FirstMission 『礼儀正しい誘拐犯』

第3話 奇妙な『脅迫状』

 『悪女探偵 雨宮事務所』で働き始めて一か月が経った頃のことだった。

 掃除や食事の準備、買いだしの手伝いなんかの雑用をこなしていた俺に、麻里さんは客との商談を見ておくように言いつけた。

 雇われてからこの一か月、探偵らしい仕事を彼女たちがしているのを見ていない。


 美奈さんとサイコちゃんは、業人街の外にある結構大きな学校に通っているらしい。だから学校が休みの日でない限り事務所で夜以外に会うことは無い。

 所長の麻里さんは「もう学校なんかちょっと前に卒業しちまったし」と言って、日がな一日寝ていたりラジオを聞いたり、そうかと思えばたまに外へ出かけてゆるふわな服を買って帰ってくるのだった。


 この街には不釣り合いな位に綺麗な服をいつも着ているものだから、不思議に思い聞いたことがある。

 「どこでそんな服を買ってくるんです?」

 「これも業人街の外さ。学校があるあたりには結構綺麗なデパートが並んでんだ。戦争だなんだで国が半分ぶっ潰れちまってても、物があるところにはあるもんだよなぁ。羨ましいよ」

 「でもそんな所で美奈さんとサイコちゃんは勉強してて、麻里さんは買い物してるじゃないですか」

 「そりゃ君、アタシらがこんな仕事してるからだっての。汚ねえし危険できつい仕事さ。だからそんな所に足を運べる程度には金が入るんだよ。アタシは適当に学校卒業しちまったけど、美奈とサイコにはちょっとくらい真っ当な道を進んでほしいしなぁ」


 麻里さんはそう言うと嬉しそうに笑った。

 口が悪くなるのさえ除けば、この人本当にかわいいんだけどなぁとつくづく思う。



 その大柄な訪問客の男は、夜も深まった頃にやって来た。

 この業人街で深夜に出歩く者など、頭がイカれた連中か、あるいは権力や金で暴力を支配することが出来る人間だけだと麻里さんは教えてくれた。

 パリっと糊のきいた幅広なダークグレーのスーツを着込み、屈強なボディーガード達に自身と彼の妻を囲わせている初老の依頼客は、明らかに後者だった。


 麻里さんは客から受け取った『脅迫状』なるものを流し読みしながら言う。


 「――つまり、お宅の息子さんの誘拐を『未然に防ぐ』のがアタシ達の仕事だと。そう言うことですね、市長殿」

 「その通りだ。全く、『来週の日曜の夜八時に貴方の息子を誘拐しに行きます』などと……。馬鹿正直に訳の分からぬ妄言を吐く人間がいるなんてな。困ったものだよ」


 市長、と呼ばれた男はわざとらしく咳払いして見せる。

 俺はテーブルを挟んで商談を続ける二人を、応接室のドアの前で見守っていた。

 麻里さん曰く「どういう人間達が仕事の依頼に来るのか勉強しろ」ということだったが、まさか最初の仕事がこんな人からくるなんて思いもしなかった。


 「全くですなぁ。いやはや、早くそういう悪党どもをこの街から追い出しちまって下さいよ市長殿」

 麻里さんは随分と余裕そうだ。すっかり癖になっているのか、あるいは市長相手でも慣れたものなのか、厳ついボディーガードたちを前にしても全く悪びれることなく指で髪の先をくるくると弄りまわしている。


 「ああでも、アタシ達は見逃して下さいな。金を積まれれば裏切ることはありませんので」

 「勿論、お前らがどういう人種なのかは心得ているよ。それもこの依頼をきっちり成し遂げてくれるかどうかにかかっているが――」

 「ねぇ貴方。本当にこんな怪しい連中を信用して大丈夫なの?」

 悪趣味な金色のネックレスや、奇妙な造形の指輪をこれでもかとはめた市長の妻が訝しげに麻里さんを睨みつける。


 「ふん、この街の中じゃあお宅さん達の元で働いている警察や治安部隊なんぞよりよっぽど仕事に真摯だと思いますがね、アタシ達は。賄賂や恩を売って薄汚ねえ事してるくせに、大手を振って歩ける連中とは違うんだ。色んな意味で、金で動く人間ってのは随分と利口だって事を覚えておきな、奥さん」


