第46話

 次の日の昼過ぎ、政斗は戦衛府での仕事を粗方片付けて陽の宮へと向かっていた。

 凝り固まった肩や首を動かせば、ゴキリと嫌な音が鳴った。


「あ~……だりぃ」


 戦衛府の一番隊隊長というのは、よく猛者達を率いて戦いに赴く人間と思われがちだ。しかし、実際は戦闘現場での責任者という面が強い。


 兵部省は大内裏と内裏、陽の宮の門を守る門衛府。大内裏内、特に皇族周辺を守る近衛府。魔術に特化した魔術府。そして、国内外の戦いに向かう戦衛府に分かれている。

 もう一つ暗躍部隊があるが、あれは特殊で兵部省所属といっても、帝の直属部隊の印象が強い。

 この兵部省五府で、一番人数が多いのは戦衛府だ。


 都内だけでなく、大和国の地方にも部隊があり、相互連絡を取りながら治安につとめている。その相互連絡が各方面から回ってくる位置が、今の政斗の立場だ。

 そして、その連絡事項をさらに他の番の隊長達とまとめあげ、戦衛府の総隊長に回すのだ。


 戦うことが仕事と思われがちの戦衛府だが、国中の兵士達から内乱の可能性や謀反の色はないか確認をしたり、はたまた地方での災害において救助活動を命令したりと、兵士といっても仕事は多種多様だ。


 最終的にまとめたものは兵部省の長官に提出。それが帝にも提出されるわけだから、中途半端な仕事では済まされない。

 隊長の任についてから約三週間。政斗は慣れない事務仕事に精を出していた。


「あ~っと、あとはどの地方のが残ってたっけ? それと、緊急時以外の兵の訓練法の発案とかこの間の話し合いであったよな……てか、この予算使いすぎだろ」


 ぶつぶつと、陽の宮に行く間も書簡が手から離れない。

 今は副長である士郎が様子を見に来てくれるが、彼もまたほぼ休みなしで働いている。あまり頼り切ってもいられないのだ。

 まあ、当の士郎本人を倒れるんじゃないか心配すれば、『大丈夫です。新しい総隊長は優秀な方ですし、前の総隊長の時より私の仕事が半分ぐらい減りましたから』などと返された。

 あの事件で失脚した藤郷信定の時代では、ほぼ士郎が一人で仕事をしていたようだ。


「緊急時以外は新しい土地の開拓や、農村とか鉱山の作業を手伝わせろっての。それだけで採算も取れるし筋力の低下もないだろうが。よし、俺の発案はこれに決定」


 草案に書き込んで、政斗は足を速めた。

 ここからは、一応仕事といえど個人的には息抜きに近い。あまりごちゃごちゃと細かいことは考えていたくないのだ。

 手に持っていた荷物を抱えなおし、大内裏の北端にある陽光門へと到着する。見張りの門衛隊がバッと敬礼を返してきた。


「御苦労様です、雪竹隊長」

「兵部省戦衛府所属、雪竹政斗。姫巫女・莉桜様の御前に向かうため門をくぐりたい」

「念のため、許可証を」


 魔力を織り込んだ特性の布紙に描かれた太陽と桜の紋章。そして莉桜の書名。

 本来、陽の宮に個人で出入りできるのは帝と東宮。そして、第一親王である幸丈だけだ。しかし、政斗は莉桜の特別護衛ということで、彼女からの許可証を提示することで出入りすることを許されている。


 陽光門を通り過ぎると、橋を渡って桜花門。ここでも許可証と隊長の印章を見せてようやく屋敷に入れる。

 もちろん、入れば入ったで、今度はあらゆる視線が突き刺さってくる。

 天照家に使えている神官達の興味深そうな視線。女房達のどこかまとわりつく視線。そして、陽の宮を警護する武人達の妬みの視線。


(まぁ、面白くねぇんだろうな)


 ガシガシと頭をかきながら、政斗はさっさと屋敷内を通り抜けていく。

 陽の宮の警護に当たる人間は、簡単に言えば選ばれた人間だ。戦衛府と近衛府から地位や身分関係なく選ばれるのが筋で、時々行われる試合を見た兵部省の長官や帝の指名があるのだという。

