第41話

「おいコラ! いったい何なんだ。何でお前が熊……いや、お前の親父と鬼ごっこしてんだよ!」

「あいつがあたしの宝を盗ったからよ。取り返すの! 手伝ってよね!」

「何でだよ!」


 そう言いつつも政斗は華那を追って走っていた。

 前を腹に響く足音で逃げているのはまさしく灰色熊。そして、〈森の民〉と呼ばれる華那の父、富嶽である。ああ見えても帝直近の近衛兵であり、帝直属の暗殺者。この大和国でも一、二位を争う強さのはずだが――


「待ちなさいよ、クソ熊!」

『パパって呼んでくれなきゃヤダ!』

「うるさい!!」


 この、娘との命をかけた鬼ごっこはひたすらマヌケにしか見えない。


「こんのっ! くらえ!」


 次の瞬間、華那の指先から煌く糸が舞い出た。これが華那の魔術で、鋼糸に似た糸を発現するものだ。酷く見えにくく、それでいて切れ味は抜群。岩や、場合によっては鉄の塊でも、きっとあっさり輪切りにしてしまえるだろう。


『うぬぅ、華那ちゃん! パパに武器を向けちゃダメだろ!』

「人の物を盗む悪党に言われたくない! 幸丈様人形返せぇ!」

「幸丈様人形?」


 親子の攻防を見ていると、華那がそんな言葉を口に出した。何のことだと首をかしげていると、熊が持っている物体に気づく。

 大きな熊の手に持たれた、ぬいぐるみ。若干綿が出ている、政斗の知り合いに似たぬいぐるみ。


「あ……」

「あーっ! 何で破れてんのよ! 信じられない!」


 おそらく『幸丈様人形』であろう物を見た華那が絶叫を上げる。確かに、大事にしているぬいぐるみが盗まれた挙句、あんなことになっていては無理もないだろう。


「それは幸丈様がくれたのに! ずっとずっと昔、寂しくないようにってくれたのに!」

『パパがいれば、こんな無機物いらないだろ!?』

「パパはいらないけどそれはいるの!」

『っ!?』

(うわぁ、痛恨の一撃)


