番外編

それは小さくささやかな

第39話

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 その日、大和国やまとこくを覆う晴天の空に、突き抜けんばかりの叫びが響いた。

 叫びの元は大和国の首都に構えられている貴族の屋敷、ゆずりは家からだ。その根本たる楪家の次女、華那かなは、絶望の叫びを表した顔で固まっている。


「華那ァ! どうした!?」

「華那ぽん何事だ!」

「華那、どうしたんだい!?」


 叫び声をあげて五秒。彼女を溺愛している兄三人組が部屋の扉を開けた。

 華那の家は家族が多い。父である富嶽ふがくと母の龍華りゅうか。嫁に行った長女蘭らんに、兄は上から順に年子で康永やすなが時次ときつぐ秀真ひでまさ。そして華那と双子の弟妹だ。


 ちなみに、嫁に行った蘭とまだ小さい弟妹達を除いて、全員が表向きは兵部省ひょうぶしょう近衛府このえふ所属の、実際は暗殺部隊勤務となっている。


「兄様達~……」

「ああ、華那! どうしたんだ!?」

「誰かに闇討ちされたか、華那ぽん! それなら俺達が滅多斬りにしてやるぞ!」

「大丈夫だよ、華那。二度と君の前に顔を出せないようにしてあげるからね」


 長男康永は純粋に妹を心配し、次男時次は勢いよく拳を振り上げ、三男秀真は他の二人が引くような黒いことを煌く笑顔で言ってのけた。

 だが涙を浮かべた華那はふるふると首を振る。


「違うのぉ、ないのぉ……」


 そう言って華那は寝台を指さした。そこには、可愛らしい多種多様のぬいぐるみが置いてある。一番目立っているのは、今年の誕生日に幸丈ゆきひろから送られた特大の熊のぬいぐるみだ。


「ないって……」


 華那の言に兄達は首をかしげた。

 ここにあるぬいぐるみを把握しているのは華那だけであって、彼らにはそのどれかがなくなっていても気づくことは難しいのだ。


「だからぁ! 幸丈様人形がないのぉ!!」


 泣き叫ぶように言った華那に対して、兄達は顔を見合わせた。彼女の言う『幸丈様人形』とは、その名の通り、この大和国の親王、幸丈をかたどった人形のことだ。

 大きさは腕に抱き込めるほど。それがお気に入りだった華那は、毎日抱いて眠っている。


「なんだ、あのものぐさ親王の人形か」

「じゃ、問題ねぇよな」

「残念だよ。いずれアレで呪詛を試すつもりだったのに」


 泣き喚く華那に対して、兄達は冷静だった。口調から、『あのぬいぐるみが一番いらない』と言っているのが見て取れる。

 その冷やや華那兄達の言葉に、華那はグワッと涙を盛り上げた。


「いやぁぁぁぁぁ! 幸丈様人形が一番大切なの! 問題なくないの! 呪詛に使っちゃヤダァァァ! 兄様達なんか大っ嫌いなんだからぁ!!」

「わわわわっ、華那泣くな! 悪かった。お兄ちゃんが悪かった!」

「そうだ! ほんとに悪かった! 謝る! だから嫌いなんて言うな!」


 癇癪を起こして喚く華那の台詞に、康永と時次は青ざめた。溺愛している華那に嫌われることほど辛いものはない。

 慌てて取り繕う二人を尻目に、秀真はそっと華那の傍にしゃがみ込んでその両手を握った。さりげなく目じりの涙を拭ってやる。


「ごめんね、華那。君がアレを大事にしているからちょっと焼餅やいちゃったんだ。大丈夫。兄さんが協力してあげるからね」


 さっき『呪詛を試すつもりだった』と吐いたとは思えない綺麗な笑顔。二人の兄が『怖っ!』と後ずさっているのを無視して、秀真は華那の目を覗き込む。


「ほんと?」

「うん、ほんとほんと」


 胡散臭い笑顔なのだが、華那は気づていない。華那の面倒は年の近い秀真がずっと見てきたのだ。扱い方を一番知っているといっても良いだろう。


「嬉しい! 秀真兄様大好き!」

「あははは、華那は甘えたさんだなぁ」


 飛びついた華那を嬉しそうに抱きとめる秀真。それを見たほか二人が色めき立つ。


「ずるいぞ秀真!」

「お前、いっつもそうやって仮面被りやがって!」

「外野がうるさいねぇ。ほら、手始めにこれ。あの人形を盗んでいった奴の書置きだよ」


『いつのまにっ!?』と兄達が思う傍らで、秀真は一枚の紙を華那に見せた。真白の上質の紙には、とても短い文章が一筆。


『人形は預かった。   パパより』


 それを見た瞬間、華那が紙を握りつぶしたのは言うまでもなく、彼女は止める兄達を振り切り、屋敷を少し破壊しつつ宮中へひた走って行った。


「あ~あ、行っちまった。凄い形相だったぞ。あれ」

「まあ、親父だから死ぬことはねぇと思うけどよ」

「っていうか、本当にあの人形いらないよね。むしろあの親王がウザイよね」


 小さく、しかし笑顔でぼやく秀真に、兄達はゾッとした。

 仮にも楪家は、代々帝の一族に仕え、現在は幸時ゆきとき派ではなく幸丈派についている。もしもの場合、この三人も幸丈を守るためにいるのだ。


「秀真、後ろから刺すなよ」

「分かってるよ兄さん。行く時は正々堂々、正面から行くよ」

「馬鹿か! 家から犯罪者出すんじゃねぇ!」


 それから軽い兄弟喧嘩という死合いに三人は突入した。

 彼らの喧嘩内容を聞いていた楪家の女房は思ったという。

『代々暗殺者の家系の人が今更犯罪者って……』と。

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