第7話 誘拐決行

 その日の夜。

 俺たちは蓮司君の寝室の片隅にある、真っ暗なウォークインクローゼットの中に押し込められていた。


「あいててて……」


 切れた額がズキズキと痛む。

 貸してもらった毛布に寝転がり、何とか気を紛らわせようとするが、心は落ち着かない。

 時折寝室の外を見まわっているボディーガードたちのライトが、舐めるように寝室を照らしていた。


「次の交代まで時間あるからさ、ちゃんと寝とけよ左京くん。……しっかしとんでもねぇクソガキだぜ、全く……」


 麻里さんは悪態づきながらクローゼットの扉の隙間から寝室の様子を窺っている。

 いつ何時誘拐犯が来るか分からないため、俺と麻里さんと美奈さんの3人で寝ずの番をしているのだ。

 まだ幼いサイコちゃんは泣き疲れてしまったのか、小さな寝息を立てて横になっている。


「あんなに凶暴な子だなんて思いもしませんでしたよ……。一体彼に何があったんですかね……?」

「知らんがな。そんなこと考えたってしょうがねえんだ。あのガキに同情するだけの過去があろうがなかろうが、アタシらはアタシらの仕事をするだけだっての」


 まだだいぶイライラしているのだろうか、言葉の端々に棘がある。

 でも、その気持ちも分からないでもない。


「――ま、でもさ。これで予告状の送り主の姿がなんとなく見えてきたような気がするよ」

「蓮司君に恨みを持つ人、ですかね?」

「……私もそうだと……思うわ……ふわぁ……」


 壁に寄りかかっていた美奈さんも欠伸交じりに会話に参加する。

 彼女もまた、ぐっすり眠れた訳じゃなさそうだ。

「話を聞いただけでも……相当なお子様みたいね、あの子は。……だったら学校で同じようなことをしていても不思議じゃない。それこそ……いじめとかね」


 美奈さんの言うように、蓮司君が学校で暴れている姿が容易に想像できた。

 いや、もしかしたら学校では外面を良くしているのかもしれないけれど――それでも、泣きじゃくるサイコちゃんに暴力を振るう彼の姿は、俺たちの想像を裏付けするのに十分だった。


(――いっそのこと、ホントに誘拐されちまえばいいのに)


 そんなことすら考えてしまう。

 でも俺たちの仕事は、あの憎たらしい少年を守ること。だからそれは心の中で呟くだけに留めておいた。

 結局その晩は何も起きず、クローゼットの中で過ごした。



 護衛が始まってから数日経ったが、何も起きることはない。

 トイレに行ったり、俺たちを含む護衛の人間達が一斉に食事をとる時以外は、ずっとクローゼットの中で過ごすだけだ。

 時折クローゼットから出てくる俺たちの姿を見ては、蓮司君が騒ぎ立てる以外何もない。最初こそ煩わしかったものの、何度も文句を言われるうちに心を無にするようになっていった。

