ダンジョンと主人公


..1

  

 

 

 ――ようこそ。



 何かの音に反応して、僕は目を覚ました。

 意識が朦朧としている、気分がひどく悪い。

 酷い吐き気を感じながら体を起こすと、見慣れない風景が飛び込んできた。

「っ――?」

 年季を感じる石造りの壁、苔むした固い黒檀の石畳が敷き詰められた床。

 僕は無理矢理立ち上がって、周囲を見渡す。

 そこは、この空間はまさしく……

「……ダンジョンだ」

 ダンジョンの回廊、そこに僕は今まで寝転がっていたようだ。

 本当に異世界に転生したのか?

 僕はあわてて自分の体を調べる。

 服装が現実世界の物と違う。

 革製の妙にしっかりした、いわゆる「旅人の服」といった物か?

 腰には剣がぶら下がっていた。

 ためしに引き抜いてみると、ジャアッっと小気味の良い音が鳴り響く。

「すごい、本物だ」

 まじまじとその剣を眺める、すると妙な物が視界に表示された。

【ブロンズソード D6 重量9】

「おおぉ?」

 注視することで、アイテムのステータスが表示されたようだ。

 これは面白い、まさしくゲームだ。

 だったら――

 僕は自分の手を目の前に突出し、それを凝視する。

 これで自分のステータスが見られるのでは?

 すると予想通り、僕のステータスと思わしき情報が網膜に映し出される。


【名前:未入力

 HP:21/21 MP:24/24

 ジョブ:魔剣士

 レベル1

 筋力:1 技量:2 知覚:2 持久:1 敏捷:2 魔力:3 精神:2 運命:1


 武器スキル

 片手剣(2)


 魔法スキル

 破壊(2)

 神聖(1)

 変性(1)


 アビリティ

 近接適正

 ファストキャスト

 蒼き玉座の担い手


 装備

 ブロンズソード

 革の服】


「おぉおお?」

 思わずまた歓声を上げてしまう。

 すごい、本当に異世界転生したのか僕は。

 魔剣士? むっちゃカッコイイじゃん。

 名前未入力なのか、そうか、どうやって入力するのだ?

 魔法使えるの? どうやって使うのだろう?

 というかこのアビリティはなんだろう「蒼き玉座の担い手」って、絶対に超強いアビリティだろ!

 僕は興奮で自分の心臓が高鳴るのを感じる。

 夢が叶ったのだ、僕は、「物語の主人公」に……


 僕は引き抜いた剣を両手で持つと、回廊を進み始めた。


 ここがダンジョンなら、きっとモンスターがいるはず。

 モンスターとの戦闘。

 憧れの、ファンタジー世界での戦闘。

 僕は魔剣士だ、ステータスを見る限り、技量と敏捷を武器に魔法を敵に叩き込む前衛なのだろう。

「やばい、やばいやばい」

 喜びと期待ではち切れそうな胸を押さえながら、ダンジョンを進む。

 なにも考えず、ただ適当に十字路や分かれ道を突き進む。

 そして直ぐにその時は訪れた。

 ――僕の進んでいた通路の前方、五メートルほど先にそれは突如現れた。

 鋼の鎧、複雑な紋章を刻まれた重戦士がこちらを向いて立っていた。

 鉄仮面の隙間から、蒼く光る一つの目がこちらを視ている。

 すぐに僕はその敵を注視してみる。


【名前:ザーリカの鎧鬼

 レベル:7

 評価:強そうな相手だ

 考察:防御力の高そうな敵だ】


 ……あれ?

 なんか思っていたより強そうな敵と遭遇したな。

 レベル差結構あるけど、大丈夫か?

 そんな事を考えていると、鎧のモンスターが僕の方へ向かって歩み寄ってきた。

 敵は直剣を右手にだらしなく持っていて、その刃先が地面をガリガリと削り不快な音を奏でている。

 左腕には大きなラウンドシールドを下げている、なるほど防御力は高そうだ。

「結構鈍そうな相手だし、いざとなれば逃げよう」

 絶対に無理はしない、そう自分に言い聞かせて覚悟を決めた。

 鎧の敵がのろのろと間合いを詰めてくる。

 ――いまだッ

 僕は十二分な距離まで敵を引き付けた後、全力の突きを鎧のつなぎ目に向けて撃ち込んだ……が。

 ガインッ、と無慈悲な金属音が鳴り響く。

 敵がいきなり俊敏に動き、僕の突きはその巨大な盾で弾かれてしまった。

「え?」

 攻撃を受け流され、体制を崩している僕に向かって直剣が振り下ろされる。

「うぉ」

 僕はとっさに剣を横にして、その斬撃を受けようとする。

 金属がぶつかる破壊的な残響。

 そして僕の腕に、予想よりも遥かに大きな暴力の負荷がかかった。

 体が吹き飛ばされ、僕は回廊の床に転がる。

「え……」

 僕は無理に体を起こそうとすると、右肩から何かがボタボタと零れ落ちた。

 なにこれ?

 血だ、かなりの量の血。

 斬ら……れたのか?

 僕は受け流しに失敗して、肩を、斬られた?

 ――鎧は咆哮を上げ、茫然とする僕にバッシュを仕掛けてきた。

 頑強な鉄の盾で殴りつけられた僕は再び吹き飛ばされ、ダンジョンの壁に全身を強かに打ってしまった。

「ぐっ……ぇえ」

 潰れたカエルのような声をあげ、僕はその場に崩れ落ちそうになった。

 全身の骨が悲鳴をあげ、斬られた肩の皮膚が燃えるように熱くなる。

 まずい、ここで倒れたら――

 僕はなんとか持ちこたえると、ボロボロの体で這うようにして逃げ出す。

 背後で敵の咆哮、そして僕を追跡するガシャガシャと騒がしい音。

「待って、待って、ちょっと待って……何これ?」

 勝てない、まったく勝てる気がしない。

 というか勝負になってない、一歩的に斬られた、肉を裂かれた。

 僕、ひょっとして今死にかけた?

