終幕
第38話
陽の宮における一連の騒動が終わって二週間。政斗は幸丈からの呼び出しで、いつものように梅花殿へと向かっていた。
公ではないが、政斗の武勇は上層部に伝わっているらしく、最近では外を歩くと視線がうるさい。右目のせいでいらないところまで見てしまうのだ。
信秀も事の詳細は聞いたはずなのだが、『貴様、抜け駆けとはずるいぞ! 姫巫女様に会うなんて!』などと、利用されていたことよりも、政斗に怒りを顕にしている。
相変わらず馬鹿だが、今回ばかりはその馬鹿さ加減で心が軽くなったりもした。
脇腹の傷も粗方の治療を終え、さて、今日は何の話かと後宮を目指していたところ、正面から一人の男が歩いてきていた。着ているものは大和国古来の伝統衣装。さらに付き人の数も多い。
かなりの上位者と判断した政斗は、さっと道を譲り頭を垂れる。
しかし、通り過ぎるかと思われた男は、政斗の前で立ち止まった。何だと思う間もなく、どこかで聞いたような淡々とした口調が降ってくる。
「雪竹政斗殿か?」
「……はい」
名を聞いた男は、それきり黙った。ちらりと目線を上げた政斗は、その男の胸にある紋章がかかっていることに気づく。太陽と、桜。
男の正体に気づいた瞬間、彼はまたあの少女に似た口調で口を開いた。
「実際はかなりお転婆な娘だが……よろしく頼む」
「え?」
勢いよく顔を上げた時には、すでに男――天照草薙は歩き出していた。あれが、莉桜の父親なのだ。
「よ、よろしくって、何をだよ……」
莉桜の無表情以上に読めない男に、政斗は嫌な予感を覚えつつ梅花殿へと入った。そして、予感が的中したのか、母屋の中は見たことがないほど緊迫している。
「雪竹政斗様のお渡りでございます」
女房に告げられて入った途端、政斗は回れ右をしたくなった。
まず、なぜか下座にこの殿舎の主である幸丈がいる。その隣に狼の華那。几帳の陰に莉桜がいて、天井裏で砕が『ご愁傷様』と呟いたのが見えた。
そして、上座にはあり得ない人物が二人。
「よく来たな、雪竹政斗。近くに座ると良い」
「は、はあ……」
尊大な口調で言ったのは、そんな言葉遣いが良く似合うこの国の権力者、帝だった。彼の隣には、華那の父親だという富嶽が控えている。
「おい、幸丈。どういうことだっ?」
座りながら小声で問えば、幸丈は重い空気を背負ってうなだれていた。
「いやもう、ほんと…………すまん……」
「謝られただけじゃ分かんねぇよ!」
少し上に座っている幸丈の顔はやつれていた。華那もへばっているから、二人ともよほど父親に絞られたのだろう。
(お、俺も絞られるのか?)
仮にも親王と姫巫女を囮に使ったのだ。無事だったから良かったものの、万が一のことがあれば死罪でも、許されはしなかっただろう。
「さて、今回、貴殿を呼んだのは他でもない」
(ざ、罪状の宣告か?)
せっかく牢屋から出るために受けた仕事だというのに、牢屋どころか死刑台に送りこまれそうになっている。
場合によってはトンズラするしかない、と政斗は冷や汗を流しながらも腰を浮かした。
「貴殿を呼んだのは、今回の働きによる褒美を与えるためだ」
「どうもすみませんで…………は?」
謝って即座に逃げようとしていた政斗は、意外な言葉に奇妙な体制のまま固まった。そんな様子を見た帝はくすりと笑うと、富嶽に置いてあった物を引き寄せさせる。
「親王を助け、姫巫女を危機から救い、ひいてはこの大和国の存亡に関わったであろう事態を収束させてくれた。その働きに感謝の意を表したい」
富嶽の見せた
罰を受けると思っていたはずが、逆に褒美を貰えている。拍子抜けして帝を見ると、彼はニコニコと笑いながら扇で口元を隠した。
雅な仕種が良く似合う。だが、この笑顔もどこかで見たことがある。
嫌な予感は最高潮に達した。
「それと、貴殿を戦衛府の一番隊隊長に推しておいた。一番隊は特攻も含め活躍の多い部隊だ。君ならさらに名を上げてくれるだろうと期待している」
「え? ちょ、ちょっと待ってくださ……!」
「ちなみに姫巫女の臨時護衛も兼務だ」
「なっ……いや、俺っ、私は若輩者で……」
「いやいや、君のように若く、実戦経験が豊富な者なら、凝り固まった兵達に新しい風を呼び込んでくれるだろう」
「だからっ、俺は大和国の住人でもな……」
「他国の戦法を取り入れる。これも素敵なことだと思わないか?」
「姫巫女の護衛ってそれは!」
「草薙殿も快く頷いてくださった。君なら安心だ、と」
(どこがだぁ!)