 それだけの実力と自負がありながら、ある日ぽっと現れた政斗が姫巫女の護衛などいう地位についた。周りの人間としては面白くないだろう。


 けれど、それだけ上に立ちたいのならもっと鍛えろよ、と言いたくもなる。

 確かにここを警護する武人は、一目を置く猛者達ばかりだ。しかし、例の事件でも分かったように、緊急時における統率や、魔術師に対する弱さなどがある。

 何回か訪ねてきて見渡したところ、二百人近くいる警護の人間の中で、政斗とまともにやりあえるのは数人といったところだろう。


 そして、その数人の視線はほとんど感じたことがない。政斗が彼らを認めているように、向こうもこちらをそれなりに評価してくれているということだ。

 世の中上には上がいるもの。悔しかったら時々ここを訪れている砕の気配にぐらい気づけるようになれ、と、とりあえず心の中で叫んでみた。


「雪竹殿。ようこそおいでくださいました」


 庭を通り抜けていくと、階の上から穏やかな声がかかった。顔を上げれば、莉桜の乳姉妹である紗雪が丁寧に頭を下げてくる。


「また庭からいらしたのですか? 屋敷を通れる許可も貰っているでしょうに」

「あ~……この間通ろうと思ったら、ここの女房達が行く方向、行く方向に集まっててな。何か通り辛かったんでこっちから回らしてもらうぞ」

「まあ、うちの女房が……それはいけませんね。あとできつく言っておきますわ」

(今……なんか黒いもんが見えた)


 莉桜を第一に考えるこの女。実際は政斗と同い年だが、まるで母親のように彼女と接している。莉桜の母は早くに亡くなったらしいから、近しいものなのかもしれない。

 そのせいだろうか。紗雪は莉桜の邪魔になると判断すれば容赦がない、とは幸丈の談だ。政斗も、当初はずいぶん嫌われていたと思う。


「さ、どうぞ中へ。莉桜様、雪竹殿が参られました」

「邪魔するぞ」


 遠慮する様子もなく部屋に足を踏み入れれば、莉桜もまたちょうど御簾から顔を出したところだった。そのまま躊躇う様子もなく外へと出てくる。


「いらっしゃいませ。紗雪、お茶の用意を」

「かしこまりました」


 莉桜の所業に紗雪からも文句は出ない。

 年頃の姫君としてありえないことだが、政斗と莉桜は御簾から出て対面するのが普通だ。


「お前、普通に御簾から出てくるようになったな。他の奴らの時でもそうしてんのか?」

「失礼な。天照家の娘として、お客様の前で礼儀を欠くような無粋な真似はしません」

「俺の前では良いってか……」

「所詮、政斗ですから」


 ついっと扇を開きながらいう莉桜。少し頭にくるものの、彼女のこういった物言いにもずいぶんと慣れた。

 莉桜の場合、キツイ物言いは癖と照れ隠しだともう知っている。

 だから、政斗は持ってきた物をちらつかせてニヤリと笑った。


「んなこと言うんなら、これやらねぇぞ」

「あ!」


 風呂敷を解いて見せれば、そこにあるのは黒蜜のかかった団子。添え物としてきな粉と甘芋でつくった練り菓子。

 器に綺麗に盛ったそれをひょいと動かせば、莉桜の目もまた釣られて動く。白い顔に浮かぶ表情は、まるでおやつをねだる子供のようだ。


「ぶっ」

「政斗!」

「だってお前っ……はははっ、おもしれぇ!」


 腹を抱えて笑い出せば、むくれた表情の莉桜が近づいてきてペシペシと叩いてくる。

 まったく痛くない衝撃では笑いも止まらない。


「貴方はいつもそうやって私をからかいます!」

「お前が素で面白いんだよ。ほら、んな怒んなって」


 コンッと額を小突くのはいつの間にか政斗の癖のようになっている。こうすると、莉桜は額を押さえながら大人しくなるのだ。

 まだ少し膨れながら睨んでくるが、彼女の顔で睨まれても怖いはずがない。むしろ、この少女は笑顔の時の方が怖いと思う。


「あらあら、また喧嘩ですか。お茶も入りましたし、少しは仲良くしてくださいな」


 見計らったかのように紗雪がお茶を運んでくる。さすがは天照家と言うべきか、苦味ではなく甘味の広がる最高級のお茶だ。

 彼女は丁寧に茶を入れると、そそ、とその場を下がっていく。

 莉桜を大事にしている彼女だが、政斗が来た時は話の輪に加わらず、几帳の裏で待機するのが常となっているようだった。にこりと笑顔を政斗に向けて姿を消した。

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