この世界は優しくない

@kurobemasami

プロローグ

 物語、僕はそれを作るのがとても下手だ。

 物語の「終わり」と「始まり」をいつも見失ってしまう。

 この物語はどこから来て、どこへ向かう物語だったのか?

 何を成そうとして、なにを成し遂げる話だったのか?

 そもそも僕は、何を思ってこの話を……

 こんな具合で、僕はいつも物語の形を見失ってしまう。

 それが例え作り話ではなく「自分の身に実際に起きた物語」であってもだ。


 本当にあった物語、かなり不思議な言葉だ。

 でもきっと、この物語はそう呼ぶのが相応しい気がする。

 そう呼ぶ以外になんと言えば良いのか、僕は知らない。


 僕は異世界に行った。

 そしてそこで戦った。

 そして今も戦っている。


 この話をどこから話せば良いのだろう、どこまで話せば良いのだろう。

 僕はこの物語をどこから――




 ――あの時、あの瞬間、あの神様に出会ったときから話を始めようか。










 黒い風が吹いている。

 痛みを感じる程に冷たく、それでいて砂漠に吹くかのように乾ききった、暗黒の風。

 僕はその風に身を晒されながら、真っ赤な湖を眺めていた。

 湖の周りには骨のような物質でできた木がいくつも生え、湖の周囲には貧金色の石が転がっている。

 空は色の無い霧でおおわれ、昼のような夜のような曖昧な時が世界を支配している。

 ――ここは生物の消えた世界だ。

 僕は静かにそう思った。

 全ての生命が死に絶え、生き物の形を模した模造品だけが残った冷たい世界。

 そんな世界に僕は迷い込んでいた。

「どうしてこんな所に? 僕はただ眠っていただけなのに」

 ここに来る直前、僕の持つ最後のまともな記憶は「リビングのソファの上で横になっていた」という、ひどくありふれた物なのに。

 夢の世界? いや、それにしては意識がはっきりしすぎている。

 軽い混乱を抱えながら、僕はぼんやりと湖の方に歩いて行った。

 なにかが僕の事を呼んでいる気がした。

 赤い水を吸い取ったかのような砂利を踏みしめ、湖の縁へとたどり着く。

 水底から何かが浮かび上がってくる、巨大な雪の結晶のような、真っ白で複雑な魔法陣のような何かが。

「すべてが、すべてが朽ちてしまった」

 遥か彼方から響くような、不思議な声がその空間に広がった。

「救うことを願った、願いつづけた。でもそれは無意味だった」

 水面の魔法陣が発しているらしきその言葉は、まるで波紋のように世界へ響き渡る。

「これが最後だ、これが最後の世界だ、無限に存在すると思われた予備の世界も、今や残るはこの一つだけだ」

 魔法陣の言っていることの意味は、まったく分からない。

 でも、僕はその言葉に耳を傾けた。

 恐怖や疑いや煩わしさは、なぜか一かけらも抱かなかった。

「定命の者よ、望む物を言え、望む世界を言ってみろ」

 魔法陣はそういうと、静かに震え始めた。

「望む……世界?」

 僕は思わず言葉を発する。

 すると僕の声も、魔法陣の言葉と同じように世界に響き渡る波紋となった。

「そうだ、好きに望むといい。君の望む世界を与えよう」

 僕の、望む世界……

「え? じゃあ異世界に転生したい」

 何も考えずに言葉を発していた。

 ほぼ条件反射で答えていた。

「はい?」

 魔法陣がちょっと戸惑った声をだす。

 ――かなり場違いというか、空気の読めてない発言をした気がするが、全く後悔はしていなかった。

 それ程に僕はライトノベルとかでよく見る「異世界転生」に憧れていた。

「異世界に行きたい、剣と魔法とダンジョンのある世界、そこで僕は『主人公』になりたい」

 ずっとずっと妄想していた世界。

 僕はその世界に今の知識や能力を持って転生して、さらに「ユニークスキル」とか「古代魔法」とか「極端過ぎるステータス」とかを持っていて