 だが対称的に、(こいつは一度痛い目にあってしまえ)という気持ちはどんどん大きくなっていく。


 そうして過ごす内に、やがて予告状に書いてあった日曜日の八時になろうとした時だった。

 初日に顔を見て以来、さっぱり様子を窺いにも来なかった市長がクローゼットの扉を叩いた。


「貴様ら起きているか?」

 厳めしい顔を妙ににやけさせながら切り出す。


「一週間ずっと見張りだけですからね。全く疲れませんよ、市長殿」

「ふん、そうか。そうだろうな。飯を食ってここでずっと座っているだけだからな」


 ――子が子なら、親も親だ。

 まだ何も起きていないとはいえ、ここまで文句をつけられる謂れはないだろう。

 というか、何も起きていないことを喜ぶべきなのに。


「貴様ら探偵屋に相談があるんだがな――誠に申し訳ないが、依頼内容を変更したい」

「……どういうことだ、おっさん」

「口を慎めと前も言ったはずだ、女狐。最初の依頼は息子を守ることだったが――このままなら何も起きなさそうだからな。依頼内容を『子守り』に変更してくれ」

「……ちゃんと打ち合わせ通りの依頼料を払ってくれるんならね」

「馬鹿を言うな。さっきも言ったが、貴様らここでだらだらと過ごしていただけだろう?そんな連中にまともに依頼料など払えるか。子守りの駄賃程度なら払ってやるがね!」


 なんて無茶苦茶な理屈だ。

 流石の俺も「そんなの変ですよ!」と言いかけたが、それより先に麻里さんが噛みついた。


「ふざけんなよおっさん。だったら他の護衛連中も同じ扱いしてんのか?」

「そんな訳がないだろう?彼らは充実した装備を持ち、十分な人数を揃え、その上外で巡回している。貴様らなど端から数合わせにすぎんのだよ」

「なんだと……!?」

「おっと、噛みついてくれるなよ?ここで事を起こせばどうなるか、そのくらいは分かっているはずだ」


 市長は庭を巡回するボディーガードたちを一瞥する。

 ……汚い男だ。


「それに子守りの駄賃程度でも払ってやると言っているんだ。それなりの額をな。このまま無一文でおめおめと帰る方が損だろう?」

「……ふん」

「そう怒るな。それにこれからも仕事を回すように便宜を図ってやる。……感謝しているんだぞ?蓮司は中々に元気な子だからな。相手をしてもらって助かったよ」


 下卑た笑いを浮かべると、市長は書類の束を麻里さんに押し付ける。


「ほら、依頼内容の変更箇所をここに書いてある。あとはお前のサインがあれば、再契約の完了だ」


 麻里さんはぐしゃぐしゃになってしまった栗色の髪の毛先をくるくる弄りまわすと、契約書を手早くぶんどった。

 乱暴にサインをし、オレンジ色のカーディガンの胸元からハンコを取りだす。


「麻里さん、本当にいいんですか……?」

「そうよ姉さん……!」

 俺と美奈さんは、縋るように声をかける。

 だが麻里さんは妙に冷静な声で俺たちを制した。


「黙ってな二人とも」


 押し付けるようにハンコをつき、麻里さんは契約書を押し返す。


「うむ、これで再契約出来たな。賢い選択だと褒めてやる」

「……おっさん、あんたやっぱり勘が鈍ってるぜ」

「何?貴様どういう――」


 市長が声を荒らげようとした直後、寝室中の窓という窓が一斉に割れた。


「――伏せろおっ!」


 次いで麻里さんの叫び声を覆い隠す様にけたたましい炸裂音が鳴り響き、室内の調度品が粉々に打ち砕かれていく。

 白煙と塵に一気に立ち込め、視界がたちまちの内に遮られた。


「なっ、なんですか!一体何がっ!?」

「うるせえ知るかよ!顔出すんじゃねえ!奥に引っ込んでろっ!」


 いつの間に手にしていたのか、メイさんから借りてきた拳銃を四方八方に撃ちまくる麻里さん。

 ――今、目の前で空想の世界でしか見たことのない銃撃戦が起きている。

 それを理解した瞬間、俺は全身に大汗を書いていることに気付いた。


「――ターゲット確保!撃ち方止め!撤退しろ!」


 視界を遮る白煙の向こうから男の声が聞こえると同時に、鳴り続けていた銃声がぴたりと止まる。

 次いで何人分もの足音が遠ざかったかと思うと、庭の向こう側で車のエンジンが鳴り響き、遠くへとかき消えていった。



「ちっ……!おいおっさん、無事か!」

「あ、ああ、何とかな……」

 クローゼットの隅に押し込められた市長がうめく。


「……おっさん、あんたやっぱりもう駄目かもしれねえな」


 室内の様子を窺うと、呆れたように麻里さんは溜息をつく。

 俺も恐る恐るクローゼットの扉の陰から見てみると――そこに蓮司君の姿は無かった。


「れ、蓮司……!」


 声をわななかせ、市長は荒れ果てた室内へと這い出る。

 ついさっきまで見せていた偉ぶった面影は、どこにも無かった。


「どういうことだ!警備の連中は何をしていたんだ!」


 寝室の外を巡回していた男たちの姿はどこにも見えない。

 ――つまり。


「おっさんが雇った連中そのものが、誘拐犯の一味だったんじゃねえかな。ま、アタシらへの依頼はあのガキの『子守り』だったからもう関係ないけど」

「ふ、ふざけるなよ!今すぐ蓮司を連れ戻せ!」

「おっと、それはアタシらへの依頼を『蓮司君を連れ戻す』という事にしたい、ということでいいんですかねぇ?」

「当然だ!『子守り』から『連れ戻す』に再契約だ!」

「へいへい、ご注文承りましたよ。でも、今までの契約書は無しです。連れ戻すために必要な経費を計上した上で、新しい契約書を用意させて頂きますんで」


 そう言うと麻里さんは、胸元から穴だらけになった契約書をこれ見よがしにひらひらさせた。

 あの銃撃戦の最中、こうなることを見越してあらかじめ契約書に銃を打ち込んだのだろう。……何て抜け目のない人なんだろうか。


「ぐうっ……!」

 悔しそうに顔を歪める市長。だが、一刻の猶予もないことは誰が見ても明らかだ。

「金ならいくらでも払うっ!だからとっとと蓮司を連れてこい!」

 悲鳴にも近い声で、彼はそう叫ぶのだった。




 屋敷の裏庭に隠れる様に停めておいたレンさんの痛車に俺たちは乗り込む。

「邪魔だからってこんな場所に車停めさせられたけど――何が功を奏するかわからんもんだねぇ」

 市長の家の前に停められていた車、その全てが大破炎上し、使えないようにされていた。

 つまり、今動けるのは俺たちだけだということ。


「さぁて、一週間暇だったんだ!思いっきり飛ばすぜ、お前ら!」

「おー!今度こそお仕事、がんばろうねっ!」

「ふ、ふふ、ふふふ……そうね……!」


 とても楽しそうに麻里さんが叫ぶと、美奈さんもサイコちゃんもそれにつられて声を上げる。

 一方俺はというと――あの憎たらしい子供が、少しばかり酷い目にあっていればいいな、とほくそ笑んでいた。


 麻里さんがエンジンをスタートさせると夜空に鳴り響く、悪魔の咆哮の様な駆動音。

 魔獣の如き黒いセダンは、悪人達を乗せて夜の業人街へと駆け出した。

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