってその手を解くしか無い。

 彼女を引き留めるなんて権利は、僕は持ってない。

 僕はまたさっきと同様に彼らを置いて、戦線から一歩遠くに離れる。

 二人が大群のモンスターと激突する。

 ロナとダズは息の合った完璧なコンビネーションで、まるで同じ意志を共有してるかの様に鮮やかに敵を捌いていく。

 ダズが後ろを取られそうになれば、ロナが咄嗟にレイピアを突き刺す。

 ロナの詠唱が始まれば、ダズがその場で剣を大きく振り回して敵を遠ざける。

 二人は背中を合わせるようにして死角を潰し、全方位から襲い掛かる敵の群れを打ち倒して行く。

「ロナ! 造血剤は飲んでないんだよな!」

「一応さっき一錠飲んできたけど、今月は入れてなかったわ」

 二人が何か話してる。

 でもその内容は僕には分からない。

 僕に入る余地なんてない。

 介入なんて……

「ルカ!」

 いきなり呼ばれた。

「あ、は、はい」

「ここは突破するぞ! ついてこい!」

 そう言うとダズは、より大振りにその巨大な剣を振り回し敵を散らし始めた。

「ルカ! 早く来い!」

 僕は慌てて駆け出す。

 雑魚を蹴散らしながら、通路を強行突破する二人の後を必死に追いかけた。

 モンスターの一体が僕の前に飛び出る。

 まっず!

 ロナもダズも僕の方を見てない。自分の事で手一杯だ。

 やるしかないッ!

「『退け』『爆ぜろ』――エレキピアサー!」

 右手から雷が迸る。

 鋭い電撃を顔面に食らった敵は悲鳴を上げ、一瞬だが態勢を崩す。

 僕はその隙を逃さずに、敵の横を素早くすり抜ける。

 そして二人の元へ。

「ルカ、速くッ」

 ロナが手を伸ばす。

 僕はその手を握る。

「『偽り』『包装』『種火』――フェイクドフラムバストワー」

 彼女が素早く詠唱をすると、周囲に薄い炎のカーテンが展開される。

 そしてそれは眩い光を放ち、敵の目を晦ませる。

「走って!」

 少女に手を握られて、僕はまた走り出す。

 

 ……なんて情けない。

 

 自分の無力さを痛感する。

 そしてその痛みは何度だって、こうして繰り返されて。

 しまいには、僕の目の前で彼女が死ぬっていう。

 僕はそれを絶対に助けられないっていう。

 まるでそれは拷問だ。

 拷問そのものの結末が僕を待ってる。

「どうして」

 言葉が勝手に口から零れた。

「どうして僕はこんなにも弱いんだ」

 力があれば。

 力さえあれば。

 

 どうして僕は「主人公」じゃないんだ。








 そして第九層。

 その終点、第十層への階段の手前にまで、僕らはたどり着いた。

 ここがかつての最上位層。

 ロナの父親がワイルドキーパーを封印するまで、ここが人の限界だった。

 この領域にたどり着けるのは、真の強者か、はたまた僕みたいな卑怯な人間か。

「――やっと、やっと着いた」

 ロナは到着するや否や、その場にへなへなと座り込んでしまった。

「だ、大丈夫か、ロナ!」

 僕は慌てて彼女の元へ駆け寄る。

「大丈……夫だよ、ルカ」

 必死に気丈に振る舞おうとしてるが、疲労が相当蓄積してしまってるのは明らかだ。

 皮膚が異様に白くなってる、ただでさえ色白な彼女は、まるで幽霊の様で……

 血が足りてない?

 血線術の「対価」で血を失い過ぎたのか?

「おいロナ、これを飲め」

 ダズがそう言って、何やらピンク色の液体の詰まった瓶を差し出した。

「あ……りがとう」

 彼女が力なくそれを受け取る。

 だがそれを飲めない程に体調が悪いようで、蓋をあけるとそのまま床に置いて、激しくせき込み始めてしまう。

「ほらルカも飲んどけ、これからが本番だ」

 同じ液体の詰まった瓶が、僕にも差し出される。

 お礼を言いながらそれを受け取って、じっと観察してみた。

【ゴルルクの霊薬(?) 重量:2 中毒性:8】

 うわ、なんか高そうな……

「遠慮なんてするんじゃないぞ」

「は、はい」

 そうだよ、そんな事を気にしてる暇じゃないんだ。

 僕はさっさとやたら硬い蓋をあけると、飲み口に喰らい付き、中身を一気にあおる。

 

 まっず!