 現状がうまく飲み込めない、僕は無意識のうちに意味不明な言葉を発し始める。

「何これ、聞いてない、聞いてないッ!」

 鋭い痛みを持ち始めた肩の傷に苦しみながら、僕は必死に逃げる。

 じわじわと鎧の敵との距離は離れているが……

 この状況で他の敵と遭遇したら?

 僕の体力に限界が来て走れなくなったら?

 というかこの出血はマズい?

 ってか僕弱い?

 恐怖におびえた頭が、パニック一歩手前の悲鳴を上げている。

「誰かッ! 誰か助けて! 殺されるッ」

 大声で泣き叫びながら僕はむちゃくちゃに走り続ける。

 ――後々になって気づいたのだが、この行動は果てしなく愚かな物だった。

 せっかく鎧との距離を引き離しつつあったのに、僕のその悲鳴はそれを無為にしてしまった。

 しかもそれだけでなく、助けを求めることに夢中になって、何も考えず本能のまま道を選びつづけた僕は――

「……え、いきどまり?」

 袋小路に追い詰められてしまった。

 振り返ると、五十メートルほど後方に、僕の血でぬれた直剣を引き摺る敵の姿があった。

「嘘……だ、嘘でしょ?」

 殺される?

 そんなバカな。

 だって、だってまだ始まったばかりじゃあ……

 逃げなくちゃ。

「えっ、エスケープ! ろっ、ログアウト! 脱出! ワープ!」

 僕はとにかく思いつくゲームの言葉を列挙していく。

「シャットダウン! ヘルプ! 魔法!」

 魔法で反応があった。

 視界の中に、僕が使える物と思わしき魔法が表示される。

【破壊魔法

  エレキ

 神聖魔法

  なし

 変性魔法

  なし】

 待って、エレキ一択?

 とにかく僕は藁にもすがる思いで、その魔法を唱えることにする。

 鎧は三十メートルほど先に迫ってきている。

「えっと、選択、エレキ」

 反応はない。

 じゃあ、これはきっと……

 僕は右腕を伸ばし、その手のひらを鎧に向ける。

 肩の傷口が刺すような痛みを引き起こすが、それに構っている暇はない。

「え、エレキ!」

 唱えた瞬間、右手の平に何かが蓄積されるのを感じた。

 そして――

【詠唱失敗

 スキルが足りません


 エレキ詠唱可能条件

 破壊魔法スキル(3)


 マジックバーストが発生します】

 その表示はあまりにも一瞬で、僕はなんの反応もできなかった。

 蓄積していた何かが、コントロールを失って爆発するのを感じる。

「え?」

 次の瞬間、巨大な青い稲妻が右腕からほとばしり、それが鎧の体を貫いた。

 それだけじゃない、その魔法の力はあまりにも強く、僕の体は再び吹き飛ばされて、背後の壁に叩きつけられた。

「ごぇ……」

 僕はそのまま崩れ落ちる。

 背骨がギシギシと音をたて、肺が急速に委縮して、口には苦く酸っぱい嫌な液体が広がり意識が朦朧とした。

 ……死ぬ、死んでしまう……

 全身があますとこなく痛い、なのに一番痛かった右肩の痛みが無くなっていた。

 どうして?

 視線を動かしてみると、真っ黒に焦げた僕の右腕が目に入る。

 エレキを放った代償だとでもいうのか、表皮のほとんどが黒く炭化してしまっていた。

「うそ……だぁ」

 なんで、なんなのこの状況。

 だがそれでも、それでもまだ絶望している暇はなかった。

 ガシャガシャと金属音が聞こえる。

 恐る恐る視線をあげると――


 全身から白い湯気を上げながら僕の方へと歩み寄る、敵の姿があった。


「――まだ、生きてるのかよ」

 ザーリカの鎧鬼はふらふらと今にも倒れそうになりながらも、歩みを止めていなかった。

 盾はドロドロに溶け、直剣の先は無くなり、鎧の大部分は消失していたが。

 それでもまだ僕を殺そうとしていた。

 もうどうしようもない、体は一ミリだって動かせない。

「頼む、許してくれ、殺さないでくれ、何でもするから」

 無駄だと思いつつも命乞いをしてみる。

 だが現実は非情だ。

 敵は弱弱しい咆哮を一つあげると、折れた直剣を振り上げる。


 ――死んでしまうのか、僕は。


 あきらめかけた次の瞬間、白い何かが敵の背後から飛んできて、それが鎧の体を貫いた。

 ザーリカの鎧鬼は胴体に三つの風穴が開けられ、蒼い水晶の塊となって砕け散った。

 何が――いったい何が――

 僕は無理矢理首を上げ「白い何か」が飛んできた方を見る。

 そこには弓を構えた一人の女性が立っていた。

 彼女の髪とその大きな弓は、どちらも雪のような美しい白色に染められていて――


「ねぇ、そこの君! 大丈夫?」


 僕はそこで意識を失った







..2



 ……あぁ。

 世界が――少しずつ形を取り戻し始める。

 微睡によって歪んでいた認識が、喉の渇きによって覚醒されていく。

 ――ここは何処だ?