 挑発的に言い終えると、麻里さんはわざとらしく欠伸を一つつく。市長の奥さんは、忌々しげに唇をかんでいた。


 「それになぁ。お宅の旦那さん、業人街とはいえ市長だろ?そんな人間が脅迫受けてて、しかも身内が狙われてます、だなんて大っぴらにするのは面倒な話になるだろ?だからアタシらみたいなのにスポットライトが当たるんだろうが」

 「それは……確かにそうかもしれないけど……」


 そんな二人のやり取りを見ていた市長は、周りのボディーガードにも負けない位厳めしい顔つきで、不敵に笑う。


 「貴様らは使いどころを間違えねば有用なのは良く分かっているさ。生半可な傭兵や金で動く連中よりも使える人間なのも分かっている。だからとにかく、息子の警備は今すぐから頼みたいんだが」

 「申し訳ないなぁ市長。もうこんな時間ですし、まともに準備もしていないんだ。せめて明日、日が昇ってからでも良いですかねぇ?」

 へらへらと笑いながら麻里さんはそう言ってのけた。


 「本当にこの脅迫状通り、次の日曜の夜八時に来るとは限らないんだぞ?分かっているのか?」

 「ええ、ええ。分かっていますとも。もしかしたら脅迫状の送り主が遅刻して

 「ふざけているのか?女狐め」

 「いいえ、ふざけてなど。とにかく時間がありませんので、今日はこの辺りでお引き取り願えますかね?明日の朝には市長殿のお宅にむかいますので」

 「……ふん。これ以上こんな薄汚い所にいたのでは、鼻が利かなくなってしまうのでな。失礼する」

 「それは失礼。次にいらっしゃる時は近くの花売りから花を買っておきます。勿論、市長殿のお好みのものをチョイスして」

 売り言葉に買い言葉。しかし互いにそれ以上言葉を被せることはせず、会話は早々と切り上げられた。


 市長はソファーを立ってドアの前にいる俺を睨みつける。俺が慌ててドアを開くと、彼はドスドスと床を踏み鳴らして足早に去ろうとした。

 その時だった。


 「ああ――一つ聞き忘れておりましたよ、市長殿」

 麻里さんは相も変わらず髪の毛を弄りながら声を張り上げる。

 「……なんだ、探偵屋」

 「今回のご依頼ですが、そもそもどうしてお宅の息子さんが狙われるんです?何かお心当たりはあるんでしょうかねぇ?」

 「そんなもの決まっているだろう。いずれ国政選挙へ出る私を蹴落とすためのスキャンダルを仕掛けているに違いない。貴様もさっき自分で言っただろうが、大事に出来ないからこうやってわざわざ足を運んでいるんだ。探偵屋の癖にそんなことも思いつかないのか?」

 「これは失礼、おっしゃる通りだ。いやはや流石市長殿、業人街を取り仕切るだけのことはある。勉強にさせてもらいます――ってな」

 そう言うと麻里さんは軽やかに笑って見せた。

 市長は舌打ちをすると、更に強く床を踏みしめながら、荒々しく玄関のドアを開けて閉めずに出ていった。




 「麻里さん、あの人って業人街の市長さんなんですよね?あんな喧嘩腰で大丈夫だったんですか?」

 「長い付き合いだから問題ないよ左京くん。大っぴらにできない面倒事の処理はウチに頼むしかないってのを、あのおっさんは良く分かってんだ。だから市長なんて座までのし上がれてきたんだぜ?」

 「そういうもんなんですかね……」

 「そういうもんさ。この街じゃ綺麗なまんまじゃ喰われちまうし、真逆でも目の敵にされちまう。その辺りのバランス感覚はよく取れてんだ、あのおっさんは」


 そう言うと麻里さんはすっかりぬるくなったミルクティーを一気に飲み干し、空になったティーカップを俺に差し出す。それを受け取った俺は特に何も考えず、応接室を出ようとした。


