第48話

 手のひらにある髪飾りを見つめながら、莉桜は溢れ出す感情を抑えられずにいた。


 贈り物を貰った経験は幾度もある。

 天照家へ、姫巫女様へという名目の元送られてきた数々の品々。それはどれも一級品だと分かる物で、細工も質も素晴らしいもばかり。

 けれど、なぜか嬉しいと感じたことは一度もない。


 分かっていたからだ。あれは、天照家や姫巫女という立場に取り入るための物だと。

 でも、今政斗から貰ったこの髪飾りは違う。


 ガラスの花びらは少しいびつで、莉桜が持っているガラス細工とは違い透明度も低い。だが、薄紅に染まったその細工はとても温かみがあって、一生懸命な職人の熱意が込めて作られたと分かる。

 何より、政斗はきっと、本当に莉桜に似合うという思いだけで買ってきてくれたに違いない。


 ちらりと目を上げれば、少し仏頂面の政斗。明後日の方向を向いているけれど、これは彼の精一杯の照れ隠しなのだと知っている。

 政斗は普段からぶっきらぼうだし、あまり他者と深く関わることをしない人間だ。

 それでも、優しい人だということも、莉桜はもう分かっている。


 陽の宮を訪れる時間は、いつも決まって莉桜の仕事が終わった時だ。

 初めてお菓子を持って来てくれた時は、莉桜が疲れていると聞いた時だ。

 護衛という名目で来てくれているのに、彼はこの場でほとんど仕事の話はしないし、持ってきてくれるお菓子はいつも食べやすいよう、莉桜の口の大きさに合わせて作られている。


 そして、政斗は隠しているようだが、莉桜の護衛を徹底するために、陽の宮の兵と大口論と、刃を交えての喧嘩をしたということも紗雪から聞いていた。

 何もかも、莉桜を思っての行動。

『面倒臭い』『どうでもいい』と言いながら、彼はいつだって莉桜を大切にしてくれている。


(嬉しい……すごく嬉しい)


 キュッと胸の奥が締め付けられる。

 苦しいような、でもとても幸せな感覚。

 これは政斗に出会ってから覚えたもので、今まで経験したことのない感情。感情抑制に慣れているはずの莉桜が、どうしても抑えられない気持ち。


 くすぐったくてドキドキして、だけど嫌じゃない。

 この状態がいつまでも続けば良いとすら思ってしまう。

 莉桜の視線に気づいたのか、政斗がこちらを見た。鋭い隻眼に宿る色が、今はとても優しい。


「これ、花の宴で着させてもらう」


 持ち上げられたのは莉桜が縫った束帯。彼が着てくれる。それだけで、今までの疲れが吹っ飛んでしまうようだった。

 コクコクと何度も頷いて、ニッコリと笑い返す。政斗も照れたように微笑んだから、また一つ大きな鼓動がなった。

 と、その時。


「うわ、華那、押すなって!」

「きゃ、幸丈様こそ!」


 知った声が二つ。

 政斗も今気づいたのか、目を見開いて天井を見上げた。

 その瞬間、几帳の陰にいた紗雪が素早く長刀を天井に刺す。


「この、曲者!」

「おわぁ!」

「きゃあ!」

「あ……」


 一番最初に落ちてきたのは、豪奢な衣装に身を包んだ親王殿下。続いてその上に彼の可愛らしい護衛が着地し、最後に天井に残った二人目の護衛が小さく声を漏らした。


 驚いて目を見開いていると、親王殿下の髪を政斗がガシリと掴む。

 珍しいことに、彼も三人の気配に気づいていなかったらしい。


「よぉ、親王様……てめぇ、何してやがる」


 優しい色があったはずの隻眼が、今や剣呑な光であふれている。


「い、いやぁ、親友と幼馴染の行く末を見守ろうかな、と」


 えへ、と笑った幸丈の顔に、莉桜はカアッと頬が熱くなるのを感じた。見られていたのだ、ずっと。


「い、いつからいたんですか!」


 あまりの恥ずかしさに扇の影で叫ぶと、華那が申し訳なさそうな顔で口を開いた。


「えっとね、政斗が来る前から砕の魔術で潜んでたの」


 彼の魔術は強い。政斗も、今は右目につけているのが莉桜の作った封印具だから、すぐに気づくことができなかったのだろう。


「く、来る前って!」

「だから、お前がそわそわしだしてた頃からだな。ははっ、政斗が来る半刻も前から落ち着きないなんて、莉桜も可愛いとこあんだな」


 からからと笑う幸丈に、もう穴があったら入りたいと思った。

 そんなにも前から、彼らは莉桜を見ていたのだ。


 政斗に何か気づかれただろうか。どう思われただろうか。

 扇の隙間から窺うように彼を見ると、政斗は少し驚いたような表情。そしてなぜか、子供を見る親のような苦笑をして見せた。


「何だ、そんな前から待ってたのか?」

「あ、あの……」


 どうしよう、と紗雪に助けを求めた時、政斗の口からは予想だにしていない言葉が飛び出た。


「んな前から菓子を待ってるなんて、お前、よっぽど腹が減ってたんだな。意外に食い意地あるな」


 あはは、と笑う政斗に、華那と紗雪は唖然とし、幸丈が爆笑し、砕が大きく溜息をついたのが聞こえた。

 そして莉桜は扇を握っている手が震え、溢れ出す感情ではなく、魔力をとめられなくなる。


「え? お、おい?」


 焦った政斗が数歩下がり、砕が紗雪をかばい、幸丈と華那が避難した。

 次の瞬間――


「このっ、無礼者!!」


 春近いその日、まるで春一番のような強風が陽の宮を駆け巡ったと言う。

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