第5話 大名商店の怪

 しばらく無言で歩き続ける俺たち。あれから麻里さんの言葉の意味を考え続けるものの、何も閃いてこなかった。

 (そういう所があるからこそ、か。……どういう意味なんだろう)

 麻里さんは俺に何を言いたかったのだろうか。


 (俺はあの男を……別に助けようとか、平等に裁こうとか、そう思ったんじゃなくて……ただ、傷だらけで倒れているから……)

 そう考えるものの、言葉にすることが出来ない。


 彼女たちの言う通り、危害を加えようとしたイカレ野郎に情けをかけてハッピーエンドになる訳じゃない、というのは何となくは分かる。

 (でもなんて言えばいいんだろう。……目の前に倒れている人間がいたら、皆そうなんじゃないのか?)

 考えは巡るばかりだ。


 「――おい、左京くん。左京くん!」

 「……へっ! あっ、はい!」

 「ぼーっとするなよ。ほら、着いたぞ。目的地だ」


 麻里さんは気さくに笑いながら、俺の背中をバシバシと叩く。


 「うわぁ……なんですか、この建物……!」


 俺たちの目の前には、何度も増改築を繰り返したのだろうか、まるで悪夢の中に出てきそうな歪な建築物が建っていた。

 二階建てのコンクリートビルから、四方八方・上下左右にバラック小屋だの、穴の開いたトタンだの、朽ちかけた鉄棒だのがにょきにょきと生えている。一部は隣のビルや家屋を取り込みかねない勢いだ。

 それらの枝には、葉のように蛍光色のネオンや点滅する蛍光灯が括りつけられている。


 しかしなにより目を引くのは、その明かりに照らされている看板である。

 「注意あるから安心」「大きくて安い」「中力ふるもと」「あなたの心に満ちる」「強力にオススメ」――等と若干怪しい日本語で書かれた薄板が、所狭しと貼り付けられているのだ。


 「……ここは大名商店だいみょうしょうてんってお店よ……。左京さんの言いたいことはなんとなく……分かるわ」

 「大仕事の前はいつもここで買い出ししてんだよ。左京くんも顔見せしておかなきゃな」


 そう言いのけると、二人は臆することなく怪しげなビルに入っていこうとする。


 ――間違いなく、俺の人生で見聞きした事象でトップクラスの怪しさを誇っているゾーンだ、ここは。どう考えてもやばい雰囲気しか感じない。


 この一か月、雑用とはいえ業人街で見てきた風景は、確かに今までの常識を覆すものが沢山あった。

 さっきの狂人もそうだし、昼間の雑用の合間にだって乱闘騒ぎや暴動を何度も見ている。

 そもそも俺は、この街に初めて来た時点でナイフを足に突き刺されるという人生初の経験をしているのだ。


 (……だけど俺の本能が、それらを上回る何かがここにあると囁いている……)


 人は、想像を超える物を目の前にすると、例えそれが無機質であってもビビるのだと骨身に染みて感じる。

 しかしここで臆して逃げ出したり、あるいは彼女達の帰りを外で待つ勇気もなかった。


 (行くしかないか……!)