 目を開くと、そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。

 僕は首をもたげて、辺りを見渡してみる。

 石造りの壁、妙に屈強そうな丸太の柱、樫の木で作られたベッド。

 鉄と木で作られた、簡素で無骨なドア。

「あれ?」

 ここはどこだ?

 僕の家ではない、なんでこんな所で寝ているのだ?

 旅行中だっけ?

 とにかく起き上がってみる。

 ふと、そこでベッドの前に脇に何気なく置かれた籠に、僕の剣が突っ込まれているのが見えた。

「僕の……剣?」

 そう言って、ようやく自分の状況を思い出した。

 神様、異世界、転生、魔剣士。

 そしてダンジョン、ザーリカの鎧鬼、傷、裂けた肉、死。

「うぁ、うあああああ!」

 それまでの記憶が一気にフラッシュバックし、僕は思わず悲鳴をあげてしまう。

 心を破壊するような恐怖がまざまざと蘇る。

 荒々しい暴力、体の芯にまで響いた傷の痛み、精神が壊死するような死の匂い。

 心臓が痛いくらいに早鐘を打ち、僕はその場にうずくまる。

「お、落ち着くんだ僕。落ち着け、まだ死んでない、生きているじゃないか。僕は助かったんだ」

 そう自分に言い聞かせ、なんとかパニックを鎮めようとする。

 でも助かったって、どうやってあの状況から僕は助かったんだ?

 鎧が剣を振り上げて、それで――それからなにが起きたんだっけ?

 そこから先の記憶が欠落してしまっている。

 というか僕は今、本当に「助かっている」のだろうか?

 もう一度、今自分が居る部屋をよく観察してみる。

 石造りの簡素な居住空間はなんとなく無機質で、まるで宿屋の一室のようだ。

 足裏に当たる冷たい石の感触は、さっきのダンジョンを彷彿とさせた。

「とにかく、今の状況を把握しないと……」

 僕は剣を手に取るとドアへ向かい、そっと数センチだけ開けてみた。

 わずかな隙間から覗く外の世界。

 それは幅五メートル程ありそうな、だだっ広い廊下だった。

 そのやけに広い廊下の両側の壁には、ちょうど今自分が押し開けているドアとまったく同じ物が、いくつか並んでいるのが見える。

 ――人、もとい生き物の気配はしない。

 その後暫くの間、僕はその隙間から覗ける世界の様子を見ていた。

 でもなんの動きも無く、ただ悪戯に時が経っていくだけだったので、僕は意を決してその回廊に出てみた。

 本当に一切の気配がない。

 ――まるで死後の世界みたいだ。

 そんな想像が無駄に僕の恐怖を掻き立てる。

「ひょっとして、僕は死んだのか?」

 稚拙な疑惑に苛まれながら、回廊を進んでみる。

 最初こそはその石造りの構造から、ここはさっきまでのダンジョンの回廊の一つと考えていたが、だんだんと違うように思えてきた。

 その理由はあちこちに見受けられる、妙な生活感だ。

 簡易な長椅子が設置されていたり、トランプの置かれた小さなテーブルがあったり、そして床には麻紐の切れ端みたいなゴミが散らばっていたり。

「ここは居住区か何かだろうか?」

 ザーリカの鎧鬼から逃げ回ったあの回廊には、こういった物は一切ない「いかにもゲームなダンジョン」だった。

 そうこう考えているうちに、廊下の終わりが見えてきた。

 上へと延びる短い階段、そしてその上の一際大きなドア。

 僕は剣を鞘から引き抜くと、背を壁に付けてゆっくりと階段を上っていく。

 先刻のダンジョン探索の時とは打って変わって、今の僕は完全に怯え切っている。

 階段上のドアを突き破って化け物が襲い掛かってくるかもしれない、そう思うと足が竦むし。

 背後から怪物がいきなり追いかけてくるかもしれない、そんな想像をすると今直ぐにでもこの階段を走り抜けろと脳が悲鳴をあげる。

 それでも必死に深呼吸を繰り返し、冷静な思考を必死に保ちながら、どうにかこうにかドアの元までたどり着く。

 先ほどと同じようにドアに張り付くと、今度は鍵穴から、そっと向こうの世界を覗いてみた。

 大広間だ。

 長方形のだだっぴろい空間、中央には大きく長いテーブルが置かれている。

 そしてそのテーブルの一番手前、ちょうど僕に背中を向けるような形で誰かが座っている。

 いや、「誰か」という表現はあまり適切ではないかもしれない。

 それは明らかに人間の背中では無かった。

 竜鱗に覆われた逞しい背中。

 黒々とした鈍い光沢をもったその分厚い鱗は、それはまるで――

「――リザードマンだ」

 そのまま食い入るように凝視していると、また例の如く相手のステータスらしき物が僕の網膜に踊った。


【名前:ダズ・イギトラ

 HP:281/281 MP:45/45

 ジョブ:ベルセルク

 レベル:19

 筋力:38 技量:25 知覚:20 持久:34 敏捷:27 魔力:11 精神:24 運命:20


 武器スキル

 片手剣(27)

 両手剣(40)

 両手斧(31)

 大盾(26)

 魔法スキル

 変性魔法(10)


 アビリティ

 近接適正

 爪と歯

 鎧砕き

 レジストフレイム

 レジストアイス

 レジストエレキ

 ビーストキラー

 竜族の肉体

 囁かれし混乱


 装備

 レインメーカー

 オーガジャケット

 ホーリーアムプラ】


 ――レベル19って?

 僕は反射的に鍵穴から離れた。

 冗談だろ?

 僕はさっきレベル4ぐらいの敵に、一方的になぶられたんだぞ。

 そんで次はレベル19のリザードマン?