 どの集団にも属さない、それでいて至高の力を持つ戦士で、何者にも縛られなくて、自由で、正義で、多くの人に尊敬されて。

 あと奴隷組織を壊滅させて、元奴隷な彼女ができたり。ちょっとおませな若い王女様の芝居のお手伝いをしてあげたら本気で惚れられてしまったり、それから、それから――

「あー、わかった、わかったから、だいたいわかったよ。そういうのね」

 魔法陣がそう言って僕の言葉を止める。

 こいつ、なんか随分フランクになったぞ。

「できるのか?」

「できるよ。思ってたより難儀だけど」

「難儀って?」

「君の想像が雑すぎる、結構俺の方でざっくり補うけどいいね?」

 一人称は俺なのか。

 そんなどうでもいい感想を胸にしまいながら、僕は黙って頷く。

「というかさ、お前本当にそんな願いでいいの?」

「え?」

 普通の若者言葉で質問をぶつけてくるその魔法陣に、数舜前まで過分にあったはずの威厳はもう無い。

 こいつ、たぶん中身は普通の人間だ。

「いや、俺は構わないけどさ。お前の望むその世界って全部を犠牲にしてしまうぞ」

「犠牲?」

「お前を形作ってくれた、今までお前が暮らしてた世界の事だよ」

 魔法陣の言いたい事はすぐに理解できた。

 僕の望む異世界は、僕の今までいた世界の上に作られるのか。

 それこそテレビゲームのセーブデータみたいに、上書きして作られるのだろう。

「構わない、全然構わないよ」

 これもまた即答だった。

 一瞬の躊躇もなかった。

「構わないってお前……」

「あんな世界に未練はないよ」

 僕はそれまでの世界が嫌いだった。

 小学校が嫌いだった。

 中学校は大嫌いだった。

 高校なんて、消えればいいと思っていた。

 兄弟が憎かった。

 親友なんて居なかった。

 彼女? 笑える。

 みんな僕をバカにする、バカな人間しかいない世界だ。

 親が一番嫌いだった。

 将来が怖くて、自分に自信が無くて、世界が狭く苦しくて。

 みんなに合わせないといけなくて、僕の望むことは何もできなくて――

 世界が僕の限界を狭めて、僕は何一つ充足を感じなくて。

 空虚な時間ばかりを、平気な顔して過ごすことを命じられて。

 勉強や、仕事や、会話や、そんな無価値な物を押し付けられて。

 ――あの世界は、僕を縛る事しかしなかった。

「いいのかよ、本当に」

「いいよ、早くやってくれ」

 あんな世界は要らない。

 僕は、僕の憧れていた「主人公」になる為なら。

 なんだって犠牲にする。

 僕は生まれ変わりたい。

「……わかったよ」

 魔法陣はそう言うと、今までより一層強く振動し始めた。

「本当に、本当にやってくれるのか?」

「あぁ、やるさ」

 静電気がはぜるような、小さな音が世界に響き始めた。

 ――全てが壊れ始めた音だ。

 そして僕は何故か、これから何が起きるのかを予知した。

 この世界を壊して、その素材を使って、僕の世界を書き換えるのだ。

「なぁ神様」

 僕はそう魔法陣に話しかけた。

「神様?」

「貴方の事だ、神様は何故僕にそこまでしてくれる?」

 破かれていく世界の悲鳴がこだます。

 もうあまり時間はない、そう察した僕は早口で質問を続ける。

「神様の望みはなんだ、何を考えているのだ?」

 世界の色が消えていく。

 すべてが無色に飲み込まれていく。

「……世界を、救ってくれ」

「世界? どういう意味だよ。この世界は壊れてしまうし、僕の世界はかき消える」

「それは、世界の終わりに来る者――」


 世界はそこで崩れた

 魔法陣の返答は、途中で掻き消えてしまった。

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