第51話

 そうして二日後。政斗は先に厩から二頭の馬を用意し、待ち合わせの門の前で待機していた。しばらくして、スッと一つの気配が傍にくる。


「砕か」

「ええ。もうすぐ幸丈様達も到着します」


 華那に言われた荷物を馬にくくりつけていると、どこからともなく彼の声が聞こえた。微弱だが、なんとか気配と位置は分かる。


「なあ、一つ聞きたいんだが、お前さん。宴が始まった頃から俺と貴族の接触を妨害してるよな。特に姫さん達と。何が目的だ?」

「…………」

「幸丈に頼まれたか?」


 あの宴の日から、砕はことあるごとに変装して、時には女官にまでなって政斗と貴族の姫君達との接触を邪魔している。

 彼に命令できるのは幸丈だけだが、そう考えてもしっくりここないのだ。


「オレの独断、って言ったらどうする?」


 口調が、変わった。それが余計に信憑性を持たせる。


「別に。お前は幸丈にとってためになることしかしない。それに、簡単にお前の謀略で参るほど俺も弱くない。ただ気になっただけだ」


 砕は手練だ。だが、政斗もあっさりやられるような実力はしていない。


「やっぱりね」

「ああ?」

「アンタにあの姫君達は似合わない」

「そりゃ俺は一武官……」

「そうじゃない。あの程度の貴族がアンタに似合わないのさ」


 もって回った言い方に、政斗は砕がいるであろう方向に顔を向けた。


「どういう意味だ?」

「何でだろうな。アンタを見てると、幸丈様と同格に見える」

「それはあいつが俺と馬鹿やってるからだろ」

「違う。もって生まれた資質。そういったものが同じなんだ」

「買いかぶりすぎだ」

「どうだか?」


 さっぱり言っていることが分からない。

 幸丈は親王。対して政斗は捨て子な上に山賊出身だ。同じ資質があるわけないだろうに。


「ハッキリ言おうか。アンタはあんなちんけな姫君達といるより、姫巫女や幸丈様といる方がしっくりくる」

「だから、それはあいつらが気さくなだけで……」

「その内分かるさ」


 これで話はおしまい。そう言うかのように砕は言い切った。その直後、後ろから政斗を呼ぶ声が聞こえる。

 見れば幸丈達がこちらに手を振っていた。

 政斗も振り返しつつ、砕の方に目を向ける。彼はもう、景色と同化したかのように静かな沈黙を保っていた。




※ ※ ※ ※ ※




「わぁ……」


 目的の場所に着いた時、腕の中から聞こえたのは小さな感嘆の声だった。それに満足しつつ、政斗は馬から降りる。

 そうして、未だに上を見上げている莉桜へと手を伸ばした。


「ほら、莉桜」


 呼びかければ、彼女は恐る恐る手を掴む。普段乗りなれてない馬に乗った彼女を怖がらせないように、ゆっくり降ろしてやった。

 政斗に礼を言いつつも、莉桜はやはり上を見上げている。


「すごい。大和国にこんな所があったんですね……」

「道が悪い上に、途中賊が出るからな。貴族にゃ知られてないはずだ」


 政斗達が訪れたのは、あたり一面に桜が咲き誇った場所だった。山の中腹に位置するのだが、この辺りだけ桜ばかりがあるのだ。


「すっげぇ、山ん中でこんなに集まって咲くもんなのか?」

「さぁ? 昔に誰かが植えたんじゃないか?」

「案外、莉桜ちゃんのご先祖様かもしれないね!」


 国の歴史は、幸丈の一族が治める前、天照家が司っていた時代からある。もしかしたら、その中の誰かが植えて楽しんでいた可能性もあるのだ。

 政斗は旅をしていたし、賊の情報も入ってくるので、以前一度だけここを訪れていたのだ。


今回、華那の願い。『幸丈様と莉桜ちゃんに、普通のお花見を楽しんで欲しい』というのを聞いた際、ここがすぐに思い浮かんだ。

 宴では、二人とも挨拶回りだなんだと花を見ている余裕はない。のんびり、誰の目も気にせず春を楽しんで欲しい。それが華那のささやかな願いだった。


「さってと、花見なんだし。もちろん弁当があるよな? 政斗」

「そこで俺に聞くのか?」

「だって、この中で料理担当って言ったらお前だろうが」

「どういう役割分担だよ!」


 幸丈のぞんざいな言い方に叫びつつも、政斗は馬に括り付けていた弁当をはずした。いつの間にか姿を現した砕が、適当な桜の下に敷物を敷いている。


「ほれ、これで良いだろ」

「おお! 見事な花見弁当!」

「美味しそう!」

「豪華ですね~」


 昨日から下ごしらえをして作った重箱五段の花見弁当。作り終わった後、何気に楽しんでいる自分と、気合を入れまくった内容に自分で落ち込んでしまった。

 彼らと出会ってから、無駄に料理の腕が上がっている気がする。


 持って来た小皿に小分けにしてやり、一つ自分の後ろにおいておく。姿を消している砕が、さっと取っていくのが分かった。実は、彼も料理好きなのか、時々政斗の料理を食べては批評してくれるのだ。