 っていうか無理だよ戦えない、ステータスが全然違う、桁が違う。

「落ち着け、落ち着け僕」

 落ち着いて、冷静に状況を考えるのだ。

 あれはたぶん敵、というか明らかにモンスター。

 という事は、つまり今僕の居るここは「モンスターの巣」あるいは「モンスターハウス」だ。

「つまり――今の僕は、捕虜とか食料なのか?」

 どうする?

 どうすれば良いのだ?

 僕は来た道を振り返る。

 さっきの居住区もとい独房に戻る?

 いや、いやいやそれは無い。

 なんの解決にもならないし、そこから打開策が産まれるとも思えない、

 もう一度鍵穴を覗いてみる。

 黒鱗のリザードマンは相変わらずこちらに背を向けてテーブルに座っている。

 おそらく何かを食べているのだろう。

 ひょっとするとこの状況はチャンスなのかもしれない。

 敵はあの一体だけ、しかもかなり油断している。

 逃げるか、戦うか。

 とにかく彼が食事を終える前に。

 僕は剣をしっかりと握り直すと、音を立てないようにそっとドアを開ける。

 ……開けているつもりだったのだが。

 ドアが開ききるより先に。リザードマンが振り返った。

 目が合う。

 気づかれた、ヤバい!

 僕は急いで剣先を向ける。

 リザードマンはそんな僕の姿をジッと見つめると。

「え? ちょッ、君何してんの?」

 言葉を喋った。

「え?」

 思わず僕も声を漏らす。

 なにこの敵、喋れるの?

 どういう事だ?

「ちょっと、ちょっと落ち着け君、そんな物騒な物を人に向けるんじゃない――」

 リザードマンはかなり動揺した様子でそう言った。

 分厚い瞼は大きく開かれ、爬虫類独特な縦長の瞳が戸惑った視線でこっちを見ている。

 僕も戸惑う。

 どういう事? こいつ、ひょっとして敵ではない?

「――落ち着けよ、君は助かったんだよ、ここはダンジョンじゃない」

 なんだこの状況。

 レベル19の強敵の筈が、殺しに来るどころか僕をなだめようとしている。

 僕は震える声で必死に質問を絞り出す。

「ダンジョンじゃないって……じゃあここは何処なんだ!」

 その高圧的な口調は、僕の心に蔓延る恐怖によるもので。

 もしこの会話の主導権を失ったらその瞬間食い殺されるのでは? という漠然とした妄想のせいであった。

 だけどリザードマンは、そんな僕の見苦しい威嚇を全く意に介する様子もなく、丁寧な返答をしてくれる。

「ここは地上、探究者ギルド『ブラザーフッド』のハウスだよ、覚えてないのか? 第二層で死にかけてた君を俺たちが助けたんだ」

 漆黒のリザードマンは鮮やかなピンク色の舌を覗かせながら、流暢に言葉を喋る。

「助けた?」

「正確には俺たちの一人、『ロナ』が君を助け出した。ザーリカの鎧鬼からね」

 僕はそこまで聞いて、ようやく欠けていた記憶が蘇ってきた。

 ザーリカの鎧を貫く矢、白い弓をもった白い女性。

 『ねぇ、そこの君! 大丈夫?』

 そう言って僕の元へ駆け寄ってきてくれた彼女。

 そして僕の右腕を――

 あ、そういえば僕の右腕、真っ黒に焼け焦げたはずだったのに。

 今現在剣を握りしめているその右腕は、健康的な腕そのもので――

 あの人が治してくれたのか?

「思い出したようだな」

 リザードマンは唖然とする僕の様子を見て、そう言った。

「あ、うん、その……はい」

「だったら剣を収めてくれ」

「す、すいません」

 僕は慌てて剣を鞘に戻すと、深々とその場で頭を下げた。

 この人、敵じゃないのか。

 言われてみればさっき表示された彼のステータスの形式、あの「ザーリカの鎧鬼」と大分違った。

 むしろ「僕自身」のステータスの形式と似通っていた。

 という事は、つまり彼は魔物じゃなくて僕と同じ「プレイヤー」なのか。

「いいよ、そんな謝らなくて。君もいろいろ大変だったんだろ?」

 彼はそう言うと、ニッと口角を上げて人懐っこい笑みを浮かべた。

 僕はそれを見て、やっと自分の中にへばりついていた恐怖心が、溶けて消えていくのを感じた。

 ――が、その安心もまた、すぐに薄まった。

「それで、君は一体誰なんだ?」

 安堵の表情を浮かべる僕に、彼はそんな質問を何気ない様子でぶつけてきたのだ。


 誰?

 僕は……

 僕は、この世界では……






..3



「記憶が無いだと?」

「はい、何も憶えてないんです」

 ――目が覚めたらいきなりダンジョンの中に居て。自分のこともこの世界も何一つ記憶になかった。

 一応そういう設定で僕は話を進めることにする。

 目の前に座る大柄の黒いリザードマンは、困った様子で首を傾げ尻尾をせわしなく左右に振った。

「やれやれ、それはまた大変な。マインドクラックを受けたのか? いやしかし第二層にそんな大技を使う敵はいないよな。新種のネームドモンスターにでも襲われたか……」

 彼は険しい顔でブツブツと何かを呟いている。

 そうやって僕の身を案じ、真剣に考えてくれている彼の姿を見ると。

 僕はなんというか、とてもいたたまれない気分になってしまった。

 ――こんな親切な人に、さっき僕は剣を向けたのか。

 状況が状況で仕方なかったかもしれないが、僕はそう割り切れる程に肝の座った人間ではない。

 罪悪感、それと自分の不甲斐なさで胸焼けする僕に彼は質問を続ける。

「自分の名前も憶えてないのか?」

「え?」

 答えに詰まる。

「名前だ、君の名は?」

 僕の名前。

 そっか、僕が自分で自由に決めていいのか。

 元の世界での名前なんて捨てよう、せっかく転生したのだし。

 どうせだから、えーっと、そうだな……

「えっと、『ルカ』です。それだけは憶えていました」

 現実世界で気に入っていたRPGの主人公の名前を選んだ。

「『ルカ』か、変わった名だな――」リザードマンはそう言うと椅子から腰を浮かし、僕に手を差し伸べて握手を求める「――俺は『ダズ』、ダズ・イギトラだ。一応この探究者ギルドのマスターを務めている」