皆まで言わせず、逃げ道を断っていく帝はずっと笑顔だった。微笑む目の裏に、穏やかではない企みが見える。
そう、この笑顔は幸丈と一緒だ。
(……俺を使って藤郷家を牽制しようってか)
今回の騒ぎで政斗に憧れを抱いた兵士達も少なくはない。最近では積極的に話しかけてくる者も多くなってきた。
そういった者を新たな一派とすることで、兵部省における藤郷家の躍進を阻む了見なのだろう。
「私は、最初に言ったはずだね。雪竹政斗」
スッと音もなく立ち上がった帝は、優雅な歩き方で呆然とする政斗の隣までやって来た。そして、身をかがめたかと思うと、小さく耳に囁く。
「『私はそなたの真の力が見てみたい。見せる機会と場がないというのなら、それは私が用意しよう。追って知らせを待つと良い』と」
「っ!?」
やられた、と思った。あの御前試合の時の言葉。あれは、ただ政斗を戦衛府の特別隊員にするという意味ではなかったのだ。
帝は、政斗の実力に目を留め、来るべき時には使うという意味で言ったのだろう。
幸丈は上手く取り入ったと思ったようだが、逆に使える人材を帝に謙譲しただけだったのだ。
「では、よろしく頼むよ」
草薙と同じことを言って去る帝。彼の笑い声を聞きながら、政斗は思った。
(別に俺が手を貸さなくても、大丈夫だったんじゃないか? 大和国……)
※ ※ ※ ※ ※
帝達が去った母屋で、政斗達は一斉に息を吐いた。どっと疲れがくる。
「てめぇ、幸丈。どうしてくれんだ……」
「だからすまんって謝っただろ? オレ、親父だけは敵に回したくねぇ」
「相変わらず、帝は侮れない方ですわ……」
『結局、色んなことバレてたんですね~』
四人が四人、それぞれに呟いてまた溜息をついた。その中で一番切り替えが早かったのは幸丈だ。ポンと膝を叩いて人なつこい笑みを浮かべる。
「ま、こうなったら頑張ってくれ、政斗」
「あのなぁ、お前、他人事だと思って……」
「お前が頑張るなら、オレも頑張るからよ」
文句を言いそうになった政斗は、次の言葉で幸丈をまじまじと見た。照れたような顔で、拳を突き出している。
しばらく拳を見ていた政斗は、諦めたように頭を掻いた。
「おう」
こちらも笑って拳を突き合わせれば、言葉のない約束をしたように思えた。
『幸丈様が頑張るなら、あたしも頑張って守りますから!』と意気込む華那と転げまわる幸丈。じゃれあう様子に呆れていると、莉桜が袖を引いてきた。
視線をやると、彼女は一つの布を差し出している。
政斗が右目に巻いている黒い布だ。けれど、今まで使っていた物と少し違う。手触りが良く、布自体から清涼な空気を感じる。そして、裏側には藤と、魔術の構成に似たような刺繍がしてあった。
「これは?」
「邪気を払う糸を作る聖蚕という蚕がいます。その糸を使い、清水で洗い、紡ぎあげた布に、私が封術の魔術をかけて刺繍しました。これで、普通に布を巻くよりは右目の力を抑えられると思います」
細かな刺繍だ。右目で見れば、緻密にかれられた魔術と、莉桜の温かな薄紅の魔力を感じることができる。
今の布と取り替えてみると、確かに右目はほぼ左と同じような見え方になった。気配や魔力は相変わらず分かるが、この世ならざる者は見えない。
「っと……ありがとな、莉桜」
気恥ずかしくなって小さく呟くと、莉桜も頬を染めて笑い返してくれた。
唇で触れてくれた時のように、優しい力を右目に感じる。莉桜の心がこもっているのだ。
「でも、何で藤なんだ?」
「貴方は、藤のような人だと思ったんです。高貴な色を持ち、他の木々を取り巻きながら、その冠に花を咲かせる藤。そんな風に、思ったから……」
「ずいぶん買いかぶられてんな」
「そんなつもりは!」
「分かってる」
くしゃりと莉桜の頭をなでて、政斗は子供のように笑って見せた。
「期待に添えるような花を咲かすよ」
たとえこの右目に、あの男の闇が宿っているのだとしても、花を咲かせるのは政斗自身だから。あの男のように闇の花など咲かせはしない。
願わくば、莉桜が言ってくれた藤のように、華麗で、強い花を。
政斗の決意を悟ったのか、莉桜の顔にもまた、桜が咲くように笑顔が広がった。幸丈も、華那も、それぞれが胸の内に抱いている花のように、強く、眩しい笑みを見せる。
心地良い空気が広がった梅花殿。その時政斗は、ふと気になったことを口にした。
何気なく。極自然に。
「それにしても、莉桜、お前裁縫なんてできたんだな。衣も一人じゃ上手く着れないのに」
ははは、と軽く声を上げながら言うと、次の瞬間、隣の空気が冷えた。
「あ……」
ヤバイ、と思ったものの、すでに幸丈と華那は避難したあと。
壊れた人形のように首を動かして彼女を見ると、扇を広げた莉桜がニッコリと笑った。
「無礼者」
春近いその日。春を告げる桜が綻び始めた、暖かで平和な大和国。
しかし後宮梅花殿では、前代未聞の嵐が吹き荒れたと、後の記録に記されたそうだ。
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