 手伝えと言われたものの、あの親子喧嘩に突入する気にはなれない。柱にもたれかかって気配を消しつつ傍観を決め込んでいた。

 とその時、階に見知った姿が二つ。


「おい政斗。あれ何やってんだ?」

「華那ちゃんと、富嶽殿?」


 渦中の人物幸丈と、彼とお茶でもしていたのか、姫巫女の莉桜が傍まで来ていた。

 彼らは一様に中庭の攻防を見て目を丸くする。


「華那? 何やってんだ?」


 自分の護衛が親子喧嘩――どちらかといえば殺し合い――をしていることに、幸丈は驚いて政斗に近づいてくる。政斗は無言で例の物体を指さしてやった。

 目をすがめてそれを見ていた幸丈は、『あ!』と何かに気づいたように声を上げる。


「あれ、俺が昔やったぬいぐるみじゃん」

「あれが喧嘩の元だ。親父さんに盗まれたらしい。お前、楪家に嫌われてんのな」

「華那ちゃん溺愛ですから、あのお家」


 確か楪家は幸丈派だったはずなのに、娘の行動一つでこうも変わるとは。

 いい加減飽きてきた政斗は、幸丈に顎で示した。


「お前、ちょっと止めて来いよ」

「俺が!?」

「富嶽殿は止まらなくても華那は止まるだろ。落ち着かせてやれ」


 頭に血が上っているせいか、華那はいつもより体力を消費しているようだった。このままでは、後で疲労困憊で倒れてしまう。

 そう政斗が言外に言うと、幸丈は『しゃぁない』といったようにきざはしを下り始めた。だが、その時。思わぬ事態が起こる。


『ええい! こんな人形こうしてやるもんね!』

「ああーっ!」


 富嶽が、人形を大きく投げた。こっちに向かって。

 それは綺麗な放物線を描いて落ちてくる。落ちる先は――


「「「あ」」」


 その場にいた政斗達は気づいた。気づいたが、遅かった。


「あ……」


 華那の小さい呟きを背に、人形がちょうど焚かれ始めた松明の中に落ちる。ぼすっと言う音と共に火の粉が飛んで、幸丈人形は炎の中。


「うわぁ、何か俺まで燃えそう……」


 それはある意味、目の前で呪いをかけられたような気分だっただろう。だが、実際呪いをかけられたような顔をした人物が一人だけいた。


「や……やだぁぁぁ!!」

「うわぁ! 待て待て華那! 火に手を突っ込むのはまずい!」

「ヤダ! だって幸丈様の人形! 幸丈様がくれた人形なのに!!」


 松明に飛び込もうとした華那を、間一髪幸丈が羽交い絞めにして止める。その表情にはさっきまでの怒りなどどこにもない。あるのは溢れて止まらない涙と悲しみだけだ。


 必然的に、傍観者だった政斗と莉桜の視線が富嶽に向く。彼はすでに人型に戻っており、そこまでする気はなかったのか、表情が引きつっている。


「富嶽殿、あれはダメだろ」

「華那ちゃんが取られて寂しいのは分かりますが、いくらなんでも泣かせるのは……」


 非難の篭った目に、富嶽はウッと詰まった。それに追い討ちをかけるように華那の叫びが響く。


「パパなんて大っ嫌いなんだから!」

「か、華那ちゃ……」

「幸丈様の人形だったのに! 幸丈様が初めてくれた物だったのにっ! ……ひどっ、ひっく……ひっく…………」


 後半は泣き声に変わった。幸丈に抱きしめられながら『ごめんなさい』と何度も謝っている。幸丈は苦笑しながらその背を撫でてやっていた。

 大事にされているのは嬉しいし、実はちょっとだけ嫉妬もあるだろう。『人形にそこまで愛情向けるなら、俺自身にも分けてくれ』と。


 彼は華那を宥めながら、ふぅっと息をつくと、富嶽に顔を向けてこう言った。


「富嶽殿。私の形をしたただの人形とはいえ、それを炎に投げ込むことは、ある意味不忠とも取れる。そのことはお分かりか?」

「は……はっ! 申し訳……ございません」


 幸丈の口調は親王としてのものだ。どうやら上から『命令』という形で事態を収拾するらしい。


「ならば、償いをしてもらう。むこう一週間は夕食に華那の好物を出すこと。華那の嫌がることは決してしないこと。華那の望みはできるだけ聞き入れること」

「御意……」


 憮然としているが、富嶽とて愛娘に嫌われたくはないだろう。おそらくこれより一週間、ひたすらに華那の機嫌をとりまくるはずだ。


「そしてもう一つ。明日の夜、華那が俺と出かけることを許可すること。尾行は禁止。護衛は政斗、お前頼むわ」

「は!?」


 突然話を振られ、政斗は背を柱から離した。だが幸丈は聞いていないのか、華那の涙を拭いながら笑っている。


「華那、明日は旅芸人の所へ行こう」

「旅、げ、いにん?」


 しゃくりあげながら言葉を紡ぐ華那は、『何で?』と首をかしげている。


「あの人形な。今来てる旅芸人が作ったものなんだ。明日行って、同じ物じゃないけど、もう一回作ってもらおうぜ」


 その言葉に、華那は目を輝かせた。同じ物ではないけれど、また『幸丈様人形』が手に入ることが本当に嬉しいのだろう。


「行く、行きます! あ、莉桜ちゃんも一緒に行こうね!」

「え!? いえ、でも私は……」

「大丈夫大丈夫、護衛は政斗がやってくれるし」

「おいコラ……」


 この男、前一番隊隊長と同じで丸投げだ。


「良いよな、富嶽殿」


 さすがに、この状況で反対はできないだろう。富嶽はうなだれながら、威厳形無しの表情を作った。


「よろしくお願いします……」


 娘の機嫌とってくださいね。政斗には、彼の呟きがそう聞こえた。

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