「相変わらず上手いよな~。アレだ、嫁に欲しいぞ」

「おまえにゃ専属の料理人とかいるだろうが……てか、お前嫁は料理できないと困る、とかそういう考えなわけ?」

「うんにゃ、俺はそんなこと言わないぞ。ただ、時々手料理って羨ましくなんねぇ?」


 ちらちらと華那を見つつ幸丈は言っているが、華那はその視線に気づいて顔を上げた後、笑顔でこう言ってのけた。


「大丈夫ですよ。幸丈様のお嫁になる人は、きっと心のこもった料理を作ってくれる素晴らしい人です! あたしもお手伝いしたいな! だから早くお嫁さん娶ってくださいね」

「は、はは……考えとく」

(アホ)


 どうにも幸丈の想いは空回りしている。

 実際聞いた話によると、彼が華那に懸想していると気づいたのは極最近だ。しかも自分との会話の中でようやく気づいたという馬鹿さ加減。

 その時、とうに幸丈と華那の会話では『幸丈様のお嫁さんもご子息も、アタシがしっかり守りますから、安心してくださいね!』『おう、ありがとな、華那!』というような会話がされており、華那にしてみれば、幸丈はすでに恋愛対象外だったわけで。

 そこからどれだけ幸丈が気を引こうとしても、華那にはまったく伝わらないという悪循環が始まっているのだ。


(身分的にはま、問題はないが……)


 華那も貴族であるということは変わりない。普段そうは見えないが、彼女も良い地位にはいるのだ。問題は、華那自身だ。彼女は自分が幸丈の隣に立つ資格のないものだと思い込み、幸丈とそういう関係になることなどまったく考えていない。


(血を知る者と、知らない者、ね)


 貴族であるが、暗殺に秀でて、死を身近に知っている華那。それとは逆に、知ってはいても目の当たりにする回数は少ない幸丈。

 華那が闇ならば幸丈は光。光は、闇の存在にはなかなか気づけない。


(なんとも難しい二人だな……)


 幸丈は、政斗にとって初めての友人でもある。それゆえ、頑張って欲しいという気持ちもあるのだが、同じ闇を持つ者として、華那に無理もさせたくないわけで。

 そこまで考えて、政斗はまた自分の心情に自嘲した。


(俺が人のことを考えるなんてな……)


 気をもむほど大事な人など、とうの昔になくした自分だというのに。


「莉桜ちゃん、お散歩したいの?」

「え?」


 弁当を食べ終えた頃、華那がそう言った。政斗もそちらを見れば、辺りの桜を気にしている莉桜が目に入る。


「えっと」

「お散歩してきなよ。莉桜ちゃんはあんまり外に出られないもん。もっと見たいよね」

「え、ええ。でも……」


 困惑している莉桜に、ダメ押しとばかりに華那が明るく言った。


「政斗がついてってくれるでしょ。ね?」

「え?」

「ああ、別に良いぜ。ほら」


 もともと、華那から頼まれていたことをこなすには二人っきりの方が良い。散歩がしたいというのなら、自分が護衛についた方が安心もできるだろう。

 政斗はそう思ってあっさり手を差し伸べた。

 莉桜は少し戸惑っていたが、その手をとって立ち上がる。


「よろしくお願いします」

「おお。お前らはここにいるよな?」

「ああ。楽しんで来いよ、莉桜」

「頑張ってね!」

「う、うん」


 何やら含んだ笑いに政斗は首を傾げるが、莉桜に促されて歩き始める。

 拓かれた場所ではないため、足場が悪い。莉桜がこけないように細心の注意を払いながら進んでいくと、目の前に一本の桜が現れた。


「すっげ」

「綺麗……」


 さすがの政斗も目を剥く。目の前にあるのは、桜の中でもかなり巨木に相当するものだった。幹の太さ、枝ぶり、そして咲き誇る花は、今までの木とは比べ物にならないほど豪華で、どっしりとしている。


「優しい木」

「え?」

「この木、とても優しいです。綺麗で、慈愛に溢れてる。まるで、この国を見守ってくれているようです」


 スッと手を放した莉桜が桜に近づき、その幹に手を当てる。それだけで、一枚の絵のようだった。

 大和国の守りたる桜と、陽の神につかえし巫女。自分とは違う、綺麗で、清浄で、穢れを知らない空気。

 少し、いつもより莉桜を遠くに感じた。


「政斗?」


 不意に名前を呼ばれて、莉桜がこちらを見ていることに気づいた。瞳が、『こちらへ来ないのか』と問うているが、足が上手く動かない。

 あちらへ行って良いのか、あの穢れのない少女の隣に立って良いのか、分からない。


(何考えてんだ、俺……)