 

 中身は液体というよりもゲルに近く、ひたすら喉にへばり付いて飲み辛いなんてもんじゃない。

 味もこれまた酷い、苦みと酸味がまざったような、いままで全く味わった事の類の不味さで……

「おうぅえ、ウェ、アアぁああああ」

 ゲップがやたら出る。

 尋常じゃない胸焼けに襲われる、目が回るほどに気持ち悪い。

「大丈夫かルカ。そっか、飲みなれてないかこういうの」

「ず、ずみばせん、ダズさん」

 僕は必死に謝罪しながら、なんとか体を立ち上がせようとして……

「あれ?」

 ……体が、異様に軽い

 僕は慌てて自分のステータスを見る。

 

【名前:ルカ・デズモンド

 HP:91/91 MP:72/72】


 す、すごい。

 HPはもちろん、MPまで全快してる。

 体中にあった生傷まで、いつのまにか全て癒えていた。

 なにこれ、超凄いじゃん。

 この薬が大量にあれば回復役いらないんじゃね?

「ねぇ……ダズ。ちょっと聞いても良い?」

「なんだ」

 薬の効能に驚愕する僕を後目に、ロナは唐突に質問を始めた。

 少し休んだ事で幾分か体力を回復した様子だ。

「この後の作戦はあるの? どうアウトキャストと戦うつもりなの?」

 その問いに対して、ダズは肩を竦めて自嘲気味に答える。

「作戦なんて無い、正直出たとこ勝負だ」

「はぁ……まぁ仕方ないか、どうなってるか分からないんだものね」

 そう言って少女は消えりそうなため息を吐く。

「あぁ、仲間が何人か生きていてくれると助かる。ティトラカワンが復活していたら、正直積みだ」

「積み? そしたらどうする? 貴方も逃げる?」

 彼女の挑発に、ダズは薄く笑って首を振った。

「リンツは必ず殺す、俺が殺す。それが俺の役目だ」

「親子殺し? 良い趣味ね」

「皮肉はもう良い、さっさと飲め、行くぞ」

 リザードマンは煩わしそうに手を振ってロナを急かす。

 彼女は言われた通り瓶を再び手に持つと、そっと口を付けて中身を飲んだ。

 ……飲んだと思ったんだけど。

 何故かロナは、寸での所で口を瓶から離した。

 そしてその霊薬を、ダズに差し出す。

「私はMPはそれほど消費してないから、手持ちのアクアスムルスで十分。これはダズが飲んで」

 ダズはかなり戸惑った様子で、薬瓶差し出す彼女の手を押しやる。

「俺は魔法なんか使ってねぇよ、いいから飲め、遠慮するな」

「いいから、飲みなさい」

「勿体ないよ、お前が……」


「飲めよ、ダズ」


 急にロナの口調が変わった。

 凍ったナイフを突きつけるような、強い命令。

「ろ、ロナ? どうしたの?」

 僕は思わず、そんな間抜けな口を挟んでしまう。

「飲め、ダズ」

 彼女は僕を無視して、命令を吐き続ける。

 少女の表情がみるみる変わっていく。

 過剰なまでのどす黒い憤怒が、彼女の顔を覆い着くしていく。

 ――あの時と、同じだ。

 それは、オークションハウスでゼノビアに見せた表情。

 それは、第一層でエリノフに挑発された時に現れた表情。

 そしてそれは、ギルドハウスの屋上で一瞬覗かせた――

 

 僕の知らない、別のロナ。


「……お、おいロナ。なにいきなりキレてんだよ」

 ダズは困った表情で、そんな言葉を必死に紡ぐ。

 だが少女の表情は変わらない。

 取り殺すような視線で睨み続ける。

 そして。

「ルカ」

 僕の知らないロナが、僕の名を呼ぶ。

「は、はい」

「ダズから離れて」

「え?」

「早くッ!」

「だから、何言ってる―ン―ぁ」

 それは突然だった。

 いきなり僕の呂律が回らなくなった。

 僕は必死に言い直そうとするが、舌は石のように重く、下あごから離れず。

「ルカッ」

 ロナが叫ぶ。

 え?

