第8話 宵闇の追走劇

「うおぉぉぉらぁぁぁぁぁっ!飛ばすぜええぇぇぇぇぇ!」


 煌びやかな業人街行政区の大通りを疾走する痛車。

 道行く人々は爆走する俺たちの車に恐れおののき四方八方に散らばって逃げ惑い、往来を行き交う車は慌てて道を開けた。

 そんな惨状も気にせずハンドルを握る麻里さんは、まるで新しいおもちゃでも買ってもらった子供のようなテンションで運転する。


「美奈っ! おっさんからあのクソガキの居場所を検知する奴もらったよな! あのガキ、いまどこに連れて行かれてる!?」

「GPSよ、姉さん。あいつらは……業人街西側……私たちの住んでる地域を現在走行中。このままの進路でいけば――そうね、放置区域に逃げ込むつもりかも」

「へっ、あのごみ山で何かしようってか! そうはさせねぇぜ!」


 麻里さんは更にアクセルを踏み込み、検問所の金網をぶち破った。


「う、うわぁぁぁ!? 麻里さああああああん!?」


 防弾加工を施された痛車は、一瞬バウンドしただけでビクともせず、そのまま荒れ果てた廃墟群へと突き進む。

 華やかな行政区から抜け出した途端、辺りは薄暗く人通りもまばらになった。


「ひゃっはー! すっげぇ速えぞこの車! 流石レンさんが改造しただけあるな!」

「ふへ、ふへへ……これこそが神の遣わした早馬の――」

「おおっと危ねぇ! 舌噛むなよ!」


 大きな幹線道路のど真ん中を歩いていた浮浪者を避けようと、麻里さんは思いっきりハンドルを右に切る。直後、全身の血液が左側に凝縮する様な感覚に襲われた。


「すごーい、麻里ねえちゃん!」

「あったりまえだろ!」


 間一髪のところで浮浪者を避ける。サイドミラーに一瞬映ったそいつの姿は、瞬く間に彼方へと置き去りにされた。


「GPS反応に大分近づいてきているわ……。このままいけば、放置区域に逃げられる前に追いつけるかも……」

「あははははっ、何が充実した装備なんだか! こっちの方がよっぽど立派な車に乗ってんだっての! ……ん?」


 高笑いしていた麻里さんが、一瞬表情を曇らせる。

 そして何も言わず、スカートに挟んでいた拳銃を俺に押し付けてきた。


「なっ、何ですか!? 何で俺に銃を――」

「追手だ!」


 もう一度サイドミラーに目をやると、見えたのは遥か後方から砂煙を巻き上げて追走してくる4つの光。


「へへっ、なんだよ待ち伏せか!?」


 それを見てウキウキとした口調で言い放つ麻里さん。

 見る見るうちに追いかけてくる光が大きくなり、2台の真っ白なセダンの輪郭を暗闇に浮かび上がらせる。


「左京くん、その銃であいつらをぶっ潰してやれ!」

「えええっ!? でも俺、銃なんて撃ったこと無いですよ! それに人に向けて撃つなんて――」

なんだよ! 当たればさらに十分だ! ――来るぞ!」


 そう言うが早いか、あっという間に痛車の両サイドに白いセダンがぴったりと貼り付いた。

 左側に貼り付いた連中の方に一瞬目を向けると、運転席と後部座席に乗ったスーツ姿の男どもが短機関銃を向ける。


「うわぁぁぁぁっ!」


 直後、鳴り響く射撃音。マズルフラッシュが俺たちの車内すら眩く照らした。

 しかし放たれた弾丸は硬質音を奏でるのみで、痛車の窓ガラス一枚たりとも破られない。


「安心しろ! この車頑丈なんだから!」

「でっ、でも! 撃ち返そうとして窓開けたらやられちゃうんじゃ――」


 そう俺が言い終えるよりも早く、麻里さんは思いっきり急ブレーキを踏む。

 両脇にくっついていた白セダンはそれに反応できず、一気に


「今だ、撃てぇ!」


 ブレーキで思いっきり前のめった体が更に麻里さんの大声に押し出されるように、俺はいつの間にか下げられていた助手席のウィンドウから身を乗り出す。

 人生で初めて構えた拳銃は、想像していた物よりもはるかに重く、冷たかった。