 慌てて手を伸ばして握手に応じる。

 こういうのに不慣れな僕はちょっとぎこちない動作になってしまった。

 だがそんな僕の様子に構うことなく、彼は繋いだ腕を乱暴にぶんぶんと振った。

「よろしくな、ルカ」

「は、はいよろしくお願いします」

 細やかな竜鱗で覆われた彼の手は、意外としなやかな質感で、肌触りが良かった。

 いろいろ思う所のある握手が終わると、ダズは再び椅子に腰を下ろし、ニッと僕に笑いかける。

「それで、お前の方から俺に何か聞きたいことは?」

 僕の気を楽にしようと微笑みかけてくれているのだろうが、真っ赤な歯茎と鋭い牙が覗く彼の微笑みは怖かった。

「えっと、先ほど言っていた『ロナ』さんっていう……」

「あー、彼女は今外に出てるよ。スタニフの情報屋にお前の身元を確認してもらってる」

「身元?」

「そう。レベル1の人間が一人でダンジョンに入れるわけないからな、絶対に同伴者がいたはずだ。それ関係の情報を調べてもらってる」

「え? どうしてそんな……」

 どうしてそんな僕について調べるのだろう?

 僕を――疑っている?

「そりゃ、お前をちゃんと同伴者の下、っていうか仲間の下に帰してやる為だよ」

 あー。

 彼は僕を疑ってなんかいない、純粋に僕を助けようと。

 このダズさん、本当に良い人なのか……

 僕のなかで罪悪感が再びグツグツと湧き上がってくる。

 やっぱり本当の事を言うべきなのか?