 俺は意を決すると、二人の後を追いかけた。


 立てつけの悪い錆びたドアを、麻里さんが無理やりこじ開けて押し入る。

 中は薄暗く、そこかしこに並べられた怪しげなネオンライトだけがぼんやりと室内の輪郭を浮かび上がらせていた。

 ざっと見渡すと、得体のしれない瓶詰めや、奇妙な液体の入ったビニール袋、形容し難い造形の置物なんかが無造作に置かれている。

 だが、奥まったところにあるカウンターらしき場所に、店員の姿は見当たらなかった。


 「なんかやばそうな感じしますけど……。お店の人は居ないんですかね?」

 「そうだなぁ……。左京くん、ちょっと前に歩いてみ。ほれほれ」


 歩いてみ、と自分で言った癖に、麻里さんは俺の背中を押し出す。

 「う、うわっ!ちょっと何すんですか麻里さ――」


 思わず前のめり、そう言いかけた瞬間。




 「メイ婆さあああああん! お客さあああああん! お買い物おおおおお! メイ婆さあああああん! お客さあああああん!! お買い物おおおおお!」




 突如けたたましい電子音声と共に、俺の真横に置いてあった猿の生首人形が目を赤く点滅させて跳ね上がった。


 「うっ……! うおおおおわっぎゃあああああああああぁぁぁぁ!」


 店内に響き渡る俺の絶叫。

 あまりに唐突な出来事に、腰を抜かしてしまう。


 「ぎゃっはははは! やっぱりビビるよな、初めて見たら! ぎゃはははは!」

 「なななななな、何てことするんですか! めっちゃくちゃ怖かったですよ!」

 「す、すまんすまん! でも予想通りすぎて、つ、つい、笑っ、笑っちゃう……ぎゃははは!」


 ヒーヒー涙を流しながら麻里さんは笑い続ける。

 ……なんて事をしてくれるんだ。

 悪女だ。やっぱりこの人は悪女に違いない。


 「……姉さん、そろそろうっさいわよ……」

 「いや、だってよぉ、腰抜かすなんてよぉ……ぶっはは!」

 美奈さんが咎めても、笑いが止まる気配はない。

 「こんなに笑ったの久しぶりだっての! あは、あははは――」


 麻里さんが笑い続けていたその時。

 ドンッ、と体の芯に響くような重い破裂音が店内に炸裂した。


 「――お前ら、うるさいんじゃーい!」


 音のした方へ振り向くと、そこにはカウンターの向こう側で仁王立ちする少女が。

 明滅する蛍光灯に照らされた彼女の手には、白い硝煙をたなびかせる拳銃が握られていた。


 「じゅ、銃……!? いいいいいくら業人街でも銃だなんて……!」

 「何言ってんの左京くん。ここはそういう所なんだって。……久しぶり、メイ婆さん!」


 メイ婆さん、と麻里さんは呼ぶが、どうみても年端のいかない少女にしか見えない。それこそサイコちゃんと同い年にすら見える。

 青白い肌に赤く美しい長髪を這わせたその人は、暗闇でも分かる程の真紅の目を輝かせて怒鳴った。


 「人の店でぎゃーぎゃー騒ぐんじゃないよ、このバカ麻里! ……あとな、ワシはババアなんて年じゃあない。メイお嬢さまと呼ばんか!」


 声はまるっきり可愛らしい少女のそれだ。なのに口調は――確かにどこか年を食っている印象を受けるのである。


 「メイさん……。お嬢さんって年でも……ないでしょう……?」

 「余計なお世話じゃい、美奈。兎に角、婆さん呼びはやめんか」


 そう言うとメイさん――婆さんでもお嬢さんでもなく――は、しこたま面倒くさそうにカウンターに腰かける。

 ……さっき絶叫していた猿の生首人形はなんなんだとか、あの人形は思いっきり婆さん呼びしてたじゃないかとか、そもそも何で見た目少女なのに中身婆さんなんだとか、またもや突っ込み要件が溢れ出てくるがぐっと呑み込む。

 きっと業人街はそういう所なのだろう。麻里さんもそう言ってた。


 「……で、そこの小坊主は何者なんじゃ。見たこと無い顔だの」

 「うちの新しい職員さ。四戸左京くんって言うんだよ。ほい、左京くん自己紹介」

 「あ、えっと、先月から麻里さん達の所で働かせてもらっている四戸左京です。よろしくお願いします」

 「麻里の所でぇ!? そりゃお前さん、上手いこと騙されたんじゃろうな! ぬははは!」


 ――図星である。

 きっと今までにも似たようなことがあったんだろう。


 「ワシはこの大名商店の主、メイじゃ。昔は雑貨屋小町なんて呼ばれていたもんだが――今時の若い連中はどうにも礼儀がなっとらん。すぐに人をババア呼ばわりする始末よ。こんな美少女を捕まえてようも言えたものだのう!」


 そう言うと、メイさんはかっかと笑った。

 ついさっきまで怒鳴り散らした上に拳銃までぶっ放したというのに、もう笑っているとは……。何だか良く分からないが、多分すごい人だ。


 「……ん?なんじゃ小坊主。ワシのことをジロジロと見て。興味か? ワシに興味があるのか? ぬはは、小坊主だったら特別にもっと見てもいいぞ? ほれほれ」

 今度はおもむろに色目を使いだしてきた。

 感情がころころ変わるあたり、やっぱりただものじゃない気がする。


 「ちょっとちげぇーよなぁ、左京くん。何で婆さん呼ばわりされてんのに、見た目も声もガキンチョのまんまなのか気になるんだろ?」

 「だーかーらー! ババア扱いするのはやめーい! ワシャどっからどうみても、正真正銘の『美少女』なんじゃ! 『ろりぃた』なんじゃ! ほれ、人は出会って数秒で印象が決まると言うじゃろう! 小坊主、ワシを始めて見た時どう思った!? んん!?」