 「――だけどあのおっさん、勘が鈍っちまったのかもな」


 麻里さんが溜息交じりにそう呟く。

 「えっ?どういうことですか?」

 「そうだな。じゃあ左京くん、皿洗いしながら今回の依頼の変な所を考えて来てくれ」

 こちらをちらりとも見ずに、彼女はひらひらと手を振って雑多な書類をひっくり返しまわる。もう少しどういうことなのか聞こうかと思ったが、麻里さんはもう俺のことなど眼中にないのか、忙しそうに部屋の中を荒らすばかりだ。


(変な所、か……。なんのことやら……)

 洗い物をキッチンに運ぶ傍ら、先程までの商談を何度も頭の中で反芻する。


 業人街の市長の元に脅迫状が届いた。

 内容は彼の息子を誘拐する、というメッセージだ。ご丁寧に曜日と時間まで指定してある。

 市長は近いうちに国政選挙に出馬しようとしていて、脅迫状の送り主はそれを妨害するためにスキャンダルを仕掛けようとしている。

 だから市長は雨宮事務所に、麻里さんに仕事を頼んだ。

 

 以上が今回の依頼の流れだけど、特段変な所を感じない。でも、麻里さんは何かこの依頼に確信を抱いているようだった。

 悶々としながら流し場でティーカップや小皿を洗っていると、サイコちゃんがとことこと近寄ってきた。


 「左京にいちゃん何してんの?」

 「あ、えーと、お皿洗いしてるだけだよ」

 「そっかー。ねぇねぇ、サイコもお手伝いしてもいい?」

 「い、いや、別に大丈夫だよ。ほら、流し台高いし、サイコちゃんが落ちて怪我しちゃったりしたら危ないし……」


 俺はしどろもどろになりながら、サイコちゃんとの会話をうやむやにする。

 あの性格というか、人格の豹変ぶりを見てから何となく彼女に苦手意識の様な物を持ってしまった。見た目は年端もいかない少女だというのに、何が潜んでいるか分からない不安定さが近寄りがたいのだ。

 もちろん彼女はそんな俺のことなどお構いなしに、ぴょんと飛び跳ねて流し台によじ登る。


 「うわわ、危ないよサイコちゃん!」

 「えへへー、平気だよ左京にいちゃん!いっつもこうやって麻里ねえちゃんと美奈ねえちゃんのお手伝いしてるんだもん」

 「そ、そうなんだ。でもほら、俺もここで働かせてもらってるからさ、俺が一人でやるよ。サイコちゃんには今度手伝ってもらうから――」


 そう言いかけた時、サイコちゃんは俺の首筋目掛けて流し台から飛び立った。

 軽い衝撃と共に、ふにっとした柔らかい細腕が俺の首に巻き付く。洗い物の洗剤の匂いに混じって、温かいミルクの様な香りが漂った。


 「それじゃあ左京にいちゃんで遊ぶ!ヒマなんだもん!」


 屈託のない笑顔でキャッキャッとはしゃぎながら、サイコちゃんは俺の頭を撫でたり、匂いを嗅いだり、小さな手の平で俺の頬をぶにぶにとひっぱったりする。

 彼女は紛うこと無く、幼い女の子なのだ。俺が考えている様な不可思議な人格など目に見えてこない。そう、見えてこないはずなのだ。


 「――おりょ?左京にいちゃん、何か悩んでいるの?」


 一瞬、心臓が強く飛び跳ね、全身の血が凍ったような感覚に襲われた。

 (待て待て……。サイコちゃんが俺の心を見透かしたわけじゃないだろう……)

