第45話

 薄暗くなる中、天照家の姫巫女、莉桜に使える女官、紗雪さゆき鬼灯ほおづきに明かりを灯して回っていた。次第に明るくなる部屋の様子に、一心不乱に何かの作業をしていた莉桜が顔を上げた。


「ずいぶんと集中なさっていましたね。もう未の刻ですよ」

「え? もう、そんなに経ってしまったの?」


 きょとんとしたような顔に、紗雪は苦笑を誘われた。

 この姫巫女とは主従関係である前に乳姉妹である。幼い頃から大人の中で育ってきた莉桜は、同じ年頃の少女に比べて落ち着きがあり、大人びている。

 その反面、感情表現が苦手で、めったに表情を変えることがなかった。


 しかし、ここしばらくの間に彼女は変わった。常はいつものように清廉な姫巫女の顔を崩さないが、時折、年相応の顔を見せるようになったのだ。

 特に、とある青年が関わると面白いほどに変わる。

 紗雪は莉桜が持っていた布に目を落とし、少しからかうような表情を見せる。


「そういえば明日でしたね、雪竹殿がいらっしゃるのは。間に合いそうですか?」


 問いかけにピクリと反応した莉桜は、手にしていた布をキュッと抱き寄せる。少し困ったような、怒ったような顔を布に隠しながら、もごもごと口を動かしていた。


「大丈夫。間に合わせるもの……」


 持っている布は若草重ねの衣。瑞々しい青い葉を模したこの重ねは、精悍な彼に似合うだろう。


「きっと雪竹様も喜ばれますよ」

「……そうだと良いんだけど」


 彼女が縫い目を確かめている衣は、決して女性用の大きさではない。男性用の、しかも、どちらかというと式典や上の人間と相対する時に着るようなきっちりとした物だ。


 莉桜はこれを、政斗のために手ずから縫っているのである。

 明かりが灯ったからか、また集中し始めた莉桜を見て、紗雪も何だか温かい気持ちに包まれる。


(莉桜様がこんなに年頃の顔をされるなんて。雪竹殿は良い影響を与えてくださったわ)


 最初はとんだ無礼者だと思っていたが、彼の存在は莉桜をどんどんと変えてくれる。

 内側にいすぎて何もできない紗雪や、莉桜を知りすぎて変えられない幸丈ゆきひろとは違う。彼は、新しい物をどんどん莉桜に与え、莉桜が与え返す力すら引き出してくれた。


 誰かのために自ら動く。これは、今まで天照家の役目という言葉をかさに受動的だった莉桜にとって劇的な変化だ。


「少しお手伝いしましょうか?」


 縫い物は女性のたしなみとして当然のものだ。姫巫女という仕事があっても、莉桜もまた他の貴族の姫君と代わらない教育を受けている。

 彼女は得意と言うわけではないが、繊細な刺繍や丁寧な縫いものは上手い。ただ、明日までという時間制限があるのはきついかと思って声をかけたのだが――


「いいえ……一人で仕上げたいの」


 そう言った莉桜の口元は柔らかく微笑んでいた。それは、嬉しいとか、楽しいとかを含んだものであり、少し違う。

 そう、きっとあえて言うなら――愛しいという感情。


「分かりました。では、下がっておりますので、御用があればお申し付けください」

「ええ、ありがとう」


 すっと几帳きちょうの裏に下がり、莉桜の邪魔にならないよう、静かな動作で書物を開く。


 明日は一週間ぶりに政斗が陽の宮を訪ねて来る日だ。

 例の事件以降、姫巫女の護衛役も帝から任された政斗は、週に一度は莉桜に報告という名の顔見せをしに来る。

 慣れぬ戦衛府の一番隊隊長も律儀にこなし、陽の宮の兵にも実践的な護衛の仕方や戦闘技術を進言。反発もあるらしいが、それは実力で少しずつねじ伏せながら上手くやっているそうだ。


 それでも、彼がよそ者で身分のない人間であるということに変わりはない。

 この間来た時には、藤郷家やその他の貴族から、『嗜みがない』とか『四季折々の大和国の流儀を分かっていない』などと文句を言われたと愚痴をこぼしていた。


 確かに国によって文化は違うため、来たばかりの政斗では手の届かないところもあるだろう。幸丈も何かと手を貸してやっているらしいが、それにも限度はある。

 政斗の愚痴を聞いた莉桜は、その日、染に出していた布を持ってくるように言った。それから一週間、一心不乱に政斗のための衣を縫っているのだ。


 春に行われる最大の宴、花の宴も近い。天照家の染め布は他の家より飛びぬけて素晴らしい物だ。これを使って莉桜が縫い、政斗が花の宴で着る。

 きっとその光景はとても煌いているのだろう。


 明日、政斗がやってくる。莉桜は必死に無表情を繕いながら衣を渡す。当事者ではないのに、紗雪は何だかドキドキしていた。


「姉の心境、というのかしら」


 大事な大事なお姫様。主であると同時に、紗雪が何を犠牲にしても守ると決めている可愛い妹。

 明日莉桜が笑うといい。その顔を引き出すのが政斗だといい。

 そんな風に思いながら、紗雪は几帳の影からそっと莉桜を見守り続けた。

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