 再び凄まじい剣幕で問い掛けてくる。こうなってくると、もはや感情のジェットコースターだ。追いつける気がしない。


 (――そりゃあ確かに、パッと見は美少女だとは思ったけど……)

 メイさんの右手に握られた、黒光りする拳銃にちらりと目を向ける。

 (いくらうるさいからって、いきなり拳銃ぶっ放すとかいう超えちゃいけないラインを超えてる人です、なんて言えないよなぁ……)


 「ん? どうじゃ?」

 「えっ、ええ、すごく可愛らしいと思いますよ! 一目ぼれしそうな勢いでした!」

 「なぬっ! ……嬉しいこと言ってくれるのう! ぬへへ……」

 メイさんはデレデレと惚けて見せる。


 だが、麻里さんはまたも大笑いしながら話に割って入ってきた。


 「あっははは!左京くん、お世辞がうまいねえ!メイ婆さんの聞きたい言葉をすぱっと言ってくれるとは!」


 なんちゅーことを言いだすんだこの人は。こんな言い方したら、絶対に空気が悪くなるだろうに。

 俺はとりあえず愛想笑いだけしてお茶を濁す。


 「ぐ、ぐぬぬぬぬ……!」

 メイさんは見る見るうちに涙をにじませ、歯噛みした。


 ……ああやっぱり。ここで「ほら、麻里さんのせいですよ!謝ってください!」とでも言えればまた違ってくるんだろうが、やはりそんな勇気は持ち合わせていない。


 「……貴様ら、とっとと帰れい」

 「はあ!?何でだよメイ婆さん!」

 「ほーらまたババア扱いしよったっ!どうせワシをおちょくりに来たんじゃろ!そうに決まっとるわ!帰れ!かえれかえれー!フーンだ!」


 そう言ってそっぽを向いたメイさんは、そのまま小柄な体をカウンターの向こう側へ隠してしまった。


 「……違うわ、メイさん。私たち……仕事の準備があるから来たの。それに私も……メイさんは可愛い人だと思うわよ。髪のケアとか見習いたいくらい」


 美奈さんがフォローするように言うと、カウンターの陰からひょこっとあどけない顔が覗く。


 「ほんとか、美奈。ほんとにそう思うか」

 「ええ、もちろん」

 「……!そうか!そうじゃろ!フッフーン!ま、分かる奴には分かる、ということじゃな!それ見たことか、このバカ麻里!」


 歓喜の声を上げ、メイさんはカウンターから躍り出た。ぱぁっと目を輝かせ、慎ましやかな胸をこれみよがしに張りだしながら、満面の笑みを浮かべている。

 見ていて飽きない位、次々表情の変わる人だ。


「まあ冗談はさておき……仕事の準備で来たんじゃったの。どれ、今回もまた七面倒な依頼なんじゃろう?言うてみい」

「ああ、今回の依頼はだな――」


 麻里さんは手短に依頼の内容を説明した。

 市長の息子を誘拐するという脅迫状が届いたこと、しかし良く考えてみればそれは脅迫状というより予告状に近いものだったということ、そして大事になりそうだから大名商店に来たのだということ。


 「――ふーむ、なるほどのう。久しぶりにドンパチかましそうな雰囲気じゃな」

 「そうなんだよ、メイ婆さん」

 「だからババア言うな!」

 「あーゴメンゴメン、えー、その、メイさん。とりあえず用意してもらいたいのはアタシら三姉妹と左京くんの分の銃。撃てりゃあ何だっていい。あとは足だな。早くて頑丈な車を貸してくれ」


