第4話 業人街の夜
「――で、どんな所が変なのか分ったかい、左京くん?」
淹れたてのミルクティーを片手に啜りながら、麻里さんは楽しそうに言う。
カップを片手に――時折口につけながら――よく忙しく書類の山をあちこち探せるものだと素直に感心した。
「はい。今回の依頼で一番奇妙な点は、市長にわざわざ『あなたの息子を誘拐します』と宣言していることです。恐らくこれは脅迫状じゃなく、予告状なんだと思います。……もし……もし、市長を失脚させようとしているのなら、犯人はわざわざこんな予告をせずに最初から市長の息子を誘拐した方が確実なはずです。……そんな所でしょうか?」
恐る恐る言い終え、麻里さんの方を見ると、満足げな表情を浮かべてソファーに深く腰掛けていた。
「うん、良い線を行ってるよ左京くん。アタシの考えていたことをズバリそのまま言い表してくれたな。見事、実に見事だ。これでこそ雇った甲斐があるってもんだね」
実に嬉しそうに麻里さんは言う。
「何もヒントを教えていなかったのに、よくここまで考え付いてくれたな。素晴らしいよ」
「いえ、実は俺がそっくりそのまま思いついたわけじゃないんです……。さっきサイコちゃんにヒントを貰って一緒に考えて、ようやく思いついたようなもので……俺の発想なんかじゃ……」
「ふむふむ、そうか。それならそれでいいんじゃないか?探偵たるもの、使える物は使ってなんぼさ」
何か怪訝な顔をされるんじゃないかと思っていただけに、麻里さんの一言は予想外だった。
嬉しそうに彼女は続ける。
「それじゃあ次の謎解きだ。……今度はアタシにもわかんねーんだけどな。今回この『予告状』を送って来た犯人って、一体どんな奴だと思う?」
「えぇっと……」
矢継ぎ早に繰り出された質問にすぐに答えられず、たじろいでしまう。しかし麻里さんはそんな俺の様子など意に介さず、楽しそうに頭を捻っていた。
「わっかんねーんだよなぁ。今までの市長の依頼をひっくり返してみても、敵対する組織だのなんだのはあらかた潰し終えてるんだ。今更楯突こうっていう奴らなんざ大して思い浮かびもしねぇ」
「でもやっぱり……市長の言う通り、スキャンダルを狙う人間なんじゃないですか?市長に早く消えてもらいたいっていう連中が、完全にいなくなったわけじゃないんですよね?」
そう言うと、途端に麻里さんは難しそうな顔をした。
「その通りさ。業人街の市長に消えてほしいと思ってる連中はまだちらほらいる。だけどな、もしそういう連中が本当にそうしようとしたら――君がさっき言ったように、予告状なんて送らずに手っ取り早く事を済ませるはずなんだ。いや、それどころか息子を狙うんじゃなくて市長自身を消そうとするだろうよ」
そう、そうなのだ。市長に敵対する理由が、失脚を――もっと言えば消えてもらうことを狙っているのならば、わざわざ息子を狙うんじゃなくて市長本人を狙ってしまえばいいのだ。
では何故、この予告状を送って来た人間は回りくどい真似をしているのだろうか?
「うーん、考えても仕方ねぇや。明日は朝から仕事だからな、考え事は後回しにして買い出しにいこうか」
「こんな夜に買い出しっていうと……着替えとか身の回り用品の用意ですか?」
「何言ってんのさ。多かれ少なかれ、業人街の市長サマの子供を守るってなれば血を見る破目になるんだ。……戦争の準備をするんだよ」
「せっ、戦争……!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
しかし麻里さんは相変わらず楽しげに笑うばかりだった。
外に出ると、夏の涼しげな風が吹いていた。
普段ならば塵や光化学スモッグで薄汚れた空も、今日ばかりは満天の星空を見せてくれた。
これが業人街で見る夜空でなければ、いくらかは心が躍ったであろうか。
「やっぱり夜に外出るのは……何度経験しても怖いですね……」
「だから大丈夫だっての、なんとかなるからさ。いつも通り大船に乗ったつもりでいなよ」
「はぁ……」
「それに美奈もいるんだ、賑やかでいいだろう?」
そう言って笑う麻里さんと対照的に、一緒に買い出しについてきた美奈さんは無言だ。
ささやかなフリルのついた黒いワンピースだけ着た美奈さんの姿は、夏とはいえ少し寒そうでもある。
(絶対必要になるから美奈さんを連れてこいって言ってたけど……大丈夫かなぁ?)
