第40話

 大和国宮中、兵部省戦衛府せんえいふの詰め所では、政斗まさとがようやく書類を片付け終わったところだった。

 束になった書類を端に寄せ、軽く伸びをする。酷使した左目が少し痛かった。


「あ~……やっぱ事務処理が一番めんどくせぇな」

「お疲れ様です。私としては助かってますよ。以前の一番隊隊長は部下に丸投げで仕事が滞ってましたから」

「俺もそうしてぇ」

「ダメです」


 お茶を差し出してくれた戦衛府副長の士郎しろうにぼやけば、煌びやかな笑顔を返された。


 彼は戦衛府全体の副長。政斗は一番隊隊長と地位は士郎の方が上なのだが、何かと不慣れな政斗を気遣い、こうして顔を見せに来ることが多い。しかし、一度として仕事を手伝ってくれたことはない。

 優しいのか鬼なのかどうも判断つきがたい人物だ。


 しかし、前一番隊隊長が仕事をしてなかったというのは事実らしい。貴族出身のさして強くもない男だったそうだが、政斗が隊長に就任して最初にやった仕事は、期限切れの書類の始末だった。アレで隊長を勤められていたんだから、金の力は凄いんだなと思う。


「そういや、ここ最近、都内がずいぶん活気づいてるよな。何かあんのか?」


 参内する最中に見たのは、妙に楽しそうな町人と、飾り付けをされている家々だった。催事の際はそういったこともあるが、予定は聞いていなかったと思う。


「ああ、旅芸人が来るんですよ。この時期」

「旅芸人?」


 政斗の脳裏に浮かぶのは、手作りの人形で劇をやったり、軽い剣技を見せたりして、周囲を湧かせる小さな集団だった。


「ええ。全員が現代魔術の使い手でしてね。それぞれ芸に特化した術を駆使しているようで。私が見た時は、星のような雨を降らせる芸人でしたよ」

「へぇ、そりゃ面白そうだな」


 現代魔術は、一人が特化した一つの力を持つ、というものだ。政斗もその一人で、自分の場合は持っている刀を中心に、最高八本まで幻の刀を発現させられる。

 これは明らかに戦闘に特化した魔法だが、おそらく芸人は芸用に魔術を訓練したのだろう。

 ちなみに、莉桜りおの使う古代魔術は根本から違う。あれは自然を操る能力だ。


「今日から三日間でしたね。明日は非番なのでしょう? 行ってらしたらどうですか?」

「そうだな、人気みてぇだし」


 と、お茶をすすりながら話していたその時、廊下をものすごい勢いと速さで駆けてくる足音が聞こえた。それも二つ。

 どうやら隊員が止めようとしているようだが、ことごとく突破されているらしい。


『止まってくださ……げふぁ!』『止めろ! 止め……ぎゃあああああ!』などの断末魔が扉を通して伝わってくる。


「何だ?」

「侵入者、でしょうか?」


 足音が向かっているのはこの部屋らしい。緊張を伴い、政斗と士郎は刀の鞘に手をかけた。


『何をやってるんだお前達! ここをどこだと……あ、貴方は! ぶぎゃああ!』

「今の、信秀殿の声ですね」

「お~、あいつもやられたか」


 腕の立つ仲間の最後の声に、二人はそろって合掌する。その間にも足音は近づき、ついに扉が蹴り開けられる。


「政斗! それを止めてぇ!」

「あ!?」


 聞こえたのはよく知る少女のものだったが、目の前に迫ったのは――


「熊ぁぁぁぁ!?」


 真っ直ぐ向かってきたのは巨大な灰色熊。通常見かける灰色熊より、二回りは大きい。

 政斗は爪と牙を剥いたその熊を、咄嗟に身を捻って避けた。その体をさらに士郎が引き寄せ、遠ざける。


 ガシャァァンッと、窓を破って出て行く熊。割れた硝子片があちこちに散らばる。それを士郎と一緒に呆然と見ていると、衿首をグッと掴まれた。


「おわ!」

「何で逃がすのよ馬鹿政斗! ええい、一緒に来てよね!」

「でぇ! ちょっと待て、こら、狼娘!」


 政斗の衿を掴んだまま、現れた華那は窓から飛び出す。咄嗟に手を放した士郎が見送る中、二人はなぜか灰色熊を追うことになった。

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