 えっ、俺も銃持つんですか?撃ったこと無いんですけど?などと思ったが、業人街はそういうことを気にしない街なんだとまた言い聞かせぐっとこらえる。


 「おーけーおーけー。ちゃっちゃと見繕ってやるわい。おーい、レン!仕事じゃーい!」


 メイさんは店の奥の暗がりに向かって声を張り上げる。

 すると、重い金属製の何かを引きずるような音が響いてきた。


 「……お呼びですか?」

 チカチカと点滅する蛍光灯の元へ新たに姿を現したのは、古びた白衣の上に何本もの鎖を巻き付けた長身で痩せぎすの男。

 彼もメイさんのように青白い肌に赤い髪である。彼女と違うのは髪がボサボサだ、という所か。


 「お呼びですかって……仕事だと言ったじゃろ、レン。あれだけ騒がしくしたというのに顔を出さんと思ったら、寝ておったな」

 「メイ様、滅相もございません。ただの仮眠でございます。最高のパフォーマンスを保つために必要な業務の一環です」


 レンと呼ばれたその男は、異様な風体でありながら努めて冷静に答えた。よく見れば、随分な優男である。

 俺の高校時代、男女問わず好かれるのはいつもこういう見た目の男だったなぁとふと思い返してしまった。


 「……おお、これはこれは。雨宮事務所の所長殿と美奈様ではありませんか。ご機嫌麗しゅう」

 「よっす!久しぶりだね、レンさん」


 麻里さんは片手を上げて気さくに挨拶を交わす。

 だが、その横で美奈さんは顔を赤くして口をパクパクとしていた。


 「あああああ、あの、お久しぶりデス……レンさん……。そそそ、そのお召し物、素敵ですね……ふひ、ふへへ」


 ――何だこの美奈さんは。

 普段は無口で無愛想、言ってしまえば感情なんてないんじゃないかって位物静かな人なのに、今まで見たことのないリアクションをしている。


 「お褒め頂き光栄です、美奈様。今回の衣装は自信作です。地上に狂気をばらまき人類を混沌に陥れたマッドサイエンティストが、神の怒りに触れたために拘束された――そんなイメージを意識してみました」

 「いっ、いいと思います……!狂気を束縛するはずの鎖が、むしろそのケオティックな雰囲気を増強している感じと言いますか、いわば古典をひねくりまわして稚拙にした感じをあえて演出した感じが――」


 何を言ってるんだこの人は。

 分かりそうで分からない、不可思議な暗号でやり取りをしているようにしか見えないぞ……。

 美奈さんは、この一か月で俺と話した量をはるかに上回る勢いでまくしたてた後、「ふへへ、ふへっ」と満足げによだれを垂らした。

 ……俺の中で美奈さんの印象が変わったのを認めなければいけないだろう。


 「で、そちらにいらっしゃるお坊ちゃまは――雨宮事務所の新人、四戸左京様ですね」

 「えっ、何で俺の名前を……?」

 「そりゃあわたくし、メイ様に自己紹介するのを聞いておりましたから。初めまして左京様。わたくし、メイ様の助手をしております、レンと申します」


 そう言うと、レンさんはにっこりと笑って見せた。

 男の俺でも惚れ惚れするほどの眩しい笑顔である。


 「おいちょっと待ていレン。何で寝ておったお前が小坊主の自己紹介を聞いとるんじゃ?」

 「ですから仮眠です故。意識ははっきりとしているのです。それならば聞こえていたとしても、何もおかしくはないでしょう?」


 仮眠ってそういうものか……?