そんな俺の懸念などどこ吹く風、麻里さんはそよそよと吹く夜風にゆるふわパーマをなびかせて颯爽と歩きだす。その後ろを、美奈さんがぴったりとくっつくように付いていった。
「あ、ちょ、待ってくださいよー!」
ここで今はぐれれば、間違いなく命は無いだろう。
今まで何度か麻里さんと一緒に、買いだしのために夜出歩くことはあった。街のごろつきや怪しげな連中に彼女の顔はとっくに知れ渡っているのか、道を歩けば大半の人間が端へと避けた。
しかしごくごくたまに、怪しげな呪文とも電波とも判別のつかない言葉を羅列するジャンキーだか狂信者だかが襲い掛かってくることはあった。だが、麻里さんはいとも簡単にそいつらを投げ飛ばし、追い返してしまうのである。
だから彼女と一緒に居れば安全、というのは確かなことではあった。
「で、でもやっぱり……美奈さんも一緒で大丈夫なんですか?もし何かあった時、俺と美奈さんのことを守れるんですか?」
失礼は重々承知、しかし命が掛かっているとあれば、それを訪ねずにはいられなかった。
麻里さんは確かに大の男が裸足で逃げ出すレベルの怪力の持ち主で、凄まじい戦闘力を誇るスーパートンデモ人間だ。
だが、彼女の後ろをついて歩く美奈さんは、どう見ても可憐で慎ましやかな少女にしか見えないのである。
戦力にならなさそうな人間が二人もいて、果たしていつも通りに何事もなく終えられるのか……。
とてつもなく心配だった。
「あー、そんなこと考えてたのかい左京くん。はははっ、美奈!お前も誰かに心配されるようになったんだなぁ!」
「姉さん、うっさい……」
「拗ねんなよぉ、愛しき我が妹よ」
麻里さんは愛おしげに妹の後ろ髪をくしゃくしゃと撫でてやる。
いささか不満だったのか、あるいは恥ずかしかったのか、美奈さんはその手を乱暴に振り払った。
「左京くん、今日行く所はちょいと面倒なんだ。だから美奈に同行してもらったって訳。それに、こいつがいればアタシも大分楽できるからねぇ」
「楽できる?」
「そう、楽。実は美奈ってな――」
麻里さんがそう言いかけた時、俺たちの歩く道の反対側に投げ捨てられていた、壊れた冷蔵庫の中から何者かが恐ろしい叫び声と共に飛び出してきた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!アガペー!アァァァァァガァァァァァァアアァァァペェェェェエェェエエェェ!きっちょむ、きっちょむ!!!!!」
出てきたのは、理解不能な言葉を叫びながら悶える痩せこけた男。半裸の体の上に、継ぎ接ぎだらけの白く薄いマントを羽織っている。
「神のっ!!!かぁぁぁぁぁみぃぃっぃぃぃのおおおぉぉぉぉ!アァァァァッセンションンン!!!!愛を証明するうううぅぅぅぅぅ!」
百点満点疑う余地なしの狂気を纏い、男は懐からさび付いた包丁を取り出すや否やおもむろに俺たちの方へ駆け出してくる。
「まままままま麻里さんっ!あれやばいです!明らかにやばいやつですって!」
「見りゃ分かるよ。ほい、美奈、今回は頼んだ」
能天気にそう言うと、麻里さんは髪をくるくると弄りながら後ろへと引っ込んでしまう。
「……仕方ないわね」
美奈さんはけだるい声でそう言うと同時に、突っ込んでくる狂人の方へと駆けだした。
「み、美奈さんっ!?」
一息つく間もなく、二人の距離が一気に詰まる。
男の包丁が美奈さんの腹をえぐり取ろうとしたその瞬間――
「――シャァッ!」
空気を切り裂くような、凛、とした掛け声と共に、美奈さんの右足が目にも留まらぬ速度で男の包丁を蹴り上げる。
天高く放り上げられた得物はくるくると回転しながら落下し、硬質音を響かせてコンクリートの上を滑った。
「なっ!?こっ……この不信心者めがぁああぁぁぁぁぁっ!」