 そう自分に言い聞かせ、努めて平然な振りをしながら答える。


 「ううん、別に何も。大丈夫だよ」

 「ホント?ホントにホント?何かお仕事でわかんない事あるんじゃないの?サイコこっそりお話聞いてたけど、難しそうだったよ?」


 サイコちゃんは俺の背中をよじ登り、ほっぺたをくっつけながら俺の顔を覗き込んでくる。ああ、この三姉妹は人の顔を覗き込むのが癖なのかな――と一瞬考える。

 だがサイコちゃんの瞳がまたしても深く暗い光を湛えていることに気付いた時に、そんなおちゃらけた思考は一気に吹き飛んだ。


「貴公は先般の依頼の件で悩んでいる。そうだろう?そうに違いないのだろう?我には手に取るようにわかるぞ。くふふっ」


 ――まただ。また彼女の『中身』が入れ替わった。


 だが以前見た時とは若干性格が違うようだった。前の様な弄りまわした難解な言葉遣いというより、古めかしいような言葉だ。


 「貴公、麻里の真意が図りかねるのだろう?あやつは何かと勿体ぶる癖があるからのう。悪癖、といった方が良いかもしれんな。一体どこの誰に似た物やら」

 「あ、あの、サイコちゃん……だよね……?」

 「うん?そうじゃが何か?……ああ、貴公はまだ我の憑依術に慣れておらんのだったな。すまぬすまぬ」


 そう言うと彼女――人格の変わったサイコちゃん――はけらけらと笑って見せた。 しかしどうしたことだろうか。人格が変わって言葉遣いが変わっただけで、朗らかな幼い少女の姿は、いつしか艶やかで蠱惑的な女性の雰囲気を漂わせていた。


 「まあなんじゃ、我には様々な人格を形作る力が備わっているのじゃ、生まれつきな」

 「はぁ……。それじゃあサイコちゃんとしての記憶とか感情も変わっちゃうっていう……ことなんですか?」

 少女の雰囲気につられ、思わず俺の口調も変わってしまう。


 「それが便利なものでのぅ。別に変わっておらんのじゃ」

 「変わってない……?」

 「左様。我らの意識や人格は訳もなく、何の拍子か浮世にて合間見える。しかしこのサイコと貴公らが呼ぶ娘の主人格が持っていた記憶も感情も、我らは引き継いでおる。ほれ、このようにな」


 そう言うと人格の変わったサイコちゃんは、俺の背中にくっついたまま頬ずりをしてきた。

 だがその仕草は先程までのあどけない女の子のものではなく、頭の奥がじんわりと熱くしびれるようなしっとりとした仕草だった。

 思わずドキドキしてしまい、自分の顔が熱くなるのを感じてしまう。


 「ん?随分と『』な子じゃのう。よいよい、我はそういうのも好きじゃ」

 「いやぁ、アハハ……」

 「サイコの主人格はどうも貴公のことが気にかかっている様じゃのう。もしかして好きなのかもしれんな」

 「す、好きだなんて」

 耳の奥をくすぐるように、鼻にかかった甘い笑い声が響く。


 「それはさておき、サイコは書物やら何やらで見聞きした存在の人格を写し取ってしまうようでのう。そもそも、これがどういうことなのか我にも良く分かっておらん」

 「なるほど……」

 「だが我らが浮世に出てくる時がどういう時なのかは分かっておる。――たとえば今のような状況じゃな」

 「どういうことですか?」

 「先も言ったが、貴公は麻里の問い掛けが解けぬのだろう?その手伝いをしてやろうとなったら、我の出番なのじゃ」

 悪戯っぽく笑ったサイコちゃんは、ひっそりと語りかける様に耳元で呟いた。


 「例えばじゃ。貴公に。機会があれば一切の慈悲も見せず辛い目に合わせてやりたい奴だ。そやつを殺そうとしたり誘拐しようとしたりする機会があるにも関わらず、わざわざその機会を失う様な危ない橋を貴公は渡るかのう?」