 なんだか見た目も相まって、大名商店の人たちは人間の常識や概念からかけ離れている様な気がする。


 「はぁ、何を訳の分からんことを言っておるのやら……。こんなのが助手だもんで、ワシも疲れるんじゃ……」

 メイさんは深く溜息をつくと、手元のメモ帳を破り取ってレンさんに押し付けた。


 「ほれ、ここに書いてあるもんをこいつらに用意してやってくれい」

 「……生憎ですがメイ様。お車はすぐに準備出来るのですが……銃の方はですね……」

 「なんじゃ?何か問題でもあるのか?」

 「先日、大口の注文がございましたでしょう。あの時ほとんどの銃を払い出しております故、残るのはわたくしとメイ様の護身用拳銃、2丁だけでございます。」

 「あー……そうじゃった……」


 メイさんは申し訳なさそうに俺たちの方へ振り向き、おずおずと切り出す。

 「すまんのう、今レンが言った通り、銃の方は2人分しか用意出来ん。……それでも構わんか?」

 「だーいじょうぶだってメイさん。いつも世話になってんだからさ、問題ないっての。代わりに車はいい奴を用意しといてくれよな!」

 麻里さんは気にも留めず、いつものように朗らかに笑った。


 「もちろんだ。レン、表にスペシャルな車を回しておいてくれい」

 「承知しました、メイ様」

 レンさんは鎖を引きずりながら、暗がりの奥へと姿を消した。


 しばらくすると、建物全体が急に振動をはじめ、あちこちから謎の駆動音が鳴り響く。今にも大名商店が崩れそうな勢いだ。

 「なっ、なんなんですか!?」

 「安心せい小坊主。地下に車庫があるもんでな、引っ張り出してるだけじゃ。ほれ、表に行くぞ」




 店の外へ出ると、月明かりに照らされた黒く大きなセダンが白い排気ガスを吹きあげて俺たちを待ち構えていた。


 「おぉ、すごいね。結構いい車じゃん?アタシがこれ運転してもいいんだ!やったー!」

 「ぬはは、嬉しそうだの。ウチに今ある中では一番立派な車じゃ。ちゃあんと防弾仕様にしてあるから安全面もばっちりじゃ。……ん?」


 突然メイさんは怪訝そうな表情を浮かべると、セダンの周りをくるくると走り回る。


 「な、なんじゃ……。訳の分からん文字だの羽根だのがついておるぞ……?ああっ、変な絵まで描いてある!こ、こりゃどういうことじゃ、レン!」


 薄闇によくよく目を凝らしてみると、光沢のある車体には、人の形にも見える奇妙なイラストや解読不能な象形文字が描かれていた。

 ボディから突き出るように大きなパーツも設えられていて、丁度天使の羽の様にも見える。

 ……こんな車が街中を走っていたら、さぞ目につくことだろう。


 「少し前にわたくしの方でちょっと改造しておきました。そうですね、名付けて天籟テンライと申しましょうか。天籟テンライとは天からの声、自然の息吹という意味でございまして。車体に描かれた古代天使文字には、堕天使たちに今一度神が授けてくれた早馬としての――」

 「そんなことは聞いておらーん!このバカレンが!商品になんちゅうことをしてくれるんじゃ!!これではただの痛々しい車じゃー!!!」


 顔を真っ赤にしてレンさんに殴りかかるメイさん。しかし圧倒的身長差のせいで、彼のお腹をポコポコと叩くことしか出来ていない。

 そんな喧騒をよそに、麻里さんは運転席へと乗り込んだ。


 「まっ、あたしはちゃんと運転できれば良いんだけどさ。ほら、美奈も左京くんも乗った乗った。そろそろ帰るよ」

 「あっ、はい」


 麻里さんに言われ、俺は助手席へと乗り込む。「別に後ろの席でもいいのに」と麻里さんは言ってくれたが、なんとなくそれは気が引けた。


 「おーい、美奈ー。早く乗れってのー」

 車の正面にいる美奈さんに呼びかけるが、返事は無い。

 「ふへっ、ふへへ……。きっとこの古代天使文字には堕天使たちの再起の物語が……」

 「あちゃー、今日はいつも以上にトランス入ってやがるな……」


 ゆるふわな髪の毛をぐしゃぐしゃとかき上げると、麻里さんはクラクションを景気よく鳴らす。


 「わひゃっ!?……姉さん、驚かさないでよ……」

 「お前がぼんやりとしてるからだろうが!明日は朝から忙しいんだから、早く乗れって!帰るぞ!」


 美奈さんは気恥ずかしそうな表情を浮かべると、そそくさと後部座席へ乗り込む。


 (きっとこういう中二病チックなものが好きなんだろうなあ……)

 俺自身、そういう天使とか悪魔とか転生とか、そういったものにあこがれていた時期があるからよく分かる。そしてそういうのは、大体あとから思いだして恥ずかしくなるものなのだ。