 気づいた時には、体が傾いていた。

 何もしてないのに僕の体が勝手に?

 いや違う、何もできない?

 体が全然動かない。

 舌だけじゃない、全身が石化したように強張っている。

 床が迫る。

 手を伸ばして受けようとするが、やはり腕も一切僕の意志を受け付けてくれず、頭を強く打ちつけてしまう。

 え?

 なにこれ。

 これは?

 今度は瞼が勝手に閉じ始めた。

 そしてそれと併せるように、世界が急速に遠ざかって行く。

 音も匂いも、そして触感さえ……

 ……え?

 なに、これ……ロ……ナ?

 世界が――と、ぎ、れ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識を無くし、闇に飲まれた僕。

 なのに、どこからか声が聞こえる。

 薄く引き伸ばされたような世界の中心で、近いような遠いような。

 悪意と憎しみと。

 劣等感と怯懦と傲慢と。

 そして微かな愛情のこもった声。

「あーあ、やっぱりお前は騙せないか。ロナ・ヴァルフリアノ」

 その声は、ダズの物にとてもよく似ていた。






..4




【血線術師】

 ジョブ―特殊―レアリティ:エピック

 概要――全ての魔法の祖である「血線術」を行使する事ができる唯一無二のジョブ。

 現在のジョブ人口は僅か四人

 

 

 

 備考

 遠い昔。

 まだ人が魔法さえも使えなかった時代。

 獣人達との戦争に敗れ続けていた人類は、絶滅の危機に瀕していました。

 追い詰められた人間たちは、古の封印を解き、歳老いた一体の魔物を目覚めさせました。

 其の名は「イベルガン」

 「担う者、イベルガン」

 人類はその赤竜と、血の契約を結びました。

 そして誕生したのが血線術師です。

 その身にイベルガンの血を流した、特殊な人間。

 彼ら二千人の血線術師は、その背に赤竜の紋章を掲げ、「角の女王」に挑み、見事その首を討ち取りました。

 女王を失った獣人達は直ぐに統率を失い、やがて散り散りになり、駆逐されていきました。

 戦争が終わり、役目を全うした血線術師達は。

 半数はイベルガン導かれ、時の隙間へ。

 半数は人間の世界に残り、ごく普通の人間として振る舞いました。

 そして長い年月がたち、血線術師達に流れていたイベルガンの血は、人間種との交配が進むことによって薄まり、やがては消えていきました。

 

 ですが、それを拒む者たちもいました。

 魔の力に魅入られた者、血の渇望者。

 彼らは赤竜の血を守るべく、いくつもの禁忌を犯し、いくつもの禍を撒き、その血脈を保ち続けました。

 平和の時代になって尚、強大な力を持ち続ける血線術師。

 それは忌避すべき人間でありながら。

「英雄」や「救世主」でも足り得ました。

 

 だれもが彼らを憎みながら

 だれもが彼らを求めていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うぁ、うっ…

 うぅ、喉が渇いた……

 体が思うように動かない……全身がびりびりと痺れてる……

 意識は微睡の中に浮かんでるのに、体の節々が微弱な悲鳴を上げている。

 まるで刺激の強い液体が詰まった風呂の中で、一人眠っているような感覚だ。

 起きろ。

 起きないと。

 起きる必要がある、そんな焦りが僕の中に湧き上がって。

 そして世界が僕の視界に映し出される。

 高く大きな天井。

 今まで見た事も無い程に巨大な空間に、僕は寝そべっていた。

「ここは、どこだ?」

 すり鉢型の建物の中心だ。

 遥か遠くにが壁が見える。

 ただの壁じゃない、大量の座席が備え付けられたそれは、まるでオペラハウスの様だ。

 ここは闘技場?

 それとも劇場?

 気怠い体を起こし、世界をもっとよく観察しようと――

「あれ?」

 僕の腕が、縛られてる?