「う……うおおおぉおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおっっっ!」


 遅れてブレーキをかけて旋回しようとする左側のセダンに向かって、闇雲にトリガーを引く。

 俺は瞬く間に頭を支配した脳内麻薬に憑りつかれ、銃声も反動も気にならなかった。


「――よしっ! 上出来だ左京くん!」


 タイヤに弾丸が命中したのか、追手の車は甲高い摩擦音をあげて狂ったようにスピンする。やがてそれは白煙をまき散らしながら、潰れかけたビルの壁面へと激突した。


「行くぞッ!」


 再びアクセルを思い切り踏み込み、痛車を急発進させる。

 だが前方を走っていたもう一台の白いセダンは、俺たちの進路を塞ぐようにハンドルを切ろうとした。


「――させるかぁッ!」


 麻里さんはアクセルを緩めることなく一気に駆け抜ける。

 しかし白セダンを横切るその刹那――麻里さんは僅かに運転席側のウィンドウを下げると、そこから一瞬だけ銃口を覗かせすれ違いざまに発砲した。

 過ぎ去った後、サイドミラーに映るは、俺が撃った車と同じ様に弧を描き、潰れた家屋のシャッターに突っ込むセダン。


「へっへーん!ざまぁねぇや!」


 右手に持っていた拳銃を無造作にスカートに挟むと、麻里さんは至極楽しそうに叫ぶ。



一方俺はというと――放心していた。


 人生で初めて銃を撃った。

 それは恐らくあのセダンのタイヤに命中して――命中したはずだ。そうじゃなきゃ、あんなふうにスピンするはずがない。はずがないんだ。

 そうじゃなきゃ――困るんだ。

麻里さんが撃った方のセダンの様に、

 そうじゃなきゃ、――




「――おいっ! 聞いてんのか左京くん! もう一台追手が来てんだよ構えろ!」

 麻里さんの怒鳴り声に、俺は一気に現実へと引き戻される。

 直後、車全体が跳ね上がる様な振動に襲われた。


「クソ野郎め……! 思いっきりカマ掘りやがったな!」


サイドミラーにまた目をやると、そこには真っ白なハイビームを照らした新手の白いセダンが、俺たちの車の後部にその顔面を突っ込ませていた。


「この野郎っ!突っ込みたきゃ自分一人で突っ込めってんだ!」


 食い付く白セダンを振りほどく様に、麻里さんは思いっきりハンドルを右に切る。

 しかし後ろに貼り付いていた車は、それを見越していたかのように今度は俺たちの左側から車体を押し付けてきた。


「うわぁぁぁ!?」

「このまま壁ですり潰してやろうってかぁ!? あぁ!?」


 激しい音と共に押し出され、右側にある長いコンクリート塀にすりおろされるように押し付けられる俺たち。

 だがそれだけでは飽き足らず、白セダンの運転席のウィンドウが俄かに開き、何かを薄闇に煌めかせた。


「美奈ぁ! そのクソ野郎の相手を頼む!」

「分かったわ!」


 俺の真後ろに座っていた美奈さんはおもむろに髪をまさぐると小型ナイフを取り出し、ウィンドウを開けっ放しにしていた白セダンの運転席目掛けて投げつけた。

 月光を浴びて一瞬輝いた薄刃は過たず運転手の眉間に突き刺さる。


「やった!」


 麻里さんは勝利を確信した様に叫ぶ。

 しかし。


「……!?」

 敵の運転席から何かが、美奈さんの方へ素早く投げつけられた。


「そんな……!?私のナイフ……!?」


 喉元にそれが突き刺さる直前、美奈さんは間一髪で受け止めた。だが、その声色に動揺は隠せない。


「くっ……!」


 返す刀で美奈さんは再度ナイフを敵の運転手へと投げつけるが、また投げ返される。

 それを三度美奈さんが受け止め投げ返し、更に隠していた別のナイフを投げつける。だが、それをまた白セダンの運転手が投げ返し、それを受け止めた美奈さんはもう一本のナイフを増やして更に投げつけ――