 多分このままだとこの人、本当に僕が記憶喪失だと思って全力で僕の素性を見つけ出そうとして……

「ふっははは、そんなを顔するなルカ。気に病む必要はない、こういうのも我々探究者ギルドの仕事の一つだからな」

 ダズはそう言って、快活な笑い声をあげる。

 これはマズい。

 彼はこの後きっと、僕の素性に関する情報が手に入らなくて焦燥してしまうかも。

 ……うーん、なんか違うな。

 僕の好きだったライトノベルではこういう展開は無かった。

 なんていうか、主人公の行動はすべて「絶対に他人に迷惑を掛けない、最終的に必ず感謝される」みたいな法則があったのだが。

 残念な事にあの神様、その法則をこの世界に再現してくれなかったようだ。

 まぁ、こればっかりはどうしようもないので、ダズさんには苦労してもらう事にして――

「えっと、それから僕、少し外の空気を吸いたいのですが」

 ――街が見たい。

 きっとこのギルド施設の外に広がっているだろう、ファンタジーで異世界な街を。

「あーはいはい、そっちのドアから玄関に出れるから」

 でも大丈夫かルカ、お前はかなり消耗していたんだぞ、ダズはそう言って心配そうに僕の体をまじまじと見た。

「大丈夫です、お陰様で」

 僕はそう言ってもう一度深く頭を下げ、礼を言うと彼の指差したドアへと向かう。

 いってらっしゃーい、ダズはそう言って手をひらひらと振る。

 ドアの向こうはバカみたいに広い玄関だった。

 大量の剣が立てかけてある剣置き(?)や、雑然と脱ぎ散かされた防具の山、在中とかダンジョンとかそういう出先が掛かれた名札かけ。

 なるほど、確かにギルドっぽい

 いろいろ感心しながらも進み、ギルドハウスの出口へと手を掛ける。


 そして――


「うぉおおおおおおお? すっげ!」

 僕は思わず歓声を漏らす。

 探究者ギルドの扉を開き一歩外へ踏みでると、そこはまさしく王道RPGの街並みだった。

 木とレンガと石で造られたような建物の並ぶ巨大な街道、ルネサンス期直前な雰囲気の世界がどこまでも広がっていた。

 街道は多種多様な人々が行き交い活気に満ちている。

「すごい、すごいすごい」

 興奮を抑えきれない僕は、思わずその街道に飛び出る。

 すれ違う沢山の人々。堅牢な重装備をガシャガシャと鳴らす人も居れば、薄手のクロークに身を包んだ戦士もいる。

 錦杖を持って歩く神官らしき人々の集団が居たかと思うと、背中に大荷物を背負ったキツネのような半獣の姿もあった。

 戦士、一般人、商人、そして人間と半獣、およそファンタジーの代名詞ともいえそうな人種たちが跋扈する幻想的な世界。

「すごい」

 もうそれ以外の感想が出てこない。

 ここは、この世界は、もう完全に僕が今まで居た世界ではなかった。

 僕を知る人なんて一人も居ないし、僕が知ってる人も誰もいない。

 今までの常識なんてものが一切通用せず、魔法や魔物やダンジョンといった新しい常識が支配する世界。

 そして何よりこの世界は、僕の望んだ、僕が望むがままに――

「すごい……」

 すっかり熱に浮かされた僕はふらふらと街道を進んでいくと、更にいろんな物が目に飛び込んでくる。

 魔法屋、武器屋、おそらくモンスターの物と思われる肉屋。

 道に座り込んで何やら言い合いをする冒険者達、派手で綺麗な魔法を披露する魔法使いの大道芸たち。

 ウサギのような耳を生やした少女を追いかける父親らしき半狼の戦士。

 見知った物、見慣れた物なんて何一つない。

 僕は子供のように胸を高鳴らせていた。

 つい数時間前に死にかけて、恐怖のどん底に居た事なんて、もうすっかり忘れていた。

「この世界には、僕を縛るものなんて何もない。僕は『主人公』になれたんだ!」

 行きかう人々を注視して、そのステータスを見ていく。

 狩人、神官、白魔術師、騎士、フェンサー、僧侶、暗黒騎士――





 ――そうやってしばらく街道を歩いていたら、やがて大きな広場にたどり着いた。

 さしずめ街の中央広場といったところだろうか?

 噴水や長椅子、それに石づくりのアーチのような建造物が見受けられる。

 広場の中央には比較的最近作られたと思われる、銅像があった。

 少し歩き疲れた僕はなんとなく銅像の傍の椅子に腰かけ、近くにあった看板を見た。

<偉大なる探究者『グィンハム・ヴァルフリアノ』ここに眠る>

 お墓、というより記念碑的な物だろうか。

 探究者ってことは、さっきのダズさんと一緒でダンジョンでの仕事を生業にしている人かな?

 すぐ隣にもう一つ看板があったので、そっちも読む。

<彼は探究者ギルド『ブラザーフッド』を率いて、第十層のワイルドキーパー『囁く者、ティトラカワン』を封じた英雄である>

 ブラザーフッドって、さっき僕が居たギルドじゃないか。

 ってことは、かなり凄いギルドだったのか?

 いろいろ想像を張り巡らせながら、僕はどんどん看板を読んでいく。

<グィンハムは自身の命と引き換えに、不死のワイルドキーパーを封印した。その偉業によって探究者は今、十層以上の攻略が可能になった。よって我々ギルド連盟はその功績を此処に称え、この銅像を建立する>

 ワイルドキーパー?

 ボス的な物だろうか?

「囁く者」なんて二つ名を持っているあたり、如何にもボスっぽい。

 僕は顔を上げ、もう一度銅像をみる。

 勇ましい銅像だ。

 美しいローブを着た男。左手には波打つ刃の剣を持ち、右手には……

 なんだアレ? 魔導書?

 その右手にはタウンページ並みに分厚い本を持っているのだが、なんか変だ。

 全体的にボロボロで表紙には亀裂まで入り、しかもそこから何か液体が滴っているようなデザインだった。

「随分禍々しいな」

 そんな感想を呟きながら、他にも看板は無いか調べる。

 この「グィンハム」さんって魔剣士っぽい。だから彼のジョブとか年齢とか、あとレベルを知りたい。

 そんな事を考えて周囲をぐるりと見渡したが、他に看板は見当たらない。

 ――と、そこで僕は今さらな事実に気づく。

「あれ? なんで字が読めるんだ?」

 この看板の文字も、どう見たって日本語じゃない。

 なんかアラビア語みたいにやたら線がのたくった奇妙な文字なのだが、僕はスラスラと読むことができる。

「……まぁ、ファンタジーだし」

 そんなテキトウな理論で無理矢理自分自身を納得させる。

 本当はかなり気がかりな事なのだが、それについてこれ以上何を考える事にあまり生産性を見いだせなかった。

 とにかく、僕はこの世界の文字が読める、これは非常にありがたい事だ。

 お蔭でなんとなく自分がこれから取るべき行動が見えてくる。

 日頃からこういう「転生物」とか「トリップ物」を読みふけっていたので予習はバッチリ。

 その予習によれば、異世界に転生した場合まず重要なのは衣食住の確保、そして情報収集。

 衣食住は多分確保できていると思う。

 勝手な話だけど、あのダズさんのギルドに暫く面倒を見てもらえそうだ。

 なので文字が読めると判った今、僕が次にやるべき事は……

「図書館に行って、情報収集だな」

 そう呟くと、僕は再び歩き始めた。






..4




「まぁ、こんなもんでいいかな」

 そう呟くと【探究者の歴史】と書かれた本を閉じた。

 僕の座る備え付けのテーブルの上には、他にも【ファルクリースの民、その文化】や【璧晶史・四巻】といった書物が積まれてある。

 三時間はこういった類の書物を読み漁ったので、なんとなくだがこの「ゲーム」の世界観の大まかな概要を掴むことができた。

 個人的に印象に残ったのは、「ダンジョン」の設定が意外としっかりと作りこまれていた事だ。

 僕が普段読むラノベでは、ダンジョンがある理由なんて大抵うやむやで済まされていたのだが……

 どうやら三千年前にこの世界で起きた「璧晶大戦」と呼ばれる、人類と「獣人血盟軍」とかいう組織との間で勃発した戦争の遺産らしい。

 ――なんでもその血盟軍の一勢力に「ジグード」と呼ばれる種族が居て、さらにその中の一氏族「ヤツェ」が、人類を試す為の「試練」として五つのダンジョンを建設したらしい。

 その後、英雄「トルファン・ドラギーユ」が五つのダンジョンの内の一つ「東の冥路」を攻略したことによりヤツェは人類の側に付き、それがジグード全体の血盟軍からの全面離脱の引き金となり、璧晶大戦は人類の勝利として終結したという。