一瞬狼狽えた男は、すぐさま美奈さんに掴みかかろうとまた襲い掛かる。
しかし――
「――シッ」
次の瞬間、美奈さんは思い切り頭を振るい、黒いロングヘアを宙になびかせた。
そうかと思うと、たちまち男の全身から血が吹き上がる。
「アッ!?アアァァッ!?グアアァァァッ!」
素っ頓狂な悲鳴を上げて転げまわる狂人。美奈さんは、その様子を努めて冷静に見つめていた。
「み、美奈さんのあの髪って……!」
俺は目の前の光景に目を疑い、震える手で美奈さんのなびく髪を指す。
――そこには、豊かな黒髪に括り付けられた、無数の小型ナイフが月明かりに照らされ夜風に揺れていた。
「すごいだろ?あれ、毎回自分でセットしてるんだってさ」
いきなり見せたあの足技はなんだとか、どうやって髪の毛にナイフをセットしているんだとか、そもそも何でそんなことをするんだとか、一気に疑問が湧き上がる。
だがその回答を得る前に、麻里さんは口笛交じりに美奈さんの方へ歩み寄っていく。
「お疲れ、美奈。久しぶりに見たけど、あんたやっぱりすごいわ」
「……別にそんなことは……ないわ。よく分からないうちに不信心者扱いされたのが、少し癪に触っただけよ」
「はははっ、あんたそういうの嫌いだもんねぇ。流石は我が愛しき妹よ」
麻里さんはけらけらと笑うと、また美奈さんの髪をくしゃくしゃと撫で付けた。
……ナイフがぎっしり仕込まれているというのに、怖くないんだろうか。
「姉さん、こんな所で油を売っている余裕なんてないわ……。お店がしまっちゃう前に……行きましょう……」
「おっ、そうだな。左京くん行くぞー」
そう言うと二人はすたすたと歩いていってしまう。
「あっ、ちょっ、二人とも待ってくださいよ!……この人放っておいたまんまでいいんですか?」
俺の傍らには、全身から血を流してうずくまる男がうめき声をあげていた。
「このまま放っておいたら……その、死んじゃうんじゃないですかね……」
「……別に放っておけばいいのよ。大した傷じゃないだろうし、むしろちょっと血が抜けて頭が冷えたんじゃない?……それに……死んだところで何だっていうの?」
「え……?」
こちらを一瞥し、美奈さんは冷たくあしらう。
「いや、その、流石にそのまんまにして死なせるのはまずいんじゃないですかね……?そりゃいきなり襲い掛かって来た不審者ですし、ズタボロになってもしょうがないかなとは思うんですけど……。警察とか、病院に連絡した方がいいんじゃないかなって――」
「左京くん、何言ってんだ?」
前を歩いていた麻里さんが立ち止まり、俺の言葉を遮る。
だがその声色は、いつもの様なおちゃらけたり余裕を含ませたものではない。重く、張り詰めた声だった。
「そいつを助けたとして――どうにかなるものじゃないんだよ。見たところとっくにイカれちまってんだろ。助けたって、また誰か襲うか、返り討ちにあって死ぬだけさ。それに警察だの病院だのそんなもの、業人街じゃこういう手合いは相手にしてくれねぇよ。見限られてんだ」
麻里さんの水色の瞳が、射抜く様に俺を見据える。
「そんなのって……」
「なあ左京くん、一つ聞くけどよ。何でこいつを助けてやろうと思ったんだ?可哀想だからか?それとも万人には法の裁きを受ける権利があるからか?」
「いえ、その」
「考えなしにどこかで聞いたようなセリフを吐くんじゃないよ。……ああでも、そういう所があるからこそ、なのかもしれないけどね」
それだけ言うと麻里さんは、「ほれ、考えてもしょうがねぇんだから行くよ」と話を切り上げ、また歩きだす。
俺は薄暗く、もやもやとした感情が首をもたげるのを押さえ付け、彼女達の後を追いかけた。
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