 宵闇の業人街で疾走する二台の車の間で、幾度となく無数のナイフの投合合戦が繰り広げられていた。さながらジャグリングの様である。


「姉さん、らちがあかないわ!」

「分かってる!左京くん、手伝ってやれ!」


 そう叫ぶと、麻里さんは助手席側のウィンドウを思いっ切り下げた。

 切り裂くような夜風が車内に吹き荒れる。

「でっ、でも窓開けちゃったら今度こそ俺たちもやばいんじゃ――っていうか人を撃っても本当に――」

「だぁぁぁうるさいっての!とっととその立派なモンぶち込めってんだぁぁぁぁ!」


 狼狽える俺の声を塗りつぶすようにがなる麻里さん。

 再びその声に押し出されるように、俺は拳銃を白セダンの運転席に向ける。美奈さんとナイフの投げ合い合戦を繰り広げるそいつの姿は、薄暗くてよく見えなかった。

 でもやっぱり――とか、本当にこんな事しても――なんてことを言うよりも早く、俺の人差し指は冷たいトリガーを勝手に引く。


「――よしっ!」


 乾いた破裂音がしたかと思うと、一瞬敵の白セダンは俺たちの車から離れる。それと同時に車の間を飛び交う無数のナイフは白セダンへの道筋を失い、宙に掻き消えていく。


 ――俺の放った弾丸が運転手に命中したんだ。



「このまま一気に駆け抜けるぞ!」

 その隙を逃さず、麻里さんはアクセルを踏みぬき、腹の底に轟くようなエンジン音を響かせる。

 だが――


「……んなっ!?」


 一瞬離れたはずの敵の車は、すぐに勢いを取り戻すと再び俺たちの車を壁に押し付けてきた。


「どうなってんだ!? あの運転手死んだんじゃねえのかよ!?」

「――はぁい、『悪女探偵 雨宮事務所』のみんなぁ☆ お元気ですかぁ?」


 鼻にかかったような甘ったるい声が疾走する車内に響く。

 見れば白セダンの運転手は、いつの間にか車内灯を付けていた。

 オレンジ色の光に照らされた声の主は、全身をふりふりのメイド服に身を包みウェーブのかかった金髪を夜風になびかせる女性だった。


「はじめましてぇ、ニコラエヴナって言いまぁす☆ ニコラって呼んでね☆ キャハッ☆」


 まるで楽しげに接客するかのように、ニコラと自称する女性は挨拶をしてきた。

 ――爆走する車の窓越しに。

 余りにも現実感のない光景に、俺は悪い夢でも見ているような気分だった。


「ニコラねぇ、悪女探偵のみんなをこの先に行かせると依頼主さんに怒られちゃうんだぁ☆ だからここでみんなにはぁ、死んでもらいますぅ☆」

「……させないッ!」


 メイド服の女――ニコラの話に割り込む様に、美奈さんがまたナイフを鋭く投げつける。

 しかしそれは、ニコラの右手の前で動きを止めた。まるで時を止められ宙に浮いているかのように。


「あぁん♡ 駄目ですよぅ、メイドさんに手を出すのはぁ、めーっ!です☆」


 車内灯に映し出されたニコラの手には、ピアノ線があやとりでもするかのように張り巡らされていた。


「あたしの大事な赤い糸はぁ、とぉーっても固くてすごいんですよぉ?ナイフも銃弾も、あたしに届かないんですぅ☆」

「――ニコラ、お喋りはそこまでにして運転に集中しろ。僕たちの仕事を忘れたのか?」


 もう一人正体不明の声。

 俄かに白セダンの後部座席が車内灯によって明るくなったかと思うと、そこには白いタキシードを着た色白で金髪の少年が、何かを構えて俺たちを見据えていた。


「なっ、なんかもう一人いますよ、麻里さん!」

「あぁ!? こっちは運転してんだ、そっちの方見れねぇんだよ!」


 そいつがウィンドウを下げて身を乗り出すと、携えていたのは映画の中でしか見たことのないような厳ついショットガン。

 疾走する車から身を乗り出しているというのに、強く風にあおられても仰け反る様子や怯む様子を微塵も見せない。


「僕らは正義の白薔薇探偵団! そして僕が所長のロイだ! お前たちはあの悪名高い悪女探偵だな? 大人しく車を止めて投降し――」

「うがあああぁぁぁ! さっきからてめえらうるっせぇぇぇぇぇ!」


 突然麻里さんは叫びだしたかと思うと、俺の手元から拳銃を引っ手繰り、白セダンに向かって滅茶苦茶に撃ち始めた。


「なっ!? おっお前ら、まずは僕の話を――」

「やっかましいんだよこのクソボケ野郎ぉぉぉ! 仕事の邪魔をするんじゃねええええ!」


 俺は即座にダッシュボードの下に頭を突っ込む様に隠し、麻里さんの放つ弾丸に当たらないよう避難する。

 連発する銃声と鼻につく硝煙の匂いの合間に、不快な破裂音が鳴り響いた。

 同時に、右側に押し付けられていた壁から俺たちの車が離れる。


「よっしゃぁ! 正義の探偵だか何だか知らねえが、てめえら一生そこで寝てやがれボケがぁぁぁ!」


 麻里さんは勝利の雄叫びを上げると、ホールドオープンした拳銃を無造作に投げ捨てる。

 俺は恐る恐る助手席の方のウィンドウから外の様子を覗くと、そこには前のタイヤが破裂した白セダンが、火花を散らして蛇行しながら大通りを走っていた。

 彼らの車はぐんぐんと速度が下がり、俺たちとの距離はあっという間に広がっていく。


「おっ、お前らぁ! 人の話をまともに聞かないなんてやはり悪人だな! この借りは必ず――って、うわぁっ!?」

「きゃあっ! 坊ちゃん危ないですぅ!」


ロイと名乗った少年は腕を振り上げ後部座席から身を乗り出したが、左右に揺れる車から振り落とされそうになる。

 二人の乗ったセダンは強烈なブレーキ音と白煙を上げ、くるくるとスピンしながら大通りの真ん中で遂に停まる。


 バックミラー越しに敵の動きが止まったことを確認した麻里さんは、もう一度力強くアクセルを踏みぬいた。

 あれだけ白セダンにぶつかられ、壁にすりおろされたというのに、悪魔の咆哮のようなエンジン音は健在だった。


「へへっ、今度こそもう動けねぇだろ!」


 そう言うと麻里さんは、戦闘の最中下げっぱなしだったウィンドウを上げる。

 ウィンドウが閉まり切る直前、遥か後方から「覚えてろよーっ!」とロイの声がかすかに聞こえたが、麻里さんは鼻で笑うだけだった。


「ねぇねぇ麻里ねえちゃん。ちょっとしかお話しなかったけど、あの人たち何だったんだろうね?」

「さあ? 、ってのは確かだね。……さてさて、邪魔者も居なくなったんだ。今度こそ仕事を終わらせるよ!」

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