君おもふ心ひそやかに

第44話

 未の刻。ようやく仕事を終えた政斗まさとは帰路についていた。

 咲耶京さくやきょう内を循環している乗り物、竜馬車りゅうばしゃから降り立ち辿り着いたのはちょうど都内の中ほど、市のある辺りだ。


 竜馬は馬より体格がよく、重いものを運ぶことに特化している。四匹いれば二、三十人乗れる馬車を引くこともでき、馬より速度は遅いが、牛よりも早い。

 都の住民や、大内裏だいだいりに勤めるものにとっては通勤に便利な乗り物だ。


「さて、と……」


 そろそろ店じまいの始まる時間。政斗は足早に目的の店へと向かう。

 自分が家としている場所はこの市よりもう少し南だが、今日は明日のために買出しをしなくてはならなかった。


「えっと、この前が抹茶入りの西側の菓子だったから、今度は普通に和菓子で良いよな?」


 何でこんなことに頭を悩ましているのか、と溜息をつきながら、それでも市を見て回る足は止めない。


「ったく、毎回毎回菓子を所望しやがって。どんだけ菓子好きなんだよ、あの姫巫女は」


 思い浮かぶのは、腰まである長い黒髪を持つ美しい少女。清楚にして可憐。大和国の人間ならば、誰もが一目見たいと思い、憧れる雲の上の住人。

 天照家てんしょうけの姫巫女、莉桜りお

 近寄り難い雰囲気を持つあの少女が、実は庶民が好むお菓子が大好きだということを知っているのは、政斗を始めごく一部の人間だろう。

 そして、最近彼女が求めるお菓子が政斗によって作られていることを知るのは、さらに少数の人間だと思われる。


「はぁ……あいつの前で手料理なんか披露するんじゃなかった」


 二ヶ月ほど前に起こった事件。政斗がこの大和国に関わるようになったきっかけだ。

 その過程で、姫巫女の莉桜を自分の家に泊らせた。その為、食事も政斗が用意したのだ。

 あの場合は、特に考えもせず作った。そうしたら数日後『お菓子は作れますか?』なんて、期待の眼差しで見つめてくるから、『作り方さえ分かればな』とか答えてしまった。


 その後、政斗の手作り菓子を食べた莉桜は、それを求めてくるようになった。高級な物を食べ慣れているのだから、そっちで満足しろと言いたい。だが、どうもあの姫君がしてくるお願いは断りにくいのだ。


 ブツブツ文句を言いながら歩いていた政斗は、ふと目の端に黒砂糖があるのを見つけた。

 きめ細かい、かなり上等な黒砂糖だ。


「これ、味見しても良いか?」

「ああかまわないよ。らっしゃ……っと、戦衛府せんえいふの一番隊隊長さんじゃねぇか。あんたほんとに庶民臭が抜けねぇな」

「大きなお世話だ。もともと庶民以下なんだよ」


 戦衛府の制服は庶民でも見分けがつく。その上、政斗は例の事件で、不本意とはいえかなりの功績を挙げたことになっており、噂が広まったのだ。

 姫巫女を助け、親王の意を汲み、国の凶事を振り払った男。

 そんな触れ込みで民達には政斗のことが伝わっていた。


 戦衛府の一番隊隊長に任命されたこと、そしてもちろん、右目を黒い布で覆っているという特異な容貌もまた噂として流れている。


(間違いなく、あの帝が流したな噂だな……)


 本来、政斗が大内裏において好意的に迎えられるはずがない。

 大和国の住人でもなく、地位のある身分でもない。詳細不明の旅人。ただそれだけだ。いかに姫巫女を助けたという功績があろうとも、大和国の重鎮達が政斗に戦衛府を任せるはずがなかった。


 だが、この国の帝は先手を打った。

 政斗に就任を告げる前に、民達に政斗がなしたことを誇張して広めたのだ。

 大和国の人間にとって、天照家の姫巫女である莉桜は宝といってもいい。尊敬と信頼を持ち、信仰にも似た感情を向けるべき少女。

 その姫巫女を守った旅人に、民達は盛大な賞賛と今後の活躍を望んだ。


 一人一人の声は小さくとも、集団となった声を潰すことは難しい。帝はそれを待っていた。

 重鎮達がなすすべなく歯噛みしたところで、まるで妥協案でも出すように政斗を隊長につけたのだ。さらに、天照家当主・草薙くさなぎの言もあり、姫巫女の護衛の任も一部請け負うというおまけ付き。

 貴族に似た地位を与えなかったのは、重鎮、特に藤郷とうごう家が政斗に手を出さないようにするためだろう。過剰すぎる褒美は反発を生む。


(ま、今でも十分、傍迷惑な状況なんだけどな……)


 黒砂糖の甘味に少し癒されながら、今日一日を振り返る。

 出仕してから、嫌味が途切れたことはない。ばれていないと思っているようだが、魔巧まごうの義眼を持つ政斗にとっては、陰口も正面向かって放たれた挑戦状にしかならない。


 ならいっそ、地位を妬むでもなく、馬鹿みたいに勝負を挑んでくる信秀のぶひでの方がよっぽど好感を持てる。

 信秀は藤郷家の人間だが、少し変わった奴だ。


「隊長さんよ、姫巫女様はどんな方なんだい? そりゃあ美人なんだろう?」

「あ? あ~……まあ、綺麗っちゃ綺麗だよな」


 黒砂糖を購入しながら、店主の言葉に莉桜の顔を思い浮かべた。

 白い肌に映える黒曜石のような目と髪。一見人形のような姿だけれど、頬を染める赤と、唇から零れ落ちる鈴のような声が、彼女を一際綺麗な人間だと知らしめる。


 そう、綺麗なのだ。素直にそれは認められる。ただ、店主が言っているようなこととは、少し違う気もする。


「どんなって……普通の女だぞ」

「は? 普通って……あのなぁ、尊き姫巫女様だぞ。こう、やっぱ何か神々しさが……」

「美人なのはまあ認めるけどな。でも普通だよ。これ、代金な」

「あ、ちょっと、旦那!」


 残念そうな店主を放り出し、政斗はひらひらと手を振って歩き出した。

 尊いとか、神々しいとか、考えながら歩くけれどあまり納得はできない。

 綺麗だし、目に止まる顔だ。過去には見惚れた経験もある。でも、やはり民が思うような感情は政斗の中には浮かんでこない。

 莉桜を思い出す時に政斗の心に浮かぶ感情は――


 家に向かって歩き出した政斗は、またとある店の前で立ち止まった。もう店じまいを始めている、小さくみすぼらしい店。

 ふと、そこに並べてある物に惹かれた。


「なあ、これ……」


 それを指さして声をかければ、売り子だった小さな少女が目を丸くして政斗を見上げた。

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