 「ほんじゃメイさん、車借りていくぜ。代金はいつも通り依頼が終ってからで。今夜はありがとうな」

 麻里さんが運転席の窓を開けて呼びかけると、息を切らしてメイさんが飛んできた。


 「す、すまんかったの……。後はほれ、注文の拳銃と弾薬じゃ。忘れていくでない」

 「おー、そうだった。サンキューな」

 麻里さんは黒光りする自動拳銃と弾薬の詰まったリュックサックを受け取る。


 「その拳銃にも私が意匠を凝らしております。光をもたらす銃、凌晨リンチェンと言いましてね。ああ、人類の住む下界では確かマカロフという名で――」

 「うがー!お前がしゃべると面倒なことになるんじゃい!ちぃと黙らんか!」

 「ははは、相変わらずだねぇレンさんは」

 「はぁ……ほんとに面倒な奴じゃよ……」

 心底呆れたのか、空気を吐き出すようにメイさんはうめく。


 だが急に真面目な顔つきになったかと思うと、おもむろに車内に顔を突っ込んできた。


 「――時に麻里よ。今回のお前さん達の依頼の件じゃがのう。確か市長の息子を誘拐する、と予告状が来たんじゃったな?」

 「ああ、そうだけど。さっき説明した通りさ」

 「……ワシの勘じゃがな。重要なのはなんじゃなかろうか?」

 「……つまり?」

 「予告状の送り主にとって市長はさほど問題じゃあない。それよりも生きたまま市長の息子を捕らえる必要がある、だから誘拐しようということだと思うんじゃよ。殺してしまっては元も子もないんじゃろうな」

 「うーん、言わんとすることは何となくは分かるけどよ……。じゃあ実際にそうだとして、わざわざ予告状を送った理由は何だと思う?」

 「うぅむ……」


 メイさんは白く細い腕を組んで考える。


 「その問いの答えにはなっていないんじゃがな。気がするんじゃよ」

 「つ、繋がるっていうと……どういうことなんでしょう?」


 前々から気になっていた部分だったため、思わず俺は口を挟んでしまう。


 「送り主の立場になって考えてみるかの。……もし予告状を送れば、市長はまずどうすると思う?小坊主よ」

 「えっと……今回麻里さん達に依頼したみたいに、息子を守るために色々動くんじゃないでしょうか?」

 「そうさな。……恐らく予告状の送り主は、んじゃろう」

 「守らせたい……?それって、誘拐しようとしているのに矛盾してませんか……?」

 「いえーす。その通りじゃ。その矛盾こそが、お前さん達への依頼の核心部なんじゃろうよ」


 メイさんはにやりと笑い、頭を引っ込めた。

 薄青い月明かりの元、白い肌に真紅の長髪を携えた彼女は、どこか別の世界の住人の様だった。


 「まっ、見た目は「ろりぃた」じゃが、年の功っていうのもあるからの。割と良い線行ってると思うぞい」

 「あははっ!普段は年寄り扱いされたくない癖にこういう時だけ年を主張するのかよ、メイ婆さん!」

 「他人にババア呼ばわりされたくないだけじゃい!あとちゃっかりババア言うな!」

 「ゴメンって。……でもどうしたんだよ。急にアタシらの依頼を手助けする様な真似なんてさ。いつもなら売るもん売ってさっさと帰すのに」


 からかうように麻里さんがそう言うと、メイさんは恥ずかしそうに頬を掻いた。

 そして申し訳なさそうに、たどたどしく言葉を紡ぐ。


 「その、まぁ、なんじゃ。せっかく来てくれたのに、レンの所為で変な車を貸してしまったし、銃も必要な分揃えられなかったから、この位は、な」

 「おや、わたくしをお呼びで?」

 「だぁぁぁっ!貴様は黙っとれぃ!……あとは何じゃ、普段このバカ男と二人っきりじゃからのう、人寂しいというか……。その、なんじゃ、もしよかったら来てくれてもいいんじゃぞ……小坊主よ……」



 ……へっ?



 「お、俺ですか……?」

 「うむ……。何だかんだでワシを褒めてくれたしのう……。あれじゃ、今回の仕事が終ったら顔でも見せに来い。茶菓子の一つくらい……用意しておいてやる」


 それだけ言うと、メイさんは顔を真っ赤に染めて大名商店へと走り去ってしまった。


 「ふふふ……。良く分かりませんが見初められたのかもしれませんね、左京様。この下界では……そうですね、あなたのことを眷属とでも呼ぶのでしょうか」


 後に残されたレンさんは運転席の窓から俺の顔を覗くと笑いかけてくれた。だがその口元には、細く鋭い牙が見えた様な気がした――。


 レンさんお手製の痛車を走らせ、大名商店を後にする俺たち。

 麻里さんは終始狐につままれたような表情で、「次からは左京くんも連れて行く必要があるのか……」とぼやくのだった。

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