 暗緑色の不思議な麻紐で、僕の両手が雁字搦めにされていた。

「なに、これ…」

 いや待って、そもそも僕はなんでここに?

 確かロナとダズと僕の三人で、ダンジョンに潜って。

 十層手前までたどり着いて。

 それで……

 それで?

「やっとお目覚めか、ルカ」

 背後から僕の名を呼ぶ声。

 振り返ると、そこにはダズが一人ぽつんと立っていた。

 重層備に身を包んだ漆黒のリザードマンが、その身の丈ほどの大剣にもたれ掛るようにして。

「ダズさん、ここは一体?」

「そっか、そこから説明しないと駄目か」

 彼はそう言って、一歩僕の方へと歩み寄る。

「説明って……」

「ようこそ第十層へ、ここはワイルドキーパー『囁く者、ティトラカワン』の領域、またの名を『ワールンの舞台』とも」

「ここが、第十層?」

「そう、ボス階層は通常階層と違って、大抵はこういう巨大な空間が一つあるだけ。モンスターは出現しないし、トラップも基本的に皆無だ」

 ダズはスラスラとよどみなく、この階層の説明をしていく。

 彼の言葉を聞いていくにつれて、僕の思考が徐々に正常な物へと回復していった。

 そして冷静に考えれば考える程、今の状況が恐ろしくなっていく。

「ダズさん、待って。僕が聞きたいのはそんな事じゃない」

「うん?」

「ギルドの皆は? アウトキャストの人々は? なんでここには僕達しかいない? 何があったんですか? なんで僕は腕を――」

「どうどうどう、落ち着けルカ。そう一気に聞かれても困るって」

 ダズは到って冷静だ。

 冷静に、まるで日常の延長のように、いつもの口調で。

 こんなにも異常な状況なのに、落ち着きを払う彼の姿に、僕は恐怖を覚える。

「ギルドの皆はほら、あそこに座ってるよ」

 僕から見て丁度正面の観客席が指差される。

 覆い尽くすような座席の壁、その最下段中央に彼らは座って居た。

 遠目で良く判らないが、皆その場でうつむいて、まるで生気を感じない。

 あれが……ギルドメンバー?

「大丈夫だ、皆生きてる」

「生きてるって、あれは、これは、一体?」

「次の質問だけど、アウトキャストはいない」


 ――あれは全部ウソだ。

 

 まるで何でもない事のように、ダズはそう言い放った。

「嘘って……ウソって何ですか……」

「アウトキャストなんていないさ、居るわけないだろ、リンツだってそこまで耄碌していない」

 何言ってんだ。

 この人は何を言ってるんだ。

 さっきから何を言ってるんだ。

 僕は開いた口が塞がらない。

 話が進むにつれて混乱はインク染みの様に広がり、そして僕の手を縛るその麻紐への恐怖が増していく。

「でも、ここ十層で探査が失敗したのは本当だ」

 僕はもう声が出せない。

 何も聞きたくない。

 これから何が起きるのか、そこに何があるかは、容易に想像がついた。

「裏切りだよ、俺が裏切ったんだ。彼らには『大人しく』なってもらった、こらから始まる劇の観客になってもらう為にね」

 彼は何でも無いことの様に、軽い口調で言い切ってみせた。

「何を、言ってるんですか、ダズさん。さっきから、僕は全然理解できません、何言ってるんですか」

「『理解できない』? あはは、大丈夫だよ。ルカ君なら理解できるはずさ、君は俺と似てるから」

 僕の思考の濁りがゆっくりと解け、恐れていた真実が認識されはじめる。

 ――ダズは、敵だ。

 ――ダズが、敵だ。

「なんて眼をするんだルカ君」

「なにが、一体貴方の目的は、何なんですか」

「目的……ねぇ。それは『英雄になる事』かな、その為に俺は魔物と契約した」

 ダズはそう言ってシニカルな笑みを浮かべると、ゆっくりと人差し指を立て、天井の方を示した。

「あれを見てみろ、ルカ」

 僕は操られるようにして、彼の言うがままに天井を仰ぎ見る。

 

 ――なんだアレは。

 

 それは異形だった。

 異形の何かが天井に張り付き、拍動している。

 全長は優に二十メートルはありそうな巨大な肉塊が、まるで蛹の様に。

「なんだ、なんなんだアレは」

 良く見ると、ピアノ線のように細い赤い筋が縦横無尽に走っているのが見える。

 赤い糸で縛られた、黒い油?