 ……まぁ、この辺の設定はどうでもいい。

 それよりも大事なのは、この世界にはダンジョンが五つもあるという事だ。

「東の冥路」

「西の廃域」

「南の魔殿」

「北の邪宮」

 そして僕が転生した場所、「中央の呪城」 さらに興味深いのが、これらのダンジョンには「誰でも潜っていい」わけではないという点だ。

 それぞれのダンジョンに対応する「探究者ギルド」に所属する、もしくは探究者ギルド連合からの許可証を手に入れる、そのどちらかの条件を満たすことが必要とされている。

 基本的に一つのダンジョンに一つの探究者ギルドが対応しているらしいのだが……なぜか「中央の呪城」にだけ二つのギルド、「ブラザーフッド」と「アウトキャスト」が存在すると書かれている。

 ――うーん。これは面倒臭そうだ。

 僕は「誰でも気軽に潜れるダンジョン」そんなにぎやかな物を期待していたのだが……

 まぁ仕方ない、閑話休題。

 世界観に関する情報はこんな物でいいだろう、次はダンジョンの攻略情報だ。

 そう自分に言い聞かせ、疲れた目に気合いを入れると手元の本を元の棚に戻し、今度はダンジョンの探検に役立ちそうな本を選んでくる。

 一冊目【ダンジョン攻略・初級編】

 いかにもなタイトルだ。

 僕は意気込んでその本を開き、どんどんと読み進めて行く。

 ――行こうとしたのだが。

「あれ?」

 最初の章が、いきなり陣形についてだった。

 五人パーティで組む物と思われる、様々なフォーメーションが描かれている。

「インペリアルクロス」「フリーファイト」「ワールファイト」「コッペリアガード」

 各陣形に関する細やかな説明、陣形を組むことの大切さ、バランスの良いパーティの例――そんな説明が滔々と書かれてあった。

 次の章はポジションの動きについての心得。

 前衛はどうあるべきか、後衛はどう振る舞うべきか、盾役と削り役について、回復魔法を一挙に集中できる戦場が如何に手堅いか――そんな記述ばかり。

 まるで……それはまるで、「ダンジョンは五人パーティで挑む物」という大前提があるかのようで。

「え? 嘘だ」

 僕は思わず本を閉じてしまう。

 五人パーティ? なにそれ? 人多すぎでしょう。

 だって、ふつうライトノベルの主人公のパーティって多くても三~四人だよね?

 四人でも正直「多いな、それぞれのキャラをしっかり描くのは大変そうだなぁ」なんて感じていた。

 が、この本には――初心者向けらしいこの本には、「五人パーティが大原則」と書かれている。

「……嘘でしょ」

 僕は慌てて別の本を開く。

 今度は【探究者指南書・第一巻】

 すがる様な気持ちで文字を追っていくが。

『――基本的な構成は前衛三人、後衛二人。その内分けは盾役が一名、準盾役が一名、物理火力が一名、魔法火力が一名、回復役が一名という構成が望ましく――』『――レベリングの際に重要な要素は継続性である。その為十人パーティでの移動狩りが最も効率が良いとされているが、これは初心者には――』『――以上の理由より、五人以上のパーティで若干格上の相手に対する連続した狩りがレベリングの基本と――』

 どこをどう読んでも、五人以上のパーティの戦い方しか載っていない。

 嘘でしょ?

 嘘だ。

 だって異世界物の序盤っていったら、ヒロインとの二人パーティって相場が決まっているじゃないか。

 ページをバラバラと捲っていくと、「少人数パーティに関する考察」と題された小さなコラムのような物を見つけた。

『五人以下のパーティでのレベリングには、基本的にメリットはない――』『――だが、高レベルの者が低レベルの者に付き添い、その徹底的なサポートによって強引に低レベルの者を育てる、所謂パワーレベリングという行動においてのみ、その有用性が――』

 うっ。

 僕の望むような記述は一切無く、少人数パーティに対する否定的な意見しか書かれていない。

 ……って事は、つまり僕がまたあのダンジョンに乗り込もうとしたら、五人もの仲間を見つけ出さなきゃいけないって事?

 冗談じゃない、この世界に転生してきたばかりの僕に、そんな人脈なんてあるわけない。

 五人もの仲間を見つけるのにどれくらい時間がかかるのだ? たぶんラノベ五冊分くらいの時の流れが必要だぞきっと。

 パーティが作れないなら、パーティに入れてもらう?

 どこかの既成パーティに頭を下げてお願いして、そこの一員にしてもらう?

 絶対嫌だ。

 ふざけるな、せっかくラノベな世界の主人公に転生したっていうのに、なんでまた誰かの下で動かなくちゃいけないんだ。

 何が楽しくて、またあの現実世界の働きアリみたいな日々に戻らなくちゃいけないんだ。

「どうなっているのだ、こんなの聞いてないぞ」

 胸の奥が無性に熱くなり、脳の中に苛立ちが渦巻き始めた。

 なんかちょっと変だぞこの世界。

 僕の望む世界の筈なのに僕自身が妙に弱いし、いきなり死にかけたし、ダンジョンは「ダンジョンその物」じゃなくて「ダンジョンをめぐる環境」がやたらシビアだし。

 そもそも初戦がいきなり敗北って。

 今さらながら、あの神様への強い不信感が浮かび上がる。

 ――これってひょっとして『異世界転生ラノベ』じゃなくて、『サルの手』みたいな教訓寓話?