 先程まで手をとっていたのに、あれほど近くにいたのに、今は動けない。

 そんな政斗を不審に思ったのか、莉桜が心配げな顔をして戻ってくる。そして、なんのためらいもなく政斗の顔に触れた。あの、忌々しい右目を覆う布に。


「何を怖がっているんですか?」

「こわ、がる?」


 莉桜の言葉に、鸚鵡返しでしか声が出ない。

 彼女は、優しく目をすがめると、布に触れていた手で政斗の頭をなでた。


「ここに、貴方を忌避する者はいません。桜も、風も、土も、貴方を歓迎しています。そして……私も」


 政斗の残された片目に、何よりも暖かな彼女の目が映る。それだけで、自分の中の汚いものが全て取り除かれてしまうようだった。


「貴方と共にいたいと思っている。お嫌ですか?」


 そう聞かれて、止まっていた呼吸が戻ったように感じた。

 ふっといつものように笑い、頭をなでていた莉桜の手をとる。


「いや、姫巫女にそう言われて、嫌がる奴はいないだろ」


 いつもの雰囲気に戻ったと分かったのだろう。莉桜も苦笑した。

 その彼女が、政斗の持っている風呂敷に目をむけた。


「政斗、これは?」

「ああ。そうだ、これを渡さねぇとと思ってたんだ。ほれ」


 桜の傍に腰掛けて、風呂敷の中身を手渡す。それを見た莉桜は、今までにないぐらいに顔を輝かせた。


「これ……」

「俺の作った菓子。桜の形で、桜の花びらが入った寒天だ」


 甘味好きの彼女に、と華那が作れと言ってきたのだ。もともと弁当の後の菓子は用意するつもりだったし、大して手間はかかっていない。

 すぐに食べるかと思いきや、莉桜はじっと菓子を見たまま政斗を窺っている。


「何だ? 食わないのか?」

「政斗、貴方、この時期に桜の形をした菓子を手渡す意味をご存知ですか?」

「は?」

「それも桜の下でなんて……」


 くすくすと笑いながら、けれど呆れた声音でもない。はて、何か意味があったか、と考えている政斗に、莉桜は可愛らしく頬を染めながらこう言った。


「桜の形をした菓子を手渡すのは、『あなたをお慕いしています』という意味です」

「はい?」

「それを、桜の木の下で渡すのは、求婚の意味を持っているんですよ」


 政斗は咄嗟に反応できず、莉桜の言った言葉を頭の中で繰りかえした。菓子を渡すのは『慕っている』という意味で、桜の下ならば『求婚』になるわけで。

 そういえば宴の時に姫君達が妙に気合い入れていたな、とか思い出されるわけで。

 そして、ようやく今の状況に頭が回った。途端、急激に熱が上がってくる。


「ちょ、待て! 違うからな! そんな意味じゃなくて、っていや、別にお前を嫌ってるわけじゃねぇけどっ、これは華那に言われたからであって! 俺はそういうまじない的なことは知らなくてだな、だから!」


 言葉を重ねるが、莉桜はくすくす笑ったままだ。


「莉桜!」

「ごめんなさい。はい、これ」


 真っ赤な顔のまま怒鳴れば、今度は莉桜が桜の形をした菓子を差し出してくる。それを見て固まった政斗に、莉桜は楽しげに告げた。


「感謝の意を込めることもあるんですよ。私の手作りですから、不恰好ですけど」

「勘弁してくれよ……」


 からかわれた。それに思い当たって、政斗はがっくりと項垂れた。

 そんな自分を横目に見ながら、莉桜は寒天を口に含む。


「美味しい」

「そりゃ良かった。んじゃ、こっちもありがたく貰うぜ」

「はい」


 彼女が作ったという菓子は、程よい、政斗好みの甘さだった。自然と顔も綻んでくる。


「どうですか?」

「美味いぜ。姫巫女の手作りなんて、そうそう味わえないな」

「そうです。心して食べてください」


 そう言いながら、莉桜は立ち上がり、懐から扇を取り出した。そのまま数歩歩き、政斗をゆっくりと振り返る。


「莉桜?」

「楽も鈴もありませんけど、お礼に一曲舞わしていただきます」

「え?」


 目を見張った政斗に微笑んで、莉桜は扇を開いた。そして、もう一度確かめるように辺りを見回し、桜を愛おしそうに眺める。


「こんな素敵な場所は初めてです。だから、ここに連れてきてくれた政斗のために。今日は……貴方のためだけに舞いますね」


 それは、もの凄く贅沢ではないだろうか。


 政斗の驚きを放置したまま、莉桜は扇を振った。舞い散る桜が、その風によってひらひらと踊る。全ての桜と風が、彼女に味方するかのように舞う。

 楽も、鈴も、そして衣装も何もない舞。けれど、桜に囲まれ、そして、温かな日差しと風の中で舞う莉桜は、宴で見たよりもいっそう綺麗で、彼女らしかった。


 政斗は体の力を抜き、桜にそっと寄りかかる。

 宮中のしがらみも何もない空間。美しい景色と穏やかな空気。そして、自分の為だけに舞を舞ってくれている優しく温かな少女。


(こいつのためなら、たぶん俺は……)


 どんな穢れも、業も背負える。そんな気がした。

 この少女の世界を守るためなら、あの幸丈が華那のために親王の顔を脱ぎ捨てるように、全てのものを捨てて刃を振るえるかもしれない。

 そう、政斗に思わせるほど、今目の前にある光景と彼女は、優しく、美しく、そして――何よりも愛おしかった。

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