 まさか……

「そうだよルカ君、あれが『囁く者、ティトラカワン』だ」

 今はまだ眠っているけどね、ダズはそう言うと得意気に説明を続ける。

「凄いだろう、美しいと思わないかい? グィンハムがその命をかけて作り上げた最高傑作。両性具有の不能として産まれた一人娘に、次世代を継がせるための托卵器だ。グィンハムは英雄なんかじゃない、ただ赤竜の血の研究に溺れた狂人だ、でもその結果が、その結果がたまたま彼を英雄たらしめた」

 彼は熱に浮かされた様子で、嬉々とした早口でしゃべり続けた。

「全て自分の望むことをやっただけなんだ、自分の望むがままに力を使い、世界を駆け、人を引き連れ、そしてその結果が彼を英雄とした。素晴らしいと思わないか、まさしく英雄その物だと、グィンハムこそが真の英雄だと」

 狂ってる。

 彼は、ダズは狂ってる。

 狂ってたんだ。

 狂ってるから、騙した。

 ギルドメンバーを騙して、観客にして、そして何を……

 彼は一体何を。

「お前は……狂ってる」

「そうだよ、俺はちゃんと言ったよね『人は諦めて強くなる、切り捨てて強くなる』って――」

「ロナを、どうした、ロナは今どこに」

「――だから俺は正気を捨てることにした、正しい事をして正しい心をもってれば英雄になれるなんて間違っていた。そもそも『正しい』なんて、『人々に都合がいい』っていう意味でしかなかった」

「ロナはどうしたんだって聞いてんだろッ!」

 僕は力の限り叫ぶ。

 

「彼女は贄だ」


 躊躇なくリザードマンは残酷な言葉を吐き出す。

「ニエって、贄ってなんだ」

「彼女の血を持って、俺は魔物の封印を解く。それで契約は履行される」

 ダズの言葉はあまりにも短く、簡潔すぎた。

「なにを、なに言ってるんだ……」

 本当はもう分かっていた。

 ダズは裏切ったんだ。

 ギルドメンバーを、いや、人類を裏切って第十層の魔物と契約を結んだ。

 魔物の封印を解き、強大な力を手に入れる為に。

 英雄となる為の力を。

 でもそんな真実は、一片だって僕の脳は飲みこんでくれなくて。

「なぜだルカ君、どうして君はさっきからそんな目で俺をみる」

 ダズはそう言うと、右手を伸ばして僕の頬に触れた。

「君なら理解できるはずだ、俺の心を」

「そんなの、理解できるわけない……」

「何を今さら白々しい」

 背筋がぞわりと振える。

 僕の頬を振れる右手にぐっと力がはいった。

「俺はずっとこの世界が嫌いだった。俺を痛めつけるこの世界が。俺は英雄になろうと足掻き続けた、でも何も手に入らなかった。地位も名誉も、賞賛も寛容も、自分の居場所も、そして何よりも、愛した者から愛される事さえ」

 世界が俺の限界を狭めて、俺は何一つ充足を感じなくて。

 空虚な時間ばかりを、平気な顔して過ごすことを命じられて。

 

 ――そこで僕は思わず息を飲んだ。

 それは恐怖に怯えたわけでも、彼の狂気に吐き気を催したわけでもない。

 ダズがこぼすその言葉の数々に、聞き覚えがあったからだ。

 その言葉は――

 

「俺はこんな世界は要らない。俺は、俺の憧れていた『英雄』になる為なら、なんだって犠牲にする」


 ――僕は生まれ変わりたい。

 

 それは、その言葉は、かつて僕が神様の前で発した言葉と瓜二つだった。

 同じだ。

 ダズも僕と同じだ。

 世界を犠牲に、自分の夢を叶えようとしてる。

 だから、僕は彼の理解者に。

 僕は……彼と同じ?

 

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