 そう考えた途端に、その仮説の恐ろしさで僕の背筋は一気に冷たくなった。

 この世界が僕にくれるのは「名誉」や「栄光」や「ヒロイン」じゃなくて、「人間の愚かさ」や「無責任な願いの代償」とかそういう「手痛い教訓」が……


「……随分熱心に読んでるのね」


 不意に女性の声がして、僕の意識は現実に引き戻される。

 顔を上げると、一人の女性が僕と向かい合うようにテーブルに座っていた。

 ――美しい、白髪の少女。

 彼女は何故か少し嬉しそうに微笑みながら、僕を見ていた。

「あ、えっ、君はあの時の……」

 いきなりの事態に、僕は言葉に詰まる。

 そんな僕の様子を見て、彼女は嬉しそうに微笑むと。

「覚えててくれたんだ」

 と言って、右手を僕に差し出した。

「ダズから話は聞いてるよ。私はロナ、よろしくねルカ君」

 それは静脈が透ける程に白く細い、まるでガラス細工のような手だった。

 触れたら壊れてしまいそう……そんな妄想にすこし怯えながら、僕はその手を取って握手を交わした。

「よ、よろしくお願いします」

 わずかに体温の低い、小さな手のひら。

 この手。あの時、僕の焼け焦げた腕をそっと包んでくれた……


【名前:ロナ・ヴァルフリアノ

 HP:124/124 MP:182/182

 ジョブ:血線術士

 レベル:8

 筋力:5 技量:14 知覚:15 持久:7 敏捷:13 魔力:25 精神:27 運命:4


 武器スキル

 弓(12)

 短剣(11)


 魔法スキル

 破壊(12)

 神聖(24)

 変性(19)

 血線術(39)


 アビリティ

 遠隔適正

 テクニカルマギ

 ヒール・アフィニティ

 狙い撃ち

 コンサーブMP

 鋭敏な感覚

 苛まれし血脈


 装備

 白髭

 フレイヤアクトン

 ウルミヤの潮騒】


 うっ。

 視界に表示された彼女のステータスに、僕は思わず怯む。

 この人も強い。

 か弱そう……というか、脆く砕けそうな少女。そんな外見に似合わず、ステータスはどれも僕より断然上だった。

 妙に偏ったステータスをしている人だ、やっぱり後衛なのかな?

 ってか「血線術」ってなんだ?

 年齢は僕と同じぐらいに見えるし、身長にいたっては僕よりも低い。

 でもその落ち着いた物腰のせいか、それともレベル差のせいか、僕よりも年上に感じられた。

「じゃあ、帰ろっか」

 ロナはそう言うと、椅子から立ち上がった。

 僕はその言葉の意味が分からず、一瞬戸惑う。

 帰るって……あ。

「どうしたの? ほら、ギルドのみんなが心配してるよ?」

 一緒に帰ろう、少女そう言って優しく微笑んだ。

 ――図書館を出ると、いつの間にか日が暮れていて夜の帳が降りようとしていた。

 本を読むのに夢中になり過ぎてしまったな、僕はそんな反省をしながら、目の前を歩く少女の後に続く。

「ダズが心配してたんだよ? 『ちょっと外の空気を吸ってくる』って言って四時間も帰って来ないんだから」

 そう言って彼女は、水銀の様な髪をたなびかせる。

 それは淡い月明かりを受けて僅かに光を放ち、幻想的な美しさを魅せていた。

「すいません、つい集中してしまって」

「ダンジョンの本だっけ? 随分熱心に読んでたね」

 そう言うと彼女は悪戯っぽく笑う。

 僕はそれにどう返せばいいのか判らず、曖昧な返事しかできなかった。

 というか、この状況かなりキツい。

 今までろくに女子と会話してこなかった僕には、こんな綺麗で、大人びていて、尚且つ命の恩人でもあるお方との会話なんて――

 あ。

 そこまで考えて、僕は大事なことを思い出す。

「あ、あの、ロナさん」

「なぁに?」

「あの時助けてくれて本当にありがとうございます。貴女は僕の命の恩人です」

「命の恩人なんてそんな、大げさだよ」

 いや、大げさじゃないでしょう。

 どう考えたってその言葉通りの状況だったじゃん――という突っ込みは胸に押しとどめて。

「僕なんかにできる事があれば、何でも言ってください。少しでも恩返しがしたくて……」

 これは百パーセント純粋な本心だ。

 別に「こんな綺麗な女の子と仲良くなれたらなー」みたいな下心は無い。

 一切ない、そういう感情を抱くにはあまりにも恐れ多すぎる相手だ。

 そんな僕の様子を面白おかしそうに彼女は見ていたが、ふと唐突に真面目な顔になった。

 そしてその薄い蒼色の瞳で、僕をジッと覗き込んできた。

「えっと、なんですかロナさん」

「うーん……」

 何かを考える様子で、ゆっくりと首を傾げはじめる。

 僕はどう反応すればいいのかわからず、ただ黙っていることしか――

「ねぇ、ルカ君」

「はい、なんですか?」

「またあのダンジョンに潜るの?」

「え?」

「いや、あんな本を熱心に読んでたから」

 あんな本、【探究者指南書・第一巻】の事かな?

「えっと、まぁ一応そのつもりですけど。でもパーティの当てがないので、なんとかソロで潜る方法を探さないと――」

「じゃあ私と一緒に、二人で潜らない?」

 ……え?

「え?」

 ……え?

 ロナのその提案は、あまりにも予想外すぎて僕の思考はパチリと固まってしまった。

「もちろん嫌なら嫌って言っていいんだよ。私も無理にとは言わないから」

 たださ、私あのギルドだとレベルがちょっと低くて、一緒に潜ってくれる人がいなくて困ってたんだよね――そう言って彼女は、探るような視線で僕を見つめた。

「どうかなルカ君、いやかな?」


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