 「いやぁ……考えたこと無いですけど、しないんじゃないかな……」

 「そうじゃろう?本当に痛い目に合わせたい人間がいるとして、確実にそれを叶えられる状況があって――それを無下にする様な人間は中々考えられん。のう、貴公。殿?」

 「脅迫状、ですけど……」

 「中には何と書いてあった?」

 「来週の日曜の夜八時に貴方の息子を誘拐しに行きます、って――」



 そこまで言いかけて、頭の中でカチリ、とパズルのピースが嵌った。瞬く間に俺の脳内に不透明だったパズルの図面が綺麗に描かれてゆく。



 「そうか……!あれは脅迫状なんかじゃない、だ!本当に市長を貶めたいんだったら、わざわざ余計なことをしないで最初から誘拐するはずだ……。でも、でも何のために――」


 そう言うとサイコちゃんは小さな人差し指を俺の唇に押し当てて微笑んだ。

 「ようやく分かった様じゃのう。さて、そこからは麻里と一緒に考えてみてくれ」

 「あ……ありがとう――ございます!サイコちゃん!……サイコさん、の方が良いですかね?」

 「くふふっ。サイコちゃん、で構わん。それに敬語を使う必要もないぞ」

 「はい!分かりました!……って、敬語になっちゃってますね、アハハ……」

 「本当に貴公は可愛い奴よのう。そんな可愛らしい顔を見せられては思わず食べたく――あいてっ!」


 ピコンという音と同時に、俺の背中にくっついていたサイコちゃんが小さな悲鳴を上げて飛び降りる。

 振り向くと、涙目で頭をさするサイコちゃんの後ろに青白い顔をした美奈さんが立っていた。 

 学校から帰ってきてからそのままなのだろうか、クリーム色のブレザーを身にまとっている。


 「サイコ……人が仕事をしている時に邪魔しちゃ駄目だって、いつも言っているでしょう?」

 「ちがうよぉ美奈ねえちゃん……。サイコ、左京にいちゃんに遊んでもらってただけだもん……」

 「台所で遊ぶなとも言ったわよね?」

 「そうだけどぉ……」


 みるみるうちに大きな瞳に涙を溜めていくサイコちゃん。美奈さんはそんな彼女の様子を見て溜息を一つつくと、くしゃくしゃと頭を撫でてやった。


 「怪我したら本当に大変なんだから。分かる?それにあなた、左京さんのことを脅かすようなことを言うんじゃないの」

 「サイコ、左京にいちゃんの手伝いがしたかったんだもん……。麻里ねえちゃんのなぞなぞが解けないみたいだから、教えてあげたかったんだもん……」

 とうとう堪えきれずサイコちゃんはぽろぽろと大粒の涙を零した。


 美奈さんはゆっくりしゃがむと、しゃくりあげて泣くサイコちゃんの涙をか細い指で優しく拭き取る。


 「ごめんなさいね、左京さん。サイコ、困るようなこと言ってなかった?」

 「い、いえ、そんなことは無いです。むしろ助けてもらったというか、勉強になったというか……」

 「……そう。それなら良いのだけれど。……もしまたサイコがおかしなことを言うようになったら、すぐに私か麻里姉さんを呼んで頂戴。サイコをそのままにしておけないから」

 「分かりました……次からはそうします」

 「お願いね……。この子には……サイコにだけはまともに育ってほしいから」

 伏し目がちに美奈さんはそう言った。

 「それってどういう……」

 「……少し喋りすぎたわ。何でもないの、忘れて。それよりも姉さんが貴方のことを呼んでいたわよ。ミルクティーのおかわりを持ってきてくれって」


 色々と気になることや聞きたいこともあったが、美奈さんはぐずるサイコちゃんを連れてキッチンから出ていってしまった。


(――そう、こんな時代だ)


 戦争や天災が際限無く続くこの時代において、昔の人々が描いた理想の家族なんてもう無い様な物だ。それは俺自身が身に染みて良く分かっている。

 だから彼女らの過去を――例えば両親はどうしたのか、とか、そもそも何で探偵業をやっているのか、とか――わざわざ聞くような真似はこの一か月してこなかった。


 俺はこの事務所に雇われた新しい職員で、雇い主の指示を受けて仕事をこなす。今までの仕事でもそうだったし、ここでもそうすべきなのだろう。

 だから胸の内に湧いた疑問や興味はそっと奥底にしまい込み、頼まれた通りミルクティーを新しく淹れたのだった。

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